第23話 決別
「そう言えば途中だったよね……」
演習場へと帰る車の中で、不意に思い出した様に司令官は言った。
スノウは何の事か分からず、黙ったまま車を走らせる。すると少女はもどかしそうに言葉を付け加えた。
「──あたし達が出会った日の話!」
そう言えばそうだった。話の途中で目的地に到着してしまったので、それきり中断されたままだった。
「えっと、どこまで話したっけ?」
「……警備員に撃たれた後からでは?」
「ああ、そうだった」
そう言って細かく頷いた司令官の表情は、研究所に向かう時とは違い少し明るい。胸のつかえが取れた様な顔だ。
「まあでも、あたしも撃たれた後の事はあんまり覚えてないの。気付いたらあの場所にうずくまってた……」
そう言うと、司令官はこちらに視線を投げ掛けた。
「あたし、研究所からあの路地まで、自分で歩いて行ったんだと思う?」
(そんなこと俺に聞かれても……)
自分もたまたま立ち寄っただけのあの路地が、遺伝子研究所からどれぐらい離れているのか正確には分からないが、郊外の研究所から街の中心地まで、子供の足で歩くにはかなりの距離があるだろう。しかもその距離を、瀕死の傷を負った状態で移動したということになる。
それはちょっと、考えにくい。
しかし、かといって歩く以外、他に方法がない。誰かがあそこまで彼女を送り届けるはずもなく、やはり自力で移動したと考えるしかないだろう。
「それしか考えられないよね。何にも覚えてないけど……。あ、でも一つだけ覚えてる。声が聞こえてた……」
「声?」
スノウは正面に顔を向けながらも訝しげに司令官の言葉を繰り返した。
少女は自分の話に興味を持ってもらえたのが嬉しいのか、仔犬の様に瞳を輝かせて言った。
「そう、女の人の声。それだけは覚えてるの」
「……どんな声だったのですか?」
「何て言ってたのか良く聞き取れなかったんだけど、とっても優しい声だった……」
司令官はとろんとした眼差しで遠くを見ながら口許に笑みを浮かべた。
「きっと、あたしにお母さんって人がいるとしたら、あんな声なんだろうなって思った。いつも……、そう思ってた……」
頭の中で再びその声を思い出しているのだろう。少し頬をピンク色に染める。
この少女は母と言うものを知らないのか。
──だからこそ余計に声だけの存在に想いを馳せる。
(……ゴルダの殺し屋の子供の頃と同じだな……)
親を失い、住む家を失い、ただ飢えと寒さで死んでいく未来しか用意されていなかった、子供の頃の自分。
自分だけではない。ソールもサンダースもシュウも、ゴルダ村の住人たちは皆同じ様な境遇だ。
不安と恐怖に怯えながら、肩を寄せ合い、朧気な記憶しかない家族と言う暖かい存在に憧れていた──。
もう随分と昔の事で、そんな気持ちでいたことすら忘れていたが、どうもこの少女と話していると、自分の子供の頃と重なる。
「ハインロット氏には奥様はいないのですか?」
何も出来なかった子供の頃を思い出すのは居心地が悪い。スノウはいたたまれなくなって、話題を変えるつもりで自分から問いかけた。
司令官はそんなスノウの胸中には気付かずに、問いに対しこの上なく不快な表情をして見せる。
「奥様ぁ? そんなものいるわけないじゃん。あんな軽薄で節操の無い男に。あんなんで政治家やってるなんて信じられない。みんなあの顔に騙されてるんだよ。もし何かの間違いであいつが大統領になんかなったりしたら、あたしは国外に亡命する!」
娘からこの言われよう。クローンであることが事実なら正確には娘ではなく歳の離れた双子の妹になるのだが、どちらにしても肉親にここまで言わしめるほど、ユリス・ハインロットという人物は信頼されていないのか。
(……何処となくシュウと反応の仕方が似ているような……)
もしそうだとしたら、憎まれ口も愛情の裏返し。
養子だということで、親子関係は良くないのかと思っていたが、そういうわけでもないのかもしれない。
「──私は、一度お会いしてみたいとは思いますよ……」
スノウがそう呟くと、司令官は信じられないという顔を向けた。
「誰に? もしかしてユリスに!? 何で!?」
「あなたにそっくりなのでしょう? 男性なのに。どんな方なのか、少し興味があります」
それを聞いて司令官はますます面白くなさそうな表情をする。
「あんなのに興味なんか持たなくていいよッ!」
スノウは心の中で小さく笑った。まるでシュウと話しているようだと思ったからだ。
だが別におかしな事ではない。この少女はシュウと同世代。さっきまではこの歳で、自身の受け止め難い出生の事実を、これほどまでに達観できるものかと驚きを覚えたが、こういう反応の方が年相応に思える。
「──あんなのより、あたしに興味を持って欲しいんだけどな……」
そう言うと、急に司令官は声色を変えて、身を乗りだし両手を妖しくスノウの太股に置いた。
ぎょっとして彼女の方を見るといつの間にかシートベルトを外し、息づかいが聞こえるほど近い位置に顔がある。
「何のつもりですかッ!? 運転中ですよッ!?」
琥珀色の瞳と、それを縁取る黄金の扇のようなまつ毛がすぐ近くにある。
「運転中じゃなきゃいいのね?」
そして薔薇色の唇が言葉を紡いだ。
「そう言う問題ではありません!!」
「なあに? じゃあいつなら良いの?」
「いつでも駄目ですッ!」
スノウは前方と少女を交互に見ながらきっぱりと言い放った。多少ハンドル操作に動揺が出てしまい車を蛇行させてしまったが。
「つまんないのー」
司令官は諦めたのか口を尖らせながら助手席のシートに座り直し、何事も無かったかの様に窓の外を眺めた。
それを横目で見ながら、スノウはほっと肩を撫で下ろした。
一体何のつもりだ。研究所でもそうだったが、遊ばれているのだろうか。
司令官の横顔からは真意を読み取る事ができない。
年相応な可愛いところもあるなと思ったが、やはり油断のならない少女だ。
軍用車は演習場の外周を沿うように伸びる道路をひた走る。もうすぐ通用門が見えるはずだ。
「……あ、そう言えば」
またもや急に少女が呟いた。
(なんだ? まだ何かあるのか?)
スノウは警戒しつつ次の言葉を待つ。
「あなたのホントの名前、あたしまだ聞いてなかった……」
司令官はそう言うと、こちらの顔を覗き込むようににこりと笑った。
「殺し屋だって、名前くらいあるでしょう?」
スノウは一瞬、答えようか迷った。
あっさり名前を教えてしまうのも、完全にこの少女のペースにはめられている気がするのだ。
しかし素性も知られている上に、今は副官としてではなく、殺し屋スノウとして彼女と行動を共にしているつもりだ。だとしたら、これ以上隠す理由も無かった。
「俺の名前は──」
そう言い掛けて、スノウは言葉を飲み込んだ。
演習場内の様子がおかしい。もう真夜中だというのに、明かりがいたるところに煌々とともっているのだ。
宿泊施設の部屋という部屋はすべて照明がつき、モータープールでは車のライトが忙しなく動いている。
「あれ、やだな。もしかして、勝手に抜け出したのバレちゃった?」
司令官はばつが悪そうに小さく舌を出した。
「それにしては騒ぎが大きくなりすぎではないですか? 副官も一緒だと分かれば、さほど大ごとにはならないと思うのですが……」
違和感を覚えながら、スノウは車を指揮官専用の車両が並ぶ駐車場に進めた。するとそこには、演習場には似合わない黒塗りの送迎車が停まっていた。
ナンバープレートから、基地司令官用の車ではないと分かる。
このナンバーは──、
「あ、副司令官の車だ!」
司令官が声を上げた。
確かにそれは副司令官用の送迎車だった。
「何しに来たんだろう。副司令官は視察に来る予定無いよね?」
当たり前だ。基地司令官が基地を不在にしているのに、副司令官まで基地をあけてしまったら、不測の事態に誰が指揮をとるのか。
スノウは目付きを鋭くした。嫌な予感がする。
司令官と共に車を降りると、建物の中からバタバタと数人の男が現れた。一番先に前に進み出たのは、ひょろりとした色黒の中年男。
「ああッ、司令官ッ! ご無事でしたかッ!」
副司令官のハンター中佐だ。
「副司令官、これは何の騒ぎですか?」
司令官がそう言い終わるよりも早く、副司令官は少女の両肩を確かめるようにしっかりと掴んだ。
「何をおっしゃっているのですか! 皆総出であなたを探していたのですよ!? 一体どちらにいらしていたのですかっ!?」
「それは──! すいません。ちょっと私用で……。でもそんな心配しなくても、ロウ少尉も一緒だったので──」
司令官が一度チラリとこちらに視線を向けて言った。しかし副司令官は納得するどころか無言で振り返ると、鋭くこちらを睨み付けた。
いつもにこやかな笑顔が印象的な副司令官には珍しい表情だ。
副司令官は無言のまま、後ろの男たちに手で合図を送る。すると男たちは素早く動き、スノウの回りを取り囲んだ。
その男たちは演習場では珍しく軍服をまとっていて、腰のベルトに警棒を携えている。胸に付けた星の記章は憲兵の証だ。その中から一人、威圧感のある隊長らしき男が近付いて来て言った。
「エルド・ロウ少尉だな?」
「そうですが何か?」
静かにそう答えると、隊長らしき男は突然スノウの腕を掴み手錠を取り出した。
「──お前をスパイ容疑で逮捕する!」
「──!?」
ガチャリと自分の腕に手錠がかけられるのを見ながら、スノウは茫然とした。
確かにそうだ。
自分はスパイ任務を負ってこの地に来た。
しかし、何故この男がそれを知っているんだ。
この男だけではない。副司令官もすでに知っているような態度だ。
どういうことだ。その事実を知っているのは、彼女だけのはずだ。
スノウは咄嗟に少女の姿を探した。
まるで自分から遠ざけられるように副司令官に肩を抱えられる少女の、琥珀色の瞳と目が合う。
彼女は一度、ぎくりと身体を震わせた。そして愕然というよりは怯えるような表情で、じっとこちらを見つめていた。
それが何を意味するのか、
──なんて、今は考えたくもない。
憲兵の男たちに身体を押さえつけられながら、スノウは思った。




