第三話 もう恨んでません
桐生レンが帰還した翌朝。
探索者協会本部の前には、昨日より多くの報道陣が集まっていた。
「桐生さん、昨日はどこに宿泊されたんですか!」
「一年間のダンジョン生活について詳しく教えてください!」
「白峰アリサさんとの交際について一言お願いします!」
最後の質問に、レンが足を止めた。
「交際?」
隣を歩いていた協会職員が小さくため息をつく。
「昨日の配信、見てませんか?」
「見てないです」
「白峰さんが、その……」
「何かありました?」
「本人に聞いてください」
「?」
レンにはよく分からなかった。
昨日は協会近くのホテルへ案内され、久しぶりにベッドで眠った。
柔らかすぎて逆に寝づらかった。
風呂にも入った。
お湯が出た。
石鹸もあった。
一年ぶりの風呂が気持ち良すぎて一時間近く入っていたせいで、協会職員から安否確認の電話までかかってきた。
レンにとっては、白峰アリサが何を言ったかより、そちらの方がよほど大事件だった。
「桐生さん!」
記者が声を張る。
「元所属パーティー〈アーク〉について、現在どのようにお考えですか!」
レンの足が止まった。
さっきまで飛び交っていた声が少しだけ静かになる。
「アーク?」
「はい。一年前、あなたを置いて撤退した件について、神崎さんたちへ批判が殺到しています」
別の記者も続いた。
「神崎さんは昨日から活動を休止しています。動画サイトの登録者も大幅に減少していますが――」
「何でですか?」
記者が一瞬黙った。
「……何で、とは?」
「何で神崎さんが活動休止するんですか?」
「あなたを見捨てたからでは?」
レンが眉を寄せた。
「見捨てたっていうか」
少し考える。
「あれ、戻ったら全員死んでましたよ」
記者たちがざわついた。
「では、神崎さんたちの判断は正しかったと?」
「正しいかは分からないです」
レンは答えた。
「でも、俺が神崎さんの立場なら、同じことしたかもしれません」
「しかし実際、あなたは一年間――」
「俺が生きてたのは結果論でしょう」
レンはそう言って、協会の入口へ向かった。
背後では、今の発言を切り抜くために何台ものスマートフォンが動いていた。
その日の午前中には、
【桐生レン「俺が神崎さんの立場でも同じことをした」】
【見捨てられた本人が元仲間を擁護】
【器が違いすぎる】
そんな見出しが並び始めた。
そして当然。
それを〈アーク〉の四人も見ていた。
「……何でだよ」
神崎亮介は、事務所のソファに座ったままスマートフォンを見ていた。
画面の中では、レンが記者に囲まれている。
『俺が神崎さんの立場なら、同じことしたかもしれません』
その動画は、すでに数百万回再生されていた。
コメント欄は昨日よりひどい。
《レン優しすぎ》
《こんな奴置いて逃げたのか》
《神崎、余計きついだろこれ》
《責められた方がマシだったな》
《本人が許してるなら外野が叩くなよ》
《でも俺なら一生顔合わせられん》
神崎は画面を消した。
正面に座っていた戸塚が頭を抱える。
「もう外出れねえよ」
「俺なんか昨日、家の前に記者いたぞ」
大森も低い声で答えた。
「美月は?」
「奥」
神崎が短く答える。
事務所の奥にある小部屋。
昨日から、美月はほとんど出てきていない。
一年前。
最後まで石扉を閉めることに反対したのは美月だった。
それでも最終的には、レンを置いて逃げた。
あの日から何度も同じ夢を見ると言っていた。
石扉の向こう。
走ってくるレン。
伸ばされた手。
閉じる扉。
そのレンが生きて帰ってきた。
「会うしかないだろ」
神崎が言った。
戸塚が顔を上げる。
「マジで?」
「このまま逃げる方が無理だ」
「でも何話すんだよ」
「分からない」
神崎は立ち上がった。
「だから会うんだろ」
午後。
探索者協会の応接室。
レンは、テーブルの上に置かれた大量の書類を眺めていた。
「全部俺宛てですか?」
「はい」
担当職員が答える。
「海外ギルドから十一件。国内の大手クランから二十七件。スポンサー契約、CM出演、テレビ出演、装備メーカーとの専属契約なども来ています」
「多いですね」
「他人事ですね」
「だって昨日帰ってきたばっかりですよ」
職員が一枚の契約書を見せる。
「こちら、年俸十二億です」
「十二億?」
レンが少し驚いた。
「高いですね」
「反応それだけですか?」
「でも俺、何するんです?」
「所属するだけです」
「じゃあいらないです」
「十二億ですよ?」
「ダンジョン潜れればそれでいいので」
職員が何か言おうとしたところで、扉がノックされた。
「失礼します」
別の職員が顔を出す。
「桐生さんに面会希望の方が」
「誰ですか?」
職員が少し言いにくそうに答えた。
「〈アーク〉の皆さんです」
レンの表情が止まった。
ほんの一瞬。
「分かりました」
それだけだった。
数分後。
扉が開く。
最初に神崎。
続いて戸塚、大森。
最後に美月。
一年前と同じ四人だった。
ただ。
誰もレンの顔をまともに見られなかった。
「久しぶりです」
レンが先に言った。
神崎が立ち止まる。
「……レン」
「座らないんですか?」
「あ、ああ」
四人が向かい側へ座った。
沈黙が落ちた。
レンは何を言えばいいのか分からなかった。
神崎たちも同じらしい。
しばらくして。
神崎が口を開いた。
「悪かった」
頭を下げた。
戸塚と大森も続く。
美月だけは、レンを見たまま動けなかった。
「本当に」
神崎の声が震える。
「あの時、お前を置いて逃げた」
「はい」
「言い訳するつもりはない」
「はい」
「俺が扉を閉めた」
レンは黙って聞いていた。
「お前が走ってきてるのも見えてた。あと少しだった。それでも俺は……」
神崎が拳を握る。
「自分たちが死ぬのが怖くて、閉めた」
美月が下を向いた。
「違う」
「美月」
「神崎だけじゃない」
美月の声が震えている。
「私も逃げた」
レンを見る。
目にはもう涙が溜まっていた。
「ごめん」
レンは何も言わなかった。
「本当に、ごめん」
美月の涙が頬を伝う。
「何回も戻ろうって思った。救助隊にも入れてほしいって頼んだ。でも私じゃ五十階より下には行けなくて……」
「美月」
「レンが死んだって言われても信じたくなかった。でも一年経って、それで昨日、急に帰ってきて……」
声が続かなくなる。
レンはしばらく美月を見ていた。
そして。
「生きててよかった」
美月が顔を上げる。
「……え?」
「みんな」
レンは四人を見る。
「生きててよかったです」
神崎の顔が歪んだ。
「何で」
「何がです?」
「何でそんなこと言えるんだよ」
レンは少し困った。
「いや、生きてる方がいいでしょう」
「俺たちはお前を置いていったんだぞ!」
神崎の声が大きくなる。
レンは黙った。
「あの日からずっと考えてた。俺があと五秒待ってれば、お前も扉の中に入れたかもしれない。俺が戻ってれば――」
「死んでますよ」
レンが言った。
神崎が止まる。
「あの時、扉の向こうにいたのはレッドファングだけじゃなかった」
「……何?」
「奥にもう一体いました」
「何が?」
「アビスハウンド」
四人の顔色が変わった。
昨日、レンが一撃で倒した魔物。
一年前の彼らなら、戦闘になった時点で全滅していた。
「たぶん神崎さんが戻ってきたら、二人とも死んでました」
「でも」
「それに」
レンは少し笑った。
「あの時置いていかれなかったら、俺、今こんなに強くなってないです」
誰も言葉を返さない。
レンは一年間を思い出した。
最初の一週間は、何度も死ぬと思った。
食べ物もない。
帰り道もない。
寝ている間も魔物が襲ってくる。
怖かった。
恨んだこともある。
どうして自分だけ、と何度も思った。
でも。
一年は長かった。
「最初は腹立ちましたよ」
レンが言った。
神崎たちが顔を上げる。
「めちゃくちゃ」
「……そりゃそうだ」
「神崎さんたちが戻ってきてくれるかもしれないって、三日くらい扉の前にいました」
美月が口元を押さえた。
「四日目に、来ないんだなって分かって」
レンはそこで少しだけ笑う。
「それからは、生きるので忙しかったです」
次の階層へ進んだ。
魔物を食べた。
何度も死にかけた。
気がつけば、一年前なら名前を聞くだけで逃げていた魔物を、自分で狩れるようになっていた。
「だから」
レンは神崎を見る。
「もう恨んでません」
神崎の目から涙が落ちた。
「……ごめん」
「もういいですよ」
「でも」
「本当に」
レンは笑った。
「帰ってきたんで」
美月が泣きながら顔を伏せる。
戸塚も横を向いた。
大森は両手を握ったまま動かなかった。
神崎だけが、レンを見ていた。
「お前」
「はい?」
「変わったな」
レンは少し考える。
「髪ですか?」
一瞬。
誰も反応できなかった。
それから大森が吹き出した。
戸塚も笑う。
美月は泣きながら笑った。
「そこじゃないよ」
「じゃあ何です?」
「そういうとこ」
少しだけ。
一年前の空気が戻った。
その日の夕方。
協会から出てきた〈アーク〉の四人を、待っていた記者たちが取り囲んだ。
「神崎さん! 桐生さんとは何を話されたんですか!」
「謝罪はされたんですか!」
「桐生さんは何と!」
神崎は立ち止まった。
カメラを見る。
「謝りました」
記者たちが静かになる。
「俺たちは、一年前にレンを置いて逃げた。それは変わりません」
「桐生さんは?」
神崎はしばらく黙った。
「もう恨んでないって」
それだけ言って、歩き出した。
その映像もすぐに拡散された。
《レン聖人すぎない?》
《普通許せるか?》
《神崎責める気だったけどこれはキツい》
《強くなっただけじゃなく中身まで主人公》
《もう完全に主人公だろ》
そして。
そのコメントを見ている男がいた。
田中はラーメン屋のカウンターで、スマートフォンを眺めていた。
「……また上がってるじゃん」
画面には数字が表示されている。
九十八・二。
九十八・四。
九十八・七。
田中は箸を止めた。
「許しちゃったか」
隣の男が怪訝そうに見る。
田中は気にせず、スマートフォンを伏せた。
「いい奴イベントまで回収してんじゃん」
ラーメンを一口すする。
「めんどくさ」




