第27話 ふたりのスパイ
ひやひや顔のシュウを助手席に乗せ、スノウは車のアクセルペダルを更に強く踏み込んだ。
何も積んでいない荷台の幌は、風の抵抗を受けてばたばたと今にも飛んでいきそうな勢いではためいている。
もし途中で外れて飛んでいったとしても、そんなことは構うものか。とにかく今はスピードを落とすわけにはいかない。そう感じていた。
「シュウ! 方向は合ってるんだろうな!?」
細かくハンドルを操りながらスノウは問うた。
「合ってるよ! 向こうも海岸沿いをずっと走ってる!」
手の中のレーダーを見ながらシュウは半ばヤケになって答える。揺れる身体を必死に座席にしがみつくことでやっと支えている状態だ。
「何がどうなってんの? 僕には訳が分からないんだけど! 説明ぐらいしてくんない?」
シュウが不満に思うのも当然だ。確かに今の自分は、端から見れば訳のわからない行動をしている。それは自覚していた。
「俺たちは嵌められたんだ。クライアントの目的はガンデルク基地の内部情報なんかじゃない。最初から俺たちをオトリにするために雇ったんだ──!」
「はッ? なにそれ!?」
シュウは座席から飛び上がらんばかりに驚いて、手からレーダーを落としかけた。
「おそらくあのメモリには説明書きにあったような機能は無い。もしかしたら共軍のパソコンに繋いだ途端に、居所が通報されるような仕組みになっていたかもしれない」
「ちょっと待ってよ! スノウはそれ知ってて使わなかったの?」
「いや、ソールの指示だ。ソールがそこまで気付いていたかどうかはわからないが、少なくともクライアントに対して疑念は持っていたはずだ」
「ソールはそんなこと一言も言ってなかったけどッ?」
「お前には言えなかったんだろ。言えばきっと、お前はメモリを俺に渡したらすぐ村に帰ってきてしまう」
「そりゃそうでしょ!」
「だから言わなかったんだ。村から離れさせて、お前まで巻き込まない様に。あいつはお前には甘いからな……」
車のハンドルを握ったまま、スノウはゴルダ村でただ一人の女性であるソールの顔を思い浮かべた。
太陽の女神の名を持ち、明るい声でカラカラとよく笑う彼女が、たった一人で敵に立ち向かっていたのかと思うと、胸が痛い。
「ソールは大丈夫なのッ?」
青ざめた表情でシュウは問うた。仲間から子供扱いされることを何より嫌がるシュウだが、今は自分よりソールの身の安全の方が気になるようだ。
「心配は無い。ソールはそんなにヤワじゃない。いざとなれば自分で何とかできるさ。それに今頃はサンダースが駆け付けているはずだ」
「なんだ。どうも見かけないと思ったら、サンダースは村に帰ったんだ。またどっかでサボってるのかと思ってた」
そう呆れ顔で呟いたシュウだがひとまず安堵したようで、シートの背もたれに身体を預けた。
「あいつは今まで一度たりとも仕事をサボったことはないはずだが?」
「同じことだよ。本人にその気がなくても、行動に無駄が多い」
「……確かにそれは否定できないな」
よくわからない変装ばかりにこだわるサンダースの姿を思い浮かべ、ふっとスノウは鼻で笑って答える。
「それはいいとして、どうして急にあの車を追いかける必要があるわけ?」
それが聞きたかったんだとでも言うように、シュウは再び身体を起こして尋ねた。
「クライアントにとって俺はオトリだ。奴らはスパイの存在をみずから副司令官に密告して俺を憲兵に捕らえさせ、まわりの目を俺に向けさせた。そしてその間にしようとしている事、それこそが奴らの本当の目的──」
「みずから密告って、じゃあ、クライアントはスノウ以外にもスパイを潜り込ませてるってことッ?」
「ああ。おそらくそれがトーマ・スエサキ。司令官専属ドライバーだ」
「あの運転手? 『疑わしい奴』ってそいつのこと? 確かに妙に鋭くて、見つからない様にするのに苦労したけど……」
「これは俺のカンだ。確証があるわけじゃない。ただ、司令官と研究所に行く前、俺が司令官の部屋に行くことを事前に告げたのは奴だけだ」
あの時、自分と司令官が共に行動している事を知っていたのはトーマだけだった。
そもそもスパイが紛れ込んでいるという情報だけで、司令官に代わって基地を任されているはずの副司令官がわざわざやってくるだろうか。
少女の保護者を自任している副司令官が、血相を変えて現れたあの様子。
他ならぬ司令官が、正体のわからぬスパイと共に姿を消していると知ったからこその反応だと思えば納得できる。
それだけじゃない。
格闘技競技会の決勝戦を、トーマが体調不良を理由に突然棄権したことがあった。
だがそれも、偶然ではなく何か勘づかれることを恐れて意図的に避けたのだとしたら。
司令官をどこか遠い場所に連れていきたいと話していたのも、ふざけていたわけではなく、本心から言った言葉なのだとしたら──。
現に今も、基地とは全く逆の方向に車を走らせている。
明らかに不自然だ。
「あのドライバーが密告者だとして、目的は何? 司令官の女を拉致すること?」
「──と俺は思っている」
「それもカンなの?」
「理由がわからないんだ。彼女を拉致する理由が」
「単なる身代金目的ってわけじゃないよね」
まさかとは思うが念のため、と言う顔でシュウは言った。
「それは考えにくいな。これだけ周到に準備しているんだ。ここまでする何か特別な理由があるはずだ」
単に共和国軍の基地司令官を誘拐するのが目的ではなく、ツルギ・ハインロットという少女だからこその理由があるのではないか。
もしかしたら、少女が幼少期を過ごしたあの研究所が何か関係しているのかもしれない。
「でもスノウ! それなら尚更、何で僕たちがあの車を追いかけなきゃいけないの? 僕たちにはあの女を助ける義理はないからね! クライアントが僕たちを騙してるなら、約束の報酬だって望めない。これ以上この件に関わってもタダ働きじゃないか!」
考えても納得できない様子のシュウは、スノウにくってかかった。
「確かに稼ぎにはならないさ。だからってこのままでいいのか? 奴らは司令官拉致自体も俺たちになすり付けるつもりだぞ」
「なっ、何でだよ!」
「考えてもみろ。司令官が忽然と姿を消して、捕縛したスパイも同時に消えた。あの副司令官のことだ、スパイが拉致したと考えるだろう。あとはあのドライバーが何食わぬ顔でそのとおりに証言すればいい。それも奴らの計画の内だ。自分たちの存在を決してちらつかせずに目的を達成する。その為にはむしろ、簡単に捕まってもらっては困る。この仕事に俺たちが選ばれた理由はそれだ。おそらく奴らは、随分前から俺たちのことを調べ尽くしている──」
シュウは驚愕の表情で、口をぱくぱくとさせながら絶句している。背中に嫌な汗をかいているに違いない。
スノウ自身この答えに行き着いた時にはぞっとした。一体いつどうやって調べられていたのか。
そこまでできる組織的な能力が、クライアント側にはあるということか。
帝国軍という大きな存在が、確実に後ろに見え隠れする。
「シュウ! あの車はどうなっている?」
スノウが訪ねると、シュウはハッと慌てた様子でレーダーに視線を落とした。
「……動いてない。この先の海岸で止まってるみたいだ!」
「仲間と落ち合っているのかもしれない。このまま行くのは危険だな……」
このままこのトラックで突っ込んで行けば、狙い撃ちにされる恐れがある。
スノウは道路脇に車を寄せると、サイドブレーキを引いてエンジンを切った。
「何してる。行くぞ!」
「僕もッ!?」
「当たり前だ」
スノウは車から降りると、しぶしぶといった様子で助手席から降りてきたシュウにあごを振って見せる。来いという意味だ。
それからズボンのベルトに挟んで背中に隠していたリボルバー式の拳銃を取り出した。
それを見てシュウが不思議そうに尋ねる。
「何その銃。憲兵の?」
「ああ。借りた。お前の得物は?」
「僕はこれしか使わない。飛び道具が苦手なの知ってるだろ?」
シュウは背中に忍ばせた愛用の日本刀を頭の後ろから少し引き出して見せた。通常のものよりも刃が短く、機動力を重視するシュウに合わせて打った刀だ。
「そうだったな。敵は何人いるか分からない。状況によってはお前の手を借りるぞ」
そう声を掛けると、シュウは全く可愛いげの無い顔で口を尖らせた。
「最初からそのつもりで連れて来たんじゃないの? 今更そんなこと断わらないでよ」
「──口の減らない奴だな」
スノウは小さく息を吐き、きびすを返して走り出した。その後ろを、シュウも黙って付いてくる。
二人とも足音を消す術には長けているので、薄暗い海沿いの道路を音もなく走り抜ける。
頭の上には、何となくぼーっとした光の外灯が辺りを照らしていた。




