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冒険者の街で、今日もパンを焼いています 〜小さな魔獣との静かな暮らし〜  作者: 白波 いつき


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祭りの前の、いつもの味

 「ゔぁぁ……」


 小さくくぐもった声が、木のカウンターに吸い込まれた。

 リラは組んだ腕に思わず額を押しつける。ほんのりと残る焼きあがったパンの香りが荒んだ心をなだめてくれる気がした。


 店の中は、昼の賑わいを過ぎて、少しだけ静かになっていた。棚に並ぶパンも、残りはもうわずかだ。


 秋祭りまで、あと二週間。


 出店のことを考えれば考えるほど、頭の中がぐるぐると同じところを回る。


 秋らしい食材を使った屋台料理。

 キノコのスープとパン――そこまでは、すぐに思いついた。けれど――


 ありきたり、という言葉が、ぴたりと張りついて離れない。

 他の店と被るかもしれない。いや、きっと被る。確実に被る。


 フォルネアの秋といえば、キノコ。森に入れば、慣れていない人間でもすぐに見つけることができる。だからこそ、誰もが思いつくメニューだろう。


 栗は、もう難しい。


 ラトリアから持ち帰った分も、そろそろ底が見えてきている。そもそも、この街で手に入るものではない。二週間後まで保たせるには、無理がある。


 それに何より、この街の食材で、秋祭りに参加したい。


 そう思うのに――。


 思いつくのは、どれも見慣れたものばかりだった。


 そんな事を考えながら仕事をしていたからか、こんな時に限ってミスをする。

 返金額を間違えたり、商品を入れ忘れたり。

 悪いことは続くものである。


 「……だめだなぁ」


 ぽつりとこぼした声に、すぐ隣で小さな返事が返る。


 「きゅう」


 視線だけを横にずらすと、オモチがこちらを見上げていた。

 丸い体を少し伸ばして、ぺし、ぺし、とリラの頭を軽く叩く。慰めるような、励ますような、そんな優しい手つきだ。


 「おもちぃ……」


 何だかうれしくなって、思わず両腕を伸ばせば、


 「きっ」


 ひらりと避けられた。実に無駄のない動きだった。

 期待とは違う動きに、口を尖らせる。


 「ちょっとくらい、いいじゃない」


 「きゅ」


 どこか呆れたような声。

 そのやり取りに、ほんの少しだけ肩の力が抜けた。


 ――拘りすぎてるのかなぁ。


 秋祭りのこと。

 考えすぎている自覚はあって、分かっているのに、でも止められない。


 ふと棚に目をやると、パンはほとんど残っていなかった。

 陽はまだ高いが、この分なら、今日は早く閉めることになりそうだ。


 「……オモチ」


 顔を上げる。


 「今日は、早めに片付けようか」


 声に、少しだけ意識を乗せる。切り替えなきゃ。このままではだめだ。


 「この感じ、明日まで持ち越したくないし」


 「きゅきっ」


 オモチが、ぴっと小さな手を上げる。親指を立てるような仕草だった。

 思わず、ふっと笑みがこぼれた。


 「ありがと」


 そのまま軽く息を吐いて、リラは動き出した。

 あと少し頑張ろう!

 残ったパンをまとめ、棚を整える。


 それからほどなくして、無事にパンは完売となり、店を閉めたあと、火の気を落とした室内は、少しだけひんやりとしていた。


 窓を閉め、鍵をかける。

 その一つひとつの動作を終えるたびに、ようやく一日が終わったのだと実感が追いついてくる。


 「……ふぅ」


 オモチが足元をちょこちょことついてくる気配がする。

 そのまま二階へと上がり、湯を張ったばかりの浴室の扉を開けた。


 もくもくと立ち上る湯気が、柔らかく頬を撫でる。


 棚に置いてあったオイルを手に取り、湯面へと一滴。

 ぽたり、と落ちたそれが、ゆっくりと広がっていく。

 柑橘の香りが浴室内を満たしていく。


 「……いい匂い」


 呟きながら、そっと足先を湯に入れる。

 ひやりとした空気から、じんわりとした温かさへ。そのぬくもりを感じて、自然と肩の力が抜けた。


 ゆっくりと身体を沈め、顎を少し上げて深い息を吐いた。


 「ふはぁ……」


 思わず声が漏れる。

 まだ明るい時間に湯船に浸かるのは、久しぶりだった。

 窓の外は、夕方へと向かう途中の淡い光。


 まだ店に立っている事もある時間だと思うと、少しだけ不思議な気持ちになる。


 「……今日は、だめだったなぁ」


 ポロリと口から弱音が零れ落ちる。

 湯の表面が、わずかに揺れた。


 「きゅう」


 可愛い声が聞こえ、隣を見ると、オモチも器用に湯船に浸かっていた。

 小さな木の人形をぷかぷかと浮かべ、それを浮き輪代わりに遊んでいる。

 その様子が、妙にのんびりとしていて思わず肩の力が抜けた。


 「ほんと、凡ミスばっかりで……」


 指先で湯をすくい、落とす。

 波紋が広がっては消えていく。


 「切り替えなきゃね」


 「きゅきゅい」


 肯定とも、慰めともつかない鳴き声。

 オモチは、いつもこうだ。

 ただ、そばに居てくれるだけで少し楽になる。


 「……明日は、ちゃんとやろ」


 小さく言葉にする。

 まるで、自分に言い聞かせるように。


 そのまま、ゆっくりと湯に身体を沈めていき、口元まで浸かると言葉は自然と湯へと吸い込まれていく。


 「秋祭り……」


 ……どうしよう。

 最後まで言い切る前に、ぶくぶくと泡になって消えた。


 「きゅきっ」


 いつもより強い力で、肩にぺちぺちと小さな手が当たる。

 オモチがこちらを見上げていた。


 ――考えすぎ。


 そんな風に言われた気がした。


 「……んー」


 湯の中で、ゆっくりと息を吐く。ボコボコと泡が立ち、オモチが楽しそうにその泡をつついている。

 頭の中で絡まっていた考えが、少しずつほどけていく。


 キノコのスープ。


 パン。


 秋らしさ。


 他の店。


 被るかどうか。


 ぐるぐる回っていたものが、ひとつずつ遠ざかり、代わりに浮かんできたのは一つの考えだった。


 ――聞けばいいか。


 ぽん、と、軽く。思考が切り替わる。


 「……そうだよね」


 小さく頷く。

 自分だけで考えていても、同じところを回るだけだ。

 出店している人は他にもいる。

 毎年やっている人だっている。


 「相談すればいいじゃん」


 声に出すと、思っていたよりも簡単なことのように感じた。

 オモチが、満足そうに声をあげた。


 「きゅきゅい」


 「うん、決まり」


 ぱしゃり、と湯を払うようにして立ち上がる。

 身体から水滴が落ち、床に小さな音を立てた。


 タオルで軽く拭き、髪をまとめる。

 服を整えるのも、いつもより少しだけ手早い。


 「行こうか」


 オモチに声をかける。


 「きゅっ」


 元気な返事をして、肩の上へと飛び乗ってくる。

 その顎先を少し撫でてから戸を開けると、外の空気は少しだけ冷えていた。


 昼の熱が抜けて、夜へと向かう途中の温度。


 隣から、食堂の匂いが漂ってくる。

 それだけで、今さらお腹が空いていることに気づいた。


 「……あ」


 小さく笑う。


 「ご飯も、食べようか」


 「きゅきっ」


 オモチが、ぴょんと跳ねる。

 向かう先は、もう決まっている。


 すぐ隣。

 いつの間にか、安心を抱ける様になっていた場所。


 「こんばんは」


 そう言いながら、リラは扉を押した。

 扉を開けた瞬間、ふわりと温かい空気がこぼれた。


 焼けた肉の匂いと、油の香り。

 それに混じって、野菜の甘い匂いがほんのりと漂っている。

 思わず、空になっていたお腹がきゅうと鳴った。


 「……いい匂い」


 小さく呟くと、


 「おや、いらっしゃい」


 カウンターの向こうから、トヨが顔を上げた。

 いつも通りの、溌剌とした声。


 それだけで、少しだけ安心する。


 「ごはんかい?」


 「はい。日替わりをひとつと……」


 少し言葉を選んでから、続ける。


 「あと、ちょっとだけ相談を」


 「相談?」


 トヨは軽く目を細めて、それからすぐに頷いた。


 「あぁ、いいよ。今日はそこまで混んでないしね。とりあえず座っときな」


 「ありがとうございます」


 カウンターに腰を下ろすと、視線の先に厨房が入る。


 トヨの旦那が、手際よく料理をしていた。

 鍋の蓋がかすかに揺れ、湯気がゆらゆらと立ち上る。

 包丁の音。油が弾ける音。

 それらが途切れずに重なって、心地よく耳に残った。


 オモチは机の上にちょこんと座り、厨房をきょろきょろと見回している。


 「きゅきっ」


 小さく手を挙げて挨拶をすると、それに気づいた旦那が、こちらを見て軽く手を上げた。


 「はは、今日も元気だねぇ」


 トヨが笑いながら、小さな取り皿を用意してくれる。

 それを見て、オモチの尻尾がわずかに揺れた。


 しばらくして、料理が運ばれてくる。


 甘辛く焼かれた骨付きのポーク。

 芋とキノコのソテー。

 それに、かぼちゃのポタージュ。


 湯気の向こうに、やわらかい色合いが並んでいる。

 端には、見慣れたバケットが添えられていた。


 「……美味しそう」


 思わず声が漏れる。


 「きゅきゅい」


 オモチも身を乗り出すようにして覗き込み、腹の奥が、ぐうと音を立てた。

 それに笑みを溢しつつ、トヨが用意してくれた小皿に、芋とキノコを少しと、肉を一口分。


 それをオモチの前に置く。


 「はい、どうぞ」


 「きゅう」


 嬉しそうに頷いて、すぐに食べ始める。

 その様子を横目に、リラもナイフとフォークを手に取った。


 一口。


 肉は柔らかく、噛むたびに甘辛い味が広がる。

 芋はほくほくとしていて、キノコの香りが後から追いかけてくる。


 温かさが、ゆっくりと身体に落ちていく。

 さっきまで張りつめていたものが、ほどけていくのが分かった。


 「……おいしい」


 自然と、言葉がこぼれる。

 その声を聞いて、トヨが隣の席を引き、どすん、と腰を下ろした。


 「うまそうに食べてくれると嬉しいねぇ」


 少しだけ誇らしげな声音。

 それから、ふと思い出したように。


 「で、相談って?」


 「あっ」


 フォークを持つ手が止まる。

 すっかり、忘れていた。

 食べることに夢中になっていた自分に、少しだけ苦笑する。


 「……えっと」


 軽く息を整えてから、口を開く。


 「トヨさんたちも、秋祭りに出店しますよね?」


 「ん? あぁ、もう何年もやってるからね。今年も出すよ」


 「何を出す予定ですか?」


 言葉にしながら、少しだけ視線を落とす。


 「私も、出ることは決めたんですけど……」


 その先が、うまく続かない。

 トヨは特に急かすこともなく、ただ頷いて待ってくれている。


 「なんだか、無難なものしか思いつかなくて」


 ようやく出た本音だった。

 トヨは「なるほどねぇ」と小さく笑う。


 「うちも、そんなに変わったことはしないよ」


 そう言って、テーブルの上のポタージュを顎で示した。


 「こういうのと、あとは外でも焼けるソーセージだね。キノコのソースでもかけようかと思ってる」


 「……それだけ、ですか?」


 思わず聞き返して、はっとする。

 口元に手を当てた。


 トヨは笑いながら肩をすくめる。


 「それだけだよ」


 あっさりとした答えに、少しだけ拍子抜けする。


 「お祭り用に、特別なものを出す……って感じじゃないんですか?」


 そう言うと、トヨは「ははっ」と笑った。


 「そういう店もあるねぇ。でもね」


 言葉を区切って、少しだけ視線を遠くにやる。


 「うちの客は、“いつもの味”を食べに来る人が多いんだよ」


 静かな声だった。

 けれど、しっかりと重みがある。


 「……いつもの」


 思わず、繰り返す。


 「そうさ」


 トヨは頷く。


 「それにさ」


 少しだけ口元を緩めて、続けた。


 「祭りで食べるってだけで、十分特別になるもんだよ」


 その言葉が、すとん、と胸に落ちた。

 ずっと引っかかっていた考えが、消えていく。


 ありきたり。


 被るかもしれない。


 そんな言葉が、遠ざかっていく。


 「……そっか」


 小さく呟く。


 無理に特別にしなくてもいい。

 自分の店の味でいい。


 そのままで、いい。


 「何だい、メニューに悩んでたのかい?」


 トヨが、くすりと笑う。


 「ほら、あんたのところの……キノコがいっぱい乗ってるやつ。チーズかかっていてカリカリの……」


 「キノコとチーズのフォカッチャですね」


 「そうそう。あれ、私は好きだよ」


 気負いのない、まっすぐな言葉だった。

 リラの胸が、じんわりと温かくなる。


 「あ……」


 うまく言葉にならない。

 ただ、少しだけ視界が柔らかくなった気がした。


 「……ありがとうございます」


 やっと、それだけを返す。


 トヨは「気にすんな」とでも言うように手をひらひらさせた。


 「こういうのはね、楽しんだもん勝ちだよ。店の位置も近いだろうし、何かあったら声かけな」


 「はい」


 頷くと、自然と笑みが浮かんだ。


 「きゅきっ」


 オモチの声に、トヨと顔を見合わせて、くすりと笑う。


 店を出ると、外の空気はすっかり夜の温度になっていた。

 昼間の残り香のようなぬるさは消えて、ひんやりとした風が頬を撫でる。


 ふと見上げると、空は思っていたよりも高く、澄んでいた。


 「……冷えてきたね」


 小さく呟く。


 「きゅい」


 オモチが肩の上で返事をする。

 さっきまでの賑やかな匂いや音が、扉の向こうに閉じ込められて、こちら側は静かだった。


 足元に落ちる灯りと、遠くから聞こえる話し声。

 その間を、ゆっくりと歩く。


 「……難しく考えすぎてたのかも」


 特別なものを作らなきゃいけない、と思い込んでいた。


 けれど。


 「いつもの味でいい、か」


 口に出してみると、不思議としっくりきた。

 この街で焼いているパン。


 毎日、同じように焼いて、少しずつ変えてきたもの。

 それを、外で出すだけ。


 それだけで、きっと違って見える。


 「……それなら、できそう」


 肩の力が、すとんと落ちる。

 無理に新しいことを考えなくてもいい。

 自分の店でやってきたことを、そのまま持っていけばいい。


 「ね、オモチ」


 視線だけを横に向ける。


 「きゅ」


 短い返事。でも安心感があった。


 「楽しもうか」


 言葉にすると、ほんの少しだけ胸が弾む。

 さっきまでの重たい感覚は、もうほとんど残っていない。


 考えることは、まだある。


 何を出すか、どう並べるか、どれくらい用意するか。

 でも、それは“悩み”じゃなくて、“準備”だ。


 「きゅきっ!」


 オモチの尻尾が小さく揺れている。

 その様子に、自然と笑みがこぼれた。


 「うん、楽しもう」


 鍵を取り出しながら、ふと空を見上げると、まん丸の月がそこにあった。


 やわらかな光が、街を包んでいる。


 「……明日から、また頑張ろう」


 誰に聞かせるでもなく、そう言って。


 リラは扉を開けた。

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