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冒険者の街で、今日もパンを焼いています 〜小さな魔獣との静かな暮らし〜  作者: 白波 いつき


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秋祭りと、似合ってるの一言

 「どうしよう。服がない」


 「きゅき?」


 正確には服はある。けれど、普段とは少し違う、お出かけに着ていけるような服がない。


 秋祭りの出店を終えて片づけをし、大急ぎで店へと戻った。

 昼間は太陽の下に立ち、屋台から流れてくる煙や香ばしい匂いに包まれていたから、宴に行くなら一度お風呂に入りたかったからだ。


 湯気の残る浴室から上がり、まだ少し湿った空気の中で、風魔法の魔道具を使って髪を乾かしていく。

 温もりの残る頬に風が当たり、火照りがゆっくりと引いていった。


 そのまま、今日着るつもりだった服に袖を通そうとして――ふと、手が止まる。


 宴、ユリウスさんと行くんだよね。


 そう思った瞬間、胸の奥に小さな引っかかりが残った。


 部屋の中では、オモチが風の魔道具を器用に使いながら、ふわふわと毛並みを整えている。

 時折、小さく体を揺らしては満足そうに鳴いた。


 私は決して鈍い方じゃないと思う。


 ……気づいていないわけでもない。

 そんな相手とのお出かけに、こんな“いつも通り”でいいのか。


 窓の外では、まだ祭りの気配が残っている。遠くから聞こえる笑い声と、かすかな音楽。夜に向けて街が少しずつ浮き足立っていくのが分かる。


「良くない気がする」


 「きゅい?」


 「オモチ……私、何を着たらいい?」


 はぁ、と言いたげにオモチはクローゼットの前へ歩いていく。小さな足音が床を軽く鳴らし、扉の前でぴたりと止まった。

 右から左へ視線を走らせ、こちらを振り返ると、小さくため息をつく。


 うん。分かってる。ベージュか黒ばっかりだよね。しかも形もほとんど同じ。


 仕事着か、散策用か、それか魔物討伐用。服屋のリリーにも「また同じようなの!」ってよく言われる。

 並んだ服を見ていると、自分でも少しだけ可笑しくなって乾いた笑いを溢した。

 そのまま眺めていて――ふと、思い出す。


 ――あったかもしれない。


 ぱっと顔を上げる。


 「そうだ!」


 「きゅい?」


 クローゼットの一番奥。ほかの服に押し込められるようにして、埋もれている一着。


 この街に来て間もないころ、リリーに「一着くらいはお出かけ用を持っときなさい!」と言われて、流されるように買った服だ。


 爽やかな水色。すっきりとした形なのに、どこかやわらかい印象が残る。

 あのときは、なんとなく買っただけだったのに。

 今は、その“なんとなく”に少しだけ助けられた気がした。


「この辺に……」


 腕を奥へ伸ばし、布の感触を探る。


 「きゅきっ」


 その瞬間、オモチがぴょんと頭に飛び乗った。


 「ちょっと、オモチ降りて。探しにくい」


 「きゅう〜」


 不満そうな声が頭の上で揺れる。重くはないけれど、安定感が悪く探し辛い。

 仕方なく軽く頭を振ると、オモチはするりと肩へ降りてきた。


 そのままもう一度奥へ手を伸ばす。

 指先に、いつもとは違う布の感触が触れた。


 「あった!」


 引っ張り出したそれは、長く押し込められていたせいで、くっきりと皺がついていた。

 何となく……淡い水色が、少しだけくすんで見える。


 どちらからともなく、オモチと顔を見合わせた。


 「……これ、伸びるかな」


 「きゅぅ」


 心配そうな声に、苦笑が漏れる。

 窓の外では、宴の音が少しずつ大きくなってきていた。人の声と笑い声が重なり、夜へ向かう街の空気がゆるやかに膨らんでいく。


 のんびりしている時間は、あまりない。

 軽く息を吐いて、皴を整える。

 なんとか、なるはずだ。


 そう願ってバタバタと準備をし、どうにか形になったころ。

 一階の扉が、コンコンと鳴った。


 その音に、胸がひとつ跳ねる。

 オモチと顔を見合わせてから、急いで階段を下りる。木の段が軽く軋み、足音がいつもより少しだけ早く感じた。


 扉に手をかけて、一度だけ息を整えた。


 ――扉を開けると、外の空気が、ひやりと頬に触れた。

 そこに立っていたのは、ユリウスだった。


 夜の気配をまとったまま、いつもより少しだけ整った姿でこちらを見ている。

 ほんの一瞬。


 ユリウスの目が、わずかに見開かれた。

 視線が上から下へと流れ、そのまま戻る。


 それから、ふっと笑って言う。


「似合ってる」


 さらりと。

 本当に、何でもないことのように。


「……ありがとうございます」


 思ったより、心臓にくる。

 リラは少しだけ視線を逸らし、頬に残る熱をごまかすように息を吐いた。


 外では、遠くから祭りの音が流れている。人の声と笑いが重なり、夜の空気をやわらかく揺らしていた。


「ユリウスさんも、いつも通り素敵です」


 言ってから、ほんの少し遅れて気づく。


 あ、と。


 けれど、もう遅い。

 ユリウスは一瞬だけ虚を突かれたように目を瞬かせ、それからゆるく目元を下げた。


「いつも素敵だと思ってくれてるんだ?」


 逃げ場がなくなる。

 言葉を引っ込めることもできず、何となく濁したくなくて、そのまま視線を合わせた。


 青褐色の瞳が、まっすぐこちらを見ていた。

 ほんの少しだけ、息を整え、


「はい」


 と、短く答える。

 それだけなのに、胸の奥が静かに揺れた。

 ユリウスの耳先が、わずかに赤く染まる。

 気づかないふりをしてオモチに手招きをすると、玄関横の棚から、私の肩へとぴょんと飛び乗ってきた。

 今日は久しぶりに髪を下ろしているからか、どこか乗りづらそうだった。


 そのまま外に出て、扉を閉める。


「行きましょうか」


「ああ」


 並んで歩き出す。

 少しだけ距離をあけているはずなのに、なぜか近く感じた。


 夜の風が、やわらかく吹き抜けていく。

 祭りの灯りが、通りの先で揺れていた。


 広場には、すでに多くの人が集まっていた。


 提灯の灯りがゆらゆらと揺れ、領主が用意した料理と、各々が持ち寄った料理の匂いが重なっている。

 焼けた肉の香ばしさに、甘い菓子の匂いが混ざり、秋の夜気の中でやわらかく広がっていた。

 笑い声と話し声があちこちで弾け、誰かの呼び声が重なる。


 その中へ、二人で足を踏み入れた。

 肩が触れない程度の距離。

 それでも、さっきより近く感じる。


 リラは持ってきたピザパンを台の上に並べる。まだ少しだけ温かさが残っていて、ふわりと小麦の香りが立ち上った。


 ふと、視線を巡らせると、少し離れた場所に、ミレイの姿があった。


 その隣には――セイン。

 いつもより、ほんの少しだけ距離が近い。


 ミレイが何かを言い、セインが短く返す。それだけのやり取りなのに、空気がやわらかく見えた。


 さらにその向こうには、巡回中らしいダルクの姿がある。

 腕を組み、二人をじっと見ている。

 そして。

 明らかに、歯ぎしりをしていた。


 ――うん。分かりやすい。


 リラは思わず小さく笑う。


 更に視線をずらすと、ロイがいた。

 その隣には、見覚えのある顔。

 服屋のリリーだ。


 楽しそうに話しながら、手をつないで歩いている。

 つい最近まで恋人ほしいと騒いでいたのに、ちゃっかりしてるな。

 思わず、感心する。


 どうやら秋祭りは、恋のきっかけになる夜でもあるらしい。

 ふと横を見上げると、ユリウスが小さく首をかしげていた。


「どうした?」


「いえ、なんでもないです」


 首を振り、少しだけ空を見上げる。

 夜空は深く、灯りの合間に星がちらりと覗いていた。風がやわらかく通り抜け、さっきまでの熱をそっとさらっていく。


 気がつけば、緊張はもうなかった。

 服のことも。

 見られ方も。


 どうでもよくなっている。


 ただ――

 隣にいられることが、嬉しかった。


 その後は、ミレイやリリーたちと合流し、笑い声の中へと混ざっていった。誰かが声を上げ、誰かが返し、また笑いが広がる。


 巡回中のダルクが背後から忍び寄り、セインの背中をばしりと叩く。「いっ!」と声を漏らしたセインに、皆で笑った。


 賑やかな夜は、途切れることなく続いていく。

 秋祭りの灯りの下で、その時間はゆっくりと積み重なっていった。


「そういえばリラ。言っておきたいことがあったんだ」


「はい?」


 どんちゃん騒ぎの中に、ユリウスのひそやかな声が混じる。場に似合わない落ち着いた響きに、リラは首をかしげた。


「ギルドの張り紙に、魔物研究員が森で調査をしているってものがあった」


「魔物研究員?」


 聞き慣れない言葉に、さらに首を傾げる。


「ああ。国から依頼を受けて魔物を研究している組合のはずなんだが、本来フォルネアみたいにCランクの魔物ばかりの場所には来ない。ダンジョン調査ならまだ分かるんだが……」


「なるほど」


 そう頷きながら、リラはいつの間にかユリウスの膝で丸くなっているオモチに目をやる。ユリウスもその視線に気づき、小さく頷いた。


「念のため、意識はしておいたほうがいい。他領地では魔物の密猟をする団体の報告も上がっている」


「わかりました。気を付けておきます」


「きゅい?」


 オモチが不思議そうに顔を上げる。

 その腕輪をそっと撫でると、柔らかな毛が指先に触れた。オモチはきょとんとしたまま、こちらを見上げている。


 リラはその顔に小さく笑みを返す。


 ――何も、ありませんように。


 そう願いながら。


 お祭りの喧騒は、変わらずやわらかく夜に溶けていった。

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