第30話 騎士の決断
「……帝国に魔女がいる?」
ゆっくりと飲み込むように、スノウはユリヤの言葉を繰り返した。
一瞬にして全てを吹き飛ばしてしまうほどの強大な力を持つ魔女が、帝国にも居る。
それがどんな影響を及ぼすのか、スノウには想像ができない。
「どんな魔女なのか、詳しくは私にもわかりません。一つはっきりしているのは、セシリア様と同じように、その魔女にも肉体が無いということです。だからこそ、新たな魂の器を求めているのでしょう」
「……魔女が新しい身体を得たらどうなるんだ?」
そんな絶対に阻止しなければならないことなのだろうか。
しかしユリヤはまるで、世界が終わってしまうかのような深刻な顔をしている。
「魔女は大昔に滅んだ存在。今更甦ったとしても災厄にしかなりません。セシリア様を見てわかるように、魔女は皆プライドが高く、魔力を持たない人間を見下している。その魔女が甦って現代の世の中を見たら、人間がのさばっている世界に我慢がならないでしょう。そんな魔女を帝国は上手く操って利用しようとしているのか、それとも魔女が帝国を操っているのか、現段階では分かりません。ですが、どちらにしても災いにしかならない……」
ユリヤはそこまで言うと、一息ついて視線を手元に落とした。
「本当は、あなた一人にこんなことを背負わせてしまうのは忍びないのです。でも、あなたならもしかしてと、私は思ってしまう……。あなたは、かつてセシリア様の騎士だったレイと、同じ魂を持っているから……」
「──なッ……!」
「これは、あなたの運命なのです」
すがるようにじっと、ユリヤは琥珀の瞳をぶつけてくる。
「そんなこと知らない!」
その揺るぎない瞳に、スノウは強く言い放った。
「魔女だの、騎士だの、そんなこと俺は知らない! 勝手に決めないでくれ! そんなことの為に、俺は生きているわけじゃない!」
「ええ、そうです。もちろんあなたはその為に生まれたわけではない。でもどうしても引かれてしまうのです。あの時だって、そうやってあなたたちは互いに引き合った!」
「──あの時?」
何のことを言っているんだ。
あの時って一体いつのことだ。
「あの子が遺伝子研究所を逃げ出した夜、あなたたちは無意識に互いの存在を求めた。そして今も……! すべては、偶然ではなく必然なのです!」
「──ッ! そんなッ──!」
そんなこと、
俺は知らない──!
「おーーい、スノーーウ!」
遠くから呼び掛ける声が聞こえ、スノウは反射的にユリヤから視線を外し声の方向を見た。
声の主はシュウで、手を振りながら近付いてくる。その後ろにはヒメルの姿も見えた。
不意にドサッと何かが倒れる音がした。視線を戻すとユリヤが崩れるように倒れている。
「お、おいッ──!?」
スノウは慌てて顔をのぞき込んだ。
先ほどまでユリヤと名乗っていた女性は、目を閉じて眠ったように動かない。
「待ってくれ! まだわからないことだらけなんだ!」
華奢な肩を掴んで揺らすが、それでも少女のまぶたは開かない。まるで完全に司令官の身体から抜け出てしまったようだ。
「言いたいことばかり言って、いなくなるなよ……」
これから自分はどうしたらいいんだ。
司令官は?
まさかこのままずっと目を覚まさないのか?
二度と言葉を交わすことも出来ず、本当にただの『入れ物』になってしまったのか?
まだ、聞きたいことは山ほどあるのに……。
『──やっぱり来た! 私の勝ち!』
そう言って誇らしげに笑った少女の顔が脳裏に浮かんだ。
もうあの顔は見られないのだろうか。
(結局俺は、何がしたかったんだ……?)
自分でもよく分からないうちに彼女を追いかけてこの場所まで来てしまったが、一体何の為だったのだろう。
トーマにオトリにされて、その仕返しをする為か。
そんなことは途中から考えた言い訳だ。
ユリヤの言うように、これが互いに引き合うということなのだろうか。
理由もわからず、ただ相手の存在を求めてしまう。
そういう運命だというのだろうか。
訳の分からないことがたくさん起きたのに、一番わからないのは自分のことだった。
「……死んでるの?」
眠ったままの司令官を安全な場所に横たえていると、駆け寄ってきたシュウが少女の顔をのぞき込んで尋ねた。
「いや、眠っているだけだ……たぶん」
「またアレ使ったらいいんじゃない?」
シュウが腰につけた小物入れの中をごそごそと探りながら言う。
「それはやめろ! 絶対にやめろ!」
「何で? こっちの女には使ったじゃん」
「そうですよ副官! 私には何の躊躇いもなく使ったじゃないですか! 扱いが随分違いますよ!」
シュウの後ろから現れたヒメルが抗議の声を上げた。
なんだよ二人揃って。もしかして気が合うのか。
俺だって躊躇ったぞ、多少は!
釈然としない顔でスノウは思った。
「そんなことより! あいつらを何とかするのが先だろう!」
そう言ってスノウが指差した先には黒ずくめの男たちと、更にその向こうにトーマが倒れている。
「うわぁ、なにこいつら。どっから湧いて出てきたの?」
何が起きたのか全く知らないシュウは、うんざりしたように言った。
「そんなこと知るか。とにかく気絶している間に拘束した方がいい。何か縛るものはないか?」
「縛るものって言われてもねぇ……」
思い当たる物が何もないのか、シュウは辺りを見回しながら呟く。するとヒメルが唐突に「あッ!」と思い出したように声を上げ、シュウとの間に分け入って来た。
「確か、車にロープがあったと思います! 私、取ってきます!」
ついいつもの下っ端根性が出てしまうのか、ヒメルは今にも走り出しそうな勢いでいる。
「いや、いい。俺が行く。お前は怪我をしているんだ。ここで安静にしていろ」
先ほどまで殴られて気を失っていた人間に取りに行かせるほど、自分は鬼ではない。
しかしヒメルにとってその一言はかなり意外だったらしく、目をしばたたかせ口をあんぐりと開けた。
「……ロウ少尉、どうしちゃったんですか? 熱でもあるんですか?」
(まったくこいつは本当に……)
スノウはため息を一つついてから、置き去りにされたままになっている軍用車の場所まで戻った。
軍用車は動かされた気配もなくそこにあった。
確か、後部座席の更に後ろに工具などが入った箱があったはずだ。その中にあるかもしれない。
スノウは車両後部の両開きドアを開けて中に入った。司令官の旅行カバンの隣に鋼鉄製の箱を見つけた。
『ピーッ……ザザッ、A2からA1へ定時連絡。現在、座標12845付近──』
それは助手席に搭載された車載無線機の通信音だった。スイッチが入ったままになっている。
トーマに破壊されたものと思っていたが、そこまではしなかったようだ。
『ハインロット大佐はいまだ発見できず。事後、北西の方向へ移動する──ザザッ』
『ピーッ…… こちらA1。了解! 引き続き捜索を続行せよ──ザッ……』
どうやら司令官は行方不明という扱いになっているらしい。捜索部隊が編成され、その部隊同士が交わす無線のやりとりを拾っているようだ。
いずれここにも捜索隊がやって来るだろう。
あまり長居はしていられない。
スノウは箱の中の丈夫そうなロープの束を掴んで肩に担ぐと、来た道を戻った。
歩きながら、何だか急に現実に引き戻された気分になっていた。
自分は殺し屋で、司令官誘拐事件の容疑者になっているだろうという現実。
殺し屋であることには何の不満も無いのだが、何となく寂しい感じがする。
憲兵に逮捕された時、何故か妙に気分が沈んでしまった理由が、今なら分かる。
(俺、副官の仕事も、案外気に入っていたんだな……)
元の場所に戻ると、シュウが愛刀を肩に担いだ格好で立っていた。その足元には黒ずくめ達がさっきまでとは違う姿でのびている。
「……何かあったのか?」
「気が付いたみたいで起き上がったから、もう少し寝ててもらった」
けろっとした表情でシュウは答えた。
すかさずスノウはトーマを確認するが、奴はまったく動いていない。生きてはいるようだがかなりの衝撃だったのか、死んだように動かない。
「あ、それと起きたよ。あの司令官」
そう言うとシュウは、視線だけをそちらに向けた。
その視線の先を辿ると、ヒメルの背中に庇われながら立つ司令官と目があった。
(本人か? それともまた魔女か?)
スノウは黙したまま少女を見つめた。本来の彼女に戻ったのかどうかは、この位置からでは判断がつかない。
「シュウ、こいつら全員縛り上げとけ」
それだけ言うと、スノウはどさりと足元にロープの束を落とした。
「ええっ! 僕がやるの? 一人で?」
更に文句を言いたそうな顔をしたシュウを放ったまま、女性二人の元へと歩く。
「わっ、私も手伝おっかなあ~!」
ヒメルは何故か慌てた様子で声を上擦らせ、司令官の側から走り去った。
(どうしたんだ? まあいいか。邪魔者がいなくなった……)
司令官の前に立ったものの、何と声を掛けたらいいのか分からなかった。
本当に司令官なのかどうか確認したいのだが、何と言って聞けばいいのだろう。
スノウが迷っていると、司令官はゆっくりと近付いてきて言った。
「スノウ……」
(──ユリヤ?)
また彼女だろうか。
「──って言うんだね。あなたの本当の名前。あの黒髪の人に聞いた」
その喋り方は間違いなく司令官だった。
良かった。何とも無かったようだ。スノウは心の中でほっと胸を撫で下ろす。
「ありがとう。助けに来てくれて。信じてたから、嬉しかった……」
気恥ずかしさをかくすように少し俯きながら司令官が言った。
「いえ、副官として当然の事をしたまでです……」
「ふふっ、変なの。もう軍人じゃないのに……」
そう言って少女は小さく笑う。
「……その後のことは覚えていませんか?」
「そのあと?」
それとなく尋ねると、司令官はきょとんとした表情を向けた。
「気が付いたらここで寝てたけど?」
それ以上の事が何かあるのか。司令官の顔はそう言いたげだ。
(何も覚えていないのか……)
すべてを吹き飛ばす恐ろしい魔女がその身に巣くっていることも。自分自身が魔女であることも……。
だが、かえって良かったのかも知れない。彼女が彼女としている為には。
今更甦ったとしても災いにしかならない──。
ユリヤの言葉を思い出した。
「スノウはこれからどうするの?」
しばしの沈黙の後そう問われ、スノウは束の間返答に迷った。だが、迷ったところで事態は変わらない。
「出来るだけ早くこの場を去ります。ここにいても、また憲兵に捕まるだけですから……」
そう答えると司令官は残念そうに俯いた。
これからどうしたら良いのかはまだ分からない。だがここにいれば確実に捕まってしまう。
とりあえず今は逃げる。それしか取れる行動が無かった。
「一応、最初に言っておくね……」
静かにそう切り出すと、司令官は顔を上げた。
「反対しても無駄だから!」
「……? なんのことですか?」
何を話しているのか、スノウにはさっぱりわからない。しかし司令官はそんなスノウを見て楽しんでいるかのように口元に笑みを浮かべた。
「あたしもあなたに付いて行く!」
「──!? 馬鹿なことを言わないでください! あなたは共軍の基地司令官ですよ?」
「そんなことどうだっていいよ」
どうだっていい?
なんて無責任なんだ。
「私たちは殺し屋です! あなたも追われる身になりたいんですかッ?」
「いいじゃない。愛の逃避行ってやつね!」
何とも緊張感の無い少女に、スノウは唖然としてしまった。この少女は何を考えているんだ。
帝国に狙われているのだったら、軍の組織内に残っていた方がより安全だ。総督府に庇護を求めて中央に異動させてもらえば、今回のようなことは防げる。
それを、何の保障もない殺し屋風情と行動を共にするなんて、自ら危険に身を投じる行為としか思えない。
しかし、そうは思いながら──。
彼女らしいと言えば彼女らしいと、心のどこかで思っている自分がいる。
「……あたし、寝てる間に夢を見てた。その夢の中で声を聞いたの。またあの優しい、お母さんみたいな声……」
穏やかな口調で少女は語りだした。
その声の主はおそらくユリヤだろう。彼女は少女を、その誕生からずっと見守っていたのだ。
「その声が言ったの。あなたは誰の模造品でもない。この世で、あなたと言う存在はあなただけだ──って……」
少女の瞳が潤む。涙を溜めると、いっそう宝石の輝きが増す。
「あたしさ、どうせ自分は造られた人間なんだって心のどこかで思ってて。利用されたとしてもいいやって卑屈になってたんだ……。でも、そう思うのはもうやめる。これからは、あたしはあたしのやりたい事をやる。もう、利用されるだけの人形じゃない。だから──」
そう言うと、少女はさっとスノウの目の前に手の甲を差し出した。
「これはお願いではなく命令だよ! スノウ、私を連れて行きなさい!」
少女の琥珀の輝きが、真っ直ぐに自分を射抜く。
その瞳に魅せられたのはいつだったか。
『──これはあなたの運命なのです』
ユリヤはそう言っていた。
冗談じゃない。
運命なんて言葉は嫌いだ。
そんな陳腐な言葉で、今までの人生すべてを片付けたくはない。
戦争で親を失ったのも、どぶねずみみたいな子供時代も、殺し屋になったのも。
どうしようもない運命だったなんて納得するのは真っ平なんだ。
いつだって、自分の意思で選び取ってきた未来なんだと、俺は思いたいから。
だからこれは、運命なんかじゃない。
俺は俺の意思で、この手を取るんだ──。
「……まずは、どこへ逃げましょうか?」
そう言って少女の手を取ると、安堵したように少女が笑う。
その時見せた笑顔を、スノウはずっと忘れなかった──。
最後までお付き合い頂きありがとうございました。
お話は「司令官はまつろわない2逃亡編」に続きます。そちらの方もよろしくお願いします。
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