第26話 司令官の行方
何だか良くわからないけれど、車の中は重苦しい雰囲気に支配されていた。
大急ぎで荷物を準備して、ドライバーが待つ駐車場まで司令官と共に急いだ。
車に荷物を積み込み、基地に向け出発したまでは良かったけれど、そこから先はひたすら沈黙が続き、助手席の司令官も、ドライバーのスエサキ軍曹も、皆一様に口を開こうとしない。
(……二人共どうしちゃったんだろう。司令官なんか特に。私、何か怒らせる様なことしたかな……)
ヒメルは後部座席からチラリと助手席の司令官の方を盗み見た。
司令官は顔を横に向け、窓の外を見つめたまま動く気配が無い。
重い。重すぎる。
息苦しさを感じ、少しでも気をまぎらわそうと、ヒメルも窓の外を眺めた。
車は海岸沿いの道路を滑るように走り抜ける。真夜中を過ぎた時間帯に、すれ違う車はほとんどいない。
道路脇に等間隔に立つ外灯が、等間隔に頭の上を過ぎて行った。
海岸の向こうは真っ暗な海で、夜の闇との境目が曖昧だ。
どこまでが海で、どこからが空なのかまったく見え──
(──あれ?)
ヒメルは今になって窓の外の景色に違和感を覚えた。
演習場から基地までの道は今までに幾度となく通っている。人によって道順は少し変わるが、海岸沿いに行く場合はいつも運転席側に海が見えるはずだ。なのに今は、助手席側に見えている。
(もしかして逆方向ッ?)
「スエサキ軍曹ッ! 道を間違えてませんかッ?!」
慌ててヒメルはドライバーの後頭部に向かって問いかけた。
「え〜そうか?」
しかしスエサキ軍曹は前を向いたまま、のんきな声で返事を返してくる。
この馬鹿、ドライバーのくせに道を間違えるなんて。
舌打ちでもしたい気分で同僚を睨み付けたが、思いがけず司令官が口を開いた。
「……道は間違ってないよヒメル」
「──へ?」
ヒメルは素っ頓狂な声を上げた。
異様なほど落ち着き払った司令官は外を見つめたままで、表情を伺い知ることはできない。
「トーマスは道を間違えてる訳じゃない。だって、基地に帰るつもりなんてないんだもの……」
「どっ、どういうことですかッ?」
何が何だかヒメルには訳が分からない。すると突然、スエサキ軍曹がハハハッと声を上げて笑った。
「やだなあ、俺のこと疑ってるんですか?」
口調はいつも通り明るいのに、ヒメルは何故か顔の見えない同僚のその声を怖いと思った。
「……部屋に迎えに来た時。トーマスは確かに言った。『殺し屋の仲間が入り込んでる』って……」
司令官は、ずっと窓の外に投げ掛けていた視線をゆっくりと車内に戻した。そしてドライバーの横顔を見据えて言う。
「どうしてスパイの正体が殺し屋だって、あなたは知ってるの? 副司令官も他の誰も、そんなこと言ってなかったのに」
言われてヒメルもハッとした。
そう言えば、突然やってきた憲兵隊長でさえ副官のことをスパイだとは言ったが、殺し屋だとは言わなかった。
軍隊に送り込まれるスパイなんだから、当然他国の軍人なんだとばかり思い込んでいたから、何の疑問も持たなかったんだ。
それに司令官の身が危険にさらされていると知って気が動転して、それどころじゃなかった。
「トーマスはその事実をいつどこで知ったの? それとも……、最初から知ってたの──?」
司令官の視線に促されるように、ヒメルもドライバーの後ろ姿を見つめた。彼は無言のまま答えようとしない。
──急に怖くなった。
この人は一体、何者なんだろう。
当たり前のように一緒に仕事をしていたけれど、良く考えたら自分はこの人の事をあまり知らない。
どこの生まれで、どこで育ったのか。家族はどこにいるのか。
──いつからガンデルク基地で働いているのか……
ッキキキィ──!!
「きゃああ!!」
突然身体に強い力が掛かり、ヒメルは後部座席のシートの上を真横に転がった。ドライバーが急にハンドルを切ったのだ。
車は180度方向を変え、道路を外れて浜辺へと下りる脇道に入った。
「何してるんですかッ! スエサキ軍曹ッ!」
そう叫んでも速度は一向に落ちない。
車は坂道をどんどん下り、浜辺に降り立っても止まらない。
元々この車は悪路でもすいすい走る様な設計になっているから、砂浜も何の苦もなく走り抜けた。
ヒメルは砂地の凹凸で激しく上下に揺れる車内で舌を噛みそうになりながら、必死に座席にしがみついた。
司令官は大丈夫だろうか。そうは思ったが、そちらの方を見る余裕が無い。
すると不意に車が急停車した。
ヒメルが恐る恐る顔を上げると、目の前では大変な事が起きていた。
「車から降りろ」
スエサキ軍曹が司令官の頭に拳銃を突き付けていたのだ。
「スッ、スエサキ軍曹ッ!?」
上官に銃を突き付けるなんて何てことを。
「さっさと降りろ!」
スエサキ軍曹はまるで人が変わったように高圧的に言う。司令官は彼の姿を注意深く凝視しながら言われたとおり車のドアを開けた。
「お前もだ!」
そう言って怒鳴られ、ヒメルはヒッと短い悲鳴を上げた。車から降りようとしたが緊張で手足が震えてうまく動けない。
それでも何とか車の外に出ると、神妙な顔付きの司令官が白い砂の上に立って両手を肩の高さに挙げていた。
「そこに並べ!」
銃口を司令官に向けたままスエサキ軍曹が言う。人差し指は引金に掛かっていて、安全装置も解除されている。いつでも撃てる状態だ。ハッタリや悪ふざけじゃない。
ヒメルは言われるままに司令官の隣に並んで両手を挙げた。手や背中にはじっとりと汗がにじむ。
一体彼は何をするつもりなんだろう。
震える唇を強く噛むと、ヒメルは意を決して口を開いた。
「スエサキ軍曹、急にどうしちゃったんですか? 司令官に対してこんなことをして! 軍規に違反する行為ですよッ!?」
「無駄だよヒメル……」
隣に立つ司令官が鋭い眼差しを真っ直ぐに向けながら言った。
「共和国軍規を守る気なんか無いよ。そもそもトーマスは、共和国軍人じゃない──」
またハハハッとスエサキ軍曹は笑った。その声が妙に冷たく聞こえる。
「何を訳のわからないことを言ってるんすか。俺のどこが共和国軍人じゃないって言うんですか?」
ヒメルはますます混乱した。
一体どういうことだろう。
「……変だなって思ったのは、トーマスと二人でご飯を食べに行った時……」
「……ご、ご飯?」
静かに語りだした司令官に、ヒメルは思わず聞き返してしまった。一体、いきなり何の話を始めるつもりなんだ。
「あの時トーマスは、海鮮丼を何も付けずに食べてた──」
ヒメルは両方の手の平を銃口に向けながら眉を寄せた。動揺して鈍る思考を必死に巡らし考える。
ええっと海鮮丼ってどういうのだっけ。
「刺し身に味は付いてなかった。だから、好みによってわさびを入れる入れないはあるかもしれないけど、普通、醤油も付けずにそのまま食べる?」
海鮮丼ってつまりごはんに刺身が盛ってあるどんぶりだ。醤油もつけずにってことは、刺身をそのまま食べたってことか。
「それは、確かに変かも……?」
「それ見た時に思ったの。この人、トーマ・スエサキって日本人みたいな名前だけど、日本食は食べ慣れてない、もしかして外国の人かも知れないって……」
銃口を向けられているのにも関わらず、司令官は妙に冷静な態度で言った。
(──そっか。司令官がスエサキ軍曹を頑なにトーマスって呼ぶのは、そういう意味があったんだ……)
間違えて覚えているだけだと思っていた呼び名に、そんな理由があったのか。ヒメルは驚きというよりは驚嘆してしまった。
「外国の人かもしれない? たったそれだけ?」
拳銃を構えたまま顔を歪ませて、スエサキ軍曹は鼻で笑う。
「そう。その時はそれだけだよ。でもあなたに最初に違和感を持ったのはもっと前、ガンデルク基地に着任した日だよ。あの日、総督府まで迎えに来てくれたでしょ? あの時、あなたはあたしの事を最初から知ってたんじゃない?」
「ど、どういうことですか?」
ヒメルは更に混乱した。
着任した日と言ったら初顔合わせした時だ。
あの日、スエサキ軍曹は司令官と初めて会って、予想外に若い女の子だったから驚いて、それで副官に連絡するのを忘れて……。
「何となくそんな感じがしたんだ。何となく、驚いてるフリをしているんじゃないかって。だから、二人だけで出掛けたら、何か分かるかも知れないって……」
「じゃ、じゃあ二人でランチに出掛けたのって──」
スエサキ軍曹の正体を探る為……?
「……ハッキリと確信を持ったのは、あなたがスパイのことを殺し屋って言った時だよ。それを知ってるのはあたしだけだと思ってた」
「──え!?」
司令官のその言葉に、ヒメルはまた驚かされた。
司令官は知っていた? 副官がスパイだということを?
その正体が殺し屋だということを?
「でももう一人いたね。最初からそれを知っていてもおかしくない人が。いや、人たち? 何人いるのか知らないけど。組織、なのかな?」
「えっ、ど、ど──!」
どういうことですかと問いたいのだが、上手く言葉にならない。そんなヒメルに語り掛けるように司令官は続けた。
「トーマスがスパイを雇った組織の人間であれば、最初から知っていてもおかしくないでしょう?」
「ええッ!?」
まさかそんな。
ヒメルは驚愕して、無言のまま鋭い視線を投げ掛けてくるドライバーの方をそろりと見た。すると彼はそれまでの鋭い表情を少し柔らかくし、へぇっと感心するような声を漏らした。
「ただの世間知らずな小娘かと思ってたら、そうでもないんですねぇ……」
その言葉はつまり、肯定と取っていいのだろうか。
「──でも、そこまで気付いていながら何でのこのこ着いてきたんすか?」
そうだ。そこまで気付いてて、司令官はなぜ黙って着いてきたんだろう。
再びヒメルは司令官に視線を戻す。
本当に、何故そんなに落ち着いていられるのかというぐらい落ち着いた様子の司令官は、ゆっくりと口を開いた。
「……あなたの目的が何なのか、知りたかったから。副官をオトリにしてまで、あたしを連れ出した理由は、何なの?」
副官をオトリにした──?
しんと静まり返った海岸に、打ち寄せる波の音だけが響く。
暗い砂浜にひゅうと冷たい風が吹き抜けた。
スエサキ軍曹はたっぷりと間を開けてから、口元に嫌な笑みを浮かべながら肩をすくめる。
「俺の目的は最初から一つですよ司令官。あなたを連れ帰る。それだけです。理由は知りません。俺はここであなたを引き渡すようにと命令されているだけですから……」
「引き渡す? どこかに仲間がいるんですかッ?」
訝しげに辺りをキョロキョロと見回すヒメルに、スエサキ軍曹は何故か少し困った様な表情をして見せる。
「ヒメルちゃんまで着いてきちゃったのは予定外だったけど、まあ、いいかな。向こうでどうとでも処分できるだろうし……」
処分?
ヒメルはびくりと身体を震わせた。
処分ってどういうことだろう。何となくすごく恐いことの様な気がする。
ジャリっと砂を踏み鳴らしながら、スエサキ軍曹がこちらに近付いてくる。
「さあ行きましょう。そろそろ迎えが来る時間だ」
穏やかな口調とは裏腹に、ひとたび引き金を引くだけで人の命を奪うことができる凶器を手に、彼は一歩、また一歩と歩みを進める。
緊張で震えてはいたが、ヒメルは反射的に動いて、司令官を背中に庇う様にして前に出た。
「司令官逃げてください!」
「ヒメル!? あなたは──」
「関係ないなんて言わないでくださいよ。私だって軍人の端くれです!」
威勢良く啖呵をきったものの、だからと言って武器を持った相手と戦う術があるわけではない。
だが相手は一人、こちらは二人だ。
一人が足止めをすれば、一人だけなら何とか逃げるチャンスはある。この場合、もちろん足止め役は自分だ。
ヒメルは迷うことなく決意していた。ただ問題は、どうやって足止めをするかだ。
(ええい! 考えてるヒマなんかない!)
先手必勝とばかりにヒメルはドライバーに飛び掛かった。上手いこと拳銃を奪うことができれば、一気に形勢は逆転する。それを狙った行動でもあった。体格の差は大きいが、素早く懐に入れば勝機は──
「──チッ!」
相手がわざとらしく舌打ちしたのは聞こえた。それは確かに覚えている。それから頭を銃の柄で思いっきり殴られて。
でもそこから先は、テレビ画面が突然消えたみたいに真っ暗になって、何も写らなくなった。
ああ、私。
気絶したんだ。
「──ヒメルッ!!」




