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冒険者の街で、今日もパンを焼いています 〜小さな魔獣との静かな暮らし〜  作者: 白波 いつき


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にぎやかな食卓と、言葉にしてしまったこと

 窓の外では、やわらかな午後の光が通りに落ちていた。風は穏やかで、どこかゆったりとした空気が流れている。


 急遽カニパーティをすることになり、差し入れをどうするか、リラは頭を巡らせていた。


「何を作るの?」


 マーガレットの問いに、リラは少し考えてから頷く。


「お孫さんがアップルパイが好きなので、それは必ず作って……。あとはバケットがあるので、細かく切り込みを入れて、間にハムや葉野菜、トマト、キノコを挟んで……塩とオリーブオイル、チーズをかけて焼こうと思います」


 言葉にしながら、手の中ではもう段取りが組み上がっていく。


「好きなところを取って、溶けたチーズを絡めて食べてもらう感じですね。チーズが固まってきたら、火の魔石で軽く炙ってもいいかも」


「まぁ……それは、確実に美味しいやつよね」


 少し楽しそうにマーガレットが笑う。

 リラもつられて笑みをこぼした。


「じゃあ、ちゃちゃっと作ってから行きましょうか」


 そう言って、袖を軽くまくる。


 台の上に材料を並べると、小麦の匂いと、切り分けた野菜の青い香りがふわりと混ざる。窓から入る光が、ボウルの中でやわらかく揺れた。


 りんごを剥く音。包丁がまな板に当たる軽い響き。

 オーブンの中で、火がじんわりと熱を帯びていく。


 いつもの調理なのに、今日は少しだけ気持ちが軽い。

 誰かと食べるための料理だからだろうか。

 隣では、マーガレットが興味深そうに手元を覗き込み、ときおり小さく相槌を打っている。


 その向こうで。


「きゅ!」


 オモチは、すでに肩の上に飛び乗っていた。

 行く気満々である。


 尻尾を小さく揺らしながら、こちらを見上げてくる。


「まだ出来てないよ」


「きゅきっ」


 分かっているのかいないのか、得意げに胸を張る。そんな様子に、自然と肩の力が抜けた。


 焼き上がったアップルパイからは、甘くやさしい香りが広がっていた。バケットもこんがりと色づき、溶けたチーズがとろりと表面に絡んでいる。


 簡単に包みを整え、持ち運べるように仕上げる。


 準備は整った。


 リラは一度、深く息を吐く。

 少しだけ楽しみで、少しだけ落ち着かない。


 けれど、そのどちらも嫌ではなかった。


「行こうか」


「えぇ」


「きゅ!」


 軽い返事が重なった。

 穏やかな午後の空気の中、三人はそろって外へと出た。


 トヨの食堂は、太陽の日だけ静かに休みになる。


 扉を開けた瞬間、いつもの店とは少し違う、やわらかな空気が広がっていた。客を迎えるための場所ではなく、誰かが帰ってくるための場所になっている。


「いらっしゃい!」


 奥から顔を出したのは、トヨの娘――サラだった。


「サラさん、お久しぶりです。ご出産もおめでとうございます!」


「私までお邪魔してすみません」


 マーガレットがそう言うと、サラは母親譲りの豪快な笑い声をあげた。


「気にしないで。本当に食べきれないくらい取ってきたのよ。お父さんとうちの旦那がね。ほら、入って」


 中へ通されると、そこにはトヨがいた。

 腕の中には、小さな赤ん坊。

 まだこの世界に慣れていないような、やわらかな命。


 サラがその子の頭をそっと撫でる。


「この子が、うちの子。レイラよ」


 少し照れたように笑うその顔に、空気がやさしくほどける。


「リラだ!」


 元気な声が足元から飛んできた。

 マイロが、ぱたぱたと駆け寄ってくる。

 その姿に、オモチがぴたりと動きを止め、ちらりとマイロを見る。


「……きゅ」


 なぜか落ち着いた声で鳴いた。

 少しだけ顎を上げて、クールぶっているようだ。


「……久しぶりだからかな」


 リラは思わず笑う。

 けれど次の瞬間。


 オモチはすっと前に出て、小さな手を動かした。


 粘糸が、するりと伸びる。

 器用に形を整えていくその動きは、どこか誇らしげで――


 やがて、小さなくまの形ができあがった。


「わあああ!」


 マイロの目が一気に輝く。


「くま! くまだ!」


 跳ねるように近づいて、両手で受け取る。


「すごい! すごい!」


 その声に、オモチの尻尾が嬉しそうに揺れた。


「きゅ」


 さっきまでのクールさは、もうどこにもなかった。

 そのまま二人で走り回り始める。


 その様子を見て、トヨとサラが声を上げて笑う。

 リラとマーガレットも顔を見合わせて、自然と笑みをこぼした。


「オモチ、あんなこともできるのね」


「この前マイロに会ったときから、練習してたみたい」


 そんな会話を交わす間にも、テーブルの上には次々と料理が並んでいく。


 素揚げにした小カニ。

 香草と炒めたもの。

 軽く煮込まれたスープ。


 香ばしい匂いと、ほんのりとした潮の香りが、部屋いっぱいに広がっていた。


「持ってきたの、ここに置いてもいいですか?」


「ああ、ありがとう」


 リラはバケットを取り出し、火の魔石で再度表面を軽く炙る。

 じゅ、と小さな音がして、チーズの香ばしい匂いがふわりと立ち上った。


「何これ?! 美味しそう!」


 サラの目がキラキラと輝く。


「よかったら、こちらもどうぞ」


 マーガレットが差し出したのは、ベルンハルトから持ってきた酒だった。

 それを見たサラの旦那が目を輝かせ、慌てて少し良いグラスを取り出す。


「最高のパーティだね」


 トヨがそう言って、皆に飲み物を配った。


 小さなグラスには果実酒。

 マイロとオモチには、ジュースが注がれる。


「さあ、今日はいっぱい食べよう」


 その一声で、グラスが軽く触れ合った。

 乾いた音が、やさしく広がる。


 それぞれが皿に手を伸ばし、料理を取り分けていく。

 少し戸惑った様子のマーガレットの皿にも、遠慮なくカニが乗せられていった。


 リラは小さなカニをひとつ口に運ぶ。


 ぱり、と軽い音。

 殻ごと食べられるその身は、噛むほどに旨味が広がった。


「美味しい……!」


「だろ?」


 トヨの旦那が得意げに笑う。

 サラは赤ん坊をあやしながら、少し肩をすくめた。


「うちの男ども、取ってくる量が極端でさ。多いときは本当に困るんだよね」


 そう言ってから、ふっと笑う。


「でも」


 言葉を切り、腕の中の子を見下ろす。


「まあ、楽しいんだけどね」


 その表情は、やわらかかった。

 リラはその様子を見て、静かに息をつく。


 温かい。

 こういう時間が、ここにはある。


 誰かと食べて、誰かと笑って。

 当たり前みたいに、そこにある時間。


 それが、少しだけ胸にしみた。


「……抱っこ、してみる?」


「え?」


「大丈夫、大丈夫。ちゃんと支えれば平気だから」


 言われるままに腕を差し出すと、そっと、預けられる。

 軽い。

 けれど、確かな重み。


 腕の中で、小さな体がかすかに動いた。

 思わず、息を止める。


「……すごい。可愛い……あったかい」


 その温もりが、じんわりと胸の奥に広がっていく。


 横からマーガレットもそっと覗き込み、やさしい息を吐いた。


「かわいいですね」


「本当に」


 その言葉に、サラがにやりと笑う。


 部屋の空気が、ほんの少しだけ変わった。


「あら~、欲しくなっちゃった? ユリウスにお願いしてみたら?」


 その言葉に、思わずせき込みそうになるが、腕の中のレイラと目が合いなんとか堪える。

 小さな手が、こちらの服をぎゅっと握っていた。


 隣では、マーガレットが「まぁ!」と声を上げる。

 きらきらとした瞳が、まっすぐこちらを射抜いてきた。


「ちょっ、サラさん! 何言ってるんですか?!」


 思わず声が裏返る。


 サラはまったく気にした様子もなく、楽しそうに肩をすくめた。


「あら、だって噂になっているわよ。あのお見合いおばさんがあなたに肉屋の息子を紹介しようとしたら、ユリウスがあなたを抱きしめながら『リラは俺のだ!』って言ったんでしょう?」


「まぁ! リラ、そんなことが?! いつの間に? ご結婚の予定は?!」


 間髪入れずに重なる声。

 逃げ場がない。


「ちょ……ちょっと待って! なんかいろいろ脚色されてますよ?!」


 部屋の空気が一気に色づく。


 きらきらした視線を向けてくる二人と、それを面白そうに眺めながら酒を傾けるトヨ。

 助けを求めて男性陣へ視線を向けると、見事にそっと逸らされた。


 ――誰も助けてくれそうにない!


 リラは一度、息を吸う。

 賑やかな声と、皿の触れ合う音。


 その中で、ほんの少しだけ呼吸を整える。

 そして、顔を上げた。


「……その噂がどう回ったのかは知りませんが」


 できるだけ落ち着いた声を選ぶ。


「ユリウスは、私を助けてくれただけです。付き合っているとか、そういうのではありません」


「えー……」


「そうなんですね」


 あからさまに肩を落とす二人。


 その反応に、リラは思わずグラスを持ち上げる、ごくり、と一気に飲み干し――

 コトン、と机に置いた。


 小さく息を吐く。


「……ですが!」


 思ったよりも、声ははっきり出た。


「私はユリウスが好きなので、万が一にもうまくいったら、ちゃんと私からご報告します!」


 一瞬の静けさ。


 それから――


「きゃー!」


 弾けるような声が上がる。


 サラとマーガレットが顔を見合わせ、そのまま楽しそうに笑い合う。


「やだー! そうだったのねリラ! いいわねぇ、今どきは女から押さなくちゃ!」


「まぁ、素敵! ぜひ結ばれた暁にはお祝いを送りますね!」


 言葉と笑い声が重なり、部屋の空気がふわりと揺れた。

 その勢いに押されて、リラは思わず少しだけ身を引く。


 自分から言ったはずなのに、思った以上に照れくさい。


 ――言わないほうが良かったかな。


 そんな考えが、ほんの一瞬だけよぎる。

 そのとき。


「そうだ、リラ」


 助け舟のように、トヨがぽつりと言った。


「この前のアップルパイ、マイロがすごく喜んでたよ」


 その言葉に、マイロがぱっと顔を上げる。


「おいしかった! アップルパイ! また食べたい!」


 気がつけば、マイロとオモチはまた粘糸だらけになっていた。


 床の上には細い糸がいくつも張られ、その中でふたりが楽しそうに動き回っている。


 その様子に、思わず笑いがこぼれた。

 周りの大人たちも気づき、やわらかく目を細める。


「実はね、ちょうど今日持ってきてるよ」


 別にしておいた包みを開けると、甘い香りがふわりと広がった。


「やった!」


 マイロとオモチが同時に跳ねる。

 全身で喜びを表していた。


 食事が落ち着いたころ、皆でアップルパイを分ける。


 一口。


「……これ、いいね」


 トヨがぽつりと言った。


「甘さもいいし、食べやすい」


 少し考えるように腕を組む。


「これ、店で出してもいいんじゃない」


 サラも頷いた。


「売れそうだね」


 リラは少し驚いたあと、ふっと笑った。


 みんなで食べて、おいしいと話して。

 その中で、新しい形が生まれていく。


 こうしてできた思い出が、この街に混ざっていく。

 それが、なんだか嬉しかった。


 足元では、まだマイロとオモチが遊んでいる。


「きゅ!」


「もう一回くま作って!」


 笑い声が、途切れない。

 太陽の日の午後。

 穏やかで、あたたかな時間が流れていた。



 外に出ると、ずいぶんと風が冷たくなっていた。

 夜が、ゆっくりと降りてきている。


「楽しそうな声が外まで響いていたぞ」


 振り向くと、セオドアとグリムが立っていた。


「まぁ、中に入ってこられるかと思っていましたのに」


 マーガレットが少しだけ呆れたように言う。


「これから入ると遅くなりそうだったからな。子どももいたんだろう?」


 そう言って、軽く肩をすくめる。


「それにちょうど、馬車から酒をいくつかグリム殿に渡していたところだ」


 リラはそっとグリムに近づく。


「大丈夫だった?」


「最初は驚いたが……まぁ、いい商談だったよ」


 穏やかな表情。

 その様子に、ほっと息を吐く。

 グリムの手には、しっかりと酒瓶が抱えられていた。


「リラ」


 セオドアが声をかける。


「俺とマーガレットは、明日この街を出て次の商談へ向かう」


 少しだけ、間を置いて。


「だが、この街で新しい取引先ができた。また来るぞ」


 その言葉に、マーガレットがため息をつく。


「わざわざ次期商会主自ら来なくてもいいのですけれどね」


「何を言う」


 セオドアは笑う。


「君がリラに会えると楽しそうだから来るんだろう。それに俺はまだリラのパンも食べていない」


 その言葉に、マーガレットが一瞬だけ虚を突かれた顔をする。

 それから、少しだけ頬を染めた。


 マーガレットは、ゆっくりとリラに歩み寄り、そっと手を取る。


「ということで、またこちらに来ることになりそうです」


 やわらかな声。


「進展があったら、ぜひ教えてくださいね」


「進展は……どうだろう。でも、また会えるのは嬉しい」


 そう言うと、二人は笑った。

 セオドアはグリムと握手を交わし、そのまま馬車へと向かう。

 マーガレットも軽く手を振り、それに続いた。


 車輪の音が、夜の中へと消えていく。


 また、きっとすぐに会える。

 そんな気がした。


「にぎやかなこって」


 グリムがぼそりと呟く。


「また、すぐに会えそうだよね」


「きゅい」


 オモチが小さく鳴いた。


 空を見上げる。

 夜は静かに深まり始めていた。


 賑やかな時間のあとに訪れる、少しだけ落ち着いた空気。

 それもまた、心地よい。


 リラは小さく息を吐く。


 今日という一日が、ゆっくりと胸の中に積み重なっていく。


 あたたかなまま。

 そのまま、静かに。

 夜は更けていった。

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