気になる相手と、気になる違和感
冒険者ギルドの掲示板には、いくつもの依頼書が並んでいた。
中には、紙の端が少しだけめくれ、誰かが剥がした跡が残っているものもある。
その中の一枚に、ユリウスの目がふと留まった。
――魔物研究員、森にて調査中。
短い一文だった。
……魔物研究員?
その文字を、目でもう一度なぞる。
見間違いではない。
こんな場所に、わざわざ?
フォルネア周辺は、C級程度の魔獣が多い森だ。数が多く危険ではあるが、研究対象として特別価値があるとも言い難い。
何を調べに来たんだ?
脳裏に浮かぶのは、白い小さな影。
肩に乗る、ふわふわで人懐こい表情のあの魔獣。
……オモチ。
街の人々はすでに慣れてしまっているが、あれが特別な存在だと気づいている者も少なくない。
オモチは貴重な魔獣だ。
その粘糸を欲しがる者も、決して少なくはないだろう。
興味本位で済む相手ならいい。だが、そうではない場合は厄介だ。
掲示板から視線を外し、ユリウスは小さく息を吐いた。
――帰りに、寄るか。
木陰のベーカリー。
魔物研究員のことが気にかかるのも事実だが、そう決めた途端、わずかに気持ちが浮き立つ。
早く今日の仕事を終えよう。
脳裏に浮かぶのは、赤茶の髪を揺らしてほほ笑む姿だった。
それを振り払うでもなく、そのまま胸の内に残したまま、ユリウスは視線を外へとむけた。
この日の依頼は、治安維持。騎士団だけでは人手が足りないとき、騎士上がりの冒険者を中心に回ってくるものだ。
最近、この手の依頼が増えている。
冬を前にして、人の動きが荒くなる。
冬支度には金がいる。雪が降れば人の往来は減り、外に出る者も限られる。そうなれば、目立つ行動はすぐに噂になる。
だからこそ――その前に。と考えるものが少なくない。
空気が冷えはじめると、それに引きずられるように、人の心もどこかささくれ立つ。強盗や野盗の噂がここ最近随分と増えていた。
ダルクはセインとともに北門側へと向かう。ユリウスはロイと組み、街道沿いを見回っていた。
乾いた土の上を、一定の間隔で足音が刻まれる。遠くで風が鳴り、木々の葉がかすかに擦れ合っていた。
目を森の奥へと走らせていると、前を歩いていたロイが、ふと振り返る。
「そういえばさ、最近リラとどうなん?」
「……どうって?」
問いの意図は分かるが、そのまま返す。
ロイはにやりと笑った。
「えー? この間俺たちに黙ってデートしてたじゃん。その後どうなったのかなって話」
「……」
やはりそれか、と思う。
ラトリアでのことを、やたらとダルクもロイも面白がっている。
別に、隠していたわけではない。
ただ、わざわざ誰かを誘うという発想がなかっただけだ。
――何より。
気になる相手と出かけるのに、他の男を誘う理由がない。
「どうも何も、普通に店で会ってるだけだ」
「それただの客と店員じゃん!」
即座に返ってくる言葉に、小さくため息が漏れそうになるが、飲み込んだ。
そんなことは、分かっている。
一番分かっているのは、自分だ。
帰ってすぐ、顔を見に行ったことを思い出し、ユリウスはわずかに視線を逸らす。
足取りは変わらないまま、小さく頭を振った。
……少し、必死になりすぎたか。
胸の内でだけ反省する。
「ないの? もっとこう、色めいた話。ほらセインなんてさ、いつの間にかミレイを祭りに誘ってたぞ? あのミレイを! くそっ!」
悔しそうに騒ぐロイに、思わず苦笑を漏らす。
「ユリウスもいつの間にか飯行ってるしさ。元騎士ってムッツリばっかりかこの野郎!」
けっ、と言わんばかりの態度に、周囲を警戒しながらも、ユリウスは小さく肩をすくめた。
「ただ、自分に素直に動いてるだけだけど」
「はぁ〜〜……!」
ロイが大げさにため息をつく。
「そういうことサラッと言うからなぁ……。そりゃ普通の冒険者は勝てないわ」
その言葉を聞き流しながら、ユリウスはふと足を止めた。
視線の先に、わずかな違和感が引っかかり、自然と森の奥へと目が向いた。
木を見上げながら、ゆっくりと歩く影がある。姿からして冒険者ではなさそうだ。
人目を避けている様子はないが、どこか、動きに違和感を感じる。
採取にしては、周囲を気にしすぎている。
視線が上に、下にと落ち着かない。
足を止めては、地面を確かめるように見つめ、また少しだけ進む。
……何をしている?
ロイへ視線を向けると、同じ方向を見ていた。
「……あれ、掲示板のやつか?」
小さく呟く。
「腕章っぽいの見えた気がする」
あの距離で、よく見えるな。
感心しつつも、意識は相手から外さない。ロイがゆっくりと歩み寄るのに合わせ、ユリウスも自然に後ろへつき、剣に手を添えた。
距離が詰まる。
その瞬間、相手が顔を上げた。視線が合い、空気が張り詰める。
「……」
「お疲れさん。魔物研究員の方です?」
ロイの声は軽い。
だが、その目は相手の隙を逃さない鋭さがあった。
「あぁ、冒険者か」
男はそう言って、ゆっくりと武器から手を離した。
その動きに無駄はない。
ユリウスは、その一連の所作を静かに目で追った。
「この辺、魔獣少ないですよ」
ロイが続ける。
「探すなら、もう少し奥の方がいいと思いますけど」
「そうか。わかった」
短く返し、男は一度だけ周囲を見回した。
視線が木々の間をなぞるように動き、それから何事もなかったかのように背を向ける。
そのまま森の奥へと進み、やがて背中が木々の間に溶けるように消えた。
しばらく、言葉のない時間が落ちる。
「なんだ今の」
「……違和感があるな」
「そうか?」
ロイが首をかしげる。
「俺、魔物研究員とか初めて見たし、よく分かんねぇ」
「俺も詳しくはないが……」
言葉を探す。
だが、うまく形にならない。
何かが引っかかっている。
けれど、それを断定するには材料が足りない。
こんな浅い場所で、何を調べるんだ?
それだけが、頭に残る。
「一応、気にしておいた方がいい」
「了解。ダルクたちにも言っとくわ」
軽く答えながらも、ロイの視線はまだ森に残っていた。
その後は特に何も起きず、巡回は予定通りに終わり、二人は街へと戻る。
夕方の空気は冷たく、どこか乾いていた。
門をくぐりながら、ユリウスはふと足を止める。
振り返り、森の方へ視線を向けた。
先ほどの男の姿はもう見えない。
それでも――気のせいだと片付けるには、わずかに引っかかりが残る。
小さく息を吐く。夕日色に照らされる空を見て、思い出す。
パンの匂い。
あの店の、やわらかな空気。
(念のため、伝えておくか)
何もなければそれでいい。
ユリウスは視線を前へ戻し、そのまま歩き出した。




