静かな森と、まだ言葉にならないもの
晴れた日の昼。
木陰のベーカリーの扉が小さく鳴り、いつもとは少し違う装いのミレイが顔を出した。金色の髪は珍しくまとめられ、どこか軽やかな印象を与えている。
「おはよう」
「おはよう。ちょっと待ってね、これだけ入れちゃうから」
「うきゅぅ」
オモチが手を上げて挨拶をする横で、リラは用意していたサンドイッチやおかずを手際よくまとめていく。
「すごい量だね。それ全部持っていくの?」
「うん。でもこれがあるから問題ないよ」
そう言ってポシェット型のマジックバッグへ料理を近づけると、するりと吸い込まれていく。
何度見ても不思議な光景に、ミレイはぱっと目を輝かせた。
「久しぶりに見た。やっぱり面白いね」
「うきゅい」
同意するようにオモチが頷く。二人と一匹が並んで鞄を覗き込む様子に、リラは思わず笑みをこぼした。
「さて。では紹介します。本日のミレイの専属護衛、オモチくんです」
指差されたオモチは、ふんぞり返って胸を張る。
「うきゅっ」
「ふふ、よろしくね」
「移動中はオモチが肩に乗って守ってくれるよ。もちろん私も」
双剣を軽く鳴らしながら言うと、ミレイは二人を見比べて微笑んだ。
「今日はよろしくね。頼もしい護衛さんたち」
「任せて」
「きゅきゅ」
南門を抜けると、街の空気がゆるやかに変わる。石畳の匂いが薄れ、土と草の匂いが風に混じってくる。
しばらく歩いたところで、小型の魔獣が一体、茂みから姿を現した。低く唸りながら飛びかかる――その動きよりも早く、白い影が飛び出した。
「オモチ」
「きゅ」
粘糸が絡みつき、魔獣の体勢が崩れた一瞬。リラが踏み込み、刃を振るう。
血を流し倒れた魔獣を見て、リラはオモチに小さく頷いた。ミレイから見えないように、という合図だ。
オモチはすぐにミレイのもとへ駆け寄り、小さな手でその視界をさえぎる。
「わっ、何?」
ミレイの驚く声を聞きながら、リラは倒れた魔獣を魔獣用のマジックバッグへと収納した。
ふと気配に違和感を覚え、周囲を見渡してわずかに首を傾げる。
(……いつもより、少ない?)
森の気配が、どこか薄い。だが違和感と呼ぶには曖昧すぎて、そんな日もあるか……と気持ちを切り替えた。
街道を外れた先に、開けた場所がある。背の低い草が広がる緩やかな丘。その先には小さな池があり、水面が風に揺れてきらきらと光っていた。
薬草が群生しているせいか、あたりは驚くほど静かだ。
「……すごい」
ミレイがぽつりと呟く。視線は遠く、景色の奥へと向いていた。
「街の外に出たの、初めて」
息を飲むような声。
「こんなに広い場所、初めて見た」
「いい場所だよね。今日は人も少ないみたい」
風の音と、水の揺れる音だけが、静かに響いていた。
リラは布を広げ、料理を並べていく。
チキンとツナトマトのサンドイッチに、チーズを入れた卵焼き。エビとナスのグリル、色鮮やかな野菜のピンチョス。食後の焼き菓子もいくつか添える。
オモチはすでに池のそばへ駆けていた。
「きゅ!」
水面を覗き込み、小魚を見つけて跳ねる。
「落ちないでよ」
大丈夫だとは分かっていながら声をかけると、元気よく返事が返ってきた。
ミレイはゆっくり腰を下ろし、ツナトマトサンドイッチを手に取る。ひと口、噛むと嬉しそうに目を細めた。
「……美味しい」
「でしょ。外で食べると特にだよね」
リラはチキンサンドを口にする。パンのやわらかさと、具材に絡むこってりとしたソースがほどける。外で食べるだけで、味が少し違って感じられた。風が頬をなで、焼きたての香りをやさしく運んでいく。
オモチも戻ってきて、三人でしばらく食事を堪能した。食後には持参した紅茶を淹れ、焼き菓子をつまむ。すっかり満足して、念のため周囲の気配を探ってから、リラは思わずその場に寝転んだ。
空が広い。何も遮るものがない。
そのまま、ぽつりと会話が始まった。
風がやわらかく吹き抜け、草がさざめく。
「そういえば、最近ユリウスといい感じなんだって?」
「へ!?」
リラは思わず固まる。空を見ていた視線が、ゆっくりとミレイへ戻った。
「何それ……」
「違うの?ラトリアでデートしてたってダルクに聞いたけど」
ダルクめ、と内心で毒づきながら、言葉を探す。
「デート……ではないと思う。確かに一緒に出かけたけど」
慣れない話題に、眉間にしわが寄る。指先で草をいじりながら、うまく言葉がまとまらない。
「へぇ」
ミレイが面白そうに笑う。
「リラにも華やかなことが起きるのね」
「いや、華やかっていうか……え、これ華やか?」
「で?」
頬杖をついて、まっすぐに見てくる。その視線から逃げるように、リラは一瞬だけ空へ目を向けた。
「悩んでるってことは、それなりに気になる相手なんでしょ?」
「え?なんで?」
「あなたね」
呆れたように言う。
「気にならない相手なら、その場で速攻断るでしょう。行ったとしても、そんなんじゃないよーって笑い飛ばして終わりでしょ」
言葉に詰まる。
「……たしかに」
思い返してみれば、その通りだった。
私のことをよく分かってる。思わずニヤつくと、胡乱な目を向けられた。
じゃあ……
ユリウスのことを考える。胸の奥に、小さな引っかかりがある。はっきりしないのに、無視できない感覚。
そのとき、あたりを走り回っていたオモチが戻ってきて、満足そうに座った。オモチの頬をそっと撫でる。
「きゅ」
ミレイは視線を外し、少しだけ声を落とす。
「……お出かけは楽しかったの?」
「うん。楽しかった」
自然と、言葉が溢れた。
そうだ。楽しかった。ユリウスといる時間はいつも居心地がいい。
「そう。ならよかったね」
リラが顔を上げると、ミレイはふと思い出したように言った。
「秋祭り、一緒に回ったら?」
「秋祭りに?」
秋祭りは、フォルネアでも特に賑わう祭りだ。秋の終わり、冬が近づく頃に行われる。
この街は雪深くはならないが、それでも冬は人の動きが落ち、静けさが増す。その前に、冬を越すための英気を養い、支度を整えるための祭りでもある。
昼間は屋台が立ち並び、秋の味覚を使った料理が並ぶ。リラも今回は、出店してみようかと考えていた。
夕方からは広場で領主主催の宴が開かれる。酒と料理が振る舞われ、住民も持ち寄り、冬を前にした大きな賑わいになる。
そこにユリウスと――
そう考えた瞬間、それは少しだけ意味を持ってしまう気がして、リラは内心でうなった。
視線を上げて、ミレイを見る。
「ミレイ、その日は仕事だよね?タバーン、書き入れ時でしょ?」
「いつもならね」
あっさりした口調だった。
「でも、今年は休んでいいって」
「えっ!なんで!?」
ミレイは少しだけ言いにくそうに視線を落とす。
「……お願いされたんだって。私を誘う機会をくれないかって」
そっけない言い方だったが、わずかに戸惑いが滲んでいる。
「もし私がOKしたら、一緒に祭りを回る許可をくれって」
「えっ!すごい熱烈じゃない!?」
リラは思わず身を乗り出す。
その前で、ミレイはばさっと髪をかき乱した。
「あー!もー!私は振り回されたくないの!振り回したいの!なのに何なのよ!」
完全に荒ぶっている。
リラは笑いをこらえきれないでいた。
「へぇぇぇ、振り回されてるんだね」
にやにやしながら言うと――
ぐいっと頬をつままれた。
「その顔やめて」
「ふぁい」
もぉ、と言いながらそっぽを向くミレイ。いつもは綺麗が勝つのに、今日はどこか可愛く見える。
オモチも横で、なんとなく楽しそうに尻尾を揺らしていた。
「でも」
リラはふと気になって口を開く。
「よくオーナーが許可出したね。忙しい時なのに」
ミレイは少し考えてから、ぽつりと話し始めた。
「私、親がいなくなってから、ずっと働いてるじゃない?最初は下働きだったけど」
聞いたことがある。街では有名な話だ。
ミレイが十歳のとき、冒険者だった両親が依頼に失敗し、莫大な違約金を背負った。そして、そのまま姿を消した。ミレイを残して。
残されたミレイを引き取ったのが、今のオーナーだ。
「なんかさ」
ミレイは肩をすくめた。
「親心っていうの?出てきたらしくて。君が気に入る相手なら、行ってきたら?って」
「なるほど……」
リラは頷く。
それから、ふと思いついたように聞いた。
「え、でも待って。相手って誰?ダルクさんじゃないよね」
「違うわよ」
即答だった。
「今は冒険者だけど、元騎士らしいわよ」
その言葉に――
胸が、どくんと鳴る。
(……え)
思い当たる顔が浮かぶ。
心臓が、わずかに速く打った。
「え?何その顔?」
ミレイが不思議そうに見て――すぐに、にやりと笑った。
「ああ、なるほどね。言っとくけど、ユリウスじゃないわよ」
その一言で、すっと胸が軽くなる。その変化に、自分でも驚いた。
オモチが、じっとこちらを見ていた。
「きゅ?」
首をかしげている。
リラは少しだけ苦笑した。
「セインよ、セイン。最近ユリウスとも組んでるでしょ」
「え?セインさんって元騎士なの?」
「らしいわよ。多いらしいわよね、元騎士の冒険者」
「へぇ……」
リラは少し考える。
「私、あまりセインさんと話したことないな。寡黙ってイメージ」
「らしいわね」
ミレイはくすっと笑った。
風が吹く。草が揺れる。池の水面が、きらりと光る。
穏やかな時間だった。
しばらくして、二人はまた食べながら他愛のない話を続ける。笑って、少しからかって、いつものように。
でも――
リラは、ふと空を見上げた。
……やっぱり、何だろう。何か違和感を感じる。
風は吹き、草も揺れている。水面も、いつもと変わらずきらきらと光を返している。
けれど――さっき感じた違和感が、まだ胸の奥に残っていた。
その日は何事もなく終わり、リラはミレイを送り届けた。
ミレイは初めての街の外を満喫した様子で、別れ際の笑顔も、交わした言葉も、いつも通りだったのに。
帰り道、森の縁をかすめるように歩きながら、もう一度だけ視線を向ける。
オモチも同じように、どこか遠くを見るような視線を森へとむけていた。
しばらくそのまま眺めていたが、特に変わった様子はない。
人の気配も、魔獣の気配も――何も。
それでも。
胸の奥に残った小さな引っかかりだけは、消えなかった。




