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司令官はまつろわない〜陰謀編〜  作者: 綾部みね子
2章

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第28話 再会

 追いかけていた軍用車は、トラックを乗り捨てた場所から少し先の、静かな海岸の真ん中に停まっていた。

 しかし中にはすでに誰も乗っておらず、司令官の物と思われる荷物もそのまま。車の鍵も刺さったままで、人だけがいない。

 スノウが車内を注意深く観察していると、シュウが何かを見付けてサラッと聞き捨てならない事を言った。


「あ。誰か死んでる」


 視線の先の方向を見ると、砂の上に誰かが倒れている。どことなく不恰好な迷彩服姿に、赤茶色の髪の女──。

 それはヒメルだった。やはり一緒に乗っていたか。

 近付いてみると頭から少し出血している。片膝を付いて首筋に触れると脈はあった。気を失っているだけのようだ。


「どうする? 起こす? あの気付け薬ならまだあるけど」


 シュウは腕を組んで斜めに構え、面倒くさそうに言った。

 スノウは少し迷ったが、何が起きたのか状況を聞きたかったので、こくりと一度頷きシュウに場所を譲った。

 迷ったのは、あの気付け薬の強烈な臭いが、ヒメルには強すぎるのではないかと思ったからだ。しかし、だからと言って一刻を争うこの状況で、起きるまで待つ訳にもいかない。

 シュウはヒメルのかたわらに膝を付くと、自分の鼻をつまみながら小瓶を彼女の鼻に近付けた。スノウはそれを、少々気の毒な思いで見つめる。


「…………おええッ!」


 予想どおり、ヒメルは数秒で目を覚ました。しかし勢い余って嘔吐してしまい、四つん這いのまましばらく荒い呼吸を繰り返した。

 まあ普通はそうなるだろうな。と、体験者であるスノウは思う。

 やっと吐き気が収まると、ヒメルは鼻水やら涙やらでくちゃくちゃになった顔を上げた。そのあまりの顔に、シュウは身体を仰け反らせるように立ち上がると、汚いものでも避ける様に側を離れた。

 いくらなんでもその反応はあんまりだろ。スノウは顔をしかめる。

 彼女は完全に巻き込まれてしまっただけだ。スパイも殺し屋も帝国も、彼女には全く関係がない。その上こんな扱いを受けて、不憫としか言いようがない。


「──ひっ、ふ、副官ッ!?」


 ヒメルはこちらの姿を認めると、くちゃくちゃの顔もそのままに、顔面を蒼白とさせた。逮捕されたはずのスパイが、予期せず自分の目の前に居たからだろう。


「すまないセイジョウ。どうしても話が聞きたくて手荒な起こし方をしてしまった──」


 ヒメルの側に膝を付き、スノウは真剣な面持ちで語りかけた。


「何があったんだ? 司令官はどこに行った?」


 出来るだけ威圧感を与えないように気を付けながら尋ねると、ヒメルは更に顔をくちゃくちゃにして、見るまに目に涙を溜めだした。


「……うっ、うっ、副官〜〜ッ! スエサキ軍曹がッ! スエサキ軍曹がッ! 突然おかしくなっちゃったんですぅ!」

「──やはりスエサキか」


 思ったとおり、本当のスパイはあいつだ。


「で? そいつはどこ行ったのッ?」


 シュウは苛立たしげに強い口調で言った。

 こいつ

はずっと尾行していたのでヒメルの顔も知っているが、対するヒメルは突然現れた見たこともない黒髪の少年に詰問され、びくびくしながら答えた。


「す、すいません。私、殴られて気を失ってしまって……、その後のことはわからなくて……」


 涙をぽろぽろとこぼしながらヒメルは必死に言葉を紡いだ。


「なんだ。結局何も知らないんだ」


 冷たいシュウの一言に、彼女はびくりと身体を震わせ、ますます怯えてしまう。


「いいんだセイジョウ。良く話してくれた。十分だ。とにかくこのままここに居ては危険だ。立てるか?」


 あまりにも不憫に思えて、スノウはヒメルの肩を支えながら彼女をなだめた。するとヒメルはふらふらしながらもゆっくりと立ち上がり、ぽつりと呟いた。


「……副官、何でそんなに優しいんですか? なんか気持ち悪い」

「何だと?」


 スノウは思わず眉間にしわを寄せる。


「あはははは──ッ!! 気持ち悪いだって! 結構言うねこの下っ端!」


 我慢できずに噴き出したシュウが後ろで腹を抱えて笑っている。

 まったく、人が気を使って下手に出ているというのに失礼な奴だ。普段こいつは自分の上司を何だと思っているんだ。


「……私、信じられなかったんです。副官がスパイだなんて……。やっぱり、あれは間違いだったんですね! 本当のスパイは、スエサキ軍曹だったんだ!」


 そうであってほしい。そう願うようにヒメルは言った。

 だが自分には、その願いどおりに答える気はもうない。


「……間違ってはいないさ。俺は共和国軍人でもなければ、エルド・ロウでもない──……ただの殺し屋だ」


 その答えに、ヒメルは打ちひしがれたようだった。

 しかし自分にはどうすることも出来ない。

 再び副官のふりをして基地に戻ることなど、どうやっても出来るわけがない。もう芝居は終りだ。


「──それじゃあ、司令官に対する想いも、嘘だったんですか……?」


 ヒメルは俯いたまま弱々しく言った。


(司令官に対する想い? それはお前が勝手に言っていただけだろ?)


「……司令官を守ろうと一生懸命だったのも、お芝居だったって言うんですか?」


(別に司令官の為にやってたわけじゃない……)


 スノウが考えを口に出さずに黙っていると、ヒメルは唐突に顔を上げ、尚もすがりつく様に訴えかける。


「司令官は、あなたの事をずっと信じてましたッ!」


「──信じる信じないは俺の知ったことじゃない。それに、司令官は始めから俺が殺し屋であることに気付いていたぞ」

「ええ、そうみたいですね!」

「──?」


 ヒメルが何を言いたいのか分からず、スノウは顔をしかめた。


「近くで見ていたから、私にはわかります! 司令官はずっと、あなたが助けに来るって信じてた! そうでなければ、間近に銃を突き付けられて、あんなに冷静にしていられるわけがない!」


 ヒメルは先ほどまでのふらついた様子など微塵も見せず、真っ直ぐ射抜くように見つめてくる。


「私は、あなたが優秀な副官だから、司令官も信頼してるんだと思ってました。でも違う! 司令官は全て知ってて、それでも一人の人間としてあなたを信じているんです!」

「──な」


 何を言っているんだ。

 信じる?

 殺し屋の俺を?


「あなたの正体を誰にも明かさなかったのは、そういうことなんじゃないんですかッ!?」


 何も言い出せず、スノウは黙った。


 この俺の、何を信じていると言うんだ。

 報酬ひとつでどんな冷徹な任務も遂行してきたこの俺の、何を。


 ──パーーーァン!



 突然辺りに打ち上げ花火の様な音が響いた。

 だが夜空には何も上がらない。

 当然だ。この音は花火ではない。銃声だ。

 瞬時にそれがわかったスノウは、音のした方向に駆け出した。


「シュウッ! セイジョウを頼む!」

「ええッ! 僕ぅ?」


 シュウは不服そうな声を上げたが、スノウは構うことなく走った。

 走りながら、自分でも何故走るのかよくわからなかった。ただ気が付いたら身体が勝手に動いていた。




 銃声が聞こえた方向には古いトンネルがあった。

 山側から流れてくる河川の水を海に注ぎ入れる為のトンネルで、その上を先ほど車で走っていた道路が横たわっている。


 あの中だろうか。スノウは足音を殺し、慎重に近付いた。


『──いい加減に諦めてくださいよ』


 不意にトンネルの中から男の声が聞こえた。スノウはトンネルの外側の壁に背中を貼り付け、耳を側立てる。


『どうせ逃げられるわけないんだから……』


 コンクリートの内壁に反響して何重にも聞こえるが、これはトーマの声だ。少し困った様な、だが勝利を予期した者が見せる余裕を含んだ声だ。


『……逃げようとは思ってないよ』


 トーマの声とは違う女性の声がトンネルの奥から返ってきた。

 間違いなく、司令官の声。


『──これは時間稼ぎ』

『時間稼ぎ?』


 訝しげにトーマが問う。


『まさか助けが来るって言うのか?』

『来るよ。彼なら助けに来る』


 司令官のその言葉に、スノウの心臓が跳ねた。“彼”とは自分のことだろうか。

 ほどなくして、狂った様にトーマは笑い出した。顔を見なくても声で分かる。高らかに嘲笑っている。


『──ハハッ……。誰の事かと思えば。まさか、信じてるのか? あの男を?』


 こみ上げる笑いを堪えながらトーマは言った。


『信じてるよ。あたしは信じてる。だって彼には、あたしを信じて欲しいから……』


 凛と響く司令官の声。その声音は揺らぐことなくスノウの耳にも届いた。


『あなたにしてみたら、笑っちゃうくらいおかしい事かも知れない。でもあたしは彼を信じてる。途中で投げ出すような人じゃないって。彼ならきっと、助けに来てくれるって──!』


 次第に早くなる心臓と共に身体が熱くなるのを感じた。いや熱と言うには生温い、柔らかいぬくもりのようなものが、胸の奥に広がった。

 信じて欲しいから信じる。

 自分はそんな風に言えるだろうか。


『あんな奴を信用するなんて頭沸いてんのか? あいつは殺し屋だぞ? 金さえ払えばどんな事でもする』


 司令官はくすりと笑った。


『殺し屋だってあなたよりは信用できるよ。ユリスがよく言ってたもの。調子の良い男には気を付けろって──』

『図に乗るな小娘がぁッ!!』


 先ほどまでの笑みを一変させてトーマは怒鳴った。


『おしゃべりは終りだ。大人しくしていれば手荒な真似はしない。観念するんだな……』



「──観念するのはお前だ」


 ゴリッとトーマの後頭部に銃口を押し付けてスノウは言った。


「──ッ!?」

「──ほらね、やっぱり来た! あたしの勝ち!」


 少女が勝ち誇った様に言う。その少女に顔を向けたまま、トーマは身体を硬直させ小さく舌打ちした。


「これはこれは副官殿! いやぁ、突然逮捕されちゃって心配してたんすよ~」


 両手を挙げて降参の意思を表しながら、トーマは白々しく言った。


「黙れ。銃を捨てろ」


 スノウがリボルバーの撃鉄を指で引きながら凄む。

 トーマは小さくため息を吐いてから、ゆっくりとしゃがんで足元に拳銃を置くと、また元の姿勢に戻った。


「……お前、俺をオトリにしたな?」


「あらら、もしかして副官も気付いちゃいました? おっかしいなあ~、もう少し時間的に余裕があると思ったんだけどなあ~。さすがっすねえ」


 こんな時でもこの男は軽口を叩く。背中を向けたままでもわかる。相変わらずへらへらと締まらない顔をしているのだろう。

 だが油断してはならない。この男は間違いなく、特別な訓練を受けた工作員だ。


「お前の目的は何だ? 何故司令官を狙う」

「俺に何故と聞かれてもねぇ……」


 両手をひらひらとさせながらトーマが答える。


「まあ、一つ言える事があるとすれば、そうだなあ……どうしても彼女じゃなきゃいけない理由があるみたいっすけど、ねっ──!」


 トーマは言い終わらないうちに上半身を屈ませ、真後ろに蹴りを繰り出した。スノウは咄嗟に拳銃を構えていた腕を下げガードしながら後ろに跳び退く。その隙にこちらに向き直ったトーマは、追いかけるように殴りかかってきた。

 スノウはトーマの拳を避けながら、川岸の狭い通路の上で構えをとる。


「競技会の仕切り直しか?」


 そう言ってやると、トーマは口の端を吊り上げた。


「それもいいっすねぇ。でも──」


 一瞬、トーマの後ろで司令官が息を飲むのが見えた。


「うしろ──!」


 しまった!

 別の仲間が居たか!


 そう思ったが、振り返る間もなく背中に激痛が走った。


「うぐッ──!」


 電流だ。

 スノウは堪らず身をよじった。身体中が痺れてうまく動けない。

 トーマは足元に転がった自分の拳銃を拾い上げると、ゆっくりとスノウの眉間に狙いを定めながらニヤリと笑う。


「たぶん、あの続きはもう二度と出来ないっすよ。片方が死んじまったらね……」



 ──ドンッ!



 コンクリートで覆われた半円の中に、一発の銃声が響いた。




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