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冒険者の街で、今日もパンを焼いています 〜小さな魔獣との静かな暮らし〜  作者: 白波 いつき


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あの日の続きと、今の私

 フォルネアの南門を出て、馬車は街道へ乗り出した。

 朝の空気はまだ涼しく、街道には薄い靄がたなびいている。

 湿り気を含んだ風が頬を撫で、馬の吐く息が白く溶けていった。


 馬の蹄が石畳を打つ音が、規則正しく響く。

 そのリズムが、朝の空気に広がっていく。


 ウィルクス商会の馬車は、思っていたよりも大きい。

 頑丈な造りで、揺れも少ない。

 内装も整っていて、長距離の移動を前提としているのが分かる。


 リラは座席に腰を下ろし、窓の外を見ていた。


 久しぶりの旅だ。


 揺れに合わせて体がわずかに上下する。

 そのたびに、普段とは違う感覚に意識が向いた。


 窓の外では、フォルネアの城壁が少しずつ遠ざかっていく。


 南門の通り。

 パン屋の煙突。


 見慣れた景色が、後ろへ流れていく。

 やがてそれも見えなくなり、代わりに広い草原が広がった。


 朝露を含んだ草が光を受けて淡く輝く。

 風に揺れて、波のようにうねっていた。


 街道は緩やかに続いている。

 遠くには森の影が連なり、小さな農村の屋根が点在していた。


 オモチは窓枠に前足をかけ、身を乗り出している。


「きゅ」


 どうやら楽しいらしい。


 風に毛を揺らされながら、尻尾をぱたぱたと振っていた。


 一方、セオドアはすっかり旅慣れた様子だった。


 馬車が止まるたびに護衛と軽く言葉を交わし、街道の様子を確認する。

 御者とも顔なじみのようで、時折冗談を言って笑いを誘っていた。


 その振る舞いは自然で、どこか余裕がある。


 マーガレットは向かいの席で手帳を開いている。


 整った文字で何かを書き込みながら、時折窓の外へ視線を向ける。

 その仕草には無駄がなく、落ち着いていた。


 しばらく進んだところで、セオドアがこちらを振り向く。


「リラ、馬車に酔ってないか?」


「大丈夫です」


 リラは小さく首を振る。


「そうか。寒くないか? 毛布あるぞ。休憩も、もう少ししたら入れる予定だ」


 次から次へと確認してくる。


 その様子を見て、マーガレットが小さく息をついた。


「セオドア。過保護です。リラは冒険者でもあるんですよ?私たちよりも旅には慣れているわ」


「過保護じゃない」


 少しだけ間を置く。


「冒険者でも、旅には緊張することもあるだろう」


「普通の場合は、そんなに矢継ぎ早に質問しません。なんなら、リラに失礼だわ」


「そうか?」


「そうです」


 短いやり取りだった。

 けれど、その間には遠慮のない信頼があった。


 リラは思わず小さく笑う。


 「本当に大丈夫だよ。歩く予定だったから快適すぎるぐらい。二人ともありがとう」


 セオドアは昔からこうだった。

 気づけば世話を焼いていて、気にかけることをやめない人だ。


 けれど今は、その横にマーガレットがいる。


 以前なら止める人はいなかった。

 誰も口を挟まず、セオドアのペースで進んでいた。


 でも、今は違う。


 馬車は街道を進んでいく。


 商人の隊列とすれ違い、荷馬車が軋む音が流れていく。

 遠くには、宿場町の影が見え始めていた。


 穏やかな道中だった。


 車輪の音と、馬の足音。

 揺れに身を預けていると、時間の流れがゆるやかになる。


 こうして、旅は進んでいく。


 *


 その日の夕方。


 馬車は街道沿いの宿場町に入った。


 石畳の通り。

 並ぶ店々。


 煙突から立ちのぼる煙が、橙色に染まっていた。


 通りに降りた瞬間、食欲を誘う匂いが広がる。


 焼き肉の香ばしさ。

 油の弾ける匂い。

 香辛料の刺激。


「いい匂い……」


 思わず声が漏れる。


 胸の奥が、じんわりと温かくなる。


「この街は食堂が多いんだ」


「味も悪くないわよ」


 三人は近くの食堂へ入った。


 店の中は賑わっていた。


 話し声と笑い声。

 皿の触れ合う音。


 席につくと、すぐに料理が運ばれてくる。


 串に刺した焼き肉。

 皮のぱりっと焼けた魚。

 湯気を立てるポタージュスープ。

 ハーブを練り込んだパン。


 卓に並べられた瞬間、香りがふわりと広がる。


「すごい……」


 リラは目を細めた。


 スープをひと口飲む。


 温かさが体の奥へゆっくりと染みていく。

 そのあとから、香辛料の香りが鼻を抜けた。


 知らない味なのに、不思議と嫌ではない。


「美味しい……」


 思わず息がこぼれる。

 向かいで、マーガレットも静かに料理を口に運んでいた。


「旅の楽しみです。美味しいものを食べるのは大事でしょう?」


 自然と、料理の話になる。


 香辛料の話。

 パンの話。


 会話はゆるやかに続いた。


「女性二人の料理談義は難しいな。俺には半分くらいしか分からない」


「美味しいかどうか分かれば十分ですよ」


「あぁ、それなら分かる」


 セオドアも笑う。


 やがて、食事が終わる頃には、外はすっかり暗くなっていた。

 店内の喧騒も、少しずつ落ち着きを取り戻していく。


 セオドアが旅程確認のため席を外し、残されたのは二人だった。


 マーガレットはカップを手に取る。

 温かなハーブティーから、ほのかに甘い香りが立ちのぼっていた。


「……手紙のことですが」


 静かな声だった。

 リラはわずかに驚きながらも、ゆっくりと頷く。


 マーガレットは少しだけ間を置き、言葉を選ぶように話し出した。


「キャンベル家のこと、少しだけ調べてみました」


 その言葉に、胸の奥がわずかに揺れる。

 大きな動揺はなかった。


 ただ、遠くに置いてきたものが、静かに手元へ戻ってきたような感覚だった。


「まず、知っておいてほしいのは、私たちにあなたの過去を探る意図はないということです」


 穏やかな声が続く。


「あなたは自分の足でここまで来た方です。私たちは、あなたが何者であっても構いません」


 ひと呼吸置く。


「ただ……私があなたにしたことを、少しでもお返しできたらと思って」


 まっすぐな視線だった。


 リラはその目を受け止め、静かに頷く。


「マーガレットは、あの時のことを気にしてくれていますけど」


 言葉を探しながら、ゆっくり続ける。


「私は……あの言葉があったから、自分の道を考えることができました」


 少しだけ笑う。


「感謝こそすれ、恨むことはありません」


「……リラ」


 マーガレットの表情が、わずかにやわらぐ。


 短い沈黙。

 ランプの灯りが、かすかに揺れた。


 やがて、マーガレットは話を続ける。


「アルヴェイン王国の国境都市、グラディス。キャンベル家の元当主と夫人は、現在そこにいるそうです」


 落ち着いた口調だった。


「もう貴族ではありません」


 その一言が、静かに響く。


「現在は国の管理下に置かれ、働いているそうです」


 事実だけが、淡々と並べられる。


「子供は……誘拐された子以降、いないようです」


 リラは黙って聞いていた。

 驚きは、あまりなかった。

 胸が揺れることもない。


 ただ、遠い出来事を眺めているような感覚だった。


 短い説明だった。

 けれど、それで十分だった。


 部屋に、ひとときの沈黙が落ちる。

 ランプの光が、やさしく滲む。


 やがて、マーガレットがふっと微笑んだ。


「商会長も、あなたのことを気にかけていましたよ」


 リラは顔を上げる。


「セオドアのお父様が?」


「ええ」


 マーガレットは頷く。


「あなたが商会を出たあとも、時々話していました。元気にやっているだろうか、と」


 そんなふうに。


 リラは少しだけ驚く。


 あの人は、あまり感情を表に出さない人だった。

 厳しくて、どこか距離があった。


 けれど。


 確かに、優しい人でもあった。


 マーガレットが穏やかに言う。


「実際に会ってみてよかったです。お手紙では、分からないこともありますもの」


 少しだけ目を細める。


「今のあなたは、とても幸せそうに見えます」


 その言葉に、リラは少し考える。


 フォルネアの街。


 パンの匂い。

 朝の光。

 人の声。


 自然と、口元が緩む。


「うん」


「今、とても楽しいの」


 静かな言葉だった。


 それだけで、十分だった。

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