やさしい一日と、パンの匂い
今日は、この国でいう「親想いの日」だ。
両親をねぎらい、感謝を伝える日。
好きな食べ物や飲み物を買って渡して、できれば二人きりの時間を過ごしてもらう。
特別に高い贈り物じゃなくていい。
むしろ、子ども自身が考えて選ぶことが大事だとされている。
だからこの日の前になると、家の手伝いをしてお小遣いをもらう子も多い。
掃除。
洗濯。
弟や妹の世話。
そういうのも、全部ひっくるめて親想いの日らしい。
朝から、木陰のベーカリーの前は、いつもより少しにぎやかだった。
小さな手に、ぎゅっと握られた硬貨。
真剣な顔でパンを見つめる子どもたち。
あれにしようか。
それとも、こっちが好きかな。
棚の前で悩む姿は、どれも微笑ましい。
「お父さん、甘いの好き?」
「うーん……好き」
「じゃあ、これかなあ」
そう言いながら、クリームパンとメロンパンの前を行ったり来たりしている子もいる。
別の子は、クイニーアマンを見上げていた。
「これ、母ちゃん好きそう」
ぽつりと呟く声が、やけに真剣で、思わず少しだけ口元がゆるむ。
常連の冒険者たちも、今日はなんとなく声がやさしい。
「焦らなくていいぞ」
「お母さん、甘いの好きだったろ?」
そんな言葉を、自然にかけている。
私はカウンター越しに、その様子を静かに見ていた。
選ばれていくのは、
クリームパン。
メロンパン。
クイニーアマン。
今日は、少しだけリッチな配合にしてある。
バターの香りが立つように。
冷めてもおいしいように。
親想いの日だから。
会計を済ませると、オモチが前に出る。
小さな籠を抱えて。
中に入っているのは、この日のために焼いたクッキーだった。
バターと砂糖をたっぷり使った、素朴で香ばしいもの。
ひとりひとりに、オモチが手渡す。
「きゅ」
短い声と一緒に。
子どもたちは一瞬きょとんとして、それからぱっと顔を明るくする。
「いいの?」
「ありがとう!」
「お母さんにも見せる!」
オモチは得意そうに、しっぽを揺らした。
今日は特別だからね。
そんな気持ちを、言葉にしなくても、ちゃんと伝えている。
小さな男の子が、クッキーを胸の前で大事そうに持ちながら言った。
「これ、ぼくの?」
「うん。きみの」
「じゃあ、半分こする」
その言い方があんまりまっすぐで、少しだけ胸の奥がやわらかくなる。
昼過ぎ。
店の中は、いつもより少し甘い匂いが残っていた。
バター。
砂糖。
焼き菓子の余韻。
朝のにぎわいが引いたあとの静けさまで、今日はどこかやさしい。
親想いの日は、何か大きなお祭りがあるわけじゃない。
でも、ちゃんと、温かい日だ。
オモチが私の肩に乗って、小さく鳴く。
「きゅ」
「うん」
私も、同じことを思っていた。
今日もいい日だ。
窓の外では、買ったばかりの紙袋を大事そうに抱えて歩く子どもがいる。
その後ろ姿を見送りながら、私は残ったクッキーの匂いをひとつ吸いこんだ。
木陰のベーカリーには、
そんな時間が流れていた。




