第一章 揺り戻し
フランソワとワタルー二つの魂の宿る家系 第三部 ~なさねばならぬ~ の始まりです。
ぼんやりとした世界が、ゆっくりと輪郭を取り戻していく。
重たい闇の底から浮かび上がるように、意識がこちら側へ戻ってくる。
瞼を開いた。
天井が見える。
天井から室内灯がぶら下がっているのが見える。
次第に天井がはっきりと見えてくる。
格子状の木目が浮かび上がり、古い和室特有の静けさが、じわりと肌に触れてくる。
えっ……。
俺は寝かされている。どうやら和室に寝かされているようだ。
体を起こそうとするが、とても重い……。まるで鉛を抱え込んだようで、動きそうにない。
なぜ……?
頭がしだいにはっきりしてくる。
そうだ、と。乗っていた車が横からぶつけられたのだ。
交差点に入ったとたん、横からぶつけられた。
車内で跳ね飛ばされ、体のいたるところをぶった。
その衝撃は、今でも皮膚の下に残っているかのようにリアルに思い出せる。
あれほどの衝撃を受けたのに、よく生きていたものだと、自分のことながら嬉しい。
さすがフランソワ。戦場や格闘の体験により生き残る術を得ていると……。
事故の場面を思い返す。
軽自動車を追っていて、信号が青なので交差点に入ったら、横からぶつけられた。交通事故にあったということだ。
俺、フランソワは後ろに乗っていたが、ちょうど俺の座っている側をぶつけられて、体が押し潰されそうになり、なおかつ転がりまわり、体中を激しく打ち、意識を失ったのだ。
病院に運ばれて……ここは病室だと思うが……それにしても和室というのは……。
とりあえず、手を出してみようとする。
腕はまるで凍り付いてしまっているようだ。なかなか動かない。それもそうだろう、激しい事故にあったのだから。
だけど、痛いわけではない。
手も足もついている感覚はあるが、とにかく動かない。
それで首を動かしてみる。
ポキポキと音を立てて重い首を左右に動かす。
そこで見えたのは、この部屋だ。
八畳ほどの和室。どうみても病室ではない。
この部屋……見慣れている……というか、わかった!
俺が、航の身体が寝かされていた部屋だ!
ということは、俺であるフランソワはここへ飛ばされたのか……。
そうであるならば、フランソワは危機一髪で、ここへ飛ばされ、救われたということだ。
良かった……。しみじみありがたいと思う。
だが、それなら、俺本来の身体は?
航の身体はどこにある、ということになってしまう。
とにかく起きなければ。
腕を動かそう、と。
これほど腕が重いとは……という思いに戸惑いながらも、なんとか動かし、布団から出して、目の前に持ってくる。
両手はついている。傷はない。ぎくしゃくするが掌を開く閉じることができた。
良かった……。
この調子で……体を起こそうとする。
とても重い。関節がぎくしゃくする。ただし痛いわけではない。動きにくいだけだ。
頭は痛くないし、どんよりしているだけだ。
凝り固まっている体を動かしながら、俺は必死に布団の上で上体を起こした。
息を継いだあと、布団をはいで、胡坐をかいて座ってみる。
……?
ズボンをはいている。見慣れたズボンだ。ベージュのカーゴパンツ。
腕を見てみる。紺のトレーナーを着ている。見慣れた服だ。
これって……?
この見慣れた服を着たこの体……トレーナーの袖をまくり腕を見てみる。
細い腕、浅黒い肌。これは……間違いなくフランソワではない。
顔を触ってみる。
フランソワだと肩にかかる金髪を目の前まで持ってくることができる。今はできない。髪が短すぎるということだ。
ということは……俺は、俺に戻ったのだ、ということか……。
俺の意識がフランソワの身体から抜けて、俺本来の身体に戻ってきているということのようだ。
俺、航に戻った。
……しばし、そのことに意識を集中してみる。
俺は俺に戻ったのだ!
布団から出て、両腕をついて立ち上がってみる。
膝がぶるぶる震える。膝に両手をつき立ち上がると、脳貧血に襲われ、倒れてしまった。
少し間を取って、もう一度立ち上がってみる。
関節は相変わらずぎくしゃくするが、立ち上がることができた。
足を見てみる。
フランソワのように筋肉がついてない。細い足だ。
俺はまるで歩き方を覚えた子供のように、ぎくしゃくしながら歩いて、開いている襖を抜けて廊下へ出た。
サッシのガラス戸を通しても、雨が降っているのがわかる。
小雨だ。シトシト降っている。
庭に雨が降っていて、木々が濡れている。
苔むした地面は水気を帯びて、涼し気な景色を作っている。
昼間であろうが、雨のおかげで少し薄暗くなっている。
ガラス戸に俺の姿が映っている。
間違いなく俺、航が映っている。冴えない表情の、俺の姿がガラス戸に映っている。
戻ってきてしまった……。
正直な思いだ。
ホッとするけど、空しい気分でもある。
いや、寂しいのだ。フランソワと離れてしまって。
嬉しさはない。俺は俺に戻ったのに。
ホッとしたという実感は確かにあるが……。
だが、フランソワはどうなった?
消えてしまったのか?
相当なケガを負ったと思うが……どうなっているのだろう?
俺以外誰もいない屋敷は静まり返っている。
雨が降っている音もサッシドアのため聞こえない。弱い雨であるから。
涼し気な廊下を歩いて居間に向かう。
傑さんが座っていた部屋へだ。
俺はまるで病み上がりの状態のようで、体は思うように進まないが、どこも痛くもなく痒くもない。いたって正常のようだ。
ふと気になる。
今は何時? というか、今日は何日?
事故に遭ったのはいつなのだろう?
フランソワはどうなったのだろう。
傑は、拓郎は?
で、思い出した。
フランソワとして道路に寝転がって意識が途絶える直前、少し離れた道路に拓郎が寝かせられていた。
その拓郎、寝かせられたまま、スマホで俺を撮っていた、というのを思い出した。
ということは、彼は大した怪我は負っていないということだ。
心配なのは傑さんだ。運転席に思いっきり、たぶんダンプカーだと思うがぶつかったのだから。とても心配だ。彼の身体が不自然に歪んだのを俺は見ている。
それと……筈妃さんだ。どこに連れていかれたのだろう。
フランソワは彼女を守ると誓っていた。
そのため、無理に追いすぎて罠にはまったともいえる。
フランソワにとって、自分の体の傷よりも、筈妃を守れなかった方が辛いだろう……。
とにかく情報を得ようと……。
そうだ、俺のスマホはどこにある?
普段、ズボンのポケットにいれているから……探るが、入っていない。
俺の体は、傑さんが和室まで運んでくれて、寝かせてくれた。そのとき、スマホに気がつくと思うが……。
歩きながら思い出す。
フランソワは道路に寝かせられて意識が途切れようとしていた。
その時、女……電撃マオだ、俺の顔を覗き込んだ。
その前に、俺を、重傷を負ったフランソワを拉致しようとした輩数人を、マオが撃退したのだ。
そのあと、俺に向かって悪態をついたけど、フランソワを救ってくれたのだ。
胸が熱くなる……。
居間に入る。
壁際に大きなテレビが置いてある。俺はテレビのスイッチを入れた。
いきなり、空撮場面が映された。
ヘリコプターからの映像のようだ。
広い道路に、ダンプカーと俺たちの乗っていた車が置いてある。
車は側面が潰れている。ダンプも前が潰れている。あたりに車の破片が散乱している。
事故現場だ!
相当な事故だ。それを上空から見ている。
テレビのボリュームを上げる。
「……上空に来ております。ここからも、いかに激しい衝突だったかがわかります。……損壊した車に乗っていたのは3人だということです。男女3人で、いずれも身元不明、内2人は心肺停止状態で病院に運ばれました。一人は重傷で、警察はその方から事情を聞こうとしているようです」
心肺停止!
それは、フランソワと傑だということだ!
激しく動揺してしまった。
大変なことになっているからだ。
だが、フランソワは実在しているともいえる。
それが証明されたともいえる。
だけど、フランソワも傑も……心肺停止状態。
フランソワ、ナポレオン戦争を生き抜いてきた英雄が、交通事故で死のうとしているなんて……受け入れられない。
俺が創造した人物でも、こんな展開は許されない。
なんとしてでも、この状況を変えなければ、フランソワを復活させなければ。
俺が創造した人物なんだから、必ず、生き返らせるはずだ!
会わなければ。
病院に行かなければ。
第二章に 門を開ける につづく。




