第七章 ストレッチャーで脱出
実行は9月24日と決まった。午前〇時──フランソワ付きの看護師が交代する、その一瞬を狙う。
当日、俺は両親に「友達の家に泊まりに行く」と告げ、午後9時に家を出た。
誰の家か、と訊かれなかったのは意外だった。最近、俺が徐々に快方へ向かっているから、無理強いはしない方針でいこう、と両親が話し合っていたらしい。
“さりげなく見守る”という演技をしてくれていたのだ。
家を出て、夜の表通りに出る。街灯の光がアスファルトに薄く滲んでいる。
俺はタクシーを呼び、そのまま棚橋たちが待つ例の倉庫へ向かった。
倉庫の中に入ると、4人が揃っていた。普段通りの格好で、まるでこれから重大な犯罪を犯すとは思えないほど自然だ。
ソファーにふんぞり返っていた棚橋が、俺の顔を見るなり言った。
「おい、少年。まだ少年なんだよな。いつ、二十歳になるんだ」
突然の質問に、俺は戸惑いながら答える。
「来月1日ですが……」
なんで今それを訊くんだ、と内心思う。
「そう。貴重な一週間だ」
棚橋はのんびりした口調で言った。その言葉の意味が、胸の奥で鈍く響く。
──そうか。
二十歳になるときに試練が訪れると言われていたが、実際は“ここからの一週間”こそが試練なのだと理解した。
フランソワを病院から運び出し、本家へ連れていく。そして、あの滝の流れていた部屋──洞窟へ入る。
俺と、心臓が止まったままのフランソワ、二人で。
その先に何が起こるのかは、誰も教えてくれない。
フランソワが蘇生したら、すぐに筈妃を救いに行かなければならない。
だが、今のところ彼女の居場所はわからない。
確かに試練だ。胸が重くなる。
「よし、行くぞ。の前に着替えだ」
棚橋が立ち上がり、全員で倉庫の端へ移動する。棚には衣装が並んでいた。
棚橋と背の高い男・ヤスは作業着に着替える。
マオはスポーツ着を脱ぎ、下着姿になる。恥じらいなど一切ない。スレンダーな体に均整の取れた筋肉が浮かび上がり、思わず見惚れるほど美しい。
彼女はナース服を取り出し、手際よく着ていく。これがまたよく似合っている。
キタローは上着を脱ぎ、白衣を羽織った。
4人はそれぞれメンバーカードを首から下げる。
「僕の衣装は……」
そう訊くと、棚橋が振り返りもせず言った。
「お前はそのままでいい」
隣の車庫へ続くドアを開けると、そこには救急車が置かれていた。
「えっ、救急車ですか」
思わず声が漏れる。
「どの車で行くと思ってたんだ」
棚橋は呆れたように言う。
「いや、センチュリーかと……」
「それじゃ、病人は運べないだろう」
ヤスが運転席に座り、棚橋が助手席へ。
マオ、キタロー、そして俺は後部へ乗り込む。
シャッターが開き、救急車は静かに車庫を出た。
「僕だけ、この格好だとおかしくないですか」
そう言った瞬間、ハッと気づく。
「よく分かったね」
マオが残酷な笑顔を浮かべ、俺の首筋を叩いた。
──意識がぼやける。
……
瞼が開く。薄暗い。
頭が重く、首が痛い。
救急車の中でマオに手套を入れられたことを思い出す。
それで俺は気絶したのだ。
俺は救急車で運ばれる“患者役”だったのだ。
体を起こすと、そこは薄暗く狭い部屋。簡易ベッドに寝かされていた。
生命維持装置が隣に置かれている。
──集中治療室だ。
他に誰もいない……と思ったら、隣の簡易ベッドにフランソワが寝かされていた。
薄いシーツに包まれ、酸素マスクをつけ、生命維持装置と繋がれている。
俺はベッドから降り、フランソワの傍らに立つ。
手術着を着せられた彼女の顔は白蝋のようで、美しい蝋人形のようだ。
生きているのか……?
どうやったら、俺はフランソワに戻れる?
そこで閃く。
──そうか。
フランソワが蘇生したら、同時に俺は倒れる。そのまま俺の体が集中治療室に寝かされる。
だから今ここにいるのは、偶然にしては必要な措置なのだ。
だが、ここで蘇生できるのか?
羽咋の実家、滝の部屋に連れていく必要があるのではないか?
フランソワの額に触れる。
……温かい。心臓が止まっているのに体温がある。
シーツをめくる。
手術着の下の肢体にはあざがいくつもあるが、大きな外傷はない。内臓も問題ないと言われていた。
つまり──心臓さえ動けば蘇生する。
胸がドキドキしてくる。
俺はフランソワの胸に手を当ててみようと思いついたからだ。
手術着の紐を解き、胸をはだける。
形の良い二つの胸のふくらみが現れ、息が上がる。
女性の身体に触れるのは初めてだ。
だが、余計なことを考えている暇はない。
そっと心臓の位置に掌を当てる。
俺に力があるなら──それは“見える力”だが。
対象者の過去が見える。祖母の姉・充子は、未来も見えた。
さらに、滝の部屋に繋がる“想像を形にする力”。
俺は妄想だったフランソワを実在させた。
ならば、創造物である彼女を蘇生させることも可能ではないか。
掌を胸に当て、祈る。
心臓よ動け──と。
掌がじんわり温かくなる。汗ばむ。
だが、心臓は動かない。
無理なのか……
そんな都合よくはいかないのか……
その時、グーンという音がして、俺は目を開いた。
集中治療室のドアが開き、棚橋たちが入ってきた。
車椅子に乗った拓郎もいる。
全員が俺を見て立ち止まる。
「おい、おい、悪いことしてるね」
ヤスが言う。
「て、めっちゃ、きれいな体だけど」
覗き込もうとした瞬間、マオがヤスの頬を張った。
続いて、俺の腕を取り、捩じる。
激痛が走る。
「違いますって、心臓を動かそうとしてたんです」
必死に弁解する。
「できもしないことを言って、エロガキじゃねえか」
棚橋が吐き捨てる。
「違いますって、僕は──」
言いかけた瞬間、マオが腕を逆にひねり背中へ回した。
激痛で声が漏れる。
「ご、ごめんなさい」
俺は平謝りする。
「躾がなってない」
マオはそう言い俺の腕を離し、手術着の紐を結び直す。
「さあ、連れ出すよ」
と、マオがみんなに言う。
「たった今、解除された」
拓郎が説明する。「だけど、5分しか無理だからね」と、続けて。
「さあ、急ぐぞ」
棚橋が言い、俺たちは静まり返った病棟の廊下を進む。
エレベーター前に来た瞬間、俺は閃いた。いや、見えた。
「マオさんとキタローさんだけ、エレベーターに乗ってください。あとは階段で」
俺は拓郎の車椅子を押しながら言った。
「どうしてだ」
棚橋が眉をひそめる。
「急いで」
俺は階段へ向かう。
マオに背中を押されて、棚橋とヤスも渋々ついてくる。
階段のドアを開けるタイミングで、エレベーター到着の音が鳴る。
振り返ると、看護師が出てきた。
棚橋はヤスの背中を押し、階段へ入る。
「背負え」
ヤスは渋々タクロウを背負う。
俺は車椅子を畳んで持つ。
「よし。降りるぞ」
棚橋が先に降りていく。
ヤスは舌打ちしながら続く。
1階に到着。
廊下を覗くと誰もいない。
車椅子を押し、夜間出口へ向かう。
受付前では、マオとキタローが止められていた。
フランソワのベッドも置かれている。
5分が過ぎ、通常に戻ったため事情を聴かれているようだ。
車椅子の拓郎がスマホを操作する。
受付の事務員が電話に出る。
「コード2009を確認してください」
拓郎が呟く。
事務員は棚から帳簿を取り出し調べ始める。
その隙に、マオとキタローはベッドを動かし外へ。
俺たちも急いで出口へ向かう。
出入り口前には救急車がある。
バックドアを開け、マオがフランソワを抱き上げストレッチャーへ移す。
続いて拓郎も乗せる。
俺は車椅子を畳み、後ろへ乗り込む。
ヤスが運転席、棚橋が助手席。
ドアが閉まると同時に救急車は動き出した。
「よし、エロガキの実家に向かうとするか」
棚橋が言った。
「二つ違いますけどね」
俺は即座に返す。
「何がです?」
棚橋が面白そうに訊く。
「一つ、ウメドの本家は僕の実家ではなりません」
「そう?」
「それと、僕はエロガキではありません」
棚橋は笑いながら言う。
「だってよ。おお怖わ。心臓を動かすことも止めることもできるからね、エロガキは」
──ほんとに止めたるわ。
俺は心の中で毒づく。
「目立たないように運転しろよ」
棚橋が命令する。
「救急車なのに目立たないようって、無理だろう」
キタローが呟いた。
サイレンを鳴らさず、救急車は羽咋へ向かって走り出した。
第八章 ポータルの滝 へつづく




