第九章 小があれば大もある
マリーは、矢継ぎ早に何か言っていた。声は震え、必死に訴えかけるような響きがある。だが、俺には意味がわからない。フランス語だ。
考えてみれば、このマリーだって、俺が妄想で作り上げた人物だ。設定では二十歳くらい。身長は140センチほどで、子供に見えても不思議ではない。
なのに――この世界で、現実として目の前に現れてしまった。
それなのに、何を言っているのかわからない。俺が作った人物なのに、だ。
「Qui es tu ?(キ エ トゥ)」
「えっ?」
マオがマリーに向かって言った。
その言葉を受けて、マリーはさらに必死に何かを言い募る。マオはうなずいている。
「マオさん、フランス語、話せるの?」
間抜けな声で、俺は訊いてしまった。
「大学ではフランス語学科だったからね」
マオは何でもなさそうに答える。
「ぜんぜん似合わないけど」
「うるさいわ」
マオが軽く睨む。
マオがマリーに何か言った瞬間、マリーは驚いて手を口に当て、慌てて胸と下を隠した。
「なんで裸なんだよ」
マオはそう言ったのだ。
そこでようやく、マリーは自分が何も身につけていないことに気づいたらしい。
マオは畳の上に寝かせたフランソワの身体をそっと横にずらし、俺の着ているジャンパーを剥ぎ取ると、マリーに近寄って羽織らせた。
マリーは感謝の言葉をフランス語で早口に述べながらジャンパーを着た。小柄な体はすっぽりと膝まで隠れてしまう。
「あの、聞かないんですか」
俺はマオに言った。
「なにを?」
マオが振り返る。
「どうして、あそこから、この人が出てきたのか、とか」
おずおずと訊ねる。
「説明できるの?」
マオは俺を見つめる。
「信じるか、信じないか、になってしまいますが」
俺ははぐらかすように答えた。
すると、マオは静かに言った。
「Nous sommes dans une situation inévitable.
ヌ スォム ダン ユヌ シチュアスィヨン イネヴィターブル」
何を言ったのか、まったくわからない。
マリーは恥ずかしそうに俺たちを見る。そして、畳に寝かせられた女性――フランソワを見た瞬間、叫んだ。
「フランソワ!」
慌てて駆け寄り、泣きながらフランソワの身体をさすっている。
感動的な再会の場面だが、フランソワは目覚めない。
マリーは身体を揺すりながら名前を呼び続ける。
マオがマリーの肩を抱き、何か囁いた。
それでマリーは少し離れ、そしてマオに何かを必死に話し始める。マオはうなずきながら聞いている。
マリーの訴えが終わると、マオは俺に説明した。
「マリーによると、フランソワは過去2回倒れたことがある。意識不明状態に陥ったらしいの。その時、薬を塗って回復したんだって。その薬を常に持っていたらしいけど、今は持っていない。その薬があれば、フランソワは生き返るのだと」
聞き終わった瞬間、映像が蘇った。
――フランソワが、魔女と呼ばれた充子の部屋で薬の瓶を選んでいた場面。
「薬の色は?」
俺がマリーに訊くと、マリーは日本語を解さないはずなのに、質問の意味を理解したようで、
「rouge」
と答えた。
「よし、わかった。待っていて」
俺は言って、滝の部屋を出た。
長い廊下を渡り、母屋に入り、充子の部屋へ向かう。
「赤だ、赤色の瓶だ……」
呟きながらライティングデスクの上を見る。
瓶はいくつか置いてあったが、赤がない。
思い出す。
フランソワは匂いを嗅いで、5個の瓶を持って行った。その中に赤はあった。
となると、その瓶はどこにある?
思い出した。
瓶は麻袋に入れられ、その麻袋は箱形スカイラインの後部座席に乗せられていた。そのまま置いてあるはずだ。
焼けた拓郎の実家、その庭に車は置いてある。タイヤがパンクさせられていて動かせないので、今も置いてあるはずだ。
となると――東京へ戻らなくてはならない。
廊下に出ると、ちょうどそのタイミングで、マオがフランソワを背負ってこちらへ来ていた。
そばにはマリーが付き添い、あたりをキョロキョロ見回している。それも当然だろう。
俺はマリーを充子の部屋へ入れ、服を探すように手ぶりで伝えた。
マリーはすぐに理解し、箪笥から服を驚きながらいくつも取り出して試している。
実際、マリーは勘が良い。こちらの言うことが何となくでもわかる。動きもテキパキしている。
これも、フランソワに付き添い戦場を巡ってきたおかげなのかもしれない。
俺とマオは玄関へ向かった。フランソワをストレッチャーに乗せる。
応接室から拓郎が出てくる。
「どうなった?」
俺に訊いてくる。
「タクロウさんの実家に戻らなければなりません」
「ここでは目覚めないの?」
「薬がいるのですが、スグルさんの車の後ろに乗せてたんですよ」
「そうなんだ……じゃあ、戻るってわけか」
タクロウがうなずく。
「なに? 東京へ戻るのか?」
棚橋が応接室から出てきて訊いてくる。
「そうです。薬が必要でして」
「ほー」
と言ってから、棚橋は驚いた顔をした。
「どこのガキだ?」
振り返ると、マリーが立っていた。少女用のフリルのついた白い服を着て、かわいいスカートも履いている。ミツコの子供のころの服だろう。今でいうところのゴスリルの様相だ。
「座敷童です」
俺は応えた。
棚橋はキョトンとした顔をしたが、突然爆笑した。
「そうか……座敷童か……なんでもあるんだな、この屋敷には……」
と、後ろ手に持っていた日本刀の大刀を俺たちに示した。
「えっ? それは!」
俺は驚いて声を張り上げた。
「あったんだよ……隠戸の中にね」
棚橋は嬉しそうに応える。
「ど、どこにですか?」
俺の声は裏返る。
というのは、大刀は拠出した、と傑さんが言っていたからだ。
だが、あったのだ、ここに。
「ほれ、そこ、その棚」
入り口から見える大きな豪華な棚を示す。
その棚の上には、サダムネが飾ってあった飾りが乗っている。
「奥行きの割に箪笥の棚が短いことを、こいつが気づいて」
棚橋はヤスを示し、
「棚を全部出して、板を叩いたら開いてさ、その中に隠してあったよ」と言った。
ヤスはどや顔をしている。
「その刀は、ウメドの本家のものですからね」
拓郎は強く主張する。
「もちろん、わかってますよ。さっきも言ったけど、俺たちはコソ泥ではないからね。見つけたんだから、感謝してもらってもいいと思うんだけど」
棚橋は少し憤りながら言う。
俺は自然に手を出して、大刀を取ろうとした。
すると棚橋は鍔を切って、大刀を少し抜いてみせた。抜き身が不気味に光る。
ハッとして俺は手を引く。
「使えるのか」
棚橋は冷たく訊く。
「使えません。だけど、その刀は本家のものですから、とりあえず僕が預かっておくというのが正統ではないですか」
俺は冷静に言ってみる。
「えっ? エロガキが、か」
棚橋はおかしそうに言った。ヤスは爆笑する。
ムカついたが黙っていると、
「貸して」
マオが言って、大刀の柄を握り、抜き身をさっと抜いてしまった。
「おお!」
抜き身が自分の前に振られて、棚橋は驚く。
すぐに「危ないだろう!」と怒鳴る。
「あんたが持っているとね」
マオは薄ら笑いを浮かべて言った。
棚橋は仕方なさそうにため息をつき、「わかったよ」と鞘をマオに渡した。
マオは抜き身を鞘に納め、嬉しそうに大刀を見つめている。
ここでは誰もマオに逆らえない。そのため、誰も文句を言えない。
マリーだけが無邪気にマオに語りかけている。マオはフランス語で機嫌よく答えている。
「おフランスだもんな」
二人の会話を眺めていた棚橋は呆れたように言い、大げさに両手を広げて見せた。
俺は大刀を見つめている。考えてみる。
戦中に拠出してしまった、と傑は説明した。実際は拠出しなかったのだが、彼は知っていたのだろうか。
嘘をついた感じはなかったし、たぶん大刀があることを知らなかったのだろう。そもそも傑はこの家と縁を切っていた。知らされていなかったのだ。
それでは、当主であった充子は?
当然あることを知っていただろう。
だけど疑問が残る。拠出するのを拒むため隠したとしても、戦後、出すことはできたはずだ。実際、脇差の方は飾ってあった。
だけど、大刀は隠したままだった……なぜだろう……?
瞬間、映像が浮かぶ。
先代、充子の父親――若くして亡くなった当主、和真が、棚の上に脇差を飾って祈っている姿。
ピンとくると同時に、戦慄が走る。
充子の父親は、大刀を隠したのではない。封印したのだ。
魔剣と呼ばれる大刀の魔の力を封じるため、棚の奥に入れ、脇差を抑えとして置いたのだ。
なぜ封印する必要があったか。
それは、魔剣によって、自分の父――充子、傑の祖父である当主・景昭が狂ってしまったからだ。
戦中、刀を拠出するよう当局から言われ、当主は試しに抜いたのだ。試し切りをしたかもしれない。
それで祟ってしまったのだ。
それを知っているので、充子の父は大刀を封印し、そのことを充子に伝えた。
だが、祟りは残っていたのか、若くして亡くなってしまう。
充子はそのことを誰にも伝えなかった。
だけれど、いま――その封印が解けたというわけだ。
俺は恐々と大刀を見つめる。
「マオさん……」
俺の声は震えていた。
「なに」
面倒なことになるのか、と憂鬱気味に返す。
「持っていてもいいですが、決っして使わないでください」
俺はお願いした。
「使わないよ。使えないし。預かっているだけだよ。この中では、アタシが持っているのが一番安心でしょ」
マオは少しほほ笑んで言った。
「お願いします」
俺は頭を下げた。
拓郎が何か言いたそうな顔で俺を見つめているので、「あとで説明します」と囁いた。
第十章 またもや戻る に続く




