引き金は侮辱
「おい、この旗が目に入らないのか? 邪魔だ」
位の高そうな、先頭を行く騎士が怒鳴った。
軍人特有の威圧感。だが、その視線には命令を貫く確信がない。
「目に入ったから、警告に来たんだ!」
ドノバンが即座に言い返す。
次の瞬間、兵たちが一斉に動いた。
気づけば、私たちは完全に包囲されている。
「北部侯爵、ノルマン侯爵の軍だぞ! わかっているのか?」
「ああ。だから教えてやろうと思ってな。このまま進めば、マリスフィア侯爵軍とぶつかる」
「そんな出鱈目を。王国が越境してくる訳が……」
否定の言葉とは裏腹に、騎士の喉が鳴った。
疑念を抱いた瞬間、人はもう強者ではいられない。
「知らせてこい!」
伝令が駆け、中軍から二人の男が現れた。
一人は、岩のように太く、鎧の上からでも圧を放つ男。
もう一人は、その背に半ば隠れるように立つ、ひょろりとした男だった。
「将軍。こいつらが……」
「ふん。マリスフィアなど大したことはない」
将軍と呼ばれた男が、鼻で笑う。
「主人を惨殺されるような腰抜けどもだ」
空気が凍りついた。
クルミの顔色が、一瞬で変わる。
触れてはいけない話題だ。彼女の義父のことは。
軍が弱いと侮るのは構わない。
だが、家族を嘲るのは別だ。
私だって、父をそんなふうに言われたら、同じ顔をする。
「新領主、リラ・ヴァーデン侯爵の要請を受けている」
ドノバンが、割って入るように続けた。
「東部侯爵領の安定のため、マリスフィア侯爵軍、それにノクスフォード侯爵軍も進駐中だ」
「はぁ!? 何でリラが領主なんだ!」
ひょろりとした男が声を荒げる。
「領主は俺だろうが! ふざけるな! あいつが務まるものか?」
なるほど。
こいつがアンリ。
「そんなことないわ」
私は、あえて微笑んだ。
「街の人たち、とても喜んで祝福してたわよ」
その一言で、アンリは完全に逆上した。
「将軍! こんな奴ら無視して進め!」
将軍は剣の柄に手を置いたまま、黙り込む。
「……いや……王国の両翼と戦うとなると……一度引き上げて、侯爵の指示を……」
だが、部下たちの前で、弱気な姿は晒したくないのだろう。
ぼそぼそと独り言のように策を探す将軍を見て、クルミが楽しげに口角を上げた。
「あら、腰抜けね」
その瞬間、将軍の中で何かが切れた。
侮辱された矜持。
逃げ腰だと見抜かれた恐怖。
体面を保つ手段は、もう一つしか残っていない。
――剣が、抜かれた。
次の瞬間だった。
私の目には、剣筋すら映らない。
ただ空気が裂け、衝撃が奔り、将軍の巨体が断ち切られたかのように崩れ落ちた。
「ぐ……わ……」
鈍い音を立てて倒れる。
みね打ちだ。
だが全身を貫いた衝撃と、死の錯覚は、確実に刻み込まれただろう。
唖然としていたノルマン侯爵軍が、戦闘へ移ろうと動く。
「やめとけ」
ドノバンの低い声が、場を縫い止めた。
「クルミ・マリスフィアに斬られたいのか? 将軍は気を失ってるだけだ。先に剣を抜いたのは、そっちだろ」
「……惨殺姫……」
その名が波紋のように広がり、兵たちの足が止まった。
「あなたたち、引き上げるわよね? それとノルマンに伝えなさい。くだらない謀略の償いはさせると」
クルミの言葉に、兵たちは無言で将軍を荷馬車に乗せ、撤退の隊列を組み始めた。
「アンリは、私たちが連れていく」
「はあ……どこへだ……」
「もちろん、領主リラのところよ」
ドノバンがアンリに歩み寄り、腕を掴む。
「痛い! 助けてくれ!」
だが、誰一人、目を合わせなかった。
取り巻きだった連中でさえ。
「他の弟たちも、もう捕まってる」
その言葉に、アンリは一瞬きょとんとした。
「……何だって? 本当か……?」
次の瞬間、彼の顔が緩む。
「は、はは……そうか……! あいつらもか!」
胸を撫で下ろし、安堵すら滲む笑みを浮かべる。
「なら……ならいい! あいつらがいなければ、俺の天下だ」
「いいえ」
私は、静かに口を挟んだ。
「さっきも言ったでしょ。リラが侯爵だって」
アンリの表情が、凍りつく。
「え……?」
「後継争いも、内輪揉めも、全部終わりよ」
私は微笑んだまま、淡々と告げる。
これは予告でも脅しでもない。
ただの事実だった。
「領主リラのもとへ。あなたの裁判が、始まるわ」
アンリは、笑顔のまま――
そのまま、愕然と崩れ落ちた。
※
伝聞鳥は、ソフィアの返事を持って帰って来た。
「興味がある。私も会いに行く」
「困ったわね。彼女が来るまで、十日はかかるわね」
ところが、彼女は次の日には、リヨンの街にやって来た。
どうやって、来たかって? 部屋に入り込んだ鷹の仕業だ。
「ティア様はどうして?」
「たまたま、霧湖の魔女のところに遊びに行ったら、ソフィアがいて、そこに君からの手紙さ」
「ありがとうございます。お礼に……」
「いや、ソフィアのお願いだから、ソフィアにお礼はしてもらう約束だから。彼女は、気持ち良い女性だな」
マズイ、マズイ。私が独占していた古の竜案件が、崩れている。
「ティア様、こちらでしたか? 食事の用意が整っております」
ソフィアがやって来て、鷹を抱いて頭を撫でている。気持ちよさそうな表情を見せるティアの化身。
もう、ソフィアはそんなやつなんだ。気配りが出来て、優しく見せて、残酷だ。
「はぁ……」
「リリカ、後でね!」
勝ち誇った顔で、私の部屋を出て行った。
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