辰さんのばか
僕は振りかえって、驚いた。
夕暮れの風のなか、饅頭屋の前掛けをはためかせながら、綺麗な女の人が駆け寄ってくる。
――あの人は……玉鈴お姉さん?
すると、僕の腕を掴んでいた辰さんが、驚いた声を上げる。
「玉鈴殿」
「辰様!」
側にやってきた玉鈴さんが、辰さんににっこりと笑いかける。お顔の周りに、ぱっとお花が咲いたみたいだ。
「こんなところでお会いするなんて、偶然ですね! 今日は、お店にいらっしゃらなかったから、もう会えないかなと思ってたんですよ」
「仕事だったもので。玉鈴殿は、分店のお手伝いですか?」
「ええ。もう帰るところですけれど……」
軽やかに話す玉鈴さんに、応えを返す辰さんの声は、どこかやわらかい。僕は、なんだか胸がギュッとふさがる感じがした。
――辰さん、玉鈴さんと仲良しだったのっ……?
僕は、親し気におしゃべりする二人を、おろおろと見比べた。
辰さん、こんなに綺麗な女の人と仲良しだなんて、知らなかった。辰さんはカッコいいから、侍女の人達にも好かれていて、親切なのも知ってる。でも……もっと、近しくて楽しそうなんだもん。
すると、玉鈴さんがこっちを振り返った。
「まあ! お連れの方がいらしたのに、ごめんなさい……って、お饅頭のお客さんじゃない?」
「あ……さっきは、ありがとうございました」
僕は内心ぎくりとしながら、頭を下げる。……ちょっと気後れして、両手をもじもじさせていると、辰さんが「饅頭?」と訝し気に問う。
「さっき、うちの分店にいらっしゃったんですよ。素敵な公子様方とご一緒で。桃饅頭を、たくさん買って頂いて有難かったですわ」
「そ、そんな……」
にこやかな玉鈴さんの言葉に、冷や汗が滲んだ。
――さっき、辰さんに怒られたばっかりだから、気まずすぎるぅ……。
俯いていると、辰さんが「へえ」と呟いた。
「文徳殿と都見物、ですか」
「ご、ごめんなさい……」
低い声に、ビクリと肩が震えた。辰さんは、凄くむすっとしてて、勝手に怯えてしまう。
すると、僕達を興味深そうに見ていた玉鈴さんが、尋ねた。
「お二人は、いったいどういったご関係? ご兄弟……じゃないですよね?」
ドキリとした。
思わず、勢いよく辰さんを振り仰ぐ。辰さん、なんて答えてくれるだろう――。どきどきしていると、辰さんはすっと目を伏せて、淡々と言う。
「仕事の関係で護衛を務めています」
「……!」
僕は、頭に岩がガッツーンてぶつかったみたいに、衝撃を受けた。
しごとのかんけい!
義務的で冷たい響きに、泣きたくなった。
――僕たち、婚約者なのに……どうして?
しょげて俯くと、頭の上を朗らかな笑い声が通過していく。
「まあ、そうでしたの。詮索なんかして、許してくださいね――私は、桃玉鈴と申します。辰様には良くして頂いてます」
玉鈴さんは綺麗な礼をし、名乗った。
ぼくは、その名前にひゅっと息を飲む。
――桃って……桃家の、ご令嬢……?!
剛さんの言っていた人って、まさか……。どくんどくん、と心臓が不穏に脈打ち始める。
「玉鈴殿には世話になっていますので」
辰さんは微笑する。
「そんな……こちらの台詞ですわ。お忙しい中、いつも店に足を運んでくださって」
「い、いつも?!」
つい口を挟むと、玉鈴さんは、はにかんだ。
「はい。お休みのたびに、来てくださるんです」
「……ぁ……」
その言葉に、心がしおしおになっていくのを感じた。
――僕は……ずっと、会えなかったのに……。
仕事で忙しいから会えない、と届いた手紙を思う。お仕事の邪魔したくなくって、ずっと待ってた。僕も会うのが怖いから、ちょうどいいんだって言い訳しながら。
でも。でも、本当はずっと辰さんに会いたくて……。
「うっ……」
ぽろ、と涙がこぼれた。胸に熱い塊がせってきて、ひっとしゃくり上げる。
「羅華様?」
辰さんが、目を見ひらく。伸びてきた大きな手から、ぱっと身を翻した。
「や……!」
僕は、ぼたぼたと涙をこぼし、唸った。辰さんは困った顔で、眉を寄せている。また困らせてる。
「まあ……大丈夫ですか?」
玉鈴さんが心配そうに、手巾で頬を拭ってくれた。甘い香りがふわりと匂い、僕は嗅ぎ覚えのある香の正体に気づいた。
――そうだ。辰さんが、お見舞いに来てくれたとき、同じ匂いがした……!!
あの日も、会ってたんだ。
そう思うと、胸がズキズキして、苦しいのが止まらない。
――……やだ。もう、ここにいたくない。
願いに感応するように、簪がぱちぱち、と烈花を放つ。真っ白い光がバリバリ、と稲妻のように閃いた。
「きゃあっ!?」
「玉鈴殿!」
玉鈴さんが悲鳴を上げた。辰さんが、咄嗟に庇うように前に出た。
「あ……!」
僕の腕を掴んだ手が、離れて行く。
軽くなった袖が、はたりとはためいた――。
バチッ!
その刹那、ひと際激しい音を立て、白い光が弾けた。
「――羅華様!」
辰さんが、僕に手を伸ばす。それは、必死の様子で……大切だって言われてるみたいで。
僕は、ぶわりと涙を溢れさせ、怒鳴った。
「…………辰さんの、ばかっ!」
バチン!
怒鳴り終わらないうちに、目の前が真っ白になった。
*
ぱちぱち、と白銀の烈花が、簪の周りではじけていた。
逆立っていた髪の毛が、ふわりと背に落ちてくる。
「……う……?」
ず、と鼻を啜る。きょろきょろとあたりを見回せば、そこは玄家じゃなかった。
白く朽ちた塀が、ぐるりと囲んでいる。市場の喧騒から、少し遠いけれど――まだ、街の中みたい。
「な、なんで……? お兄様のとこに行きたい、って思ったのに」
お団子から簪を抜き取って、あっと目を見ひらく。
宝珠の中に込められた四呪が空っぽになって、ふつうの水晶になってしまってる。
「そっか……結界を抜けるときに、いっぱい呪力をつかったから……無くなっちゃったんだ」
呟くと、ひゅう、と風が吹きぬける。無人の通りは、広々として寂しかった。建物にも見覚えがなくて、途方に暮れてしまう。
僕は、辺りをうろつきながら、皆に呼びかけた。
「梅~……文徳さん~……?」
もちろん、返事はない。心細くて、胸がひんやりする。
僕は、おろおろと歩き回り、通りに出ようと頑張った。でも、同じ場所を回るばかりで……やがて行く場所を失くし、立ち止まった。
「嘘ぉ! ここ、どこ~……!?」
壁に凭れて、頭を抱える。完全に迷子になっちゃった。みんなのことも置いて来ちゃったし、絶対心配かけちゃってる……。
「辰さ……」
弱音を吐きかけて、玉鈴さんと寄り添う姿が浮かび、口をつぐんだ。
――……辰さん。
僕は、へなりとその場に座り込んでしまう。
大好きな人を想うと、涙が滲む。
「……怒鳴っちゃったよぉ……」
ひぐ、と嗚咽が漏れる。ただでさえ、わがまま言って怒らせたのに、怒鳴っちゃった。
――ぜったい、嫌われた。もうおしまいだ……。
ぐす、と鼻を鳴らす。そのとき――ざ、と土を踏みしめる音が聞こえた。
「辰さんっ?」
弾かれたように顔を上げる。けれど、そこにいたのは、籠を背負った若い男の人だった。
辰さんじゃ、ない。
僕はがっかりして、膝に頬を埋めた。そんなに都合よく出会えるわけないのに、馬鹿だよね。自分を懲らしめるよう、膝に頬をぐりぐり押し付けていると、目の前が陰になる。
「――花は如何ですか?」
「え……?」
いつの間にか、そばに来ていたお花売りさんが、人懐っこい笑みを浮かべ、見下ろしている。
「可愛らしいお方。――どうぞ、これで涙を拭って下さい」
軽妙な口上に目を瞬く。
涙で濡れた鼻先に、瑞々しい睡蓮が差し出されていた。白い剣先のような花びらには、珠みたいな露がついていた。甘い匂いが、ふわりと鼻腔を撫でる。
「きれい……」
うっとりと、目を細める。うす闇に、白い花びらがボウ、と浮かんで……光っているみたい。知らず見惚れていると、その花びらがほのかに赤みを帯びてくるのに気づいた。
――あ、れ?
花芯から、どんどん赤が染みだすように広がり、白い睡蓮を染めてく。白かった剣先が真赤にそまり、その尖りから赤い雫を滴らせ始めた。ぽたぽた、と零れたそれが、僕の手のひらに落ちてくる……。
ぬる、と温かい。
「……わ!?」
ゾッとして手を振ると、鉄さびのにおいがする。
――血……!?
そう気づいたときには、すでに地面に横たわっていた。目の前には、年季の入っていそうな草履。
必死に首を巡らせて見上げると、花売りの男が笑っていた。
このひと、いったい……そこまで思って、抗いようもなく、視界が黒に染まった。
「いや、やはり――傷は、傷でしか癒せないな」
意識が落ちる寸前、歌うような言葉が聞こえた。




