ならべない背中
僕は、雷に撃たれたみたいに棒立ちになる。
怖い顔で近づいて来た辰さんに、強く両肩を掴まれた。
「あっ……!」
「こんなときに外出するなど、どうかしています。――どうして、こんな勝手な真似を!」
きつく叱責され、肩を揺さぶられる。僕は、がくがくと左右に振られながら、あまりの怖さに声も出せない。
――辰さん……すごく怒ってる……!
力の抜けた手から、お饅頭の包みが滑り落ちた。包みが解けて、ころころとお饅頭が床に散らばっていく。一瞬、悲しみに冷えた胸は、すぐに「怖い」で塗り替えられた。
怒ってる辰さんが怖い。
「あ……う……」
僕を睨む緑の瞳は、冷たく冴えていた。
辰さんにはよく叱られるけど、今日は何か違う気がする。いつもは、「駄目でしょう」って言われても、ここまで怖くないもの。こんな、嫌われたかもってほどじゃ……。
「答えなさい、羅華様」
もう気を失いそうなのに、許さじと辰さんの叱責が迫ってくる。
「羅華様に何かあって、傷つくのは貴方だけではないのですよ。若君様と姉上様だって、どれほど心配されることか――!」
「……し、辰さん。ごめんなさ……僕、心配かけるつもりじゃ……」
僕は、息も絶え絶えに謝った。
ぶるぶる震えていると、目の前にばっと色鮮やかな影が立ちはだかる。文徳さんだ。
「辰、お前というやつは……! なんとデリカシーのない男なのだッ。危険を顧みず、そなたに会いに来た羅華様の気持ちが分からぬか?!」
と大きな声で言い返し、長いお袖の後ろに庇ってくれる。……文徳さん、お兄様みたいだ。思わず、縋るように袖を掴むと、辰さんの目がもっと剣呑になる。
「ええ、わかりませんよ。この非常事態に――お立場を省みない、子供の気持ちなど! 張様、梅殿も何故おとめしないのか!」
「……っ!」
忌々しそうに怒鳴られ、僕は目を見ひらく。
――こども……。
その言葉が、ぐっさりと胸を貫いた気がした。じわ、と瞼が熱をもって、視界がぼやけだす。
「……ううっ」
「羅華様……」
呻いた僕の肩を、梅がそっと支えてくれる。
「このぉ……出過ぎたことを申すな、辰! 私は、景岳様のご意向を酌んで動いておる。そなたの出る幕ではないわ!」
怒りで顔を真っ赤にした文徳さんが、怒鳴り返した。
対する辰さんも冴え冴えとした瞳で睨んでいる。バチバチ、と二人の間に火花が散っているみたいだった。
「ひええ」
「張様……辰殿もどうしちまったんだ」
お兄様の側近の文徳さんと辰さんの睨み合いに、室内の空気は肌が切れそうに張り詰めている。気の強い梅も青褪めてる。
僕は泣きたい気持ちで、みんなの顔をきょどきょどと見まわした。
――僕のせいで、みんなが困ってる……。
会いに来たいなんて、わがまま言ったからだ。僕のせいで――ぐっとおなかに力をこめ、袖で顔を擦った。
「ごめんなさい!」
大きな声で言い、ペコリと頭を下げる。
「羅華様――?」
部屋中の目が集中する中、僕は笑った。ずび、と鼻が鳴って台無しになったけれど。
「えへへ……ちょっと驚かせようと思って。急に来て、ごめんなさいっ。僕、帰りますね!」
それだけ言って、くるりと身を翻すと、僕はその場から走り去った。
走り出した途端、ぶわっと涙が溢れる。
「羅華様……!!」
たくさんの声が背にかかる。心配をかけるのはわかっていたけど、僕は振り返れなかった。
――僕のばか……なんで来たいなんて言ったんだろ……!
辰さんを怒らせて、文徳さんや梅、みんなにも迷惑かけて。なにひとつ良いことがないじゃないか。
ぐすぐすと鼻を鳴らし、一目散に来た道を戻る。
最初に降り立った部屋まで来て、お勝手口を勢いよく開け放った。
パシッ。
「わあっ!?」
外に出ようとした瞬間、なにか壁のようなものに阻まれる。
びっくりして目を凝らすと――開け放った出入り口に、光る膜がうねっていた。
『この玉が無ければ、移動することはできませぬ』
文徳さんの説明を思い出して、呆然とする。ここまで来たのに、戻れないなんて……。
「――羅華様!」
ふいに遠くから、僕を呼ぶ声が響いてきた。
どくん、と鼓動が跳ねる。――いちばん会いたくて、会いたくない人の声。振り返ると、辰さんが駆け寄ってくるのが見えた。
「……っ!」
やだ!
僕は咄嗟に、扉に身を投げた。途端にへんな膜に阻まれ、ビリビリする光にさらされる。
「わーっ、痛いよーっ!」
静電気を浴びているみたいな痛みに、悲鳴を上げる。
――でも、やだよぉ!もう帰りたいっ。お兄様のとこへ、帰りたい……!
意固地になって、前に進もうと両手を振り回した。すると――髪に差した簪がパチッ、と烈花を放つ。
「えっ?」
戸惑ううちに、ぱちっ、ぱちっと音と光が大きくなっていく。
「羅華様! 戻りなさい……!」
辰さんの焦った声が聞こえた。痛みで滲んだ視界に、辰さんがこっちに手を伸ばしているのが映る。
――辰さん……!
大きな手に、腕を掴まれた瞬間。
バリンッ!
硝子の割れるような音を立て、結界が破れた。
*
一瞬、視界が真っ白に染まる。
「え……?」
そして――気がつくと、僕はあの廃屋に立っていた。夕陽の差し込む室に、あいかわらず小父さんは机に突っ伏して、転寝している。
――僕、転移したの? 転移術なんて使えないのに……。
そういえば、お兄様に頂いた簪がチカチカして、それで……と、思いを巡らしていると、
「羅華様……ご無事ですか!?」
辰さんが側に居て、僕は息を飲んだ。
「あ……!?」
ぐい、と広い胸に引き寄せられ、清冽な香を浴びる。大きな手で頬を掴まれ、どこにも怪我をしてないか検分するように、あっちこっちを向かされる。辰さんの目は睨むように真剣で、僕はかーっとなった。
「は、放してくださいっ。辰さんは、お仕事に戻って……」
「馬鹿なことを。お一人だと危ないと言ったでしょうが!」
いやいやと頭を振ると、厳しい声でぴしゃりと叱られた。びく、と肩が跳ねる。
「……ごめん、なさ……」
怒られてばかりで、流石に萎れちゃう。
ふぐっ、とこみ上げた嗚咽を堪えていると……辰さんは少し表情を和らげた。
「……わかって下されば良いんです。さあ、私が玄家までお送りしますから、戻りましょう。若君様が心配されていますよ」
幼い子を窘めるように言われて、悲しくなる。でも、僕は本当に子供なのかもしれないって思う。大人の恋人だったら……こんなに辰さんを困らせないもん。
ぼろ、と涙が溢れた。
「はい。ごめんなさい……」
袖で顔を覆って、こくりと頷いた。これ以上わがまま言って、呆れられたくなくって。
辰さんは、ほっとしたように深い息を吐いた。
「では、参りましょう」
辰さんが、僕の手を引いて歩きだす。前を行く鉄色の髪をじっと見つめながら、僕は蛇さんの道を歩んだ。
「……」
二人とも、ちっとも喋らないから、沈黙が辛い。
辰さんは前を向いたまま、黙々と歩いてる。凛々しい横顔は、ちっとも振り返ってくれない。
――やっぱり、怒ってるのかな。
恐々と窺うと、辰さんと目があった。「どうした」と言うように片眉を上げた彼に、慌てて頭を振る。
「なんでも……」
「そうですか」
また前を向いて歩きだした辰さんに、胸がずきずき痛む。また、無言の道中が始まって、大人しくついて行きながら、思った。
――僕が黙ってたら……こんなに静かなんだ。
少し先を行く大きな背が悲しい。
蛇の道を抜け、やっと大通りに出る。夕暮れになって、ますます賑わいを増す街に僕は戸惑う。
「わ……」
「羅華様、はぐれてはいけません。私から離れないように――」
辰さんが僕の手を引き寄せた、そのとき――
「――あら、辰様?」
鈴の鳴るような声が、辰さんを呼んだんだ。




