第二章 門を開ける
重厚な門を叩く音が、屋敷の静寂を破って応接間まで響いてきた。
最初は遠くで誰かが作業しているのかと思った。しかし、耳を澄ますほどに、その音は明らかに門を叩く規則的な響きだった。
何か言っている声も、風に乗って微かに届いてくる。
このタイミングで、誰かがこの屋敷を訪ねてきたらしい。
胸の奥がざわつく。嫌な予感と、知りたいという衝動が入り混じる。
俺は応接間を出て玄関へ向かい、突っ掛けをつま先に引っかけて外へ出た。
門はなおも執拗に叩かれている。
庭を横切り、門の前まで歩み寄ると、声がはっきりと聞こえた。
「こちらは警察です。ウメドさん、いらっしゃいますか。いらっしゃったらこの門を開けてください」
女性警官の声だ。しかもウメドと呼んでいる。
梅渡は傑しかいない。つまり、傑に会いに来たのだ。
今現在、交通事故に遭って心肺停止状態になっている人物は特定できていない──その事実が頭をよぎる。
このまま放っておくか。
面会しても、俺の存在をどう説明すればいいのか難しい。
どうして一人で屋敷にいたのかも説明がつかない。
俺、破級航が警察の注目を浴びることになる。
だが、それ以上に──現状を知りたい。
モーゼパークの一件はどうなっているのか。
好奇心が、警戒心を押しのけた。
俺は重厚な門の閂を外し、ゆっくりと門を開けた。
「あっ、お疲れさまです」
若い女性巡査が一人。俺を見るなり、きびきびと敬礼した。
「大変おつかれのところ、申し訳ありませんが、お聞きしたいことがありますので、少しの間お付き合いください」
丁寧な口調だが、声の奥に緊張がある。
彼女は住民票を開き、俺の顔と照らし合わせながら言った。
「ええっと……ウメドスグルさん……では、ないですよね」
「はい」
と俺は答える。
「どちらさまですか?」
住民票に名前を記す準備をしながら、まっすぐ俺を見てくる。
「ハクライワタルです。スグルの姉の孫になります」
「親族の方、ということですね?」
続けて、「年齢は?」
「19です」
「こちらにお住まいで?」
「いいえ、僕は東京ですが」
「そうですか……。スグルさんは、いらっしゃらないのですか?」
「はい」
「どちらへ?」
「それが……」
言葉が詰まる。
東京だと言えば、すぐに身元が判明するだろう。
だが俺は一昨日ここへ来て、倒れ、寝かされていた。
だから傑がどこにいるのか知らない──それが事実だ。
本当のことを話すしかない。
「実は……わからないのです」
「わからない?」
「はい。僕はここへきて、倒れてしまって、今まで寝かせられていました。今起きて、誰もいないのを知ったのです」
「ご病気だったのですか?」
「そうですね……。一昨日の夕方ここへ着きまして。疲れていたのか、倒れてしまって、気がついたら、部屋に寝かされていました」
「スグルさんにはお会いになれましたか?」
「はい。一昨日の夕方、僕を迎えに来てくれて、リビングにいましたから……でもそこから、どこにいったのか、わかりません。……入りますか?」
その時、警官はイヤホンに手を添え、「はい」と答えた。
誰かの報告を聞いているようだ。
「わかりました。すぐ向かいます」
その瞬間、胸の奥で何かがピンと繋がった。
──見えた。
入院している傑の身分が特定されたのだ。
彼女はその報告を受けたのだ。
「ご協力ありがとうございました」
警官はそう言って、パトカーへ走り出した。
「あの……」
俺は思わず声をかけた。
「はい」
婦人警官は振り返る。
「何か、あったんですか?」
「そうですね。ご迷惑をおかけしましたので、説明する必要がありますね」
少し間を置き、彼女は言った。
「昨日、隣町の宝達志水町で事件が発生しました。その現場近くの駐車場で、ウメドさんの所有する軽自動車が目撃されているのです。それで、事情をお聞きするためにお伺いしました」
心臓が跳ねた。
やはり事件の捜査は進んでいた。
「オジサンが事件に関係しているのですか?」
俺はおずおずと訊いた。
「いえ、あくまでも参考にお聞きしたいだけです。その……」
警官は言葉を飲み込み、「急ぎますので」とだけ言って駆けていった。
──何を言いたかったのか、俺にはわかった。
羽咋の事件は外交問題に発展する可能性がある。
慎重な捜査が求められている。
その中で事件を難解にしているのは、加害者とされるフランソワの存在だ。
目撃情報では、”白人の若い女性”、とだけしかないはずだ。
それ以外、どこにも特定できる情報がない。
武術が使えるから、工作員と捉えられてもおかしくない。
だからまだ公表されていない。
事故に遭った傑の身元は判明したが、フランソワの特定は無理だろう──それが少しだけ安心だった。
居間へ戻ると、ちょうどそのタイミングでスマホが鳴った。
豪華な棚の上に置かれた俺のスマホ。
目につくように置いてくれていたらしい。
画面を見ると、父からの電話だった。
「はい」
「おお、ようやくだな……。昨日の夜から何度も電話しているんだけど」
「そう?」
俺は何気なく答えた。
「それで、まだ、叔父さんの家にいるのか?」
「ああ」
「母さんが心配していて、見てこいっていうから、実は……羽咋まで来ているんだよ」
「そうなんだ」
「いまから迎えに行くが、いいか?」
「うん。わかった」
──東京へ戻れる。
その事実に、胸が少し軽くなった。
……
「倒れて寝ていた?」
運転席の父が裏返った声で聞いてきた。
「そう。滝のある部屋って知ってる?」
「ああ。入ったことはないが、子供のころ、何度か見たぞ」
「僕もあの部屋へ行って、中に入ろうとしたら、パッと切れたんだよ」
「切れた? なにが?」
「意識っていうの……。そう。それで、気がついたら、布団に寝かされていた」
「そうか……。何が起きたんだろうね……」
「うん……」
父は、滝の部屋に関わると何かが起きる──そう納得しているようだった。
「体は何ともないんだな?」
俺はうなずいた。
父は心配してくれている。
「それで、スグルさんは居なかったのか?」
「そう……」
「どこへ消えてしまった……」
父は屋敷に到着すると、中には入らず、俺を乗せてすぐ帰路についた。
梅渡家には関わらないようにしているのだ。
今、父の車は高速道路を走っている。
「あれっ? 会社は?」
今日は火曜日だ。
「ああ……お休みをもらった」
それだけの言葉なのに、胸の奥が温かくなった。
俺は二日前の日曜日、朝まで実家で引きこもっていた。
フランソワとして生きた二日間は濃密すぎて、何年も経ったように感じる。
──俺は変わったのかもしれない。
「そうだ。帰ってから話してもいいけれど……そろそろ来年の受験の準備もしなければならないだろうが……」
受験……?
忘れていた。俺は受験生だった。
「お父さんもお母さんも、拘りはないからな。お前が生きやすいように選択すればいい。休んでたっていいんだから」
「……ありがとう」
素直に言えた。
だが今は受験よりも──フランソワを救うことが急務だ。
東京へ戻ったら、病院を調べて行かなければならない。
どうするかはわからない。
ただ、行動しなければならない。
その前に──腹が空いていることに気づいた。
体がようやく正常に働き始め、胃が空腹を訴えてきた。
「何か食べていこう」
俺が言うと、父は嬉しそうに「そうだな」と答えた。
第三章 うちでご飯 に続く




