夢が覚めてもあなたと
無意識に後ずさろうとして、肩を掴まれる。
「あっ!」
「俺と、別れる……?」
低い声が、ほとんど呟くように言う。辰さんは、感情の読めない目で僕を見下ろしていた。
「誰か――ほかに、好きな男でも出来たのですか?」
「へ……」
ぎょっとして、目を見ひらく。辰さんは、探るように僕の顔を覗き込み、言う。
「やはり……文徳殿ですか? 異国の血を引く男より、家柄も見目も良い男に惹かれたのでしょうか」
「な……う、文徳さんっ……!?」
お兄様の側近の、明るい顔が浮かぶ。どうして、文徳さんの名が出るのかわからない。否定しようとすると、肩を掴む手に力が籠った。
「いたっ……!」
「貴方は幼くて、夢見がちだから」
低く、静かな囁きに、びくりと背が震える。
――なんだか、怖い……辰さん、どうして……?
辰さんから発されている肌がピリピリする様な怒気に、息が苦しくなる。僕は切羽詰って、涙ぐんだ。
「ぼ……僕は……好きな人なんて……」
「羅華様」
言葉をつげないでいると、わなわなと震える唇を親指でなぞられる。緑の目が見られなくて、視線をさ迷わせていると――辰さんは小さく舌打ちをした。
「……ひゃっ?」
突然、抱き上げられてしまう。膝の後ろと背にまわった手が、熱い。高くなった視界に狼狽えちゃう。
辰さんは大股に歩むと、部屋の真ん中に設えた卓に、僕を座らせた。
「し、辰さ……あっ!」
肩から掛けていた厚手の羽織が、するりと脱がされて床に放られる。もう寝ようと思っていたから、下に着ているのは薄い寝衣一枚きりで……。
はしたない格好に、ぼふっと顔から火を噴いた。
「ちょ、ちょちょっと待ってー!」
心もとなくて、半泣きでわが身を抱く。
――ななななんで……! こんなの、みっともないよーっ。
卓上で小さくなっていると……ふわりと、肩に軽やかな衣がかけられた。
びっくりして見れば、紅の衣だった。刺繍の鳳凰が、燭台の火に照らされてなめらかに光っている。
「……え……?」
羽織らされた衣に、目を瞬いていると……ひそやかなため息が聞こえた。
「美しいですね」
辰さんは、僕のことをまっすぐに見つめている。緑の瞳には、深い情熱を宿しているみたい――。
胸が、どきりと鼓動する。
さっきまでとは、比べられないほどの気恥ずかしさが襲って来て、声も出せない。
「ぁう……」
「羅華様」
固い指先が、頬に落ちかかった黒髪を、そっとよけてくれる。俯いた顔を、身を屈めて覗き込んでいた辰さんは、ふっと皮肉っぽく唇を歪めた。
「この紅の衣を、私の為に縫うと言ったのは偽りでしょうか」
「え……」
頬を撫でていた指が、後頭部にまわされる。そのまま、ぐいと引き寄せられた僕は、辰さんの胸に飛びこんだ。片頬が胸に押し付けられ、きつく背を抱きしめられる。
「春の夜に……俺は、都合の良い夢をみたのでしょうか……?」
「ち――違うよっ!」
酷く切ない囁きに、僕は声をはり上げた。
ひしっと抱きついて、必死に訴える。
「僕は、辰さんが好きだもん……! 他に、好きな人なんて、いないよぉっ……!」
広い胸に顔を押し付け、ぶんぶんと頭を振った。ぶわっと溢れ出した涙のせいで、辰さんの衣に染みがついちゃってる。
それでも、構う余裕もなかったんだ。好きな人に、せめて気もちを疑われたくなくて……。
「辰さんだけが、大好き……」
「羅華様」
胸にぴったりとくっついたまま、見上げる。涙に滲む視界で、辰さんが少し動揺したように、目を見はっていた。
「……なら、どうして?」
固い指が、びしょびしょの頬を拭ってくれる。優しい手つきに、ひっくとしゃくりあげた。
「だっ、て……辰さんが」
「俺が?」
「辰さん、好きな人がいるから……」
口にするのも辛くて、ぽろぽろと涙が頬を伝う。
「僕……幸せになってほしくて……辰さん、お兄様にいわれて。僕と結婚、してくれるから……」
つっかえ、つっかえしながら、なんとか言う。辰さんが、息を飲んだ。
「どうしてそんな風に」
「……剛さんと話してるの、聞いちゃった……」
「あいつ……」
舌打ちをする辰さんに、ビクリと肩が震える。盗み聞きなんてして、呆れられたかもしれない。
僕は俯いて、早口に言う。
「ごめんなさい……僕が辰さんを好きだから、お兄様がお命じになったんでしょ? 辰さんは、玄家の為に……でも、僕嬉しくないです。辰さんが辛いのに、僕だけ嬉しくっても嬉しくない!」
言ってるうちに辛くてしかたなくなる、しまいには、わあん、と声をあげて泣いてしまった。
――辰さんを守りたい! 嘘じゃない……たとえ……恋がかなわなくたっても……!!
そう思うのに、涙は止まらない。
辛くて、胸が痛くて……しくしく泣いていると、不意に抱きしめられる。清冽な香の匂いに包まれ、目を見ひらいた。
「あなたを、お慕いしています。羅華様」
真剣な瞳に見つめられ、息が止まる。
澄んだ緑色に、飲みこまれちゃいそう。
「う、うそです」
動揺して、ぽろっと言ってしまう。辰さんが、むっと眉を寄せた。
「どうして」
「だ、だって……僕なんて、子どもっぽいし。辰さんに、迷惑ばっかりかけるし……」
ぐちぐちと、弱音が口をついて出る。辰さんに好かれてる自信が、無くって――。俯いていると、ふうとため息が聞こえた。
「……確かに。貴方には本当に、困らされます。世間知らずのくせに、無鉄砲で。人の忠告だって、何度言っても聞いてくれませんし」
「……ふぐっ」
「たまに、憎らしくもなります」
ぐさぐさっ、と胸が貫かれる。自分でも卑下したくせに、馬鹿だよね。でも、泣きだしそうに歪んだ頬を、大きな手に包まれる。
「え……?」
辛辣な言葉と裏腹に、辰さんは優しい笑みを浮かべていた。
「俺は、そんなあなたが好きですよ。いつも一生懸命で、家族思いで。好きな者の為にひた向きに突っ走っている……全て、あなたの美点ですから」
「し、辰さんっ……」
真摯な想いを告げられ、心に喜びの花が咲く。
「ほんとう? 僕のこと――」
満面の笑みを浮かべかけて、はっとする。
――でも……辰さんの”好き”って、僕と同じ好きなのかな……?
僕は、また意地を張って、プイと顔を背けた。
「お、お兄様の弟だから、褒めてくれるんでしょ……その、尊敬とかで、恋じゃなくってもっ……」
「はい? なぜ、そう思うんですか」
呆れ顔になる辰さんを、僕はきっと睨みつけた。
「だって……! せ、接吻もなにも、してくれないもん……!」
かっとなって、内緒にしてた不満が、口をついて出た。静かな部屋に僕の声が反響し――それから、また静まり返る。
目を見ひらいている辰さんに、僕は我に返った。
「あ……ち、違……そのっ!」
勢いで、はしたないことを言っちゃった。恥ずかしさに、全身から汗が噴き出るみたい。ぐちぐち泣いたと思ったら、結局はそんなことだなんて、馬鹿だって思われちゃうよ!
おろおろと狼狽えていると、ぐっと肩を掴まれる。
「貴方と言う人は、まったく……」
「ご、ごめんなさ」
「……俺が、どれだけ我慢していると思うんです」
「え?」
きょとんとする。辰さんは疲れきったような顔で、ため息をついた。どうしたんだろう。恥ずかしさも忘れて、頬に触れようとすると……ぱっと掴まれる。
「抵抗するならしなさい」
「は……ひゃっ?」
指先を引き寄せられ、くちづけられた。
――接吻!?
ボン、と頭が爆発する。真っ赤になって、石みたいに固まっていると――逞しい胸に思い切り抱き寄せられた。
熱い抱擁に、くらくらする。
「し、しっ辰さん……!?」
「愛らしい……桃のようですね」
辰さんは僕の頬を撫で、甘く囁いた。耳朶に唇が触れ、「ひえええええ」と叫ぶ。恥ずかしすぎて、じたばた藻掻くのを、強く長い腕に捕らえられた。
絶対逃がさない、っていうみたいに――。
「あ……ぁう……」
「ずっと、貴方に触れたかった。俺のような卑賎の男には、高嶺の花だとわかっていても……」
「……っ」
耳に吹き込まれる狂おしい声に、ひくんと体が震える。ときめきすぎて、心臓が壊れそう。潤んだ目で見上げた辰さんの緑の目は、情熱に輝いている。
「貴方が無邪気に慕ってくれるほどに……私は、この家で出世することだけが望みとなりました。貴方の側にいたい為に、俺の今日まではあったのです。――忠義のない男だと、幻滅しますか?」
「辰さん……」
僕は、感極まる。
『辰さん、辰さんっ』
『なんですか、羅華さま』
幼いころから――ずっと大好きで、追いかけてきた辰さん。僕だけが、大好きで。側に居たがってるんじゃないかって思ってた。それなのに……辰さんも、同じなの。
――僕と、一緒に居たいって思ってくれてたの?
僕は、おそるおそる……辰さんの肩に手を置いた。
「本当に……僕のことが好き?」
辰さんが、大きく頷いてくれる。僕は、ひっくとしゃくりあげた。
「……辰さんっ!」
僕は泣きながら、がばっと抱きついた。思いきり飛びついたのに、危なげなく抱き留めてくれる。昔から変わらず、僕に与えられる、辰さんの優しさだ。
嬉しくて、涙が止まらない。
「すきです。辰さん、だいすき……!」
「私も、ですよ。羅華様……」
着せかけられた、作りかけの婚礼衣装ごと抱きあげられる。
幸福に溢れた涙に、辰さんはそっと口づけてくれた――。




