第24話 それぞれの行方
温かいお茶が入ったポットと、湯呑みがのったお盆を持って、ヒメルは司令官の居るスイートルームのドアの前に立った。
軽くノックをしてから中に入り、部屋の中央にある丸テーブルの上にお盆を置く。
司令官は部屋の奥のベッドの上に膝を抱えて座っていた。
「お茶はいかがですか? 緑茶ですけど。私の実家から送ってきたお茶なんです!」
場違いなほど明るく声を掛けてみたのだが、司令官からの答えはなく、顔を伏せたままじっと動かない。
ヒメルはため息と共に肩を落とした。
「……ショック、ですよね。まさかロウ少尉がスパイ容疑で逮捕だなんて。私もまだ信じられません……」
悪の組織から司令官を守ろうと、競技会であんなに一生懸命に闘っていたのに。
まるで自身が時計なんじゃないかってぐらい時間に正確で、ちょっと迷惑なぐらい真面目に副官の仕事をしていたのに……。
それもこれも全部、ふりをしていただけだったんだろうか。
本当は司令官のことなんて何とも思ってないのに、上手く騙せたと思って心の中で笑っていたんだろうか。
綺麗な雪のような人だと思っていたのに……。
残念なのか悲しいのか、何だか胸の奥がチクリと痛んだ。
きっと司令官はもっと傷付いているんだろう。毎日一緒にいる身近な人だっただけに、裏切られたと知った時の衝撃は計り知れない。
(私に、慰めてあげることが出来たらいいのに……)
こんな時に掛ける上手い言葉が、自分の貧弱な頭では浮かんでこない。
コン、コン。
誰かが部屋のドアをノックした。
司令官はその音にも反応を示さず、しばらく沈黙が流れる。
コン、コン。
やはり司令官は一切反応を示さない。見かねて仕方なく、ヒメルはドアを少し開けて外を覗いた。
「スエサキ軍曹っ!」
そこには専属ドライバーのスエサキ軍曹が、いつものように何となくだれた感じで立っていた。
「ヒメルちゃん居たのか。司令官はもしかして留守?」
「居ますよ。でも今はちょっと……」
きっと今は誰とも話したくないはずだ。
「とにかく入れてくれないか? 至急の用事なんだ」
副官室で共に働く同僚は少し焦った様子で言った。
この人がこんな風に焦るなんて、ただ事ではない。そう直感したヒメルは、言われるままに彼を部屋に招き入れた。
ベッドの上に司令官の姿を認めると、スエサキ軍曹は少し早口で言った。
「副司令官から言伝ての命を受けて参りました。司令官にはただちにガンデルク基地に戻っていただきたいと──」
「えッ! 何でですかッ?」
そう声を上げたのはヒメルなのだが、スエサキ軍曹はこちらの方など見向きもせずに続ける。
「さきほど副司令官の所に入った情報では、エルド・ロウの仲間がまだこのあたりに潜伏しているようで──」
「ええッ、仲間!?」
そう声を上げたのもヒメルなのだが、あくまでも彼が話したい相手は司令官の様で、やっぱり目を合わそうとはしない。それどころか面倒くさそうな顔でため息をついた。
(何よ、私はお邪魔虫ってことなの?)
ヒメルは年甲斐もなくぷうっと頬を膨らませる。
「……仲間?」
不意に透き通るような声が響いた。まるでそのまま消えてしまいそうなこの声はヒメルではない。
実際はそんなことないのだが、すごく久しぶりにこの声を聞いた様な気がしてしまう。
いつもとは人が変わったようにか細いこの声の主は、司令官だ。
「仲間……いるの?」
司令官にやっと見てもらえたからなのか、スエサキ軍曹は少し上擦った声で答えた。
「はいッ! すでに演習場の中に殺し屋の仲間が入り込んでいて、司令官を殺そうと狙っているらしいのですッ! ここは警備に当てられる人員も少ないですし、十分な設備もない。視察の件は副司令官がすべて引き継ぐので、安全な基地に避難してほしいとのことです!」
ヒメルはそれを聞いて司令官の方に振り返った。
司令官の身に危険が迫っている。これは一刻も早くガンデルク基地に戻らなければ。
司令官はよほど衝撃を受けたのか、驚愕の表情のまま言葉を発しない。
無理もない。ただでさえこんな華奢な身体で司令官という重責を担っているのに、命まで狙われるなんて怖いに決まっている。
(こういう時こそ年上の私がしっかりしないと!)
ヒメルは意を決して司令官の専属ドライバーに向き直った。
「スエサキ軍曹ッ!」
「うわあ、何なんだよお前はさっきから!」
「軍曹は先に行って車の準備をしていてくださいッ! 司令官は私が必ずお連れしますッ!」
こちらの剣幕に、彼は少々面食らった様子で目を丸くした。
「──い、いやでも……」
「女の子には色々と準備があるんです! だから先に行っててください!」
「わ、分かったよ」
そう言うと、何度か司令官の方を振り返りながら不承不承と言った感じでスエサキ軍曹は部屋を出ていった。
「……さあ、行きましょう司令官」
ドライバーが退室したのを見計らってから、ヒメルは司令官の側に近寄り手を差しのべながら言った。
司令官はあれからまた沈黙してしまい、何やらずっと考え込んでいる。
きっと今まで頼りにしていた副官がいないから不安になっているのだ。
「大丈夫ですよ、私もスエサキ軍曹もいますから──」
「ヒメル」
「──はい?」
司令官は部下の名を呟くと突然顔を上げ、不審げな表情で尋ねた。
「トーマス、さっき何て言った?」
「は?」
「あたしの聞き間違え? 何の仲間が入り込んでるって?」
「──?」
ヒメルは、司令官が何に疑問を持っているのかさえ、この時は分からなかった。
◇◆◇
スノウは、幌付きのトラックの薄暗い荷台に乗せられていた。
そのトラックは少人数の輸送によく使われる車両で、荷台の内側には木の板を貼っただけのベンチが付いていて、十人ほどが向かいあって座ることができる。
スノウの向かいには体格の良い憲兵の男がどっしりと座っていて、暗くて表情までは見えないが、睨み付けるようにじっとこちらを見張っている。
更に二人の男に両脇を挟まれ、手錠で繋がれた腕を押さえつけられていて、足には皮製のベルトが巻かれているため、全く身動きがとれない状態だ。
この車はどこに向かっているのだろう。
山道を走る車の揺れに身を任せながらスノウは思った。
おそらくは、軍の留置場があるどこかの施設に向かっているのだと思うが、その間ずっとこのむさ苦しい男たちに囲まれていなければいけないのかと思うと気分が萎える。
もちろん大人しく捕まっている気は毛頭無い。どこかで隙を見付けて逃げるつもりではいる。
(──しまったな。こんなことならサンダースを村に帰すんじゃなかった……)
ソールが何者かに監視されている可能性があるとサンダースに告げた後、居ても立ってもいられなくなったのか、奴は血相を変えてゴルダ村に帰ると言い出した。
そんな冷静さを欠いた状態で残っていても邪魔なだけなので、特に反対もせずに許可したのだが、こうなることがわかっていたらもうちょっと考えていた。
まあ、今更言ってもどうにもならないが。
スノウは憲兵に気付かれない様に小さくため息を吐いた。
(仕方ない。自分で何とかするしかないな……)
──しかし、その気力が今はない。
何故かスノウは今、何もする気になれなかった。どうやら自分は、少なからず落ち込んでいるらしい。
何にと言われると、何なのだろう。
信じていたのに、司令官に裏切られたからか? 別に始めから信用していたわけでもない。むしろいつバラされてもおかしくはなかったのだ。仮に司令官自身がスパイの件を通報したのだとしても、責める気持ちは少しもない。
だったら何だろう。この無気力感は。
自分で自分に説明することが出来ない。
(……もしかして、俺は──)
「おい」
不意に正面に座った憲兵のひとりが声を掛けてきた。
スノウに、ではない。どうやら他の仲間に向かって言ったようだ。
「何か変じゃないか? こんな所で止まって……」
言われて初めて、車が停止していたことにスノウも気付いた。他の仲間の二人も異変に気付いた様で、訝しげに顔を見合わせる。
荷台は幌で覆われているので、中から外の様子を伺い知ることはできないが、唯一、前方の幌に空いた四角い小さな窓から、運転席の様子を覗く事ができた。
ただ一人身動きがとれる向かいの体格の良い憲兵が、小窓から運転席を覗く。スノウの右腕を抑える憲兵がそれを見て尋ねた。
「何かあったんですか?」
「……何かが道をふさいでいるみたいだな」
「何かって? 人でも倒れてたんですかッ?」
スノウの右側の男はそう言って身をすくめた。
「そりゃあお前、この前あったひき逃げ事件だろ。……どうやらあれは人じゃない。多分木の幹が腐って倒れてるだけだ」
それを聞いて右側の男はふうっと胸を撫で下ろした。
次の瞬間。
ドサッという物音がすぐ近くでした。
暗闇の中、憲兵たちは何の音かすぐには分からなかった様だが、スノウの左側の憲兵がつんのめるようにしてうつ伏せに倒れたのだ。
「おいッ! どうしたッ!?」
前方の様子を伺っていた憲兵が慌てて駆け寄ろうとするが、自身も突然ふらつき、膝から崩れる様に倒れる。
「えッ? ちょっと、急にどうしたんですかッ!? ──うっ!」
短いうめき声を上げてスノウの右側の男も前に倒れた。
「おい、大丈夫か?」
スノウが声を掛けるが、三人とも反応がない。完全に意識を失っていた。
一体何が起こっているんだ。
そう思った直後、激しい頭痛がスノウを襲った。
「──ッ!!」
頭をハンマーで殴られているような激しい痛み。そのあまりの激しさに目の前の視界が霞む。
(くそっ! まずい、これは……ガスか──ッ!?)
とっさに迷彩服の袖で口を覆ったが、もう遅い。
手足が震え、身体に力が入らない。
スノウは膝からがくりと倒れ込んだ。
(──くッ! 一体誰がッ?)
必死に立ち上がろうとしたが抵抗虚しく、やがてスノウは意識を手放した。




