緑さす道、あなたと並んで
やわらかな春が過ぎ、新緑のあざやかに照りだしたころ――。
ついに、王太子さまが国の平穏を祈るための、祭儀が行われることになったんだ。
そのおめでたい日は、幸運を告げるかのように青空が澄み渡って、都にはたくさんの見物客が押し寄せていた。
「辰さん、辰さんっ。向こうから甘い匂いが!」
大賑わいの通りを弾むように歩きながら、僕は歓声を上げた。ひしめき合うお店の並びから、美味しそうな甘味処を見つけ、辰さんの袖をくいと引く。
辰さんは、難しい顔で言う。
「羅華様。遊びに来たわけではありませんよ」
「……はうっ」
つれない返事に、僕はがくりと肩を落とした。
王太子さまの祭儀に、霊衣を作った功というので、僕もお呼ばれしたの。それで、婚約者の辰さんと一緒に参列するために、都に出てきたわけなんだけれど……。
――久しぶりの逢瀬だって、はしゃいでるのは僕だけかなぁ……。
真剣な様子で、周囲を窺っている辰さんの横顔を、そっと見上げた。
お兄様の側近である辰さんは、祭儀の警備でずっと忙しかったから。今日は、本当に久しぶりの二人きりなんだ。
梅からも、「祭儀の為に集まるお客目当てのお店が、たくさん出る」って聞いて、辰さんと歩けるのを楽しみにしてたのに――。
「行きましょう。刻限に間に合わなくなります」
「はぁい……」
美味しそうな甘味や、珍しい見世物を一切素通りして、目的地を目指す辰さんに、切なくなる。
辰さんの袖に掴まりながら、しょんぼりと歩いていると、ふいに彼が立ち止まる。
「えっ?」
「……」
辰さんが黙ったまま、僕の手を袖から外した。代わりに、大きな手が僕のそれを包んでくれた。そのまま、ゆっくりと歩き出した彼に、僕は目を丸くする。
「い、いいの? 辰さん。手がふさがったら、警備しづらいって……」
「はぐれてはいけませんから」
辰さんは、静かに言う。僕は、嬉しさ半分、戸惑いを隠せない。
――いいのかな……?
ちょっと前を歩く、辰さんの鉄色の長い髪がなびくのを、じっと見上げた。大きな手に導かれて、ゆったりと歩いていると、辰さんが言う。
「都見物は、祭儀の後にゆっくりしましょう。――久しぶりの逢瀬ですから」
「……あ!」
優しい声で告げられた提案に、ぱっと頬が赤らんだ。
「うんっ、うん……! ありがとう、辰さん……!」
繋いだ手を、ぎゅっと握り返す。満面の笑みを浮かべる僕に、辰さんが吐息だけで笑った。
*
祭儀の行われる大聖殿には、特設の立派な舞台が設えられていた。
舞台の上では、華やかな衣装に身を包んだお姫様が五人、舞を披露されているところだった。優雅な音曲が響き、心が浮き立つみたい。
「わあ、綺麗……!」
まるで、ほんものの仙女様だ。お客さん達も、うっとりと見惚れている。
彼女たちを守るよう、舞台と観覧席の周りを、甲冑を着た武人さん達がぐるりと囲んでいる。お兄様達は、王太子さまに侍ってるらしいのに、姿は見えない。
きょろきょろしていると、辰さんが言った。
「我ら玄家は、影よりお守りしています。表向きの警備は、蒼家のものが担っておりますので」
「そうなんだぁ」
「はい。羅華様、私達も席に参りましょう」
僕は辰さんと一緒に境内にある塔へ上った。玄家の為に、特別に用意された席なんだって。ちょっと遠いけど、楼から顔を出すと、とっても見晴らしがよくって、舞台が一望できるんだよ。
「今日は、三つの舞の演目を行います。今は王女様方による花の舞が行われ……次に、蒼家の武者が舞を披露するようですね」
辰さんが、静かに説明してくれる。
次の演目が始まると、僕は欄干に掴まって、舞台に釘付けになってしまった。
――すごーい……!
辰さんの言う通り、音楽隊が古い楽曲を奏でるのに合わせて、二人の武人さんが舞い始めたんだ。
青と白の甲冑を身にまとった彼らは、長い槍を振り、力強く舞台を踏み鳴らす。勇壮な舞に、僕は夢中で拍手を送った。
「すごい! 僕、こういう舞は初めて見ました……かっこいいですね!」
高官の家にとって、舞は嗜みなんだ。家ごとに流派が違うから、他家の舞を見るのは新鮮でおもしろい。
「舞が、お好きなんですね」
「はい! 自分で舞うのも、見るのも……」
僕は、ちょっぴりはにかんだ。胸に浮かぶのは、一人で剣の型を確かめる辰さんの姿。剣を持って舞う辰さんが、あんまりかっこよかったから……舞を好きになったのはそのせいなの。
――さすがに恥ずかしいから、内緒……!
ひとりで照れている僕を、辰さんが不思議そうに見ていた。
演目が終わり、武者さん達が引けていく。音曲がやみ、しんと静まり返った。
「最後の演目ですね」
痛いほどの沈黙のなか――若木のような少年が、舞台の中央に歩み出た。
「あ……!」
僕は、身を乗り出す。
風が吹き、太子さまのまとう白い衣の裾が、悠然とたなびいていた。背に垂らした長い髪は、烏のような黒……長い細剣を床につかないように、携えていらっしゃる。
遠めに見ても、ご立派な様子に、ほうと息を吐いた。
「あの方が、僕たちのお仕えする方なんですね……!」
初めて御姿を見られて、感動していると……辰さんも頷く。
厳かな音曲が流れ、王太子さまが舞い始める。
細剣が、りょう、りょうと空を斬る音が、耳に届くようだった。ゆっくりと、水が流れるように静かで――清らかな泉のような舞。
「あ……」
王太子さまの円を描く動きに合わせて、霊衣が大きくたなびく。日光を浴びた刺繍から、きらきらと虹色の光が溢れだしていた。
僕の手掛けた霊符。
青龍、朱雀、白虎、玄武――全てが調和して、太子さまをお守りしているみたいに見えた。
僕は思わず、涙ぐんだ。
「……お見事ですね」
「はい……っ」
辰さんが、震える肩を抱いてくれる。厚かましいんだけど、僕が褒められたように思えて、ますます泣けてしまったんだ。胸に額を埋めると、清冽な香の匂いに包まれる。
「――とても美しいわね」
突然、懐かしい声がした。僕は、弾かれたように振り返る。
「お姉様!?」
「久しぶりね、羅華」
お姉様は、懐かしい艶やかな笑みをうかべていた。腹心の侍女を連れて、歩み寄っていらっしゃる。
「お姉様ッ、お会いしたかったです……!」
僕からも駆け寄って、ぎゅっと抱きついた。涙を浮かべて訴えると、お姉様は呆れ顔になる。
「まあ、甘えん坊だこと! 結婚をひかえて、少しは大人になったのではないの?」
「だって。大人になっても、お姉様のことはずっと、大好きですもの……!」
「……やれやれ。私も、兄上を馬鹿にできないわね」
お姉様は、小さく肩を竦めた。たおやかな手に頭を撫でられて、僕はへらりと笑う。懐かしい香の匂いにうっとりする。
「麗瑶様。お久しゅうございます。こちらには、どうして?」
辰さんが尋ねると、お姉様はふんと鼻を鳴らした。
「お前も相変わらずね、辰。私の夫も祭儀に参列しているものだから、少し脱け出してきたのよ」
「お姉様の、旦那さん?」
ここにいらしてるんだ。びっくりして尋ねれば、お姉様は微笑する。
「後で、あなたにも紹介するわ。それより――玄家の末子が王太子の霊衣を仕立てたと、こちらの家でも持ちきりよ。羅華、立派に事をなしたようね」
「あ……ありがとうございます!」
厳しいお姉様に褒められて、嬉しくなる。優しく撫でてくれる手を甘受していたら……お姉様が、声を低めた。
「兄上と二人、ずっと隠して来たのに……上手くいかないものね」
どこか悔し気なお姉様に、僕はきょとんとする。首をかしげていると、階下からわっと歓声が上がる。
「わ……!?」
つられて下を見て、息を飲んだ。
舞台の上では、舞が最終局面にきていた。
音楽隊によって、荒々しく奏でられる音曲。見えない邪悪なものを切り伏せるよう、王太子さまが激しく剣を振るっている。白い剣の軌跡が円を描き、竜巻のように王太子さまを包みこみ……。
「――はっ!」
気迫の籠った声を発し、王太子さまが剣を天に突き上げる。
刹那、剣先から放出された白銀の光が、蒼穹を貫いた。
ドオン……!
大きな雷鳴が轟き、晴天から小雨が降り注ぐ。聖殿の屋根に、大きな虹の橋がかかった。
あまりに神々しい光景に、大喝采が鳴り響く。
「王太子殿下、万歳!」
塔の上にまで響く歓呼の声に、胸打たれる。めでたい光景を眺めながら、お姉様が呟く。
「もう、お前を隠しておけないわ」
真剣な瞳に、言葉を失っていると――そっと肩を引き寄せられる。辰さんが言った。
「ご安心ください。羅華様は、私が身命を賭してお守りします」
「辰さん……!」
僕は驚いて、声を上げる。緑の瞳は真剣な光をたたえて、真っすぐにお姉様を見返していた。
「辰……」
お姉様は、目を瞠った。それから、ぐっと眉を険しくさせ、紅を差した唇が何か言おうとしたとき――深い声が被さった。
「良い心意気だ、辰」
笑いまじりのその声に、みんながあっと叫ぶ。
「お兄さま!?」
いつの間にやら――欄干に、お兄様が悠々と腰かけていた。神出鬼没の登場に、お姉様と辰さんも呆気にとられている。
「やあやあっ! 麗瑶様、お久しゅう!」
欄干にしがみ付き、文徳さんも手を振っていた。
「兄上。文徳まで――」
目を見ひらくお姉様に、黒衣の裾を風に揺らし、お兄様は大きく笑う。
「久しいな、麗瑶。弟が心配で駆けつけるとは、お前は相変わらず優しい妹だ」
「茶化さないで、兄上! 羅華を巻き込まないと言っていたくせに、どう言う風の吹き回しよ」
お姉様が、きりきりと眉を吊り上げる。お兄様は、しれっと肩を竦めた。
「いや、巻き込んだのは文徳だぞ」
「はあっ、若君!?」
急に矛先を向けられた文徳さんが、ぎょっと目をむく。
「張文徳~……またお前か!」
「ちょおっ、お、お待ちくだされ! 私は玄家のためを思うてっっ」
腰に佩いていた剣に手をかけ、今にも飛びかかりそうなお姉様に、文徳さんが半泣きで弁解する。
――わあ、どうしよう!?
おろおろしていると、騒動を眺めながら辰さんが言う。
「放っておきなさい」
「でも……」
辰さんは、静かに首を振るだけ。すると――頃合いのように、柏手がポンと響く。
「麗瑶、落ちつきなさい」
「兄上……」
文徳さんの胸倉を掴んでいたお姉様が、振り返る。お兄様は、悠々と腕を組んだ。
「結局はな。文徳を責めても仕方がないさ。この子は、俺達の弟なんだから」
お兄様はふわりと跳躍し、部屋の中央に降り立った。それから、僕を振り返る。
「羅華。受け取りなさい」
「え……?」
お兄様が片手に握ったものを、僕の前に差し出した。
それは、一振りの細剣だったんだ。
柄も、鞘も全部、純白に拵えられている。飾り帯には、透き通った水晶がくくりつけられていた。
世間に疎い僕でも、素晴らしいものだってわかる。
「お兄様、これは……」
「殿下から、お前に下賜されたものだ。”これからも、頼りにしている”と仰せであった」
「王太子さまが……?!」
目を見ひらいた僕に、お兄様が頷く。
「お前の霊衣への報いだそうだ。――本当は、殿下自らお前に礼を言いたいと張り切っておられたのだが……大舞台での疲労で臥せってしまわれたゆえ、私が託された」
そう言って、お兄様は細剣を僕に握らせようとした。僕は、ほとんど呆然としながら、手を伸ばす。
「小華! 受け取らないで。殿下の望みを了承したことになるわ」
お姉様が鋭く叫んだ。
戸惑っていると、お兄様が言う。
「羅華。お前はどうしたい? 私達と共に、王太子殿下にお仕えするつもりはあるか?」
「えっ」
真剣な眼差しに、どきりとする。僕は、伸ばしかけていた手をひっこめた。
「なければ、私から丁重に殿下にお返ししよう。兄様は、無理強いはせぬ。お前のしたいようにしていい」
お兄様は静かに言い、僕の返答を待つように、唇を結んだ。しん、と沈黙が落ちる。皆が、僕の動きを見守っているのを感じた。
――そっか……これを貰ったら……「よろしく頼む」ってことを、引き受けることになるんだ……。
僕は、白い剣を見た。
僕なんかが、こんな凄いものを頂戴しても、良いのかな。ずっと家に籠ってたから世間知らずだし、戦いも苦手で。玄家の師匠から破門されてしまった僕が……。
「あわ……っ」
緊張で、喉が渇く。救いを求めるよう、辺りを見回せば、断って欲しそうなお姉様と、引き受けてほしそうな文徳さん。僕の判断を待っている、お兄様の笑みがある。
ど、どうしよう。
泣きそうになったとき……肩に手を添えられる。あたたかな感触に、はっと隣を振り仰ぐ。
――辰さん……!
静かな眼差しが、僕に降り注いでいた。「大丈夫ですよ」と言ってくれてるのがわかる。大好きな緑の瞳を見上げていると、萎れていた心に力が漲っていくみたい。
僕は両腕をのべて、細剣を受け取った。
「ありがたく、頂戴いたします」
腕に抱いた剣は、冷たくてずしりと重い。一人前の重みのようで、胸が緊張に張り裂けそうになった。
それに、ドキドキしてる。体の奥から高揚して……「頑張るぞ」って力が溢れてくるみたい。
「僕も、玄家の一員として……王太子さまにお仕えしたいです。僕に何が出来るか、わからないけど……役目を果たさせてください」
ひと息に言って、頭を下げる。
すると、満足気な笑い声が聞こえた。
「よく言ったぞ、羅華」
お兄様が、長いお袖に抱き上げてくださった。誇らしそうなご様子に、僕も嬉しくなる。
「くっ……兄上ったら、結局そういうつもりじゃないの!」
「ごほぉ! お嬢様、八つ当たりはお許しを!」
悔しそうに髪をかきむしったお姉様が、文徳さんをガクガク揺さぶる。賑やかな光景から目を逸らし――僕は、大好きな人を振りかえる。
「辰さん……!」
僕は、お兄様の腕から下りると、辰さんに駆け寄った。思いきり、胸に飛びこむ。長い腕が、剣を抱く僕をしっかりと抱き留めてくれたんだ。
「羅華様。貴方の歩む道が、どのようなものであれ――辰が、必ずお守りします」
辰さんの声が、胸に響く。いつも見守ってくれる緑の瞳を見上げ、僕は涙を溢れさせた。
「僕も、辰さんを守りますっ!」
宣言して、ぎゅっと抱きつく。
ずっと、大好きな人たちを守る力が欲しかった。僕に何が出来るか、わからないけど……必要としてくれる人がいるなら、力いっぱい頑張りたい。
大好きな辰さんに、恥じないように――。
「……良い夫婦になりそうじゃないか。なあ、麗瑶」
「知りません!」
抱き合うぼく達を見て、お兄様がお姉様をからかう。ぼろぼろの文徳さんが、部屋の中央にまろびいでて、扇子を開く。
「これにて、一件落着!」
高らかな宣言が、蒼天に響きわたった。




