あなたに背を押されて
「よおし……そうと決まれば、脱出作戦だっ」
僕は床に這ったまま、意識を集中した。……こんな風に、思い切り呪力を練るのは久しぶりだから、上手くいくかなあ。
『――四呪の光よ、わが身を巡れ』
小さく唱えれば、全身を白銀の光が包む。蛍火のように儚い光が、ぽこぽこと浮かびあがる。
ヴン……!
と、身体を戒める縄が、低い唸り声をあげた。四枚の札が、脈打つように黒く輝いてる。闇の呪術で、僕の力を吸いこもうとしてるんだ。
――今だっ。
そのタイミングで、強く呪力を練りあげた。カッ、と稲妻のような閃光が部屋を走って――
パンッ!
四つの札が破れ、縄がぱらりと緩んだ。
「やったぁ! 成功だーっ」
僕はむくりと身を起こし、窮屈だった体を伸ばした。ずっと縛られてて、肩が痛いや。うんと伸びをして、体に残っていた縄をぽいと払い落とす。
ボロボロに解れたそれは、すっかり呪力を失っている。
これは、結界旗と同じ要領なんだ。四呪の光は、完全な守護の力。たとえ闇の力であっても、四呪の光で無力化できるの。
――僕だって、玄家のはしくれ。お姉様の”黒鎖結界”でもない限り、逃げられる自信があるんだぁ。
えっへん、と誰にでもなく胸を張り、室内をきょろきょろ見回す。
寝転んでたからわかんなかったけど、ここは窓がない。扉は、さっき男の人達が出てった一つだけ。
「……ううん。正面から、行くしかないかなあ……」
戦いは苦手だけど、仕方ないよね。僕は、なにか武器になるものはないかと体を探る。すると……幸運なことに、お団子に簪がささったままになっていたんだ。
「うわあ、よかったぁ!」
お姉様なら、人質はジガイ防止に裸にしているところなので、運がいい。僕は簪を握り、ひゅんと振った。とっても軽くて、手に馴染む。
「ありがとう、お兄様……」
無事にここを出て、お兄様に危険を伝えなきゃ。
そして――辰さんとも……。緑の瞳を思い浮かべ、唇をきゅっと結ぶ。
「よしっ、行くぞー!」
ふんすと簪を天井に突き上げ、僕は扉に向かって駆け出した。
――バレませんよーにっ。
鍵もない木戸を、そろそろと押し開けて、顔を出す。すると――石造りの広間が現れる。僕の居た場所より広いお広間の中央には、たくさんの料理とお酒があって。それをぐるりと囲むように男の人達が座って、食事をしていた。
「はっはっは。玄景岳め、今頃泡を食っているだろうな!」
「あいつに、仲間をどれだけ殺されたことか!」
「それはもう、痛い目に遭わせてやろう。そうすれば、殿下も俺達を寵愛してくださるに違いない」
お酒を飲んで、どんちゃん大騒ぎしてる。あんな怖いことを話して、ごはんが美味しいはずないのに……僕は、ぎゅっと簪を握りしめ、様子を窺った。
出入り口は、広間の右奥にあるみたい。
「よし……ちゃんす!」
僕は、そっと木戸を押し開け、外に出た。壁伝いに、こそこそと歩く。大丈夫、ごはん食べてるし、気づかないはず――。
「ああん!? 何だてめぇ!!」
「うわぁ!?」
盃を投げ捨て、男の人達が息巻く。僕は、ぴゃっと飛び上がった。
「な、なんで気づいたのーっ?」
「ボケが、目の前を歩かれて、気づかねえはずねえだろうが!」
「こいつめ、どうやって縄を抜けやがった!」
怖い顔をした男たちが、ぞろぞろと集まって囲んでくる。僕は、壁にぴったりと張り付いて、頬をひきつらせた。
「あわわ……」
「チッ、可愛らしい顔してても、玄家ってわけか……!」
「ちょっと、痛い目に遭わせるほかねえようだな!」
男の人は、岩みたいな拳をバキバキ鳴らして、僕にすごんできた。
「……わあっ!」
ひゅん、と拳を振り回されて、しゃがんで避ける。
――怖いよーっ。いきなり殴るなんて、暴力反対だぁ!
僕は簪を構え、叫んだ。
「こないでっ。い、痛い目見ますよ!」
「何だあ? 簪なんかで立ち向かうってか……可愛いねえ」
「それで、何が出来るんだ? やってみな、お坊ちゃん」
男の人達は、にやにやと嫌な笑顔を浮かべていた。全然、引いてくれなさそうな様子に、僕は焦った。
――な、なんで、怖がってくれないのー?! 僕の迫力がないせいなのかなぁ?
僕だって、いちおう術師なのに。
オロオロしていると、男の人達が詰め寄ってきた。狼みたいに怖い顔で、大きな手を伸ばしてくる! 僕は、あまりの怖さに必死に簪を振り回す。
「わ、わああ! こ、こないでーっ!」
「ははは、愛らしい踊りじゃねえか」
術を編むことも出来ず、叫ぶ。
情けない、これでも術師なのに。玄家の一員なのに……!
『羅華、お前は戦いに向いていない。――誰も傷つけたくないと思っているのが、伝わってくるんだ』
いつかのお兄様の声が、蘇る。
『か、風よ……』
なんとか呪力を編もうとするのに、声が掠れてしまう。
「おらっ、しまいだ!」
「あ……!」
一人が、足払いをかけて来て、僕は尻もちをついた。どっ、と嘲笑が頭上にこだまする。
「うぐ……」
「ったく、手間をかけさせやがって」
「どうだ。今度は、裸に向いて、酌でもさせてやろうか」
「ひっ」
恐ろしいことを言われ、ぶるぶると体が震える。
怖いよう。
――助けて、お兄様、お姉様……辰さんっ!
泣きそうになって、心で叫んだとき――。
『――大丈夫です』
静かな声が、胸に蘇った。
「辰さん」
強い風が、胸を吹き抜けた気がした。
呪術がうまく使えなくて、お師匠様に破門されたときのことを、思い出したんだ。
*
術師になるべく、修業を始めたのは七つの頃だった。
そして――才なし、と破門されたのは、たったの三年後だったんだ。
『うわああん』
その日――僕は、お母様のお墓の前に、小さく蹲っていた。
玄家の敷地の外れにある、花に囲まれた墓所。そこは、お母様が眠っているところで、僕はことあるごとに報告にやってきていたんだ。
羅華は、立派な術師になります。
お兄様やお姉様と一緒に、戦える戦士になりますと……。
『はもんされちゃったよーっ! ぼく、やくたたずなんだーっ!』
顔を覆う道着の袖が、涙でびしょびしょだった。明日から着ることは無いそれに、ますます悲しくなる。
――もう、きえちゃいたい。
すると、背後で玉砂利を踏む音がした。
『羅華様』
辰さんが、息せき切って駆け寄ってきた。玄家の武人に許される、藍色の衣が翻る。僕は、痛む胸を押さえ、聞いた。
『辰さん、どうして……』
『わかります。お稽古の後は、こちらで母君様にご報告なさっていたでしょう?』
『……あっ』
知っていてくれたんだ。呆然としていると、辰さんが目の前に膝をつく。
『さあ、戻りましょう。兄上様、姉上様もご心配なさってますよ』
『……ううっ』
優しい声音に、ぼろりと涙が溢れ出す。僕は、ぶんぶんと頭を振った。
『いやですっ……』
『羅華様』
『だって、僕……破門、されちゃった……玄家の子どもなのに。立派にできないといけないのに……!』
ヒック、としゃくりあげる。
お姉様が言ってた。玄家は、強力な呪力を持つからこそ、人々のお役に立たないといけないって。
『僕、何も出来ない……いちゃいけないの……』
しくしくと啜り泣いていると、身体がふわりと浮かんだ。びっくりして目を開けると、辰さんに抱き上げられている。
『辰さん……!』
いつも、僕から抱きつくばかりなのに――。びっくりして、涙が止まる。
緑の目が、優しく笑んだ。
『大丈夫ですよ』
『え……?』
『術師になれなくとも、羅華様は羅華様です。あなたがいるだけで、力を得るものはいますよ』
穏やかな声に諭される。僕は、ドキリとしながら、尋ねる。
『そう、かなあ……?』
『ええ。だから、焦らないで――あなたにしか出来ないことが、必ずあります』
剣だこだらけの固い指が、頬を拭った。努力を重ねて、武人として認められた辰さん。彼が言うなら、そうなのだろうか――。
『辰さんっ』
僕はがっしりした首にしがみ付き、わんわん泣いてしまった。辰さんは、僕が泣き止むまで、背を撫でていてくれたんだ。
――こんな僕にも、出来ることがあるの?
凍えていた胸に、優しい明かりが灯る。
それは静かな秋の日で、紅葉した木々が墓石に影を落としていた。
*
そうだ。僕にも、出来ることがある。
僕は簪を握り直し、きっと男たちを睨む。
「来ないで下さい!」
闘志を燃やすと、男たちは呆れ顔になる。
「なんだ、こいつ……急に張り切りだしたぞ。窮鼠、なんとやらか?」
「僕は負けません! 降参するなら、今のうちですよ」
きりっと顔に力を込めて言うと、男たちは失笑した。
「なにを暢気に。時間を稼げば、助けがくると思っておるのか」
「残念だが、ここは偉い術師様が結界を張ってるんだ。どんだけ騒いでも、誰も来ねえよ!」
男は勝ち誇ったみたいだった。
「結界……」
僕は、鸚鵡返しに繰り返す。男の人は、にやりと笑う。
「そうだ。お前が泣こうが、騒ごうが――」
手を伸ばしてきた男の人の額に、とん、と簪の先を当てる。
「――よかった」
僕は、すうと息を吸った。
握りしめた簪の先が、金色の光を纏う。
ぎゅるるる……と簪を軸に、風が逆巻く。黒い袖が、はたはたと翻るのを、押さえつつ叫んだ。
『わが身に纏う風よ、悪党たちを吹き飛ばせ!』
唱え終わるとともに、簪の先から大きい竜巻が噴き出した。
ゴオッ……!!
「なあっ!?」
近くにいた男の人は、驚愕に目を見ひらいたまま、竜巻に飲み込まれる。
「ぎゃああああっ!!!」
彼はつんざくような悲鳴を上げながら――敷物に置かれたご馳走と、後ろにいた数人をも巻き込んで、壁を突き破った。
どんがらがっしゃーん、と破壊音が響く。
「な……何が起こった!!」
残された男たちが、一斉にどよめいた。
「せ、成功した……よかったぁ、木っ端みじんにならなくて」
僕は、簪を胸に当て、ふうと息を吐く。大汗に顔を濡らした男の人が、わめいた。
「お前……なんだ、その力は!?」
叫び声にひとしいそれに、僕は恐々と目の前を見る。
部屋の壁、一面が壊れていた。そこから、街の景色が一望できる。――でも、下で騒ぎになってる気配はない。
「……ホントに、結界が効いてるんだ」
なら、大丈夫だよね。
僕は簪を構えた。びゅう、と強い風が吹き込んできて、髪を揺らす。
「僕……呪力の加減が、上手に出来なくて。攻撃の呪術を使ったら、危ないんです。戦場に出たら、味方もろとも吹き飛ばしちゃうって」
だから、針先に呪力を灯す、繊細なコントロールの修練を積んできたんだ。
――僕……やっぱり、下手だなあ。
苦笑いしてしまう。
でも、歩みが遅くっても、役に立てなくても――僕にしか出来ないことが、あるはずだよね。
「皆さん……怪我しないように、上手くよけてください!」
僕は、簪を振りかぶる。ぎゅるるる……と巨大な竜巻が、腕に巻き付くように出現する。どんどん大きくなる竜巻は、壁を破壊し、天井を吹き飛ばす。
「う、うわあああああああ!!!」
男たちの悲鳴がこだました。




