第23話:ゲーマー式修行法
石造りの壁に囲まれた宿の自室。古びた木製のテーブルの上には、先ほどの鏡の迷宮で手に入った『封魔の鏡箱』が無造作に転がっている。
その脇で、浩之は腕を組みながら、空中へと半透明のステータスウィンドウを展開し、自身の現在値とじっとにらめっこを続けていた。
【ステータス】
・僧侶レベル:8
・膂力:85 (強化補正固定)
・俊敏:74 (強化補正固定)
・耐久:51 (初期値+強化補正+Lv2から8までの成長分)
・知略:27
・幸運:18
・HP:33
・MP:34
「……こうしてまじまじと見ると、相変わらずめちゃくちゃなバランスだな」
先ほどの鏡の迷宮での試練を経て、レベルは8に達した。職業補正としては順当な成長であり、耐久力やHPといったベースとなる数値は着実に底上げされている。しかし、本人の基礎能力だけが完全に異常なのだ。例外処理で固定された膂力八十五、俊敏七十四というバグじみた数字は健在である。
さらに、中級僧侶の域に達したことで、新しい魔法もいくつかシステムに登録されていた。
(覚えたのは、『ヒール』に加えて……三つか)
実用的な中回復魔法の『ミドルヒール』。MP消費はやや重いが、レイアが中ダメージを受けても即座に立て直せるため重宝する。他にも、毒を浄化する『クリーン』や初級結界の『ライトシールド』も覚えたが、物理特化で状態異常に弱い今のプレイスタイルを補うには十分な補助ラインナップだった。
だが、今の浩之が直面している問題は、魔法の数ではない。
中身である。
(先ほどのミラーヒロユキ戦。あいつはステータスも技術も癖も、俺をそのまま写した存在だった。同じ能力、同じ身体、同じ未熟さ。だからこそ、純粋な殴り合いでは勝負にならなかった)
最後に勝敗を分けたのは、浩之自身の力ではない。ドットバスターの世界で手に入れた『バスタースーツ』という、外部要素のカードを切っただけだ。
勝ちはしたが、自分の弱点から逃げられない相手と戦ったことで、嫌でも理解させられた。
もし次に戦う相手が、自分と同じステータスを持ちながら、それを百パーセント引き出せる存在だったら。今のままでは勝負にすらならない。
力も速さも同じなら、最後に残るのは「身体の使い方」だ。
ふと、部屋の隅で翌日の旅支度をしていたレイアが、心配そうにこちらを振り返る。
「あの、ヒロユキさん……? さっきからずっと虚空を睨んでますけど、どうかしたんですか?」
「いや、ちょっと反省会だ。俺の戦い方は力とスピード頼みで、肝心の中身がスカスカだったからな。……少し身体の使い方を調整してくる」
「調整、ですか?」
「あぁ。部屋にこもるから、絶対に扉は開けるなよ。飯代の銀貨は机に置いといたから、適当に休んでてくれ」
「また急ですね……。わかりましたけど、あまり無理はしないでくださいよ?」
浩之は「すぐに戻る」と短く返し、部屋の扉を内側からしっかりと施錠した。
ベッドの端に腰掛けた浩之は、深く息を吐き出すと、頭の中にシステム画面を呼び出す。別のゲームにダイブするためには、今いるこのファンタジー世界から一度『ログアウト』しなくてはならない。
浩之が『ログアウト』を実行すると、視界がぐにゃりと歪み、現実の空間から切り離された。
――次に目を開けた時、彼は元の世界、見慣れた日本の自室に立っていた。
浩之がまっすぐに向かったのは、部屋の隅にある押し入れだ。襖を開けると、そこには人生の大半を費やしてきた攻略本とプレイ動画、そしてフレーム単位の検証を積み重ねてきた『研究資料』の山が地層のように眠っている。ただの趣味ではない。時間をゲーム攻略の検証に捧げてきた男の、執念の結晶だ。
ごちゃごちゃとしたパッケージの山を漁り、浩之は一本のソフトを引っ張り出した。今回白羽の矢を立てたのは――『功夫アクション・レジェンド』。
かつて、シビアな入力と敵のAIの隙を突くことだけに何十時間も費やした、古臭いが硬派なカンフーRPGだ。
「よし、行くか」
浩之がそのパッケージを手にしたまま『ログイン』のスキルを実行した瞬間、再び視界が切り替わった。
*
ネオン管の極彩色の漢字が怪しく光る、雑多で泥臭い香港風の裏路地。
路肩の屋台からはもくもくと白い湯気が上がり、遠くで中華鍋を振るう小気味良い音がチープなBGMに混ざって聞こえてくる。
ダイブ直後、手始めに路地裏をうろついていたチンピラNPC数人を軽くあしらい、そこら辺の木箱を破壊して回ると、カコッと音を立ててドロップアイテムが散らばった。
【アイテムを獲得しました:『ほかほか肉まん』】
【アイテムを獲得しました:『奥義・龍脈拳の書』】
【アイテムを獲得しました:『気功弾の巻物』】
回復アイテムに混ざって、いかにも一撃必殺の威力を秘めたオーラを放つ巻物たちが手に入る。以前の浩之であれば「新技ゲットだぜ!」と喜んでいたところだが、今は静かに首を横に振った。
「強い。……だが、今の俺が欲しいのはこれじゃないな」
浩之が求めているのは、ド派手なコマンド技の追加ではない。泥臭いまでの基礎固めだ。
とはいえ、使えるものをわざわざ捨てる理由もない。思考の端でシステムの習得ボタンを押すだけ押し、奥義書はインベントリの奥底へと追いやる。「今は使わなくても、後で他のスキルとコンボできるかもしれない」という、ゲーマー特有の貧乏性(保険)だった。
彼はネオン街を抜け、街の外れにひっそりと佇む、煤けた「武術道場」の扉を叩いた。
*
道場の中は、むせ返るような汗と木の匂いに満ちていた。
フロアの中央で、道着を着た熱血漢らしき師範代NPCが、腕を組んで浩之に厳めしい顔を向ける。
「ほう、一見さんか。我が道場に入るからには、まずは心を無にし、武術とは魂――」
ピッ。
浩之が視界の端のシステムウィンドウで『会話スキップ』を選択する。
「――いいか、己の精神を研ぎ澄ませ――」
ピッ。
「……よし、終わったか」
戸惑ったように口をパクパクさせて沈黙する師範代NPCを放置し、浩之はさっさと道場の奥にある特設の修行スペースへと足を踏み入れた。
そこにあるのは、基礎鍛錬だけを延々と繰り返させる修練設備だ。
まずは『重心移動維持ステージ』。
不規則にせり上がり、傾く床。少しでも重心のバランスを崩せば奈落へ落ちる。失敗すれば最初からやり直しだ。百回、二百回と同じ操作を繰り返すうちに、指先より先に身体が勝手に正解の動きを導き出すようになっていく。
続いて、四方八方から飛んでくる不可視の攻撃を当たり判定の瞬間に合わせて弾き続ける『パリィ限定ステージ』を黙々とこなす。
【成功率:99.8%】
【入力遅延:0.03秒】
【最適タイミング補正完了】
「……まだ零点二パーセント甘いな」
浩之は表示されたリザルト画面にぼやきながら、さらに試行を繰り返す。
普通なら、武術家が何年もかけて痛みと共に身につける感覚だ。しかしゲームなら、数千回単位でノーリスクの試行ができる。失敗しても痛みはない。
システムが保存しているのは、ゲーム内の技そのものではない。何千回、何万回と繰り返した成功パターン――その『身体操作の感覚』だけだ。だからこそ、ログアウトしても確実に自分自身の身体に残る。
才能や根性ではない。ただ検証と反復を繰り返す。それこそが、ゲーマーにとっての攻略(修行)だった。
そして最後は、何もない空間にランダムに浮かび上がる赤いターゲット(光点)を、出現から零点二秒以内に正確なフォームで叩き割るという判定練習だ。
「あー、この判定練習な」
出現から判定発生までのシビアなタイミング。それに合わせて、無駄なモーションを一切削ぎ落とし、最短距離で拳を置く。ただそれだけの反復。
パシッ!
【Perfect】
パシッ!
【Perfect】
パシッ!
【Perfect】
脳内のリソースをすべて「肉体の制御パラメータのチューニング」に全振りした作業。
パシッ! パシッ! パシッ!
【100 Combo】
徹底的な反復に呼応するように、視界の隅でシステムウィンドウが絶えず更新されていく。
【出力制御効率:向上】
【余剰動作:削減】
【身体操作の再現性:向上】
(筋肉が強くなったわけじゃない。……ただ、ステータスを扱うための無駄が減っただけだ)
膂力八十五、俊敏七十四というバグじみたオーバースペック。それを正しく制御するための『土台』が、浩之の神経回路に定着していく。
コンボを繋ぎきり、修行ステージの最奥を踏破した瞬間、浩之は未練なく『ログアウト』を選択した。
*
視界が切り替わり、気がつけば『功夫アクション・レジェンド』のパッケージを手にしたまま、日本の自室の押し入れの前に立っていた。
短く息を吐き、パッケージを元の位置に戻す。そして間髪入れずに、ファンタジー世界への『ログイン』を再度実行する。
再び視界が開けると、そこは石造りの壁に囲まれた、元の宿の自室だった。
ふと、部屋の窓から差し込む光の角度に気づく。宿の窓から見える外の光景は、日本へ戻り、カンフーゲームへダイブする前と一ミリも変わっていなかった。
「外の世界では時間が一秒たりとも経過していない。……相変わらず、この空間隔離の仕様はチートだな」
浩之は身体の反発力を確かめながら、ゆっくりと部屋の扉を開け、廊下へと足を踏み出した。
*
共同の訓練スペース兼ラウンジ。
そこでは、レイアが明日の旅程に備えて、ひとりで木剣の素振りを繰り返していた。
「あ、ヒロユキさん! 調整、終わったんですか?」
浩之の気配に気づいたレイアが駆け寄ってくる。しかし、近づくにつれて彼女の足がピタリと止まった。
「……あれ? なんだか、雰囲気が……歩くときに全然足音がしないというか、妙に静かですね……」
レイアは首をかしげながら、手元にあった木剣を構え直した。
「ちょっと、軽く打ち合ってみてもいいですか? なんかこう、試してみたいんです」
「いいぞ。相手になろう」
浩之は武器を持たず、素手のまま軽く構える。レイアは息を整えると、昨日の鏡の迷宮で見せた鋭い踏み込みで、一気に間合いを詰めて木剣を振り下ろした。
シュッ!
それは昨日よりも遥かに速く、鋭い一撃だった。
(……速いな。もう新人冒険者の剣じゃない)
浩之は内心で弟子の確かな成長を評価しつつ、襲い来る剣尖をじっと見据える。
ガンッ! コンッ!
二撃、三撃と、ラウンジに木剣が弾かれる音が響く。レイアが焦ったように連撃を繰り出し、フェイントまで交えて上段から下段へと斬りかかってくる。
もはや、剣先だけを追う必要はなくなった。
肩の入り方、腰の向き、踏み込む前の重心移動。数値ではなく、身体が出す『予兆』を見る。奇しくもそれは、昨日の迷宮でレイアが気づいたことと同じだった。
数日前なら力任せに受け止めるか避けていた攻撃を、浩之は最小限の手首の返しだけで逸らしていく。
「えっ、剣が……滑る!? 受けられたんじゃなくて、流されてる!」
「よし、そこまでだ」
浩之は淡々と呟くと、レイアが放った渾身の突きを、右手の手甲部分でスッと斜めに滑らせるように受け流した。
レイアの身体が、勢い余って前へのめり込む。ガラ空きになった彼女の額に、浩之はスッと人差し指を伸ばし――。
コツン。
「はい、一本」
「えぇぇぇっ!?」
レイアは額を押さえながら、信じられないものを見る目で浩之を見上げた。
浩之自身の中では、達人になったなどという驕りはない。これでようやくスタートラインに立てたという感覚しかなかった。規格外のステータスを、ようやく正しく使うための『土台』ができただけだ。
「よし、そろそろ出発の準備をしようか。次の街まで、足慣らしにはちょうどいい」
「あ、はい! ……そういえば、今回も何かすごい魔法とか覚えたんですか?」
「……いや、ただ身体の基礎を固め直しただけだ」
「えー、ちょっぴり残念です」
(まあ、一応保険で拾ってきた『奥義・龍脈拳』の巻物はあるが……)
インベントリの肥やしになっている巻物のことを思い出しつつ、ふと浩之は、自分が立っている姿勢の重心が無意識のうちに最適な位置へと微調整されていることに気づいた。
(実戦で試し、修正し、また鍛える。その繰り返しこそがゲーマーの攻略法だ。基礎を軽視したまま技だけ増やしても、また同じ失敗を繰り返すだけだからな)
それに――。
(これはあくまで、ゲーム内で基礎の形を作っただけだ。本物の戦いで身体に完全に染み込ませるには、まだまだ実戦経験が足りない)
慢心することなく、さらなる成長の余地を胸に秘めながら。
浩之はレイアと共に、静かに宿をあとにする。
一歩踏み出したその足音は、以前よりも驚くほど静かだった。
【道場師範代より】
待たれよ、旅の者よ……と、幾度となく話しかけようとしたところを、ことごとく「スキップ」されてしまった、しがない師範代じゃ。
あの後もしばらく一人で「武術とは魂であり……」と語り続けておったのじゃが、誰にも届いておらんかった。せめてここで、続きを言わせてはもらえぬかの。
武術とは魂、そして日々の鍛錬の積み重ねよ。かのお方は、儂の説法をすべて聞き流し、黙々と修練場へと消えていったが、あの脇目も振らぬ姿勢こそ、まさに武の神髄というものじゃろう。……多少、心は傷ついたがの。
というわけで、この物語を気に入ってもらえたなら、評価の★やブックマークという名の「一礼」を、ぜひ置いていってはくれぬか。それだけで、この老骨、次の修行にも精が出るというものじゃ。
ではまた、いずれかの世界でな。




