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あたたかい涙

「はあっ、はあ……!」


 僕は荒い息を吐き、ゆっくりと簪を下ろした。

 

 ――みんな、倒した……?

 

 石の床には、男の人達が倒れ込んでる。半数くらいは、階下に飛んで行ってしまったから、姿が見えない。


「やった……!」


 ようやく、辺りを見回す余裕が出来る。天井も壁も、ほとんど打ち砕かれて外の様子が見通せた。ひゅおおおお、と風が吹き込んできて、僕の髪を揺らしてく。


「……もう、夜なんだ」


 丸い月が、夜空高く上っている。

 とことこと、部屋の隅に移動して、下を見下ろしてみる。……街の様子は相変わらずで、この騒ぎに気づいてる人はいないみたい。むしろ、提灯の赤い火が連なって、賑やかさを増しているくらいだ。

 

 ――ってことは……まだ、結界が働いているってことだよね。

 

 僕は、ごくりと唾を飲む。

 あれほど大暴れして、術が解けていないなんて、相当の腕前の人がかけたんだ。きっと、今倒した人達じゃない。この結界を作った人が、もし戻ってきたら――。


「……急いで、逃げなきゃ! 近づいて、四呪を吹き込めば出られるはず……」


 そう決めて、身を翻したときだった。

 ふわり――。花の香りが鼻先を掠める。


「……!」


 嫌な予感がして、袖で口を覆い、飛び退った。


「誰っ!?」


 強く叫び、簪を構える。

 すると、首筋にひたりと冷たいものが押し付けられた。


「――動くな」


 静かな声が囁いて、ひゅっと息を飲む。

 いつの間にか、何者かが僕の背後に立っていた。どこにいたのか、全然わからなかった――。首に触れる冷たい感触に動けないでいると、何者かは言う。


「玄家の掌中の珠は、たいしたお転婆のようだ」

「あ……あなたは、誰? 僕を知ってるのっ」


 声を絞り出し問うと、相手は笑ったみたいだった。


「知っておるとも。玄景岳の弱みだからな」

「――!?」


 お兄様の名が出て、はっとする。

 

 『――風よ!』


 簪を握りしめ、叫んだ。

 僕を中心に風の渦が巻きあがり、敵を吹き飛ばす。石の床が壊れ、礫がばらばらと舞い上がった。


「……お兄様に、何かしたら許さない!」


 三間先に、飛びのいた男に向かって叫んだ。見れば、床に悠々と立っているその男は、あの花売りの人だった。

 

 ――この人……僕を攫った人だ!

 

 渡されたお花を見ていたら、気が遠くなったんだもの。間違いなく、手練れの術師だ。


「あなたは、何者なの! おうてい殿下の、手下ですか!?」


 僕は、ひゅんひゅんと簪をふるう。つむじ風が、いくつもいくつも現れて、石床を抉りながら花売りさんに突撃する。


「素晴らしい呪力だ。だが――」


 四方八方から迫る風に、彼は口端を持ち上げた。

 

 パンッ!

 

 男は腕を払うと、つむじ風を軽々叩き落とす。目にもとまらぬ速さだった。呆然としているうちに、僕の目の前に現れる!


「わあっ!?」


 簪を持つ手を、強く掴まれる。そのまま勢いよく突き倒されて、石の床に両腕を張り付けられた。




「痛いっ」


 背中を打ち付けて、けほけほと咳き込んだ。僕に馬乗りになった男は、喉を鳴らして笑っていた。


「そなたの攻撃は、殺気が無さすぎる。これでは、獣一匹討つことはできまいよ」

「……っ、あうっ!」


 きつく握りこまれた手首の骨が軋む。僕は、ぽろっと簪を取り落としてしまった。


「痛いっ、放してー!」

「はは、愛らしい。敵にそんな訴えが通用するものか」


 男はばらり、と黒い縄を取り出すと、僕の腕をぐるぐる巻きにする。じたばたともがいてみるけど、全然動けない。この縄も闇の呪力がかかっているのか、体の力が入らないんだ。

 

 ――どうしよう、この人強い……!

 

 四呪で縄を解こうにも、呪力を使いすぎて……うまく気が練れない。冷や汗が頬を伝う。


「しかし、惜しい。玄景岳は、そなたを甘やかしているようだが……鍛えれば良い術師になるだろうに」


 男は呟き、思案気に目を細めた。


「どれ――俺がそなたを育ててやろうか」

「えっ」


 ぎょっとして、目を見ひらく。


「そうしてやろう。鍛えたそなたを、玄景岳に差し向けるのも一興だ」

「っ!? そんなの、やだ……!」


 とっさに背けようとした顔を掴まれ、上を向かされた。男の冷たい黒い眼の奥で、ぐるぐると呪力がとぐろを巻いている。暗い穴を覗いたように、意識が吸い込まれそう。

 

 ――幻術だ!見ちゃダメ……っ。

 

 恐ろしい闇の輝きから目を逸らそうとして、出来ない。「眠れ」という暗示にかけられて、意識が遠のいていく。


「うぐ……」


 唇を噛み、痛みで抵抗する。それでも、暗示に逆らうことが出来ない焦燥に、涙が溢れた。


「やだ……っ、お兄様、お姉様……!」


 この人に、連れさられちゃう。怖くて、激しくしゃくりあげた。情けない。でも、大切な人に二度と会えないかもしれないんだ――。

 ふと鉄色の髪と、緑の瞳が浮かぶ。

 仲直りも出来ていないのに。


「辰さん……!」


 必死に、大好きな人の名前を叫んだ。

 そのときだった。

 

 ……キインッ!

 

 鋭い金属音が響く。


「……え?」


 視界を覆っていた黒い闇が、うち払われていたんだ。きっと、覆いかぶさっていた男が飛びのいたせい。満天の星空が、涙に滲んでいる。


「――!」


 僕の前に立ちはだかった影に、目を見ひらく。

 風に舞う、鉄色の長い髪。武人の藍色の衣を纏う、広い背中……。携えた細剣が、月光に輝いている。


「辰……さん……?」


 呆然と、名前を呼ぶ。

 

 ――嘘……。

 

 辰さんは振り返らないまま、静かに頷いた。


「羅華様」

「……っ」


 名前を呼ばれただけなのに、どっと涙が溢れ出した。さっきと違う、あったかい涙……辰さんが来てくれて、安心したんだ。


「参るのが遅くなり、申し訳ありません」


 優しい声に、ぶんぶんと首を振る。すると、遠くで様子を窺っていた花売りの男が、忌々しそうに呟く。


「玄家の手先か」

「……そう言う貴様は、誰の手のものかは知らんが」


 辰さんは、細剣を構え直す。広い背から、強い闘気が溢れ出し、藍色の衣がふわりと翻る。


「私の大切な方を傷つけた報いは受けてもらう」

 

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