防犯魔道具と、夜更けのびっくり箱
ラトリアへ行く準備は、少しずつ進んでいた。
店の張り紙も出したし、仕入れについてもひと通り調べた。
トヨにも相談して、必要になりそうなものはだいたい頭に入っている。
気づけば、旅の予定としてはほとんど整っていた。
それでも、胸のどこかに引っかかるものが残っている。
考えを巡らせて、ようやく気づいた。
――店の防犯だ。
約二週間とはいえ、店を空けることになる。
帰ってきたとき、扉が壊されていたら。
棚が荒らされ、道具がなくなっていたら。
そんな光景を思い浮かべて、思わず小さく息を吐く。
さすがに、それは笑えない。
私はカウンターに肘をつき、木の天板に指先を軽く当てながら考えた。
フォルネアは、比較的治安のいい街だ。
昼間は穏やかで、顔見知りも多い。
それでも、絶対に何も起きないとは言い切れない。
――オモチを狙ってきた男たちのことが、ふと頭をよぎる。
あのときの空気。
あの視線。
思い出すと、胸の奥がわずかに冷たくなった。
冒険者の街なのだから、いろいろな人が出入りする。
善人ばかりとは限らない。
念のため、対策はしておきたい。
そう思い立ち、私はカウンターから離れた。
扉を開けると、昼の光がやわらかく差し込んでくる。
外の空気は少し乾いていて、パンの匂いを残した店内とは違う軽さがあった。
私はそのまま通りへ出る。
向かったのは、グリムの工房だ。
南門通りから一本奥へ入ったところにある、少し変わった店。
表には魔道具の看板がぶら下がっていて、近くを通るときはいつも、かすかに焦げたような匂いが漂っている。
扉を開けると、金属の匂いと、かすかな魔力の残り香が混ざった空気が流れ込んできた。
「いらっしゃ……お、リラじゃねえか」
奥の作業台から顔を上げたのは、グリムだった。
その横で、エリンもゆっくりと顔を上げる。
どうやら今日は工房に来ている日らしい。
相変わらず、グリムは油のついた手袋をはめたまま工具を握っている。
エリンは、魔石を何かの装置にはめ込みながらこちらを見ていた。
作業台の上には部品がいくつも散らばり、淡く光る魔石がいくつか転がっている。
「どうした?」
グリムが短く問いかける。
「ちょっと相談があって」
工房の空気に少しだけ緊張しながら、事情を話す。
ラトリアへ行くこと。
数日、店を空けること。
そして最後に、言葉を選びながら続けた。
「防犯魔道具を、強化したいんです」
あくまで希望は、防犯だけだ。
侵入を防ぐこと。
警告すること。
そのくらいで十分だと思っている。
それ以上は、必要ないはずだった。
――しかし。
説明を聞き終えた瞬間、二人の目が同時に輝いた。
なんだか、ちょっと...いやな予感。
工房の空気が、ほんのわずかに変わる。
エリンが腕を組んだ。
「なるほど」
短くそう言って、口元がわずかに上がった。
その横で、グリムもにやりと笑う。
「面白そうだな」
――ああ、だめだ。
この二人は、どういうわけか私の依頼を気に入っている。
理由はたぶん、いくつかある。
私はよく、変わった依頼を持ち込む。
パン屋の発想は、魔道具屋には新鮮らしい。
それに、試作の魔道具を設置することにも、あまり文句を言わない。
つまり――実験台としても優秀。
そういうことらしい。
グリムが勢いよく机を叩いた。
「よし!」
工具がかすかに跳ねる。
「今までにない防犯システムにしてやるよ!」
エリンも静かに頷く。
「それいいですね。せっかくだし、いろいろ組み込みましょう」
――いろいろ。
その一言に、胸の奥がひっかかった。
私は少しだけ間を置いてから、慎重に聞き返す。
「……防犯、ですよね?」
二人は顔を見合わせる。
一拍。
それから、同時に笑った。
「もちろんだ」
「防犯だよ」
迷いのない声だった。
その笑顔を見て、私はほんの少しだけ不安になる。
――たぶん、大丈夫。
そう思うことにして、私はそれ以上は何も言わなかった。
結局、その日のうちに話はまとまり、数日後、木陰のベーカリーには――エリンとグリムによる防犯魔道具が設置されることになった。
最近、フォルネアの街では小さな強盗が増えていた。
大規模な犯罪ではない。
だが、夜のうちに店へ侵入し、金や食料を持ち去るような事件が続いている。
狙われるのは決まっていた。
小さな小売店や、個人で営んでいる飲食店。
そして、防犯魔道具を設置していない店だ。
そのため騎士団は、夜の警備を強化していた。
とはいえ、人手には限りがある。
そこで、腕の立つ冒険者にも見回りの協力依頼が出されている。
ユリウスも、そのひとりだった。
夜の南門通りは、昼とはまるで別の顔を見せている。
灯りの消えた店が並び、通りには静かな空気が満ちていた。
石畳を踏むたび、靴底の音がやけに大きく響く。
昼間の賑わいが嘘のように、気配は少ない。
「おーい、ユリウス」
通りの角から声が飛んできた。
振り向くと、騎士の一人が手を上げている。
まだ若く、どこか気さくな雰囲気の男だった。
「今夜も手伝ってくれて助かるよ」
「いや、依頼だからな」
ユリウスが肩をすくめると、騎士は苦笑した。
「その辺の冒険者が、うちの新人より頼りになるのが困るんだよなあ」
「それ、本人たちの前で言ったら怒られるよ」
「言わない言わない。俺は平和主義だからな」
軽口を叩きながら、騎士は通りの奥へ視線を向ける。
「最近ちょっと増えてるんだよ。夜の強盗」
「聞いてる」
「小さい店ばっか狙うんだよな。防犯魔道具もつけてないとこ」
ユリウスも、同じように通りを見渡した。
夜の街は静かだ。
特に南門側は、昼よりずっと人通りが少ない。
だが、だからこそ、わずかな物音でもよく響く。
「南門側は個人店が多いからなあ」
騎士は小さくため息をついた。
「ま、何かあったら合図出すよ」
「了解」
騎士は手を振り、別の通りへ向かっていった。
その背中が闇に紛れていくのを見送ってから、ユリウスは再び歩き出す。
夜の空気は冷たく、肌にまとわりつくようだった。
遠くで犬の鳴き声が聞こえ、すぐに静けさが戻る。
そのとき、屋根の向こうで、わずかな気配が動いた。
人の足音。
それも、気配を消すように抑えた歩き方だった。
ユリウスは足を止める。
呼吸を整え、音のした方へ意識を向ける。
視線を流すと、通りの影の中に数人の人影が見えた。
外套のフードを深く被り、周囲をうかがうようにして歩いている。
夜の闇に紛れるように、慎重に。
――あれは、ただの通行人じゃないな。
ユリウスはわずかに距離を取りながら、気配を殺して後を追った。
男たちは通りの奥へ進んでいく。
そして足を止めた場所は――
木陰のベーカリーだった。
昼間はパンの香りが漂う、小さな店。
最近、数日休むという張り紙も出ていたはずだ。
夜の店は真っ暗で、人の気配もない。
強盗にとっては、格好の獲物だった。
男たちは低い声で話し合う。
「ここでいいだろ」
「小さい店だし、防犯もなさそうだ」
「さっさと入って終わらせるぞ」
ユリウスは小さく息をついた。
よりによって、あの店か。
男たちが扉へ近づく。
鍵を壊す道具を取り出し、静かに作業を始めた。
ユリウスはそっと剣の柄に手を添え、男達の背後に回る。
次の瞬間、店の周囲にぱっと光が走った。
青白い魔法陣が地面に浮かび上がる。
「なっ――!?」
男たちが驚いて後ずさるが、同時に甲高い警告音が夜の通りに響き渡った。
さらに、透明な結界が店の周囲に展開する。
逃げようとした男が、見えない壁にぶつかった。
「なんだこれ!」
「結界だ!」
「防犯魔道具か!」
男たちは完全に混乱していた。
その様子を見ていたユリウスは、ゆっくりと歩き出す。
わざと足音を鳴らしながら、結界へと近づいた。
指先でそっと触れる。
抵抗はない。
そのまま、結界の内側へと手が入り込んだ。
――内から外へは出られないが、外からは入れる構造か。
さらに視線を巡らせる。
店の扉の前には、もう一層、淡く揺らぐ膜のようなものが張られている。
――二重か。中にも入れないようになってるな。
思わず、わずかに口元が緩む。
男たちが振り向いた。
「……誰だ」
ユリウスは肩をすくめる。
「夜の見回り中の冒険者だよ」
結界の中で慌てている男たちを見て、少しだけ笑った。
「逃げ場は、もうないみたいだけどね」
男の一人が短剣を抜いた。
だが、その動きは焦りで鈍っていた。
ユリウスが一歩踏み込む。
間合いに入るより早く、手首を払う。
乾いた音とともに、短剣が宙を舞った。
同時に体を捌き、男の重心を崩す。
膝の裏を軽く払うと、男はそのまま地面へ崩れ落ちた。
別の男が背後から掴みかかるが、振り向きざまに腕を取る。
関節を極めて捻りあげ、悲鳴が上がる前に、体を地面へ叩きつけた。
残りの男たちが一斉に動く。
だが、その動きは揃っていない。
ユリウスは一歩下がり、間合いを調整する。
足元を払う。
肩を押す。
首元に手をかけ、力を逃がす。
無駄のない動きで、ひとり、またひとりと地面に転がしていく。
数呼吸のうちに、立っている者はいなくなっていた。
「……動かないほうがいい」
ユリウスが静かに言う。
数秒の間に、強盗団は地面に転がされ、気がつけば捕縛魔導具で縛られていた。
結界の光がまだ薄く残る店の前で、ユリウスは小さく息をつく。
どうやら――このパン屋の防犯は、思った以上にしっかりしていたらしい。
そのとき、店の奥にふっと灯りがともる。
次の瞬間、結界の光が静かにほどけるように消えていった。
どうやら、防犯魔道具が解除されたらしい。
青白い残光が石畳の隙間に淡くにじみ、夜の通りにわずかな違和感を残していた。
捕まえた強盗団は縛られ、地面に座り込んでいる。
音を聞きつけ、駆けてきた騎士団の男が、その様子をひとりひとり確認していた。
ユリウスは、その少し後ろで腕を組み、静かに様子を見る。
思ったより、あっさり終わった。
結界に閉じ込められた時点で、連中は完全に混乱していたし、抵抗らしい抵抗もなかった。
……ただ。
ひとつだけ、想定外だったことがある。
ユリウスは、木陰のベーカリーの扉へと視線を向けた。
あの店は、小さなパン屋だ。
穏やかな店主がいて、朝になると焼きたてのパンの匂いが通りに広がる。
それだけの、どこにでもあるような店のはずだった。
それなのに。
なぜ、防犯がここまで本格的なのか。
いや、本格的というより――
これは、見たことのない類の防犯魔道具だ。
光。
警告音。
結界。
そして、まだ濃く残っている魔力の残り香。
鼻をかすめるそれに、わずかに眉をひそめる。
――これ、たぶん攻撃術式も組み込まれてるよな。
そう考えたところで、店の中から、かすかな物音がした。
扉が、そっと開く。
夜の冷たい空気の中へ、柔らかな灯りがこぼれた。
その光に縁取られるようにして、ひとつの影が現れる。
リラだった。
寝起きらしく、髪が少し乱れている。
寝巻きのまま、手には双剣を握りしめただけの格好で、外の様子をうかがっていた。
その姿を見て、ユリウスは思わず一歩近づく。
自分の上着を外し、そのままそっと肩にかけた。
ひんやりとした夜気を遮るように。
その肩には、オモチがちょこんと乗っていて、ユリウスを見ると気さくに片手を上げた。
突然のことに、リラはきょとんとした表情を浮かべた。
それから外の様子を見て、ぴたりと動きを止める。
「……え?」
完全に状況が飲み込めていない顔だった。
「ごめん、起こしちゃったよな?」
できるだけ穏やかな声でそう言う。
すると、近くにいた騎士団の一人が事情を説明した。
「この店の店主だろうか?実はこの店に強盗が入ろうとしてね。なんか、結界?が発動して、逃げられなくなったところを捕まえたんだ」
リラは、ぽかんとしたまま騎士たちを見る。
「……うちに、ですか?」
「うん」
ユリウスが頷く。
その瞬間、リラの顔がわずかに青くなった。
視線が揺れ、肩にかけた上着の裾を無意識に掴む。
ああ、さすがに怖かったか。
ユリウスはそう思った。
普通ならそうだ。
夜中に起きて、自分の店が強盗に狙われていたと聞かされれば、驚くに決まっている。
……だが。
次の瞬間、リラは慌てたようにきょろきょろとあたりを見回し、捕縛された男たちの姿をひとりずつ確かめた。
そして、小さく息を吐く。
「良かった」
心の底から安堵したような声だった。
そのまま続ける。
「朝起きたときに、丸焦げの人とか見なくて……」
ユリウスは、一瞬、理解が追いつかなかった。
……丸焦げ?
思考が、そこで止まる。
その場の空気が、ぴたりと凍りついた。
騎士団も。
強盗団も。
誰もが同じ顔をしている。
――え?
と。
言葉にならない戸惑いが、そのまま空気に浮かんでいた。
リラは、はっとしたように視線を泳がせる。
「えっと……最近、新しい防犯魔道具を設置しまして。エリンが導入して、グリムが改造した魔道具が……」
気まずそうに笑う。
「侵入したら攻撃する仕組みらしくて……でも、攻撃魔法は今回は発動しなかったんですね。良かったです。真っ二つか、よくて丸焦げって聞いていたので。さすがにパン屋の前に真っ二つの人が転がっていたら笑えませんよね」
そう、可愛い笑顔で言った。
ユリウスは思わず天を仰ぐ。
やっぱりか。
あの魔力の残り方は、攻撃術式だと思ったんだよ。
強盗団の顔が、一斉に青ざめる。
「攻撃……?」
「丸焦げ……?」
震える声が漏れた。
そのあと、強盗の一人がぼそりと言う。
「……あの」
「パン屋って……もっと優しい職業じゃないんですか……」
騎士団の男が、耐えきれず吹き出した。
ユリウスは心の中で思う。
――いや、俺もそう思ってた。と。
「もう俺、足洗います……」
ぽつりとこぼれたその一言に、騎士団の男が苦笑する。
「まあ、被害が出なかったのは良かったけどね」
それからリラへ視線を向ける。
「過剰防衛は、ほどほどにね」
リラは慌てて頭を下げた。
「すみません……」
その横で。
「きゅ!」
オモチが怒ったように鳴いた。
尻尾をぱたぱたと振りながら、強盗団をじっと睨んでいる。
小さな体いっぱいで、威嚇しているつもりらしい。
どうやら。
泥棒が悪い。
――そう言っているらしかった。
ユリウスは、思わず小さく笑う。
やっぱりこの人は――何をするか分からない。
びっくり箱みたいな人だ。
強盗団が騎士団に引き渡され、通りの騒ぎもようやく落ち着いた。
夜の南門通りには、再び静けさが戻りつつある。
灯りの魔道具がいくつか浮かび、石畳を淡く照らしていた。
縄で縛られた男たちを連れ、騎士団の一人が通りの向こうへ歩いていく。
その途中で、先ほどユリウスに声をかけてきた気さくな騎士が振り返った。
「いやあ、助かったよ」
肩当てを軽く叩きながら言う。
「やっぱり腕いいな、お前」
ユリウスは肩をすくめた。
「たまたまだよ」
「その“たまたま”が、うちの新人より頼りになるんだよなあ」
騎士は苦笑する。
それから、少しだけ真面目な顔になった。
「なあ、ユリウス。騎士団に来ないか?」
勧誘だった。
「正式にさ。お前くらいの腕があるなら歓迎される」
少し間を置いて、ユリウスは笑う。
「ありがたいけど、今の生活が気に入ってるんで」
その言葉に、騎士は小さく肩を落とした。
「だよなあ。まあ、気が変わったらいつでも言えよ」
そう言って手を振る。
「今夜は助かった。ありがとな」
騎士団はそのまま通りの向こうへ消えていった。
残ったのは、ユリウスとリラ。
それから、まだぷんすかしているオモチ。
少し沈黙が落ちる。
夜の空気は冷たく、静かだった。
さっきまでの騒ぎが嘘のように、通りは落ち着きを取り戻している。
「あっ、すみませんユリウスさん。これ、ありがとうございます」
リラが肩にかけていた上着を差し出してくる。
ユリウスはそれを受け取りながら、少しだけ眉をかいた。
「いや……よく考えたら、これ戦うときに着てたやつだし、あんまり綺麗じゃなかったかも」
苦笑する。
「逆にごめん。寒くなかった?」
そう問いかけると、リラは柔らかく笑って頷いた。
「大丈夫です」
その笑顔に、少しだけ肩の力が抜ける。
それから、リラは少しだけ視線を落とし、照れたように口を開いた。
「そういえば」
少し間を置いてから、続ける。
「栗、自分で拾いに行くことにしました」
ユリウスは目を瞬かせた。
「ラトリア?」
「はい」
リラは頷く。
「せっかくなので、自分で見てみようかなって」
ユリウスは少し笑った。
「向こうで会うかもしれないね」
そう言ってから、思いついたように続ける。
「会えたら、一緒に川魚でも食べに行こうか」
ラトリアは、川魚でも有名な街だ。
ユリウスは、自分の滞在予定を軽く話す。
「俺は十二日から、十八日くらいまでラトリアにいる予定」
リラは少しだけ考えてから、頷いた。
「なら、ちょっとかぶってるかもですね」
その声は、どこか弾んでいる。
柔らかく笑うその表情を見て、ユリウスもつられるように小さく頷いた。
もし、向こうで会えたら。
それはきっと、楽しい。
リラが店へ戻ると、扉が静かに閉まった。
灯りもほどなくして落ち、通りは再び夜の色に沈む。
ユリウスは、しばらくその扉を見ていた。
ラトリア。
無事に向こうで会えたら。
一緒に栗を拾って、川魚を食べて――
そんな光景が、ふと頭に浮かぶ。
それは、少しだけ楽しみだった。
……いや。
少しどころじゃないかもしれない。
そう思っている自分に、思わず苦笑する。
木陰のベーカリーの店主は、びっくり箱みたいな人だ。
何をするか分からない。
けれど、あの店にいると、なぜか落ち着く。
不思議なくらい、居心地がいい。
ラトリアに行く理由が、ひとつ増えたな。
そんなことを思いながら、ユリウスは静かな夜の通りへと歩き出した。




