第六話 幸せになれそうだ
第六話 幸せになれそうだ
桐生レンが帰還してから七日目。
探索者協会本部には、朝から異様な数の人間が集まっていた。
報道陣だけではない。国内の大手クラン関係者、政府のダンジョン対策局、海外メディア。そして、普段なら同じ場所に集まることなどないS級探索者まで三人来ている。
その中心で、レンは三上から一枚のカードを受け取った。
「本日付で、桐生レン君をS級探索者として正式に認定します」
「ありがとうございます」
カードには桐生レンの名前。その下に、大きくSと記されていた。
「これで深いところまで自由に行けます?」
三上が苦笑する。
「認定された最初の感想がそれですか」
「駄目ですか?」
「むしろ君の場合、どこまで行かせていいのかを今後考えなければなりません」
「一番下まで行きたいんですけど」
「それは後日相談しましょう」
周囲から笑いが起きた。
配信のコメントも凄まじい速度で流れている。
《S級きたああああ》
《D級から一週間でS級w》
《史上最速?》
《一年前まで荷物持ちです》
《三十億蹴った男》
《主人公すぎる》
《白峰さんどこ?》
そのコメントに答えるように、人混みの奥から銀色の髪が現れた。
「レン」
アリサが手を振る。
「おめでとう」
「ありがとうございます」
「何か他人行儀じゃない?」
「じゃあ、ありがとう」
「よろしい」
満足そうに笑うアリサを見て、コメントの流れが変わった。
《距離縮まってる》
《昨日まで白峰さんだったよな?》
《アリサ呼びまであと何日》
《もう付き合え》
「何で俺たちの話になってるんです?」
「知らない」
「顔赤くないですか?」
「暑いの」
「室内ですよ」
「レン」
「はい」
「黙って」
三上が静かに二人から離れた。
「私は巻き込まれませんからね」
式典が終わってからも、レンはしばらく記者たちに囲まれた。
今後の活動、海外進出、ダンジョン攻略、スポンサー契約。
なぜか最後は、ほとんどアリサとの関係について聞かれた。
ようやく協会本部を出られた頃には、昼を大きく過ぎていた。
「疲れた」
レンが大きく伸びをする。
「S級魔物は一撃なのに、記者会見には負けるのね」
「魔物は質問してこないので」
「確かに」
二人で笑った。
少し歩いたところで、アリサがレンを見る。
「今日、もう予定ない?」
「ないですよ」
「じゃあ付き合って」
「どこに?」
「そうじゃなくて」
アリサが足を止めた。
レンも止まる。
「……もういい。ご飯行こ」
「行きます」
「食べ物の時だけ即答なのよね」
その日は、小さな洋食店へ入った。
途中で何度も声をかけられ、写真やサインを頼まれた。レンは困りながらも、ほとんど断らなかった。
子どもに色紙を差し出された時だけ、本気で悩んでいる。
「サインなんてないんですけど」
「名前書けばいいじゃない」
「普通に?」
「普通に」
本当に普通に名前を書いた。
それでも子どもは大喜びで走っていった。
レンはその背中を見送る。
「変な感じですね」
「何が?」
「一年前は誰も俺のこと知らなかったのに」
「今は日本で一番有名な探索者かもね」
「嫌だな」
「嫌なの?」
「悪いことできないじゃないですか」
「する予定あるの?」
「ないですけど」
アリサが吹き出した。
食事を終えた頃には夕方になっていた。
二人は人通りの少ない公園へ入り、自動販売機で買った飲み物を片手にベンチへ座った。
少し離れた道路を車が走っている。
ダンジョンの中では、聞くことのなかった音だった。
「レン」
「はい」
「一年前に戻れるなら、戻りたい?」
レンは少し考えた。
「石扉が閉まる前ですか?」
「うん」
一年前。
弱かった。
神崎たちについていくのが精一杯で、置いていかれて、怖くて、何度も死にかけた。
それでも。
「戻らないです」
「意外」
「辛かったですけど、今ちゃんと帰ってこられたので」
神崎たちとも話せた。
もう恨んでいない。
好きなだけ飯が食える。
風呂にも入れる。
またダンジョンへ潜れる。
それに。
レンは隣を見る。
アリサと目が合った。
「何?」
「いや」
「今、何か言おうとした」
「してないですよ」
「した」
アリサが少し顔を近づける。
「怪しい」
「近いです」
「この前は自分から腰抱いたくせに」
「あれは転びそうだったからでしょう」
「私は忘れてないけど」
「事故ですよ」
「私は事故だと思ってない」
「?」
「本当に鈍いなあ」
アリサがため息をついた。
しばらく缶を両手で持ったまま黙っていたが、やがて前を向いたまま口を開いた。
「私ね」
「はい」
「レンのこと、好き」
レンが止まった。
今度は聞き間違えようがなかった。
「前に配信でも言ったけど、あれは勢いもあったから。だから、ちゃんと言っておこうと思って」
アリサの耳が赤くなっている。
「強いからだけじゃないよ。一年前に自分を置いていった人たちを許して、その人たちが危なくなったら助けに行って、三十億積まれても断って」
そこでようやく、レンを見る。
「そういうところ全部、好きになった」
レンは魔物を前にした時より困った顔をした。
「何か言ってよ」
「いや……こういうの、初めてなので」
「私もこんな告白したの初めて」
「そうなんですか?」
「そこ驚く?」
「モテそうなのに」
「モテるよ」
「自分で言うんですね」
「事実だから」
二人で笑った。
レンは少し考えてから、アリサを見る。
「俺も、アリサさんといるの好きです」
「……アリサさん?」
「駄目ですか?」
「そこじゃない」
アリサが口元を押さえて笑う。
「まあ、今日はそれで許す」
「何をです?」
「そのうち分かる」
二人はベンチを立った。
歩き始めてしばらくすると、アリサの手がレンの手に触れた。
一度離れる。
もう一度触れる。
今度は、そのまま握った。
レンは少し驚いたが、離さなかった。
「……何か」
「何?」
「幸せになれそうだなと思って」
アリサが笑う。
「何それ」
「駄目ですか?」
「別に」
握った手に少し力が入った。
「私も」
公園の出口へ着いたところで、アリサのスマートフォンが鳴った。
「ごめん、協会から」
電話に出ると、すぐに表情が変わった。
「分かった。すぐ行く」
「何かあったんですか?」
「池袋のダンジョンで小規模な氾濫。A級が向かってるけど、念のため来てほしいって」
「俺も行きます?」
「大丈夫。規模は小さいみたい」
アリサは一歩離れた。
「それに今日は、もう十分」
「そうですか?」
「うん」
少し迷ってから、レンの頬へ顔を近づけた。
柔らかい感触が、一瞬だけ触れる。
レンが固まった。
「じゃあね」
アリサは自分の方が恥ずかしくなったのか、顔を赤くしたまま走っていった。
「……え?」
レンはしばらくその場から動けなかった。
頬へ手を当てる。
「マジか」
思わず笑った。
一年前とは、何もかも違う。
強くなった。
仲間ともやり直せた。
S級になった。
好きだと言ってくれる人までできた。
もう十分すぎるくらいだった。
「帰るか」
レンが歩き出した。
その時だった。
「桐生レン」
後ろから声がした。
振り返る。
三十代くらいの男が立っていた。
黒いパーカーにジーンズ。片手にはコンビニの袋。
どこにでもいそうな男だった。
「はい」
「見つけた」
「何か用ですか?」
「ちょっとね」
男――田中はスマートフォンを見る。
【100.0】
数字が点滅した。
【COMPLETE】
「やっと完成した」
「何がです?」
「君」
レンが眉を寄せた。
「俺?」
「うん」
田中はスマートフォンをポケットへ戻した。
「これでやっと殺せる」
レンの表情が変わった。
「何言ってるんですか」
「そのままの意味」
田中の右手がパーカーのポケットへ入る。
レンは、その動きより先に黒剣へ手をかけていた。
一年間、最深部で生き延びた身体が反応している。
田中の手が出る。
拳銃。
銃声が響いた。
レンが首を傾ける。
弾丸が頬の横を抜け、その先にあった街灯を貫いた。
金属製の支柱に穴が開く。
さらに奥。
コンクリートの壁まで深く抉れていた。
レンの目が細くなる。
「……何だ、その銃」
「特注」
それだけ答えて、田中がもう一発撃つ。
レンは避けた。
三発目。
今度は黒剣を合わせる。
甲高い音が響いた。
レンの手に衝撃が走る。
「っ……」
黒剣を見る。
刃に、小さな穴が開いていた。
今まで何を斬っても傷一つ付かなかった剣だった。
「嘘だろ」
「それ硬いね」
「舐めるなよ!」
レンが一気に距離を詰めた。
田中が撃つ。
一発。
レンが避ける。
もう一発。
身体を沈める。
銃口が動くたび、レンも動く。
当たらない。
距離だけが縮まっていく。
黒剣が横薙ぎに走った。
田中が後ろへ下がる。
刃がパーカーの胸元を掠め、布が裂けた。
「危な」
追撃。
田中が避ける。
さらに一撃。
また下がる。
レンは止まらなかった。
「さっきまでの余裕はどうした!」
「別に余裕はないよ」
田中の右手が上がる。
レンの視線が銃口へ向いた。
発砲。
避ける。
踏み込む。
黒剣が走った。
金属音。
田中の拳銃が宙を舞い、地面を滑っていった。
「終わりです」
レンは止まらない。
拳銃を失った田中へ、一気に距離を詰める。
その時。
田中の左手がパーカーの内側へ入った。
レンの目が動く。
黒い銃身が現れた。
「二丁――」
レンの剣先が左へ向く。
新しく出てきた拳銃を弾くために。
乾いた音がした。
レンの身体が止まった。
「……え」
胸元を見る。
小さな穴。
そこから血が広がっていく。
田中の左手にある拳銃は、まだレンへ向けられていない。
レンがゆっくり視線を動かした。
右手。
袖口。
そこから、もう一つ小さな銃口が覗いていた。
「三……」
銃声。
レンの肩が跳ねる。
それでも黒剣を振った。
田中は半歩だけ下がる。
左手の拳銃が上がった。
発砲。
レンは避ける。
同時に、右の小型銃が火を噴いた。
今度は腹を撃ち抜かれた。
「ぐっ……!」
レンがよろめく。
それでも倒れない。
黒剣を握り直し、田中へ踏み込んだ。
「ふざけんな!」
黒い刃が迫る。
田中は大きく避けなかった。
僅かに身体をずらすだけだった。
剣先がパーカーを裂く。
その間に、二つの銃口がレンへ向いている。
銃声。
レンの脚から力が抜けた。
片膝が地面につく。
それでも黒剣を離さない。
「まだ……!」
立ち上がろうとする。
田中は何も言わなかった。
左。
銃声。
レンが身体を捻る。
避ける。
その先に、右の銃口があった。
もう一発。
レンの身体が大きく揺れた。
黒剣が地面へ落ちる。
それでもレンは顔を上げた。
「お前……」
田中を見る。
右手。
左手。
そして、少し離れた場所に転がる最初の拳銃。
レンの表情が変わった。
「最初から……」
銃声。
レンの身体が揺れた。
それでも倒れない。
田中は小さく息を吐き、二丁の拳銃を下ろした。
「主人公はさ」
レンが黒い剣へ手を伸ばす。
指先が柄に触れる。
けれど、もう握れなかった。
「物語の途中じゃ、なかなか死なない」
田中はレンの前へしゃがんだ。
「銃は外れる。毒は誰かがこぼす。事故なら偶然助かる。死にかけても、何だかんだ生き残る」
スマートフォンを取り出す。
【COMPLETE】
「でも、終わった後は別だ」
最弱だった男が最強になった。
自分を見捨てた仲間を許し、その仲間を救った。
S級になった。
三十億を捨てても困らない力を手に入れた。
そして、好きな女と結ばれた。
「君の物語」
田中が画面を見せる。
「さっき終わっただろ」
レンが田中を睨んだ。
「アリサ……さんは」
「ああ、大丈夫。池袋の件も本物。俺は関係ない」
「……そう」
レンの表情が、ほんの少しだけ緩んだ。
田中が眉を上げる。
「自分が死にそうなのに、そっち?」
レンは答えなかった。
もう声が出ない。
田中は数秒だけその顔を見た。
「本当に主人公だな、君」
レンの身体が倒れた。
田中は立ち上がる。
地面を滑っていった最初の拳銃を拾い、三丁を順番にしまった。
スマートフォンを見る。
【桐生レン】
【主人公化率 0.0%】
【処理完了】
「……よし」
コンビニ袋を拾う。
中を覗いて、少し顔をしかめた。
「冷めたな」
倒れたレンの横を通り過ぎる。
「帰って飯食お」
田中は歩いていった。
桐生レン。
二十歳。
S級探索者。
最難関ダンジョンから生還した男。
帰還から七日目。
死亡。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
第一章「ダンジョン主人公編」、これで完結です。
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