第五話 全部いらないです
桐生レンが帰還してから五日目。
探索者協会本部の大会議室には、朝から十人以上の人間が集まっていた。
協会本部長の三上。
審査部門の責任者。
戦闘記録の分析官。
政府のダンジョン対策局から来た職員。
そして。
「何で白峰さんもいるんですか?」
「いたら駄目?」
レンの隣には、白峰アリサが座っていた。
「いや、駄目じゃないですけど」
「じゃあいいじゃない」
「関係者なんですか?」
「S級探索者だから参考人」
三上が向かいの席から口を挟む。
「本来は別のS級探索者へ依頼する予定でした」
「じゃあ何で白峰さんに?」
「本人がどうしても来ると」
「三上さん」
アリサが笑顔のまま睨んだ。
「余計なこと言わなくていいから」
「事実です」
レンは二人のやり取りを眺めたあと、机の上に置かれた資料へ目を戻した。
表紙には大きく、
【桐生レン 探索者等級特別審査】
と書かれている。
「これ、今日決まるんですか?」
三上が頷いた。
「通常なら数週間から数か月かかります。ただ、君の場合は事情が特殊すぎます」
前日の能力測定。
レンは地下三十階での測定から始めた。
だが、そこに出現する魔物ではまともな数値が取れなかった。
四十階へ移動しても同じ。
その途中、公式配信で〈アーク〉の危機を知り、地下四十七階へ向かった。
そこでS級危険指定魔物〈黒王オーガ〉を一撃で討伐した。
アビスハウンドに続いて二体目。
偶然では説明できない。
「現在、日本のS級探索者は七名です」
三上が資料をめくる。
「全員が国家規模の戦力として扱われています。単独でS級危険指定魔物を討伐できることも、一つの目安です」
「じゃあ白峰さんも?」
「当然」
アリサが胸を張る。
「黒王オーガくらいなら一人で倒せる」
「一撃で?」
「……時間はかかるけど」
「なるほど」
「何その反応」
「いや、強いんだなと思って」
「今さら!?」
会議室の何人かが笑いをこらえた。
アリサは不満そうに腕を組む。
三上が咳払いした。
「話を戻します。協会としては、桐生レン君をS級へ推薦します」
レンは資料を見た。
「D級からですか?」
「そうなります」
「一気に上げて大丈夫なんです?」
「上げない方が問題です」
三上は真顔だった。
「D級探索者には受注できる依頼、立ち入り可能な階層、使用できる設備などに制限があります。今の君をD級の規則に当てはめると、昨日の四十七階への移動だけでも規定違反になります」
「あ」
「気づいてませんでしたね?」
「すみません」
「だから急いでいるんです」
審査官の一人が資料をレンへ向ける。
「正式な認定には最終審査があります。ただし現在の討伐記録、能力測定結果、ダンジョン深層からの単独帰還実績を考慮すれば、認定される可能性は極めて高いと考えています」
「分かりました」
レンが頷く。
「じゃあ、それでお願いします」
三上が少し拍子抜けした顔をした。
「もう少し驚くかと思いました」
「S級になったら、もっと下まで自由に潜れるんですよね?」
「ええ」
「じゃあ助かります」
アリサが横からレンを見る。
「本当にそれしか興味ないのね」
「他に何か変わるんですか?」
「めちゃくちゃ変わるわよ」
三上が別の資料を出した。
「まず、国から年間契約の打診があります。協力内容にもよりますが、最低保証だけで数億円規模になるでしょう」
「数億」
「さらに昨日までに、国内外のクランから四十二件の所属交渉が届いています」
資料がもう一冊置かれる。
「最高額はこちらです」
レンが見る。
海外最大級の探索者クラン。
年間契約。
三十億円。
「三十億?」
さすがにレンも聞き返した。
「はい」
「一万円札で?」
「他に何で払うと思ったんですか」
「いや、三十億って見たことないので」
「普通はありません」
アリサが資料を覗き込む。
「ここ、世界でも五本に入るクランよ。私も前に誘われた」
「行かなかったんですか?」
「日本の方が好きだから」
「へえ」
「……それだけ?」
「何て言えばいいんです?」
「もういい」
アリサがそっぽを向いた。
三上がさらに説明を続ける。
装備メーカーとの専属契約。
動画配信サービスとの大型契約。
テレビ出演。
広告。
書籍。
ドキュメンタリー。
海外遠征。
五日前まで死亡扱いだったD級探索者に、桁外れの金と仕事が集まっている。
「全部受けた場合、年間収入は五十億円を超える可能性があります」
レンは黙って資料を見ていた。
三上が尋ねる。
「どうします?」
「全部いらないです」
会議室が静かになった。
三上が瞬きをする。
「全部?」
「はい」
「三十億のクラン契約も?」
「はい」
「広告も?」
「別に出たくないです」
「テレビも?」
「緊張するので」
「国との契約は?」
「必要な時に呼んでもらえれば行きます」
三上が額を押さえた。
「理由を聞いても?」
レンは少し考えた。
「俺、一年前まで荷物持ちだったんですよ」
「ええ」
「金も欲しかったし、ランクも上げたかったです。強い装備も欲しかった」
でも。
地下六十一階の石扉が閉じてから、それどころではなくなった。
今日食べるもの。
眠れる場所。
次に襲ってくる魔物。
どうすれば生き残れるか。
考えることはそれだけだった。
「一年間、欲しかったのって」
レンは窓の外を見る。
「帰ることだけだったんです」
誰も口を挟まなかった。
「だから今は、飯食えて、風呂入れて、寝る場所あれば十分です」
アリサがじっとレンを見ている。
「あと、ダンジョンには潜りたいです」
「何で?」
「まだ行ってない場所があるので」
「百階より下まで行ったんでしょ?」
「はい」
「まだあるの?」
「あります」
レンが少し笑った。
「一番下まで行けなかったので」
審査官たちが顔を見合わせる。
三上だけは、もう驚くのを諦めたようだった。
「君が言うと、非常に怖いですね」
「そうですか?」
「そうです」
会議が終わったのは昼前だった。
協会本部を出ると、やはり大量の報道陣が待っていた。
S級推薦の情報は、すでにどこかから漏れているらしい。
「桐生さん! S級推薦は事実ですか!」
「海外クランから三十億円のオファーが来ているという情報があります!」
「今後は海外で活動する予定ですか!」
レンが立ち止まる。
「S級推薦は本当です」
フラッシュが一斉に光った。
「三十億円の話も本当ですか?」
「来てました」
「契約するんですか?」
「しません」
記者たちがざわつく。
「なぜですか!」
「別にいらないので」
「三十億ですよ!?」
「はい」
「では今後、何を目標に活動されるんですか?」
レンは少し考えた。
「普通にダンジョン潜ります」
「普通に?」
「あと、困ってる人がいたら助けます」
「報酬に関係なく?」
「近くにいれば」
後ろにいたアリサが、小さく笑った。
その様子までカメラに映る。
記者がすぐ気づいた。
「白峰さん!」
「はい?」
「桐生さんとの関係は、その後進展されましたか!」
レンが振り返る。
「関係?」
アリサが一瞬黙った。
「……まだ」
「まだ?」
「これから」
記者たちが一気に騒ぎ出す。
レンだけが分かっていない。
「何がこれからなんですか?」
「レンは黙ってて」
「何で?」
「いいから」
二人のやり取りは当然、そのまま配信された。
《まだって言った》
《これからwww》
《アリサ様攻める気満々》
《レンだけ何も分かってない》
《三十億捨てて美女S級だけついてくる男》
《主人公すぎる》
報道陣から離れたあと、アリサがレンの隣を歩いた。
「ねえ」
「はい」
「今日、予定ある?」
「ないです」
「じゃあ、ご飯行かない?」
「いいですよ」
返事が早すぎて、今度はアリサの方が止まった。
「……いいの?」
「何で駄目なんです?」
「いや」
アリサが髪を耳へかける。
「二人でだけど」
「はい」
「私と」
「はい」
「……そう」
少しだけ口元が緩む。
「じゃあ決まり」
レンが歩き出す。
アリサもその隣に並んだ。
「何食べたい?」
「肉」
「即答ね」
「一年間、魔物の肉ばっかりだったので」
「それも肉じゃない?」
「牛がいいです」
「分かった。美味しいところ知ってる」
アリサがスマートフォンを取り出した。
店を探しながら、時々レンを見る。
一年前まで誰にも知られていなかったD級探索者。
仲間についていくだけで精一杯だった男。
最難関ダンジョンに取り残され。
一年間生き抜き。
最強クラスの力を手にして帰ってきた。
S級推薦。
海外から三十億円。
世界中から届く勧誘。
それでも本人は何一つ欲しがらない。
アリサは小さく息を吐いた。
「ずるいなあ」
「何がです?」
「何でもない」
レンは不思議そうな顔をした。
その顔を見て、アリサはまた笑った。
夕方。
二人が焼肉店から出てくるところを、偶然通りかかった配信者が撮影した。
レンは満足そうだった。
アリサはその横で笑っていた。
その動画も、当然のように拡散された。
【桐生レン、三十億円を断る】
【S級推薦へ】
【白峰アリサと二人きりで焼肉】
【金も名誉も興味なし。帰還者が選んだもの】
そして最も伸びたコメントは、やはりこれだった。
《もう完成してるだろ、この主人公》




