第四話 今度は俺が助ける
桐生レンが帰還してから四日目。
新宿第零ダンジョン地下四十七階。
探索者パーティー〈アーク〉は、崩れた石柱の陰に身を寄せていた。
「大森、腕は?」
「動く。ただ、盾はもう無理だ」
大森が左腕を押さえる。
鎧の隙間から血が流れていた。
盾は十メートルほど先で半分に割れている。
戸塚も右足を負傷していた。
美月の魔力はほとんど残っていない。
無傷なのは神崎だけだった。
それでも、剣を握る右手は震えていた。
目の前にいる魔物を見れば、それも当然だった。
全長六メートルを超える黒い巨人。
皮膚は岩のように硬く、頭には二本の太い角。
手には、自分の身長ほどもある巨大な斧を持っている。
〈黒王オーガ〉。
S級危険指定。
本来なら、地下六十階より下で確認される魔物だった。
「何でこんなところに……」
戸塚が息を荒くしながら呟く。
「知らねえよ」
神崎は答えた。
「分かってるのは、俺たちじゃ勝てないってことだけだ」
黒王オーガが歩く。
一歩ごとに床が揺れた。
神崎たちが今日ここへ来た目的は、討伐ではない。
四十五階周辺の地形変化を確認するための調査依頼だった。
本来なら危険度も高くない。
活動休止中だった〈アーク〉が受ける必要もなかった。
それでも神崎は受けた。
レンと会った翌日。
このまま部屋に閉じこもっているわけにはいかないと思ったからだ。
レンは、一年間一人で生き抜いた。
自分たちを恨んでいないとまで言ってくれた。
だったら、自分も前へ進まなければならない。
そう思った。
「……格好つけるんじゃなかったな」
神崎が呟く。
「今さら?」
戸塚が笑った。
「俺も思ってる」
大森も苦笑する。
美月だけは笑わなかった。
「神崎」
「何だ」
「逃げて」
神崎が振り返る。
「私が足止めする」
「却下」
「でも、このままじゃ全員――」
「それ、一年前にも聞いたな」
美月が黙る。
神崎は剣を握り直した。
「今度は誰も置いていかない」
黒王オーガが咆哮した。
空気が震える。
同時に、頭上を飛んでいた配信用ドローンの映像まで大きく乱れた。
この調査は協会公式チャンネルで配信されている。
同時視聴者数は、すでに三十万人を超えていた。
《撤退しろ》
《無理だって》
《黒王オーガだぞ》
《S級呼べ!》
《救援まだ!?》
《神崎たち死ぬぞ》
《誰も置いていかないって……》
《一年前のこと気にしてるんだろうな》
救援要請は出している。
だが、現在新宿にいるS級探索者はいない。
最も近いA級パーティーでも、到着まで二十分以上。
黒王オーガが待ってくれるはずもなかった。
「来るぞ!」
大森が叫ぶ。
巨人が斧を振り上げる。
神崎たちは散った。
直後、斧が床へ叩きつけられる。
爆発したような衝撃。
石床が大きく割れた。
神崎の身体が吹き飛ぶ。
「神崎!」
背中から壁へぶつかった。
肺から空気が抜ける。
視界が揺れた。
起き上がろうとする。
その間にも黒王オーガは動いている。
「大森!」
「分かってる!」
大森が割れた盾を拾い、前へ出た。
黒王オーガの拳を受ける。
盾が砕けた。
大森の巨体が宙を舞う。
「大森!」
美月が治癒魔法を使おうとする。
光が弱い。
「駄目……魔力が……」
黒王オーガが美月を見る。
神崎の背筋が凍った。
「美月、逃げろ!」
黒王オーガが踏み込む。
斧が上がった。
美月は動けなかった。
魔力切れ。
足にも力が入らない。
一年前。
同じだった。
あの日も。
逃げなければ死ぬと思った。
だから逃げた。
レンを置いて。
今度は自分の番なのかもしれない。
そう思った瞬間だった。
美月の前に、人影が落ちた。
黒い剣。
長くなった髪。
見慣れない服。
でも、その背中を見間違えるはずがない。
「……レン?」
振り下ろされた巨大な斧を、レンが片手で受け止めた。
剣ですらなかった。
左手だった。
黒王オーガの斧が止まっている。
レンの足元の床だけが、円形にひび割れた。
それ以上は動かない。
「間に合った」
レンが振り返る。
「大丈夫ですか?」
美月は答えられなかった。
配信のコメント欄が爆発する。
《は????》
《レン!?》
《どっから来た》
《斧止めた!?》
《素手だぞ》
《S級の攻撃だぞ!?》
《また主人公来たwww》
黒王オーガが唸り声を上げる。
斧を引こうとする。
レンの左手から抜けない。
「ちょっと待ってください」
レンが黒王オーガへ言った。
「今、話してるんで」
巨人の顔が歪む。
さらに力を込める。
レンはため息をついた。
「聞かないか」
左手を離す。
勢い余って黒王オーガが後ろへよろめいた。
レンは美月の横を通り、神崎たちを見る。
「全員います?」
「……いる」
神崎が壁に手をつきながら立ち上がる。
「何でお前がここにいるんだ」
「能力測定です」
「四十七階で?」
「最初は三十階だったんですけど、弱すぎて測れないって言われて」
「それでここまで?」
「はい」
レンが少し困ったように笑う。
「途中で配信見て、近かったから来ました」
神崎は何も言えなかった。
黒王オーガが再び咆哮する。
レンが振り返った。
「こいつ倒せばいいんですよね?」
「待て」
神崎が言う。
「黒王オーガだぞ」
「名前あるんですね」
「S級危険指定だ」
「ああ」
レンは巨人を見る。
「確かに、上の方ではあんまり見なかったな」
「上?」
「下だと群れでいますよ」
神崎たちが黙った。
コメント欄も一瞬だけ止まる。
《群れ?》
《今なんて》
《黒王オーガが群れ??》
《最深部どうなってんだよ》
黒王オーガが走り出した。
巨体からは想像できない速度。
レンへ向かって斧を横薙ぎに振る。
「レン!」
神崎が叫ぶ。
レンは黒い剣を抜いた。
昨日アビスハウンドを斬った剣。
一度だけ振る。
音は小さかった。
黒王オーガがレンの横を通り過ぎる。
二歩。
三歩。
そこで止まった。
巨大な斧が地面へ落ちる。
続いて。
黒王オーガの身体が、腰からずれた。
上半身が床へ落ちる。
巨体が倒れ、地下四十七階が大きく揺れた。
レンは剣を鞘へ戻した。
「終わりました」
誰も返事をしなかった。
《…………》
《え?》
《終わり?》
《S級だぞ》
《昨日よりヤバくね?》
《黒王オーガ一撃》
《国内記録だろこれ》
《神崎たちが四人で死にかけてた相手だぞ》
《一年で何があったんだよ》
《強さの桁が違う》
レンは倒れた黒王オーガに興味も示さず、神崎たちのところへ戻った。
最初に大森の腕を見る。
「折れてますね」
「分かるのか?」
「よく折ったので」
「何を?」
「自分の骨」
大森が黙った。
レンは美月を見る。
「治せます?」
「今は魔力が……」
「じゃあポーション使います」
腰の袋から小瓶を出す。
液体は淡い金色に光っていた。
美月の表情が変わる。
「それ何?」
「薬です」
「それは見れば分かる」
レンが大森の腕へ数滴垂らした。
直後。
腫れていた腕が元の形へ戻っていく。
「……痛くない」
大森が自分の腕を動かす。
「治った」
美月が小瓶を凝視する。
「レン。それ、どこで手に入れたの?」
「作りました」
「作った?」
「材料、下にいっぱいありますよ」
またコメント欄が流れ始める。
《さらっと新情報》
《S級治療薬じゃね?》
《錬金までできんの?》
《もう何でもありだろ》
《主人公盛りすぎwww》
戸塚も治療し終えたところで、神崎がレンへ近づいた。
「レン」
「はい」
「ありがとう」
「どういたしまして」
「……俺には言う資格ないかもしれないけど」
神崎が唇を噛む。
「また、お前に助けられた」
「また?」
「昨日もだ」
「昨日は何もしてませんよ」
「違う」
神崎は首を横へ振った。
「お前が許してくれた」
レンは困ったような顔をした。
「だから、それはもういいですって」
「俺はまだ――」
「神崎さん」
レンが言葉を止めた。
一年前。
閉じていく石扉。
向こう側にいた四人。
自分は置いていかれた。
怖かった。
腹も立った。
何度も恨んだ。
でも今は。
四人とも目の前にいる。
それで十分だった。
「あの時は、神崎さんがみんなを助けたんでしょう?」
「……」
「だったら」
レンは笑った。
「今度は俺が助けます」
神崎が俯いた。
「……勝てねえな、お前には」
「さっきから勝ってますけど」
「そういう意味じゃねえよ」
戸塚が笑う。
大森も笑った。
美月はまた泣いていた。
「美月、最近泣きすぎじゃないですか?」
「誰のせいだと思ってるの」
「俺?」
「そうだよ」
「何で?」
「そういうところ」
レンには最後まで分からなかった。
その日の配信は、帰還初日の記録をさらに上回った。
【一年前に自分を見捨てた仲間を、桐生レンが救出】
【S級黒王オーガ、一撃】
【桐生レン「今度は俺が助けます」】
切り抜きは次々と投稿された。
その中でも最も再生された動画のコメント欄には、同じ言葉が何度も並んでいた。
《これが主人公じゃなかったら何なんだよ》
そして。
その夜。
白峰アリサがその動画を見ていた。
「……何これ」
スマートフォンの中で、レンが笑っている。
『今度は俺が助けます』
アリサはしばらく黙ったあと、ベッドへ顔を埋めた。
「こんなの」
誰にも聞かれていないのに、耳まで赤くなる。
「もっと好きになるじゃん」




