第五章 殺風景な事務所
連れていかれた先は、先ほどの病院ではなかった。
住宅街の中程にぽつんと建つ、シャッターがいくつも並んだ間口の広い建物――昼間でも薄暗く、どこか湿った空気をまとった倉庫だ。
車が停まると、背の低い方が無言でシャッターをガラガラと開けた。金属が擦れる音が、胸の奥に不安を刻む。
背の高い方が俺の背中を押し、だだっ広い内部へと入らせる。
倉庫の端には用途不明の荷物が雑然と積まれ、中央には場違いなほど生活感のある事務机と椅子、そしてソファーが置かれていた。
まるで、ここで日常が営まれているかのような、妙な違和感。
棚橋はソファーにドテッと腰を落とし、
「どこにでも座ってくれ」と俺に言った。
「病院には行かないのですか?」
と、俺は聞く。
「これから行くよ。だけど、お前は行かない」
と、棚橋は淡々と答えた。
背の高い方がスマホを構え、俺を撮影する。
レンズがこちらを向いた瞬間、背筋がひやりとした。
「伝言するから。言いたいことがあるなら、ここで言え」
と、棚橋。
「そうなんだ……」
と、俺は言ってみる。
「なに?」
と、棚橋が眉をひそめる。
「わかりました。待ちましょう」
と言い、俺は椅子に腰を下ろした。
マオはじっと俺を見ていた。
その視線は、まるで獲物の体重や骨格を測るような、冷静で鋭いものだった。
案の定、質問が飛んでくる。
「あたしのことを知っているようだが、何か見た?」
彼女は革袋からナイフを取り出し、指先で弄んでいる。
その刃が光った瞬間、ハッとした。
それはフランソワが身につけていたものだ。マオはフランソワの腿から盗ったのだ。
俺は何でもなさそうに答える。
「今朝のフランソワとの闘い、というか、準備運動の類ですよね、見ました」
「マジか……あれはまだアップされてないはず」
マオが俺を睨む。
その目は、疑念と警戒が混じった獣の目だ。正直、怖い。痛い目にはあいたくない。
だが、ここは鎌をかけるしかない。
「あなたは棒の使い手だから、相手が投げてくるのは予想していませんでした」と、言ってみる。
うっ! とマオは呻いた。
「こいつ!」と、顔に書いてある。
「フランソワさんは戦地で実践を積み上げて来られた方だから、臨機応変に仕掛けてきます」
マオは黙って俺の話を聞き、続きを促すように顎をわずかに動かした。
「もし勝とうと思うなら……」
と、俺が言い出した瞬間、
「ちょっと待て!」
と、棚橋が手を上げて止めた。
「なんで停める」
と、マオが棚橋を睨む。
「いや、だって……」
棚橋は少し怯んだように、「八百長だぜ」と、言った。
「どうして拘るの……」
と、マオが呆れた声を出す。
俺は考え、そして言ってみた。
こうなったらハッタリをかますしかない。
「今、人気絶頂のフランソワさんにマオさんが勝ったら、胴元は大儲けできますよ」
「えっ」
棚橋は口を開けた。
取り巻きの二人も棚橋を見つめる。
「ちょっと待て、ちょっと待て」
棚橋はスマホを取り出し、何やら調べ始める。
「かけ率は……」
と、呟きながら計算を始めた。
だが、冷静になったのか、スマホから顔を上げて俺を見る。
「その前に、だ……フランソワは心肺停止だぞ」
「それは、何とかなると思います」
と、俺は言ってみた。
「何とかなる? お前は医者か」
棚橋は呆れたように言う。
「ある場所へ連れていくことができれば、蘇生する可能性はある、ということです」
「どこだよ?」
「ウメドです」
「ウメド?」
「そうです。ウメドの本家に連れていくことさえできれば、復活するかもしれない」
「マジで言ってるのか」
マオが怖い顔で俺のジャンパーの襟を掴み、椅子から引きずり揚げた。
首が絞められ、息が詰まる。痛い。苦しい。
だが、それを見せてはいけない。ここは正念場だ。
「マジめな話です。病院から連れ出して、ウメドの本家、それは石川県にありますが、そこまで連れていければ、です。そのために、僕はタクロウさんに会う必要があるのです」
俺の真剣な表情を見て、「ふん」と言い、マオは手を離した。
マオは少なくとも悪い奴ではない。
それはフランソワを助けたことでもわかる。
そして、純粋な格闘家だ。
そこに俺は賭けた。
「じゃあ、どうやって、マオはフランソワに勝てる。それを聞いて、判断しよう」
棚橋が真面目な顔で訊いてきた。
「はい」
俺は椅子に腰かけ、少し考える。
「言い逃れしようとするなよ」
棚橋はソファーで足を組み、俺を睨む。
「マオさんは長い棒を使用していて、なおかつリーチがありますから、距離を取って攻撃を続ければいいのでは」
そこまで言うと、棚橋が「そんなことは俺でもわかるわ」と、吐き捨てた。
マオはそっぽを向き、俺を無視している。
「逆に言うと、懐に入られたらおしまいです」
「……で」
棚橋が呆れたように言う。
「マオさんの棒は、左右に揺れています」
俺が指摘すると、マオは顔を上げて俺を見た。
「そのため、相手は左右に避けることができません。実際、フランソワは動けませんでした」
「そう……」
棚橋の表情が少しだけ真剣味を帯びる。
「払っても、回転して戻ってくるため、相手は打ち込んでくることができません」
「そうだな」
と、棚橋。
「以上です」
「なんだ、それ!」
棚橋が突っ込みを入れた。
「勝てる手になってないじゃねえか」
と、怒鳴る。
「……え? 打ち込まれなければ負けませんよ」
と、俺は惚けた。
「負けないって……勝つ方法を聞いているだ」
と、棚橋。
「持久戦ってことか」
と、マオが冷静に訊く。
「そうです。マオさんは体が大きいですが、無駄な筋肉がないので、持久力ではフランソワさんよりも上だと思えます」
「そうか……?」
棚橋は懐疑的だ。
「実際、フランソワさんのこれまでの闘いは短くて、すべて一瞬で決まっています。爆発的な力は出せますが、長く戦えるかは疑問です」
自分でもおかしく思えるほど、言葉がすらすら出てくる。
だが、俺はフランソワになって戦ったのだ。
彼女の身体の感覚は、誰よりも理解している。
「それだけでは、お前を連れていくことはできない。そんなあやふやな戦法に賭けることなどできないからな」
棚橋は立ち上がった。
俺を置いていくつもりだ。
「そうですよね……」
俺も立ち上がる。
切り札を出すべきか。
背の高い方が近づき、再び椅子に座らせようとする。
「なんだ? ほかに何かあるのか?」
棚橋が背の高い男を制し、俺に訊く。
「フランソワさんの弱点、ですが……」
「弱点」
と、棚橋。
「だけど、それを知れば、みんな利用しますからね」
「適当なことを言うなよ」
棚橋が凄む。
「ここだけの話ってことを約束してくれますか」
「弱点を教えるってか」
「そうです」
「もちろん、ここだけの話だ。どこへも漏れないよ」
棚橋は嬉しそうに言い、舎弟たちに「なあ」と同意を求める。
舎弟たちは「そうですって」と、笑った。
信じられないが、この場を切り抜けるため、俺は話す。
「フランソワさんは、左肩に銃弾を受けています。だから、戦っているとき左肩を狙われると、一瞬ですが利き手で庇おうとしてしまいます……」
そこまで言うと、
「それ以上はいい」
とマオが遮った。「十分だよ」と。
「勝てるか?」
と、棚橋がマオに訊く。
「そんなんで勝っても、嬉しくないけどね」
マオは苦い顔をした。
「十分だ」
棚橋は短く言い、「行くぞ」と続けた。
俺はついていこうとした。
すると棚橋が振り返り、
「お前は行かない。ここにいろ」と、言う。
「約束が……」
と、言いかけると、
「確認してきてからだ」
と、棚橋は言い、背の低い方に「ここで見張っていろ」と命じた。
3人は出ていき、倉庫には俺と背の低い男だけが残された。
第六章 窓に映る顔は に続く




