第11章 選択の儀式
俺は助手席に乗り込む。ドアが閉まると、車内の空気がわずかに沈んだ。
運転手は何も言わず、車は静かに発進した。エンジン音が低く響き、街の喧騒が遠ざかっていく。
丸の内の巨大なビルの地下へと車は滑り込んだ。コンクリートの壁が迫り、ひんやりとした空気が窓越しに伝わってくる。
地下駐車場に車が停まると、運転手はやはり無言のまま車椅子と拓郎を下ろし、彼を車椅子に乗せて押し始めた。
俺も助手席から降りて後に続く。
静かだ。地下特有の湿った冷気が肌にまとわりつく。
エレベーターに乗り、階上へ。
数字がひとつずつ光り、13階で止まった。
男は車椅子を押して廊下を進む。俺はその後ろを歩く。
廊下は驚くほど静かで、空気が張り詰めているようだった。
なにも記されていないドアの前で男が止まった。
コンコン、とノックする。
返事はない。
だが、ドアは内側から静かに開いた。
紺色のスーツを着た清潔そうな青年が現れ、男に代わって車椅子を押し始めた。
青年はトレイを持っていて、拓郎からスマホを預かり、その上に乗せる。
次に俺へと視線を向け、入ってくれと示した。
入る前にトレイを差し出されたのでスマホを置こうとした瞬間、画面にメッセージがいくつか届いてい るのが見えた。父からだ。
青年の顔を見ると、彼はうなずいた。
俺はメッセージを確認する。「何時に帰ってくるか」と記されていた。
「今日も泊まるかもしれない」と返信し、スマホをトレイに載せた。
室内に入る。
ごく普通の部屋だ。一般的な事務室なのだろうが、長テーブルと数客の椅子があるだけで殺風景。
窓には厚いカーテンがかかり、室内は薄暗い。床にはカーペットが敷かれ、音が吸い込まれていく。
俺はスティール椅子に座らされた。
隣には車椅子の拓郎。若干緊張しているように見える。
俺たちの向かい、少し離れた場所に長テーブルが置かれ、スティール椅子が一脚添えられている。だが、誰も座っていない。
長テーブルの向こうにはもう一つドアがある。
青年はトレイを長テーブルに置き、奥のドアを開けて中へ消えた。
「なんの面接、ですか?」
俺は拓郎に訊いてみる。
彼は頭を振った。黙ったまま。
どうやら、誰も何も話してはいけないらしい。
俺も黙ることにした。
拓郎は手持無沙汰なのか、両手の指を絡ませて動かしている。
俺は今までのことを思い返した。
昨夜9時に家を出て棚橋の事務所へ行き、11時過ぎに救急車で病院へ。
昏睡状態のフランソワをストレッチャーに乗せたまま脱出し、救急車で羽咋へ。
朝7時に梅渡の本家へ到着。
滝の部屋でマリーと遭遇し、彼女も救急車に乗せて東京へとんぼ返り。
午後3時に拓郎の家に着き、薬を取り出し、フランソワとマリーとマオを残し、棚橋たちと別れ、今ここへ。
移動、移動の一日。
睡眠は救急車の中だけ。
慌ただしい一日だったが、最後に何か試されようとしている――そんな予感があった。
奥のドアが開き、先ほどの青年がトレイに箱を三つ乗せて現れた。
それを長テーブルの上に置く。
大、中、小。
無地の蓋付きの四角い木箱。
大は一辺60センチほど、中は40センチ、小は20センチほど。
青年は箱を置くと奥へ消えた。
代わりに、中年の婦人が現れた。
白髪で清潔感があり、すっきりした身なり。
顔立ちは特徴がなく目立たないのに、なぜか周囲を和ませる雰囲気がある。
威厳とは違うが、誰も逆らわないだろうと思わせる空気をまとっていた。
女性は長テーブルの向こうの椅子に腰かけた。
中型の箱が置いてあるため、座ると顔が隠れてしまう。
「ごめんなさい」
一言ことわって箱を横へ移動させた。
「私は、キャロライン・洋子です」
女性は言った。
え? 一瞬戸惑う。
「というのは冗談です」
オホホ、と笑う。
『冗談かい!』
心の中で突っ込む。
「本名を名乗るのは控えさせてもらいます。ウメドタクロウさん、、ハクライワタルさん」
笑顔で言う。
『こっちは本名ですけどね』
また心の中でつぶやく。
「それでは、選んでもらいます」
女性はテーブルの上の箱を示した。
……?
いきなり言われても困惑する。
「はい」
拓郎が返事をした。
「それでは、ウメドタクロウさんから、どうぞ」
「はい」
拓郎は返事をし、なんと! 車椅子から立ち上がった。ぎくしゃくしているが、確かに立っている。
「えっ?」
立てるの?とは訊かなかったが、驚いた。
拓郎はゆっくりテーブルへ向かい、真ん中の中型の箱を手に取って戻ってきた。
箱を抱えたまま車椅子に座る。
「まだ開けないでね」
夫人は笑顔で言う。
「はい」
拓郎は答える。
「ハクライワタルさん」
俺の名前が呼ばれた。
「はい」
俺は立ち上がり、迷いなく小さな箱を手に取って戻った。
椅子に座り、小型の箱を膝に置く。
「まだ開けてはいけませんよ」
夫人は笑顔で注意し、
「選ばれなかった大きな箱には何が入っているでしょう」
嬉しそうに言って、大きな箱の蓋を開けた。
「まあ……」
夫人は立ち上がり、箱の中に手を入れ、重たそうに取り出した。
箱から出てきたのはーー金色に光る馬の彫像。
台座に乗り、ガラスケースに収められている。
テーブルの上に置かれると、室内の薄暗さの中で金色に妖しく輝いている。
「今年って……午年……。だからですね。たぶん、純金でしょう」
俺は目をパチパチさせた。
純金製の彫像なんて見たことがない。
値段の想像もつかない。
拓郎を見ると、震えているように見えた。惜しかったというより、怖がっているようだ。
「それでは、ウメドタクロウさんから、お願いします」
「はい」
拓郎は唾を飲み込んだ。
「その前に」
夫人が言った。
「はい?」
拓郎は箱を開ける手を止める。
「なぜ、その箱を選ばれたの?」
夫人が質問する。
拓郎は震える声で答えはじめた。
「それは……分相応であると思いました。大きいのを選ぶなど自分にはできません。かといって、小さいのを選ぶほどの謙虚さも身に着けておりません。無難なところで、真ん中を選びました」
「そう。それでは、開けてください」
夫人は機嫌よく促した。
拓郎は震える手で箱の蓋を開け、中を覗き込んだ。
えっ? という顔をして、前を見る。
夫人は、どうぞ、と手で示した。
拓郎は銀色に輝く30センチほどの鍵を取り出した。家の鍵のレプリカ、だ。
しばらく見つめていたが、
「ありがとうございます」
と、深々と頭を下げた。
俺の頭の中に映像が飛来する。
拓郎が大きな家の門の前に立ち、見上げている姿。
俺は唾を飲み込み、細く長く息を吐いた。
「ハクライワタルさんは、一番小さな箱を選ばれましたね。なぜなの?」
夫人はおかしさを堪えるように訊いてきた。
「何も考えませんでした」
俺は答えた。
「考えなしに?」
「はい。自然と、手が、選んだようです」
「……手が選んでしまったと?」
婦人は口に手を当てて、オホホ、と笑った。
別にウケを狙ったわけではない。本当のことだ。
「開けてください」
笑い終えると、今度は真顔で言った。
背中に戦慄が走る。
たぶん、夫人もこの箱の中身を知らない。
俺はさっと蓋を開けた。
中を見る。
手に取って取り出す。
材質は予想できた。
大きな箱には金、中型には銀。
ならば、小さな箱には――銅だ。
箱から取り出したものはーー掌にちょうど乗る大きさの、銅色に光るメダル。オリンピックで贈られる銅メダルのようだ。
ただし、こちらのメダルには” 徴 ”が彫られている。桐の花の紋章、だ。
「見せて」
夫人は真顔で促した。
俺はメダルを向ける。
「まあ……」
驚きとも呆れともつかない声を出し、立ち上がった。
「ごくろうさま」
そう言って、後ろのドアから出ていった。
俺は拓郎にもメダルを見せた。
彼は驚いた顔をしたが、何も言わず、ただうなずいた。
第12章 つながりにつながる……? に続く




