見えなくなる世界
「それで、どう思う? 心当たりがあるんでしょ?」
戻ってきたソフィアにそう尋ねると、彼女はわずかに言葉を探すように視線を落とした。
その仕草に、胸がざわつく。――今まで、彼女がこんな沈黙を見せたことはなかった。
それは迷っているというより、答えを口に出すこと自体を躊躇っているような沈黙だった。
「ええ……」
「隠し事は無しよ。教えて頂戴?」
「あなたと違って、私が呼んだ訳じゃないのよ」
このゲーム世界と、私たちがいた世界には『穴』が空いている。
魂だけが、移動できる穴が。
この世界の創造者である神代湊こと、ソフィアだけが、その仕組みを理解している……はずだった。
――少なくとも、今この瞬間までは。
「その前に、どうやって私を見つけたの?」
「穴は、ゲームで繋がってるの」
それだけで充分だった。
何せ私のパソコンの画面には、『ブラックティアラ』が、昼も夜も関係なく動き続けていたのだから。電源を落とす理由は、どこにもなかった。
「ごめん、話が逸れた。心当たりって?」
「このゲーム世界に……何者かが入り込む“波動”を感じたの」
「え? それだけ?」
本来なら、それだけで終わる話じゃない。
この世界の管理画面は、彼女自身が持っているはずなのだから。
「ゲームが終了して、その先の時間軸に移った瞬間から……私、見えなくなってきたの」
「見えなく……?」
「管理者だったはずなのに、もう観測できない領域が増えてる。世界が、私の管理から逃れようとする感じがするのよ」
それは、鍵を持っているはずの部屋から、いつの間にか締め出されていく感覚に近かった。
触れられるのに、干渉できない。
存在を知っているのに、確かめられない。冗談めかして言おうとしたのかもしれない。でも、その声音は、どうしようもなく弱かった。
彼女の弱さを見ることに、私はまだ慣れていない。
「もう、帰ることも出来ないかも」
一瞬、胸の奥がひやりと冷える。
「それは構わないわ」
私は、はっきりと言った。
「元の世界に戻れたとしても、私はもう、あちら側の人間じゃない。この世界で選んだのも私、背負った名前も捨てるつもりはないから」
ここで終わる物語なら、最初から選ばなかった。むしろ怖いのは、この世界から弾き出されることの方だ。
ソフィアは驚いたように目を瞬かせ、やがて小さく笑った。
「……本当に、あなたらしいわね。やっぱり、あなたを選んで正解だった」
選んだ、という過去形が、少しだけ引っかかった。
「じゃあ、会いに行きましょう」
「え?」
「相手は、もうこちらにサインを送ってる。隠れる気がないなら、こちらから行けばいい」
※
私たちは、マリアの行方を探すため、捜索隊を派遣した。
マリスフィアとドノバンの諜報部隊だ。
彼らが戻るまでの間に、軍事裁判が行われた。
アンリとシャルルは、ヴァーデン侯爵家から追放された。
「覚えてろよ!」
聞き慣れた捨て台詞。
「はーい、お兄様方、お元気で!」
満面の笑顔で手を振るリラ。
王子たちについていく者は、ほとんどいない。
彼らが牢にいる間に、支援者はすべて引き剥がしてあった。
「政治って……本当に怖いですね」
「ええ。でも、だからこそ勝ち方を間違えちゃいけないのよ」
私から見ても、リラの度胸はなかなかのものだった。
彼女は声を荒げることなく、自然に“格の違い”を見せつける。
粗忽なジュリアは、西方聖教会へ入信し、神学生になるらしい。
「怖いな、西方聖教会は!」
私たちの顔に、思わず笑いがこぼれた。
「さて、北部――ノルマン侯爵の顔でも見に行こうか?」
クルミが、悪戯っぽく言う。
「そうね。黒牙蛇の件、まだ終わってないもの」
軍を動かすわけにはいかない。
だから私たちは、単身で北部侯爵領へ向かうことにした。
今回は、リラとコヨリも一緒だ。ヴァーデン侯爵の挨拶なのだ。
「さて、ノルマン侯爵は、どんな反応を見せるかな?」
犯人であるノルマン領の商人には、すでに監視をつけている。
いつでも拘束できるが、ここは他国他領だ。
「好意で、一緒に来てもらうことは出来るよ」
ドノバンが自慢げに言った。
「じゃ、しらばっくれたらね」
北部侯爵の居城へ向かう途中、地図に視線を落としたソフィアが、ほんのわずか眉をひそめた。
「……そこ、嫌なノイズがする」
理由は分からないようだ。
「気を引き締めて行きましょう」
北部侯爵の居城のある街ルーアが視界に入る。
大きなセレイン川の港町。その中心には時計のある大きな広場や、東方聖教会のルーア大聖教会がある。
商業区では荷の積み下ろしが盛んで、露店街では町民たちの明るい商売の声が飛び交う。
「ここは治安が良いな」
まるで、この国の都パリスを中心に内乱が起きている雰囲気が、どこにもない。
「どんな街にも、光があれば、陰があるはずなんだが」
下町にすら、浮浪者や孤児の姿が見えない。
「教会が運営する孤児院があり、炊き出しと仕事の斡旋があるみたいですね」
リラが、地元民と話をして情報を仕入れてきた。
「ふうん。よっぽどノルマン侯爵は優秀なのね……」
「ねえ、そんなことより、もう一度、大広場に戻りましょう?」
考え込んでいたソフィアが言った。
「どうしたの?」
「大時計よ。あなたなら、わかるでしょ?」
ブラックティアラの舞台は王国だ。共和国は、テキストベースで語られた程度にすぎない。
「何を言ってるの? 謎かけされても?」
急いで戻り、時計を見上げる。丁度、十二時。
「これは、機械式じゃない。魔道具の時計だ」
「そう。私がデザインした物じゃない。……でも、それだけなのかな?」
その言い方に、微かな引っかかりを覚える。
私たちは、時計台を登る内階段への入口を探り当てた。
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