第二話 流石に惚れちゃった
桐生レンが新宿第零ダンジョンから帰還して、三時間が経った。
探索者協会本部。
医務室のベッドに座ったレンは、渡された服を不思議そうに眺めていた。
「これ、着ていいんですか?」
「もちろんです」
女性職員が答える。
「というより、着てください」
「ああ、はい」
レンは自分の格好を見る。
一年間着続けた服は、もはや布切れに近かった。
上着は肩から裂け、ズボンも膝から下がほとんどない。
靴はとっくになくなっている。
帰還した時に裸足だったせいで、ネットではすでに、
《最深部を裸足で歩いて帰ってきた男》
という切り抜きまで作られていた。
レンは新品の黒いTシャツを広げる。
「サイズ、合いますかね」
「たぶん大丈夫だと思います」
「ありがとうございます」
職員が医務室を出る。
レンはシャツへ袖を通した。
一年ぶりの服だった。
「……柔らかい」
思わず声が出る。
ダンジョンの中では、魔物の皮を裂いて身体に巻いていた時期すらあった。
普通の服がこんなに着心地のいいものだったとは思わなかった。
続いてズボン。
靴下。
スニーカー。
靴を履いたところで、レンはしばらく自分の足元を眺めた。
「靴って、こんな感じだったっけ」
忘れていたわけではない。
ただ、妙に違和感があった。
その時。
医務室の扉が開いた。
「桐生レン君」
男が入ってくる。
五十代くらい。
スーツ姿。
胸元に探索者協会の徽章をつけている。
「初めまして。探索者協会本部長の三上です」
「あ、どうも」
レンが立ち上がる。
三上は一瞬、目を丸くした。
「座ったままで構いませんよ」
「そうですか?」
「はい。むしろ君は、今すぐ寝ていても誰も文句を言いません」
「でも別に疲れてないので」
三上が黙った。
レンは首を傾げる。
「何か?」
「……いえ」
三上が椅子へ腰を下ろす。
手元のタブレットへ目を落とした。
「検査結果を確認しました」
「はい」
「まず骨折なし」
「はい」
「内臓損傷なし」
「はい」
「感染症なし」
「はい」
「栄養状態も良好」
「そうなんですか?」
「そうなんです」
三上が顔を上げる。
「一年間、最難関ダンジョンの深層で生活していた人間の検査結果ではありません」
「食べ物はありましたから」
「何を食べていたんです?」
「魔物」
三上が止まった。
「……魔物?」
「はい」
「どの種類を?」
「色々です」
「色々」
「焼けば大体食えました」
三上は何も言わなくなった。
レンは少し考える。
「でも、紫色のカエルみたいなのは駄目でした」
「毒があった?」
「三日くらい吐きました」
「よく生きてましたね」
「そのあと毒が効かなくなったので」
三上がもう一度黙った。
「……なるほど」
「はい」
「なるほどではない気がしますが、とりあえず進めましょう」
三上がタブレットを操作する。
「次に、君の探索者資格についてです」
「まだ使えるんですか?」
「一応、失効していません」
「よかった」
「ただし」
三上が画面をレンへ向ける。
そこには大きく、
【桐生レン D級】
と表示されていた。
「現状、このランクを維持することは不可能です」
「何か問題あります?」
「大問題です」
三上が即答した。
「帰還直後にアビスハウンドを一撃で討伐した人間を、D級として扱うわけにはいきません」
「別にD級でいいですけど」
「こちらが困ります」
「そうなんですか?」
「D級探索者がS級相当の魔物を一撃で倒したとなると、制度そのものが壊れます」
「じゃあ、上げてもらって大丈夫です」
「軽いですね」
「何級でもやること変わらないので」
三上がレンを見る。
「君は以前からそうだったんですか?」
「何がです?」
「ランクに興味がない」
「ああ」
レンは少し考える。
「前はありました」
「前は?」
「A級になりたかったです」
三上が黙る。
「強くなって、アークのみんなについていきたかった」
レンは笑った。
「結局、全然追いつけなかったですけど」
三上は何も言わなかった。
一年前。
D級だったレンに対して、他の四人は全員B級以上。
神崎に至ってはA級目前。
レンが荷物持ちと補助を担当していたことも、協会記録には残っている。
「それで」
三上が話題を変えた。
「簡単な能力測定を受けてもらいたい」
「今日ですか?」
「可能なら」
「いいですよ」
「……即答ですね」
「暇なので」
三上が苦笑する。
「助かります」
その時。
医務室の外が急に騒がしくなった。
女性職員の声。
男性職員の声。
誰かが慌てている。
レンが扉を見る。
「何かあったんですか?」
「おそらく」
三上が額を押さえた。
「来たのでしょう」
「誰が?」
扉が開いた。
「三上さん!」
先ほどの女性職員が飛び込んできた。
「白峰さんが!」
「やっぱりか」
「受付を通らずに入ってきてます!」
「いつものことだ」
「止めなくていいんですか!?」
「止められるならお願いします」
「無理です!」
「でしょうね」
足音が近づいてくる。
そして。
一人の女性が医務室へ入ってきた。
白いジャケット。
黒いパンツ。
腰まで伸びた銀色の髪。
整った顔。
身長は百六十後半くらい。
細身だが、歩き方に無駄がない。
腰には細身の剣。
レンでも一目で分かった。
強い。
女性は部屋へ入るなり、レンを見た。
「あなたが桐生レン?」
「はい」
女性が近づく。
レンの顔を見る。
視線が下がる。
腕。
手。
脚。
再び顔。
「ふうん」
「何ですか?」
「普通ね」
「よく言われます」
三上がため息をついた。
「レン君、紹介します。白峰アリサ」
「白峰?」
レンが少し考える。
「知らない?」
アリサが眉を上げる。
「すみません」
「本当に?」
「一年ダンジョンにいたので」
「……そうだった」
三上が口を挟む。
「白峰アリサ。S級探索者。現在、日本に七人しかいないS級の一人です」
「へえ」
レンがアリサを見る。
「すごいんですね」
アリサの眉がわずかに動いた。
「それだけ?」
「他に何かあります?」
「……別に」
三上が少し笑った。
アリサが三上を見る。
「今、笑った?」
「笑ってません」
「笑ったでしょ」
「気のせいです」
アリサはレンへ向き直る。
「あなたの動画、見た」
「ああ」
「アビスハウンド」
「はい」
「本当に一撃だった?」
「たぶん」
「たぶん?」
「一回しか斬ってないので」
「そういう意味じゃない」
アリサが腕を組む。
「正直、信じられない」
「そうですか」
「アビスハウンドは、S級でも油断すれば死ぬ」
「へえ」
「私も一人で倒せるけど、少し時間はかかる」
「じゃあ結構強いんですね」
アリサのこめかみが動いた。
「だからS級なの」
「なるほど」
「あなた、私を知らないどころかS級もよく分かってないでしょ」
「すみません」
「謝らなくていい」
アリサがレンを見る。
「戦って」
三上が即座に言った。
「駄目です」
「何で?」
「帰還して三時間ですよ」
「検査問題なかったんでしょ?」
「だからといって」
「軽くでいい」
「白峰さんの軽くは信用できません」
「失礼ね」
「過去の記録を見てください」
レンが二人を見る。
「別にいいですよ」
三上が振り返る。
「レン君」
「戦えばいいんですよね?」
アリサが少し笑う。
「話が早いじゃない」
「何分くらいです?」
「……何分?」
「長いと腹減るので」
「あなた」
アリサが目を細めた。
「結構いい性格してるわね」
「そうですか?」
「褒めてない」
三十分後。
協会地下。
第二訓練場。
本来なら探索者の昇級試験などに使用される広大な訓練施設だった。
観客席には、なぜか人が増えていた。
「何でこんなにいるんです?」
レンが三上へ尋ねる。
「情報が漏れました」
「誰に?」
「職員全員に」
「それ漏れたって言うんですか?」
「言います」
さらに。
訓練場の端にはカメラまで設置されていた。
「配信するんですか?」
「白峰さんが」
三上が遠い目をする。
「勝手に許可しました」
レンがアリサを見る。
アリサはすでに配信用の小型端末を腕につけている。
「だって皆見たいでしょ?」
「皆?」
「今、十二万人」
「何が?」
「見てる人」
レンが固まる。
「十二万人?」
「もう十四万」
「そんなに暇なんですか?」
コメントが流れた。
《草》
《一年ぶりにネット触った男の感想がそれかよ》
《白峰アリサVS桐生レンとか見るだろ普通》
《レン君マジで白峰知らないんだな》
《アリサ様ちょっと楽しそう》
《男相手にこんな喋る白峰初めて見た》
アリサはコメントを見ながら笑う。
「面白いって」
「何が?」
「あなたが」
「そうですか」
レンは渡された模擬剣を握る。
普通の鉄剣より少し軽い。
刃は潰してある。
一方。
アリサは自分の剣を使っていた。
レンが見る。
「それ本物ですよね?」
「そうよ」
「俺だけ模擬剣?」
「嫌?」
「別に」
三上が頭を抱える。
「白峰さん」
「殺さないから」
「そういう問題では」
「始めていい?」
アリサが剣を抜いた。
空気が変わる。
さっきまでの軽い雰囲気が消える。
レンが目を細めた。
「強いですね」
「今さら?」
「さっきより分かります」
アリサが少し嬉しそうに笑った。
「じゃあ」
右足を引く。
「ちょっとだけ本気でいく」
床が弾けた。
アリサが消えた。
観客席から声が上がる。
一瞬でレンの正面。
剣が横薙ぎに走る。
レンが半歩下がる。
剣先が鼻先を通過。
アリサが身体を回す。
二撃目。
レンが首を傾ける。
避ける。
三撃目。
四撃目。
五撃目。
全て紙一重。
コメントが一気に流れる。
《避けた》
《全部!?》
《白峰の初速見えてる?》
《いやいやいや》
《レン反撃しろw》
アリサの表情が変わった。
「……へえ」
一度距離を取る。
「今の見えてた?」
「はい」
「全部?」
「はい」
「攻撃しないの?」
「していいんですか?」
「模擬戦なんだから当たり前でしょ」
「でも」
レンが模擬剣を見る。
「怪我しません?」
訓練場が静かになった。
アリサの眉が動く。
「私が?」
「はい」
「あなたに?」
「はい」
コメント。
《煽ってる?》
《天然だろこれ》
《白峰に怪我の心配www》
《レン逃げろ》
アリサが笑った。
「いいよ」
「何が?」
「怪我させて」
レンが困った顔をする。
「嫌ですよ」
「何で?」
「痛いじゃないですか」
「……」
「俺、痛いの嫌いなんで」
「私の話してるんだけど」
「他人も同じでしょう」
アリサはしばらくレンを見た。
そして。
「じゃあ」
剣を両手で握る。
「当ててみて」
レンがため息をついた。
「分かりました」
次の瞬間。
アリサの姿が消えた。
先ほどより速い。
剣に白い光が集まる。
S級技能。
〈白雷〉。
アリサの代名詞。
剣速を極限まで高め、相手の知覚すら置き去りにする高速斬撃。
国内のA級探索者でさえ、その軌道を完全に見ることは難しい。
「白峰さん!」
三上が叫ぶ。
剣がレンへ迫る。
レンは動かなかった。
アリサの剣先が胸へ届く。
その直前。
レンの右手が動いた。
金属音。
アリサの目が見開かれた。
剣が止まっている。
レンの人差し指と中指。
二本の指で挟まれていた。
「……え?」
アリサが引く。
動かない。
さらに力を入れる。
動かない。
「ちょっと」
「はい」
「離して」
「あ、すみません」
レンが指を離す。
アリサが後ろへ大きくよろけた。
「あ」
レンが腕を伸ばした。
腰を掴む。
そのまま引き寄せる。
アリサの身体がレンの胸へぶつかった。
近い。
顔と顔。
数センチ。
アリサが固まった。
レンが心配そうに覗き込む。
「大丈夫ですか?」
「……」
「白峰さん?」
「……近い」
「え?」
「近い!」
アリサが飛び退いた。
顔が赤い。
観客席。
沈黙。
コメント欄だけが爆発した。
《!?!?!?!?》
《抱いた》
《違う》
《抱いたろ今》
《腰!!!!》
《白峰顔真っ赤www》
《終わった》
《レン君、全国の白峰ファンを敵に回しました》
《アリサ様こんな顔するんだ》
レンはコメントを見る。
「何で怒られてるんです?」
三上が顔を背けた。
「私は何も言いません」
「俺何かしました?」
「私に聞かないでください」
アリサはまだ少し離れた場所で立っていた。
自分の胸へ手を当てる。
鼓動が速い。
おかしい。
戦闘中に心拍が上がることなど珍しくない。
もっと危険な戦いも経験した。
死にかけたことだってある。
でも。
これは違う。
「もう一回」
アリサが言った。
三上が振り返る。
「まだやるんですか!?」
「今のなし」
「何がです?」
「全部」
「無理ですよ」
アリサがレンを見る。
「今度はちゃんと攻撃して」
「でも」
「怪我させてもいいから」
「嫌です」
「何で!」
「さっきも言ったでしょう」
レンが少し笑う。
「女の人に怪我させるの、嫌なんですよ」
アリサが止まった。
コメントも一瞬止まった。
そして。
《あ》
《終わった》
《これはダメ》
《白峰さん死亡》
《顔見ろwww》
《完全に落ちた》
アリサの顔が、さっきより赤くなる。
「……そういうの」
「はい?」
「他の女にも言うの?」
レンが首を傾げる。
「普通じゃないですか?」
「普通じゃない」
「そうですか?」
「普通じゃない!」
アリサが剣を鞘へ戻した。
「今日は終わり!」
「え?」
「帰る!」
「模擬戦は?」
「終わり!」
三上が小さく呟く。
「白峰さんの負けですね」
「聞こえてる!」
アリサが睨む。
三上は笑いを堪えていた。
レンは最後まで状況を理解していなかった。
「俺、勝ったんですか?」
アリサが振り返る。
「勝った!」
「そうですか」
「嬉しくないの!?」
「怪我なくてよかったです」
また。
アリサの胸が鳴った。
もう嫌だった。
何を言われても効く。
「……もう」
アリサが小さく呟く。
「何なんだろ、この人」
レンには聞こえていない。
コメント欄には聞こえていた。
《今なんて?》
《音拾ったぞ》
《白峰さん》
《まさか》
アリサが配信端末を見る。
顔を赤くしたまま。
少しだけ笑った。
「流石に」
一度、レンを見る。
レンは三上と話している。
こちらを見てもいない。
それがまた腹立たしい。
でも。
嫌じゃない。
「惚れちゃったかも」
コメント欄が消えた。
一秒。
二秒。
次の瞬間。
配信が文字で埋まった。
《はああああああああ!?》
《言った!!!!》
《白峰アリサが!?》
《初対面一時間だぞwww》
《桐生レン何者だよ》
《最難関ダンジョンから帰ったらS級美女まで手に入れました》
《テンプレすぎて草》
《でも見てて気持ちいい》
《レン気づいてねえwww》
その日の夜。
【S級探索者・白峰アリサ、桐生レンへ公開告白】
という切り抜きが、帰還動画に次ぐ速度で拡散した。
再生数。
三百万。
五百万。
一千万。
桐生レン。
二十歳。
一年前までD級。
現在、推定S級以上。
最難関ダンジョンから奇跡の生還。
国内トップ探索者を模擬戦で圧倒。
そして。
日本一人気の女性探索者まで、一日で惚れさせた。
ネットでは一つの言葉が急速に増え始めていた。
《こいつ、主人公すぎるだろ》




