あなたを自由に
――辰さんと、話し合い……。
僕は、針を持っていた手を止め、ふぅと息を吐く。
「怖いよぉ……」
お兄様に激励してもらって、丸一日。僕はまだ、うじうじしていた。作業台には、一日でつくり終えた霊符が山を作っている。
――に、逃げてるってわかってる……! でも、でも……。
いざ、辰さんと向き合うと考えたら、怖いんだよ。僕のことなんか好きじゃない、って。あの綺麗な目の前で、引導を渡されるのかと思ったら……。
怖気づいて、動けないよ。
「ううう」
作業台に突っ伏して呻いていると、しずしずと梅が近づいて来た。
「羅華様、そろそろお休みなさいませ。病み上がりなんですよ」
「梅……ありがとう。あとちょっとだけ」
心配そうなねえやに、慌てて笑ってみせる。
「ですが……」
「大丈夫。もう縫い終えるよ! 終わったら、すぐに寝るから。ねっ」
終了間際の霊符を広げて見せつつ、寝台をびっと指さす。梅は迷っていたけれど、しまいには僕の望みを叶えてくれた。
「本当に、ご無理はなさらないで下さいね?」
「うんっ。おやすみなさい、梅」
にこにこと手を振って、梅を見送る。ぱたん、と音をたてて入り口が閉まると、僕は肩を落としてしまった。
「あぁ……梅にも心配かけて……明日こそ、ちゃんとしなきゃ」
僕は霊符をかき集めて、すっくと立ちあがる。
明日も、辰さんのお見舞いに行くから……そのときに、「お話ししたいことがある」って伝えるんだ。そして、婚約のことを……。
そこまで思って、専用の箱に霊符を納めていた手が、ぴたっと止まる。
「で、でも……具合が悪いのに、話すことでも……お元気になってからの方が、いいんじゃないかなぁ……?」
また、うじうじしてしまう。僕が、うんうん唸りながら、霊符を箱に納め終えたときだった。
ふわ、と夜風が項を吹き抜ける。
「――羅華様」
涼しい声が聞こえて、僕はハッと目を見ひらいた。
「えっ!?」
弾かれたように振り返ると、辰さんだった。武人の藍色の衣を着て、堂々と部屋に歩み入ってくる。
「お休み前に、失礼いたします」
「ど、どうして……!? 起き上がって、大丈夫なんですか?」
僕は慌てて、駆け寄った。すると辰さんは、僕の目の前にすっと跪いて、礼を取った。
「おかげさまで、快復いたしました。明日から職務に復帰いたしますので、ご報告に参ったのです」
「本当に……!? 無理してない?」
「ええ。薬師にもお墨付きを頂きましたよ」
言いながら、辰さんは袖をまくりあげた。人呑花に噛まれたそこは、うっすらと傷跡が残っているだけだった。辰さんは、指を握ったり開いたり、して見せてくれる。
「問題ありません」
「ぁ……」
食い入るように見つめていた僕は、ほうと息を吐いた。
「良かったぁ……! 辰さん、元気になって……」
安心して、心からの笑顔が溢れる。このところ、色んなことがあって……ずっと気が塞いでいたけれど、久しぶりに安心出来た気がする。熱くなった瞼を袖でおさえると、辰さんが言う。
「羅華様には、大変なご心労をおかけしましたね……」
「そんなのっ……そんなの、当然です! だって、僕は――」
辰さんのお嫁様なんだから……そう言いかけて、我に返る。
――僕ったら、なにを……辰さんは、違うのに。
さんざん辰さんを解放しようって意気込んでいても、本当は諦められてない。しつこい自分が恥ずかしくて、俯いてしまう。
「……羅華様?」
急に黙った僕に、辰さんが怪訝そうに眉を寄せた。僕は、真剣な眼差しから逃れたくって、自然と顔を背ける。
「あ……あはは。何でもないんです」
「……そうですか?」
「は、はい。ちょっと寝不足で……」
へらりと笑って、誤魔化す。すると辰さんは、壁際に目をやった。――そこにあるものを見て、ぎくりとする。
婚礼衣装。
二人の未来を守ってくれるように、と願いを込めた刺繍……。今まで、平気で辰さんに見せていた自分が、信じられなかった。
恥かしさと居たたまれなさで、真っ赤になっていると、辰さんがふと笑みを浮かべる。
「……美しいですね」
「……えっ」
やわらかい声に、ますます頬が火照る。
「あ、ありがとう……でも、まだ途中なんです。王太子さまの着物を縫っていて……」
褒めてもらえてうれしいのに、喉につっかえてうまく言葉が出ない。
もじもじしていると、辰さんは苦笑する。
「ご立派です。王太子殿下の霊衣を仕上げられて……都の平穏も、きっと戻るでしょう。玄家に仕えるものとして誇りに思います」
「……」
優しい言葉を、かけてくれる辰さん。胸がドキドキするくらい嬉しいのに、心のどこかで「調子に乗っちゃだめ」だって声がする。
――そう。これも、主従のブなんだ……。
ぎゅっと袖を握りしめた。「ありがとう」って声に出して、おずおずと顔をあげたら、辰さんと目が合った。
真剣な眼差しに、ビクリと肩が震える。辰さんは苦笑した。
「すみません。夜遅くに訪ねて、お疲れですよね。これを……」
辰さんが、何かの包みを渡してくれる。見れば、それは――桃花楼の桃饅頭だった。
「これ……」
僕は、目を見ひらく。
「お詫びしたかったんです。……あのときは、申し訳ありませんでした。我らの為に差し入れてくださったのに」
辰さんの声には、後悔が滲んでいた。
「……辰さん」
僕は、大きな手の中の桃饅頭を見下ろした。甘い香りに、お店で嬉しく食べたことを思いだす。お店で生き生きと働いていた、可憐な玉鈴さんの姿も――。
胸が、ズキッと痛んだ。
――どうして、こんなことするの。
嬉しいより先に、そう思った。だって、僕が悪いのに……どうしてこんなに。
「……優しくしないでください」
そう言った途端、涙が溢れ出した。ぼろぼろと、大粒の雨が降るみたいに、頬をつたう。
辰さんが、驚いたように問う。
「……なぜです?」
「だって辰さん、好きな人がいるでしょ……」
「……!」
目を見ひらく辰さんに、胸が貫かれる。――やっぱり本当なんだ。自分で聞いておいて、馬鹿みたい。
――お兄様。やっぱり、無理だよ……!
でも、初めての失恋なんだから、下手くそでも大目に見てほしい。
僕は袖でびしょ濡れの顔を拭うと、声を振り絞った。
「いいんです。僕、わかってます。ちゃんとお兄様に言いましたから……!」
赤い衣を指さした。とめどない涙のせいで、玄武と鳳凰が見つめ合う婚礼衣装が滲む。辰さんのお嫁様になれると信じて、刺繍してきたそれ――もう意味がなくなるんだ、と無理に目を逸らす。
「僕……辰さんと、わかれます」
涙を堪え、告げた。
大好きな辰さんを、僕から自由にする言葉を……。
言っちゃった、と苦しい気持ちと、好きな人を守れた気もちで、心が無茶苦茶だ。僕は、泣き笑いを浮かべた。
「だから、辰さんは好きな人と――」
「どういう事ですか」
聞き取れないほど低い声が、問うた。僕は、えっと思った。
「何故そんなことを言うんです? 私のことが、お嫌なのですか」
「えっ……?」
突然視界が暗くなり、ぎょっとする。いつの間にか、立ち上がっていた辰さんに、見下ろされていた。
緑の瞳が、感情の読めない光を宿している。
――……辰さん、どうしたの……?!




