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司令官はまつろわない〜陰謀編〜  作者: 綾部みね子
2章

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第29話 魔女の降臨

 夢を見ているのだろうか。

 それとも自分はもうすでに死んでいて、ここは死後の世界なのだろうか──。

 スノウは自分の目の前で今、何が起きているのか理解できなかった。



 駄目だ。

 撃たれる──!


 瞬間的に目だけは閉じた。しかしいくら待っても予想していた衝撃も痛みもやって来ない。

 今まで幾度となく他人に死を与えてきたが、死とはこんなものなのだろうか。

 何も聞こえない。何も感じない。


「なっ、なんだこれッ!?」


 トーマが驚愕の声を上げた。

 はっと我に帰り目を開けると、額のすぐ先で拳銃の弾丸が緩やかに回転しながら宙に浮いている。


「──!?」


 スノウは声を上げることも出来なかった。


 これは現実か?

 それとも夢なのか?


 トーマも、その仲間とおぼしき黒ずくめの数人の男たちも、誰一人として状況がつかめない。


「くそッ!!」


 それでもトーマは、苛立たしげに数回続けて引き金を引いた。しかしそのすべてが、やはりスノウの目前で動きを止める。まるで見えない壁が二人の間に立ちはだかっているかの様だ。

 皆、ぽっかりと口を開いたまま、何もないはずの空間を奇妙に浮遊する弾丸に釘付けになった。

 張りつめるほどの緊張感と静寂。




「──おぞましい……」


 そんな中、不意に言葉を発したのは司令官だった。

 彼女はトーマの後ろで棒のように立ち尽くしたまま、小さな顔を不快に歪ませる。


「そのような鉛のつぶてで、同じ種族を殺めようとするなど……。まこと、人間とは下等な生き物よ……」


 しかし、どこか様子がおかしい。

 自分以外の存在すべてを見下すような、さげすむような、酷く冷たい表情をしている。

 そんな顔、今まで一度たりとも見たことがない。


 有無を言わせぬ迫力のようなものは以前からあった。それは彼女の容姿の美しさが成す副産物のようなもので、気品とも言えるものだった。

 最初は驚きはしたが徐々に慣れて、迫力を感じることは無くなってきていた。


 だが今は違う。

 身体を畏縮させるような非情な声。抵抗する気を萎えさせる冷たい眼差し。

 まったくの別人になってしまったようだ。


「し、司令官……?」


 スノウは膝を付いたまま茫然と少女を見上げた。

 だが彼女はこちらの姿など目に入っていないかのように、鋭くトーマの方を睨み付ける。

 トーマは司令官を振り返るとビクッと身をすくめ、一歩後ずさった。


「お前の仕業かッ!?」


 その吐き捨てるようなトーマの一言が、少女の逆鱗に触れてしまったらしい。美しい眉を釣り上げ、少女は低く這うような声を吐き出した。


「……お前、だと? 貴様のような下等な人間に、お前呼ばわりされる覚えはない。身のほどを知るがよい──」


 突然、トンネルの奥から物凄い突風が吹き荒れた。川の水や砂が一緒に飛んで来て目も開けていられない。ごおっという嵐のような音が耳をかすめていく。立っているのもやっとだ。


(なんだこの風はッ? 何が起きたんだッ? 司令官は無事か──?)


 両腕で頭部を守りながら何とか薄目を開け少女の元へ行こうと試みるが、次の瞬間、強烈な風圧でトンネルの外に一気に押し出された。

 もう上も下も分からない。

 スノウは十数メートルは吹き飛ばされ、海岸の砂の上に激しく背中を打ち付けた。


「──ぐぁッ!!」


 受け身はとったものの、衝撃で息が出来ない。

 何とか呼吸が出来るようになってからまわりを見やると、吹き飛ばされたのはスノウだけではない。スノウの後ろにいた黒ずくめたちも、ある者はうつ伏せに、ある者は仰向けに砂浜に転がっている。

 司令官の一番近くに居たトーマは一番遠くまで吹き飛ばされていて、波打ち際ぎりぎりのところで仰向けに倒れて動かなくなっていた。


 一体、何がどうなっているんだ。


 スノウは訳も分からないまま上半身だけをやっと起こし顔を上げた。すると信じられないことに、司令官がふわふわと宙に浮きながらこちらに近付いてくるではないか。


「──なッ!?」


 目を疑った。

 今、自分は本当に生きているのか。それさえ疑った。


「──ふっ、勢い余ってそなたまで吹き飛ばしてしまったか……」


 冷笑を浮かべながら司令官は空中を漂い、スノウの前まで来て羽根のようにふわりと降り立つ。

 姿も声も司令官そのものなのに、纏う雰囲気がまるで違う。

 スノウは地面に腰を付けたまま、惚けたように彼女の姿を見つめた。

 実際、見とれていたのかも知れない。彼女のその冷たい表情が、傲慢な態度が、この世のものとは思えないほど美しく見えたのだ。


「……そなたは魔女の騎士か?」


 司令官は、いや司令官の姿をしたその女は、艶やかな唇でそう言った。


「答えよ。そなたはこの娘の騎士か?」

「──騎士……?」


 彼女は何を言っているんだ?

 この娘とは、誰のことを言っているんだ?


「なぜ答えぬ? 違うのか? だが、そなたの魂はレイと同じ……」

「──レイ?」

「……そうか、まだ契約は交わしていないのだな。ならばわたくしが、そなたに“絆”を与えよう──」

「絆……?」


 そう言うが早いか、司令官の姿をした女性は目前まで近付いて来て、細い両手でスノウの顔をつかみ上げた。そして腰を折って白磁器のような顔を寄せると、茫然とするスノウの唇に自らの唇を重ねた。


(────なッ!)


 スノウは驚いて身体を硬直させた。伏せられた瞳が、すぐ近くにある。琥珀色の髪が、少女の肩を滑って頬にかかった。

 それが何の為の行為なのか、スノウには分からない。頭の中が痺れているようで、何故か抵抗する気力が起きなかった。

 このままでは駄目だ。

 そう思うのに、身体が言うことを聞かない。

 違う。これは司令官じゃない。

 スノウは目を強くつむった。

 すると急に、身体の中が熱くなった気がした。

 熱を持った何かが、喉から胃に落ちていく感覚。その熱は身体の隅々まで行き渡り、やがて鎮まった。

 何だろう。この何かに満たされていくような、不思議な感覚は。


 この女性は、一体何者なんだ──。


 だが、女性がその身を離すと、彼女の表情は一変していた。

 氷の彫刻のような冷たい印象は見る影も無くなり、眼差しは柔らかく、憂いを帯びてひそめられている。


「司令官?」


 一瞬、本来の彼女に戻ったのかと思い、手を伸ばしかけた。


「あなたにお願いがあります──スノウ……」


 しかし、違う。

 司令官には、まだ自分の本当の名を語っていない。

 スノウの名がその口から出てくるわけがないのだ。


「……今度は、誰だ?」


 そう言って目をすがめると、その女性はいっそう悲しげに俯いた。


「──……私は、ユリヤ……」


 ユリヤ。

 その名には聞き覚えがある。

 確か、司令官が言っていた、ユリス・ハインロットの双子の妹。

 ──司令官の元になっているかもしれない女性。


「お願い。この子を、ツルギを守って欲しいのです。決して、この子を帝国に渡してはいけない!」


 思い詰めた表情でユリヤと名乗る女性は言い募るが、スノウは何一つ飲み込むことが出来ずに頭を抱えた。


 誰か教えてくれ。

 もう自分には、何がどうなっているのか分からない。

 ユリヤは既に死んだと言う話だったはずだし、最初の女性も何なのか分からないままだ。

 もし幽霊だとでも言うのだったら、やはり自分は死んだのだ。トーマに撃たれたあの時に。


「スノウ、どうか落ち着いて。私の話を聞いてちょうだい」


 ユリヤは砂の上にひざまずいてスノウの手を取った。真っ直ぐに優しい瞳を投げ掛けてくる。

 その温かい手の温もりと琥珀色の眼差し。

 司令官ともさっきの女性とも違う、ローソクの灯りのような、安らぎを与える瞳。

 その瞳に見つめられているうちに、スノウは少し落ち着きを取り戻した。


「……教えてくれ。あなたは何者なんだ。さっきの女性は? 司令官は、どうなってしまったんだ──!?」


 ユリヤは小さく息を吐いて、弱々しいながらも笑みを作る。


「あなたが混乱するのも無理はありません。とても信じられるような話ではないと、私も思います……」


 そう言ってそっとスノウの手を離すと、真剣な顔つきに戻り言葉を続けた。


「あなたも知ってのとおり、私はユリス・ハインロットの妹です。そして、私の身体の一部から造り出されたのがツルギです」

「それはつまり、司令官はあなたのクローンだということか?」

「ええ、そうです。それこそが、この子が帝国に狙われる理由──」


「……どういうことだ? なぜ帝国は彼女を狙うんだ?」


 ユリヤはまるで何かを悔いているかのように、悲しげに俯いた。しかしすぐに顔を上げると、意を決して口を開く。


「それは……この子が、魔女だからです」


 魔女……?


 おとぎ話などによく出てくるあの魔女だろうか。

 スノウの中では黒い服を着て、鷲鼻で、しわしわの老婆のイメージだ。大輪の花の様な印象の司令官とは、とても結び付かない。


「……言っている意味がわからない」


 そう言えばさっきの女性も、同じ言葉を発していた。

 お前は魔女の騎士か、と──。


「先ほどあなたの前に現れたのは、魔女セシリア。我がハインロット家の始祖さまです」

「始祖? 一族の一番最初の人、ということか?」

「そうです。セシリア様はずっと昔に亡くなられた方。肉体はありません。しかし、そもそも魔女には“死”というものが無い。例え身体が朽ちても、思念だけの状態で存在し続けることができます。肉体はただの入れ物なのです。ただ、肉体が無ければ魔術を発動させることができない。ですから太古の魔女たちは、肉体が朽ちる前に自らの身体を複製し、新しい身体に魂を入れ替えることで、不老の身体を得ていたのです」


 不老という言葉が、まるで禍々しい呪文のように聞こえる。


「自分の身体を、複製? それじゃあまるで、現代のクローン技術──」

「そうです。ツルギは、魔術によってではなく、人間の科学技術によって人工的に造られた魔女なのです」


 そこまで言うとユリヤは口をつぐんだ。膝の上に綺麗に手を揃えて座り、スノウから視線をそらして俯いた。


「……今すぐに全てを信じろと言うのは無理でしょう……。でもこれだけは信じて欲しい。ツルギを帝国に渡してはいけない──!」


 胸に手を当て、身を乗り出すようにユリヤは訴える。


 確かに、こんな話、到底信じられるものではない。

 だが、先程自分の目で見たものは何だったのか。

 宙に漂う弾丸や突然の突風。浮遊する人間。

 どれも説明ができない。

 それこそ、『魔法』とでも言わない限り……。


 スノウはごくりと唾を飲んだ。


 司令官は、人工的に造られた魔女──。

 彼女と行ったあの研究所は、それを造る為の施設だったのだろうか。


「……帝国帝国って。一体、帝国には何があるんだ?」

「“ある”のではありません。“いる”のです。セシリア様と同じ、太古の昔に滅んだはずの、魔女が──……」





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