あなたをこの手で守りたい
びょう、と風が強く吹いた。袖が翻り、僕は思わず目を伏せる。
「――はっ!」
その瞬間、強く床を蹴り、辰さんが男の人に斬りかかった。
「ふっ!」
きいん、と鋭い音が響く。両袖から飛び出た、蛇のようにうねる仕込み刀で、辰さんの剣戟を止めていたんだ。
「その若さで、なかなかの太刀筋だな」
「……貴様に褒められても嬉しくない」
たった一度、刃を交えただけで、男の人は油断を消した。対する辰さんも、好戦的に相手を睨んでいる。広い背から闘気が立ち上り、痛いほど空気が張り詰めていた。
「羅華様、離れていてください」
「……あっ」
足手まといにならないよう、僕は急いで廊下の隅に避難した。ここなら、気にせず戦ってもらえる。
――辰さん……がんばって。
大声を出したら邪魔しそうで、心の中で願う。その思いが届いたのかは、わからないけれど――辰さんが、また動いた。
ギインッ……!
激しく刃のぶつかり合う、鋭い音が幾度も響く。そのたびに、薄暗い廊下に火花みたいに白銀の光が散った。
「辰さん……っ」
かっこいい!
速すぎてほとんど目に追えないけれど……藍色の長衣がひらひらと揺れて、舞みたい。激しい攻防なのに、見惚れてしまう。
「玄景岳も酔狂と思ったが。異国の雑種のくせに、なかなかやる」
「ふん。くだらぬことを」
鍔迫り合いながら、男が猛々しく笑う。辰さんは冷静に吐き捨て、身を屈めた。
「……ぐっ!」
男が呻き、よろめきながら後退する。
刃を躱しながら、前に出た辰さんの突きが、男の脇腹を切り裂いたんだ! 見る見るうちに、赤く染まる花売りの衣に、僕は息を飲んだ。
――すごい……!
戦いに疎い僕でも、わかる。勝負ありだ。
辰さんは細剣を構え、切っ先を男に向ける。
「武器を捨てろ。これ以上やっても、傷を増やすだけだろう」
「……っ」
男の人は怪我を庇いながら、顔を酷く歪めた。わき腹から溢れる鮮血が、彼の右半身を赤く染めている。……あんなに血って出ていいの? むごい光景に、ちょっぴりくらくらする。
うっぷとえづきそうな口を押さえ、様子を窺う。
「殺さないのか?」
「貴様は、何か知っていそうだ。生かして、若君様に引き渡す」
静かに言って、辰さんは束縛の術を編み始める。剣先から黒い光が糸のように現れ、男に巻き付く。
「ふっ……青いな……目先のことに囚われて」
嘲った男の人に、辰さんがぴくりと眉を寄せる。でも確かに――絶体絶命の割に、なんで余裕そうなの?
――どういうこと……?
おろおろと、首を傾げたときだった。
ぱちん。
背中で音がした。ぱちん、と焼いた豆が弾けるような……ぱちん、ぱちんと音が擦るたび、背中が重くなる。
「え、えーっ……? 何、この音……?」
わけもなく、不安になるような。着物の肩が、重みでずるりと下がる。襟が開いて、慌ててひっぱりあげた。その拍子に、素肌にベタっとしたものが触れる。
――え。
ありえない感触に、ぞぞぞぞぞ、と体が揺れるほどに鳥肌が立った。寒い。冷たい……これって、いったい……後ろを振り返る勇気がないから、前を向いた。すると、
「羅華様!」
血相を変えた辰さんが、走ってくる。
その様子に、ただ事でないのが十分にわかる。その瞬間、ずるるる、と這ってきた濡れた細長いものに、悲鳴を上げた。
「ひゃあああっ?!」
僕はそれを見て、飛び上がった。大きく口を開けた巨大な食虫植物が、僕を頭から齧ろうとしてるんだもん!
「……さっき、組み伏せたときに人呑花の種子を植えておいた。そなただけでも連れて帰る」
男が笑う。――そんな、ご無体なっ。
呆然としてるうちに、ずらりと並んだ鋸のような歯が、迫ってくる。
「やだーっ、こないで……!!」
「羅華様、落ちつきなさい……!」
辰さんの声が遠かった。怖い。恐怖のあまり、体が動かない。
――もうだめ……!
死を覚悟して、きつく目を閉じた。
ザシュッ!
果実の砕けるような音が響く。ぽたぽた、と額に生温かいものが降ってきて、僕は目を見ひらいた。
「……ぁ!」
「お怪我は、ありませんか?」
辰さんが、僕を抱き寄せてくれていた。いまにも僕を呑み込みそうだった食虫植物の口に、その右腕をねじ込んで。
「あ……ぁ……」
細かい歯が食い込んだ傷口から、鮮血が伝い落ちてくる。
「し、辰さん……腕……!」
「何でもありません」
青褪めた僕に、辰さんは真面目に返す。そんなの、絶対嘘なのに。じわ、と盛り上がってきた涙を飲み込んでいると、男の人の驚愕の声が聞こえてきた。
「馬鹿な……避けもしないなど」
その言葉に、辰さんが振り返る。
「この方をお守りする。それが私の使命だ」
凛とした横顔に、息を飲む。気迫に満ちたその言葉に目を見ひらいたのを最後に、男は地に伏した。束縛の術に、完全に絡めとられたんだ。
「……やれやれ。なんとかなりましたね」
辰さんが呟く。顔をしかめ、口の中で術を練っている。ジュ、と水が灼けるような音がし、熱に萎れた植物が床にぼたぼた落ちていく。
――辰さん……。
布を傷に巻こうとしている辰さんを、慌てて手伝う。
「ありがとうございます」
「そ、そんな……ぼくのせいでっ……こんなひどい怪我……」
僕が、会いたいなんてわがまま言ったせいだ。後悔と罪悪感で涙が溢れ、頬を伝う。すると、固い指が頬を拭ってくれた。
「まったく……泣き虫な人だ」
「しん、さ……」
「泣かないでください。じきに、若君様もいらっしゃいます」
優しい眼差しに、ひっくとしゃくりあげた。つらいのは辰さんなのに、慰めてくれる優しさに涙が止まらないんだ。
二人して冷たい床に座り込んでいると、緑の瞳と視線がかみ合った。少し潤んで見えるそれが、ふいに近づいてくる。
「あ、……」
僕は、石のように固まった。
辰さんの綺麗な瞳が、どんどん大きくなってって……心臓が痛い。でも、目を見ひらいていることしか出来ない……。やがて、僕の唇に辰さんの吐息が触れる。
と、思ったら――辰さんが、肩に寄りかかってきた。
「……えっ?」
きょとんとする。
僕の肩に額を埋めたまま、動かなくなってしまった辰さん。狼狽える僕の目に……恐ろしいものが映った。
「あっ!?」
辰さんの肩に、あの男の人の短剣が突き刺さっていたんだ。
『――避けもしないなど』
さっきの男の言葉の真意がわかって、血の気が引く。
慌てて傷に触れると、藍色の衣にたっぷりと血が染みこんでいるじゃないか。
「し、辰さん……! しっかりしてください……!」
僕は広い背を抱きしめて、叫んだ。短剣を抜こうとして、くねった形状に躊躇う。――無理に引き抜いたら、傷口がずたずたになってしまう。
――どうして……!
避けたら、僕に当たるから? 打ち落としていたら、僕が植物に食べられちゃうから……こんな風に庇ってくれたの?
あまりの苦しさに、胸がぺしゃんこになりそう。僕は大きな背を抱いて、唇を噛みしめた。
「死なないで……ううん、死なせたりしない……っ!」
決心して、四呪を練る。
体内に残った呪力を全部つぎ込んだっていい。
――辰さんのことを、癒して。
全身から、蛍のように白銀の珠があふれ、辰さんにまとわりつく。
「お兄様……辰さんを、たすけて」
僕は、遠くなりそうな意識をつなぎ留め、必死に術を練りつづける。溢れ出す白い光が、繭のように僕らを包みこむ。抱き留めた辰さんの体が、ほんの少し温もった気がした。
手足の感覚も無くなった頃――
「――羅華!」
霞む視界に、翻る黒衣が見えた気がした。




