表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
冒険者の街で、今日もパンを焼いています  作者: 白波 いつき


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/11

店主と魔獣の、いつもの一日

 朝の仕込みが一段落すると、リラは一度奥へ下がった。


 石造りの流し台に指先をかざすと、魔導具が静かに反応する。

 控えめな音とともに水が流れ、粉と生地の感触を少しずつ洗い落としていく。


 指の間に残るぬくもりが消えていくのを、ほんの少しだけ名残惜しく感じながら、リラは丁寧に手を擦り合わせた。


 フォルネアの水は冷たい。

 森が近いせいか、朝は特にそうだ。


「……よし」


 布で手を拭き振り返る。

 棚の上では、オモチがこちらを見下ろしていた。


「きゅ」


「さっき、粉踏んでたでしょ」


「きゅっ」


 オモチは誤魔化すように、ぷいっと顔を逸らす。

 その様子に、リラは小さく笑った。


 裏口を少しだけ開けると、朝のひんやりした空気と一緒に、緑の匂いが流れ込んだ。

 まだ人通りは少なく、南門側は静かだ。


 リラは深く息を吸い、もう一度店内を見回す。

 午後用のハーブが、少し足りない。


 そう気づいて裏口から庭へ出た。


 裏庭は小さい。

 でも、ちゃんと土があって、日が当たって、風が通る。


 育てているのは数種類のハーブ。

 それから、料理に使えそうな葉物野菜。


 リラは必要な分だけ、ぷちっと摘み取り、手に持っていた籠へ入れていく。


 フォルネアでは、個人の家にもこうした場所が点々とある。

 建物と建物の間に、木があり、花があり、蔦が這っている。


 森を切り開かずに街が育ってきた。

 その名残が、今もあちこちに残っている。


「……今日は、風が気持ちいいね」


「きゅ」


 オモチは返事をしながら、裏庭に立つ木へと飛び移った。

 一瞬で移動してしまい見えたのは白い影だけだ。


 そのまま枝にぶら下がり、実の具合を確かめている。

 こういうところは本当に頼りになる。


 裏口を閉め、厨房へ戻る。


 摘んできたハーブを軽く洗い、指先で香りを確かめてから、作業台の端に置いた。

 壁の時計を見る。


 ――そろそろだ。


 リラは表の窓を開け、札を掛け替える。

 朝の光が店内へ静かに差し込んだ。


 開店。

 八時半。


 南門側の通りを歩いていた冒険者が、ひとり、またひとりと足を止める。

 短いやり取りのあと、慣れた手つきでパンが手渡されていく。


 声は多くない。

 でも、途切れることもない。


 それがこの時間帯らしさだった。


 時間は、忙しないながらも穏やかに流れていく。

 気づけば午後分の仕込みに取りかかる頃合いだ。


 生地を分け、具材を整え、オーブンの様子を確かめる。

 一心に手を動かしているうちに、壁の時計は十一時を指していた。


 リラは一度手を止め、表の扉を開ける。


 鈴の音。

 遠くで鳥の声。

 通りを歩く人の足音。


 空気が、少しだけ変わった。


「おはよう」


 最初に顔を出したのは、隣の食堂の女将、トヨだった。


「おはようございます。もう受け取りましたか?」


「ええ。相変わらず助かるわ」


 トヨはエプロン姿のまま、店内をぐるりと見回す。


「この店、ほんと明るいわね」


「元がカフェだったみたいで」


「そうだったわね。でも、前より明るい感じがするのよね。窓際、気持ちいいもの」


 そう言って、カウンターに並ぶパンへ視線を落とす。


「今日は何がよく出そう?」


「お昼なら、サンドイッチとコロッケパン。あと日替わりのラズベリーチーズタルトですかね」


「タルト!いいわね。じゃあ、私と旦那の分も一つずつ」


 リラが頷いたところで、扉の鈴が鳴る。


「お、もう開いてたか」


「おや、トヨさんも。おはよう」


 近所の雑貨屋の店主が、軽く手を振る。


「太陽の日の前だからな。棚がすぐ空くんだよ」


「それは大変」


 その後ろから、建築現場で働く人たちが続いた。


「今日もいい匂いだな」


「昼まで頑張れそうだ」


 そんな声がぽつぽつと上がる。


 特別な話があるわけではない。

 天気のこと。

 通りの噂。

 昨日の仕事の具合。


 どれも短くて、どうでもいいようなことばかりだ。

 でも、そのやり取りが、心地いい。


 トヨがパンを受け取りながら、言った。


「ここに来ると、なんだかホッとするわ」


「そう言ってもらえると、すごく嬉しいです」


 リラはそう返して、小さく笑った。

 この街での暮らしが、自分の身体になじんできた。

 そう思える瞬間が少しずつ増えていて、何となく擽ったくも嬉しい。


 午後。


 この日はいつもより昼どきの客が多く、商品が早めに売り切れたので、少し早めに店を閉めることにした。


 閉店の札を下げた頃、通りにはまだ木陰が残っていた。


 キッチンで簡単な夕食をとる。

 オモチはフルーツとナッツを今日は食べるようだ。


 店の片付けと明日の準備を終え、二階の住居へ上がる。


 猫足の浴槽にお湯を張る。

 この浴槽は、この物件の購入を決めた理由の一つだ。


 魔導具に触れると、ほどよい温度のお湯が静かに溜まっていく。


 浴槽に身を沈めると、ふわりと湯気が立ち上った。

 少しだけ窓を開けると、風呂場に緑の気配が混じる。


「……生き返る」


 湯気がゆらゆらと立ちのぼる。

 桶で肩に湯をかけると、まっすぐな髪が背中に張りついた。

 濡れると、余計に癖のなさがわかる。


 派手ではない。

 けれど整った顔立ちだと、商会にいた頃はよく言われた。

 湯面に映る自分を、少しだけ見る。


 肌がきれいだと褒められることもあったが、今はただ、傷が増えていないことのほうがありがたい。


 オモチは浴室の棚に座り、じっとこちらを見ていた。


「入らないの?」


「きゅ」


 そう問うと、少し思案してから、結局スルスルと降りてきて、湯船に入った。


「きゅうー……」


 満足そうな声に、笑みが漏れる。

 ふくふくの頬を、指で軽くむにむにすると、呆れたような顔をされた。


 湯に浸かりながら、リラは天井を見上げた。


 最初は、慣れることで精一杯だった。

 でも今はこうして湯に浸かり、外の音を聞きながら、次の仕込みのことを考えている。


 贅沢じゃない。

 派手でもない。

 でも、落ち着く。


「今日は、とくに緑がきれいだね」


「きゅっ」


 風呂から上がると、風の魔石がはめ込まれた魔道具で髪を乾かす。


 オモチの毛も乾かすと、いつも以上にふかふかの触り心地になる。

 思わずお腹に顔をうずめると、また呆れた顔をされた。


「……今日も、いい一日だったね」


「きゅ」


 オモチは、自分専用のベッドへ潜り込む。


 フォルネアは、緑が多い。

 人も多い。

 でも、騒がしくはない。


 暮らしの音がちゃんと聞こえる街だ。


 リラは部屋の灯りを落とし、明日の仕込みを思い浮かべながら、温かい布団に身を沈めた。


「おやすみ、オモチ」


「キュウゥー」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ