第十章 またもや戻る
「それじゃあ、戻るか」
棚橋が背筋を伸ばし、骨が鳴るほど大きく伸びをした。その仕草が合図になったように、俺たちはぞろぞろと玄関へ向かい始めた。
マオはどこからか紐を見つけてきて、大刀の柄に器用に結びつけると、背中に背負った。
その姿を見た瞬間、俺の脳裏に黄色いジャンプスーツの女がよぎる。
――間違いなくキル・ビルだ。
思わず心の中でつぶやく。
俺とマリーは、フランソワの乗ったストレッチャーを担いだ。マリーは小柄なのに驚くほど力がある。後ろ側を軽々と持ち上げ、まるで慣れた作業のように歩き出す。
戦場で担架くらいは見たことがあるのだろう。ストレッチャーを見たときは一瞬だけ不思議そうな顔をしたが、すぐに受け入れた。現実への適応力が異様に高い。
救急車に乗り込むと、マリーは鉄の塊の内部を見てのけ反り、マオに何かまくし立てた。
マオが「これは鉄の馬車だ」と説明すると、マリーは「なるほど」と言わんばかりに頷き、フランソワのそばに座り込んだ。髪を撫でたり、肩に触れたり、寄り添う姿はまるで戦場で失われた時間を取り戻すかのようだった。
他のメンバーは来たときと同じ席に腰を落ち着ける。
「よし、急ぐぞ。景気よく行くか」
運転席から声が飛び、次の瞬間、救急車はサイレンを鳴らしながら発進した。
マリーは目を丸くし、何が起きたのか理解できないという顔をしている。
だが、ここまで来ると、彼女はすべてを受け入れると決めたらしい。何も言わず、ただ静かに周囲を見つめていた。
救急車の揺れに合わせて、俺はマオに頼んだ。
「マリーに通訳してくれ。どうやってこっちの世界に来たのか、聞きたい」
マリーの答えはこうだった。
三日前の夜、フランソワが天幕から何も言わず出て行き、朝になっても戻らなかった。
ソンエイと軍内を探し回ったが見つからず、兵士たちに聞いても誰も見ていないと言う。
その日のうちにナポレオン軍は撤退を始めた。フランソワの部隊だけが取り残されそうになり、ソンエイは副官ルイに頼み込んで編成に加えてもらおうと走り回った。
その間、マリーはフランソワを探すため、ピラミッドに入った。
フランソワがピラミッドに強い関心を持っていたことを知っていたからだ。
迷って出られなくなったのではないかと考え、玄室まで進んだ。
棺を覗き込むと、血の付いたフランソワの下着があった。驚いて取り出そうとした瞬間、手が滑り、棺の中に落ちてしまった。
頭を打ち、気絶した。
気がつくと真っ暗な場所にいた。
だが、遠くに微かな光が見えたので、そちらへ歩いていくと――俺たちに出会った。
つまり、ピラミッドの玄室と滝の洞窟は繋がっていたのだ。
滝の洞窟に入れば、ピラミッドへ行ける。
ただし、移動には「気絶」が必要らしい。普通に入るだけでは行けない。
そこで俺は、ある場面を想像してしまい、吹き出した。
――蘇生したフランソワとマリーを元の世界に戻すため、洞窟に押し込み、頭を殴って気絶させる。
誰がそんなことできる。
俺はフランソワになってしまっているだろうし、そもそも殴る役を買って出る奴なんていない。
救急車は軽快に高速道路を走り抜けた。
サービスエリアに停まると、俺たちがぞろぞろ降りるのを見て、周囲の人々が不思議そうにこちらを見ていた。
羽咋へ行ったときは夜だったからよかったが、昼間の救急車はとにかく目立つ。
俺は売店でキャップを買い、深くかぶった。
マリーは救急車から降りて、また面食らっていた。マオが説明しているが、理解が追いついていないようだ。
それでも好奇心に突き動かされるように建物へ入っていき、出てきたときにはレジ袋いっぱいに野菜やお菓子、飲み物を詰め込んでいた。たくましいにもほどがある。
救急車は都内に入り、サイレンを消してゆっくり走った。周囲から見れば消防署へ戻る車両にしか見えないだろう。
スグルの家の前に着くと、救急車は広い庭へ滑り込んだ。
降りた瞬間、鼻を刺す焦げ臭さが漂った。
家は見事に燃え落ちていた。
床と柱がわずかに残っているだけで、広い敷地の中、その一角だけが黒く焼け、空にさらされている。
庭の木々は燃えていない。その中に埋もれるように、箱形スカイラインC-10が停まっていた。煤をかぶり、黒く沈んでいる。
後部座席を覗くと、麻袋が置かれていた。
俺はそれを取り出し、マリーに渡した。
マリーは袋の中を探り、赤い瓶を取り出した。
マオに早口で何か言い、救急車の中へ駆け込んだ。
マオが説明する。
「フランソワの全身に薬を塗るから、みんなは外に出ていてくれって」
「見学できないのか」
ヤスが卑猥な顔で言う。
「特にあんたは、な」
マオが軽蔑を込めて返した。
棚橋が訊く。
「時間は?」
「前回は目覚めるまで丸一日かかったって話だけど」
棚橋はそれを聞くと、即座に言った。
「おい、タクシー呼べ。事務所へ戻るぞ」
キタローがスマホで呼ぶと、例によってすぐにタクシーが来た。
棚橋は乗り込もうとして拓郎を見る。彼は車いすに座っていた。
「いいよ、僕は行かなくても」
拓郎が言った。
「そうか、すまんね」
棚橋はそう言ってタクシーに乗り込んだ。
俺は棚橋に言った。
「僕はタクロウさんとここにいます」
「ああ」
棚橋たち三人はタクシーで去っていった。
救急車のドア前に立っていたマオが俺のそばへ来る。背負っていた大刀を外し、俺に手渡した。
「目立つから、どこかに隠しておいて」
「わかりました」
俺は周囲を見回す。
拓郎が言った。
「とりあえず車のトランクに入れとけば。キーもないから動かせないし」
俺はスカイラインのトランクを開け、大刀をしまった。
「何か買ってきましょうか」
俺が言うと、拓郎は首を振った。
「それより、もうすぐ迎えが来るから、一緒に行ってほしい」
「誰が、ですか?」
「旧筋の人たち」
考える。
「繋がりの方々ですね」
「そう。どの家系かは問題じゃなくて、ひとつのネットワークになってる。幹事が君に会いたいって言ってきたんだ」
「そんなやり取りをしていたのですか」
驚いて言うと、拓郎はスマホを振って見せた。
ほどなく、シルバーのプリウスが音もなく近づいてきた。
「来たよ」
拓郎が言う。
「えっ?」
俺は思わず声を漏らした。もっと高級車で現れると思っていたからだ。
運転席から身なりの整った中年の男が降りてきて、無言で拓郎を抱え上げ、後部座席へ乗せた。
車椅子を畳んで隣に置き、続いて助手席のドアを開ける。
――乗れ、ということだ。
俺は何を言わず助手席にすわった。
第11章 選択の儀式 につづく




