第22話 何もない部屋
その研究所は、小さな街の郊外にある、工業団地の一画にひっそりと建っていた。
高い金網のフェンスがぐるりと敷地を囲んでいて、門扉は鎖と錠前で堅く閉じられている。人の気配は一切無く、建物の壁は塗装がだいぶ剥げていて、遠目にもわかるほど風化していた──。
司令官は無言のまま鉄製の門を見上げると、何のためらいもなくよじ登り始めた。少々危なっかしいながらも門を越えて反対側に降り立ち、そのままずんずんと中に入って行く。
いつもなら不法侵入ではないかと声を上げたい所だが、ここに来た時点ですでに色々諦めているスノウは、黙って門扉に足を掛けると、苦もなくひらりと乗り越え少女の後を追った。
敷地内は荒れ放題で、全く手入れがされていないどころか、人が入った形跡さえ無かった。
門から建物まで続く道にはアスファルトが敷かれているが、それを突き破っていたるところに雑草が生えていて、道筋を分かりづらくしていた。
その道に沿って立つ外灯はすっかり日が落ちたというのに一つも点灯しておらず、中には破損しているものさえある。一体どれくらい放置されているのか、完全に廃墟だった。
建物のエントランスまで来て立ち止まると、ガラス製の玄関扉をガタガタと何度も押し引きしながら司令官は声を上げた。
「ああっ! 鍵が掛かってる!」
どうしてそうなっているのか信じられないとでも言うような口調だ。
(……いや、鍵ぐらい掛けるだろ普通)
スノウは胸中で呟いた。
いくら放置されているとは言え、現在は軍の管理下にある施設だ。施錠しないわけがない。
スノウは扉のガラス越しに中の様子をうかがった。がらんどうの玄関ホールはほこりがうっすらと積もり、窓から差し込むかすかな月明かりが室内を青白い様相に見せる。
中央奥には上の階へ続く階段があり、その横にはエレベーターの乗り口がある様だが動いてはいなかった。
ふと見ると隣に居るはずの司令官がいない。
「ちょっとどいて!」
そう言って現れた時には、どこで見つけたのか手に子犬ほどの大きさの石を抱えていた。
(おいおい、まさか……)
スノウが止める間もなく、司令官は石を大きく振り上げるとガラス扉に向かって投げ込んだ。
ガシャーンッ!
静まり返る夜の空に、思わず背筋がこわばる音が響き渡る。
同時に扉に人ひとり屈んで通れるほどの穴があいた。
(……無茶苦茶だな)
何でこう、いつも強引なんだろう。
「あらら、腕が入るぐらいの穴で良かったんだけど……。やりすぎ?」
てへ、とばかりに頭をかきながら少女は言った。
「やり過ぎです。始めからガラスを割って入るつもりなら、わざわざ玄関を割る必要はないでしょう! そこの窓からで十分です!」
「それもそうね!」
あっさり同意するもののまったく堪えてはいないようで、司令官は誤魔化すようにニカッと笑った。
これ以上この少女に任せておくと、無茶をする上に、あり得ないところで怪我をしそうだ。誰にも言わずに来ているのに、そんなことになれば後々面倒なことになる。
スノウは司令官と玄関扉との間に割って入ると、みずから割れたガラスの隙間に手を入れて鍵を開けた。
散らばったガラス片に気を付けながら扉を押すと、ゆっくりと中に入る。
しんと張りつめた空気の中にカビ臭さが漂う。バリッとガラスの欠片を軍靴で踏みしめながら数歩歩いた。
すると突然後ろで司令官が緊張感ゼロの声を上げた。
「あ、しまった」
振り返ると少女は照れ笑いを浮かべながら言う。
「何か明かりになるもの持ってない?」
その問いに、スノウは呆れ顔で答えた。
「何で懐中電灯ぐらい持ってこないんですか?」
「だってこんな時間になるなんて思ってなかったんだもん」
(……昼間のうちに来るつもりだったのか)
はぁー、とスノウはため息を吐いた。毎日自分が伝えている一日の予定が頭にあれば、日中は予定がいっぱいで時間が空くとすれば夜になる事ぐらい十分想定できると思うのだが。
しかしそんなことを今ここで愚痴った所で仕方がない。
「あいにく持ち合わせがありません──」
いくら副官と言えども、上司の行動を見透かす様にそんなもの都合良く持っている訳がない。ただでさえ予測不能な行動をとるのがこのツルギ・ハインロットという少女だ。
だが言葉とは裏腹に、スノウは少しも残念そうな顔をせずに落ち着き払って続けた。
「ですが、心配はいりませんよ。わずかだが今日は月が出ている。明かりなんか無くても、月さえ出ていればそれで私は十分見えますので……」
こっちはプロの殺し屋だ。夜目には自信がある。本来、自分にとって夜は一番活動しやすい時間帯なのだ。
しかしその言葉を聞いて、司令官は何を勘違いしたのか期待混じりの表情で聞いてきた。
「……それって、もし何かあったらあなたに抱きついてもいいってこと?」
スノウは琥珀色の瞳を束の間見返した。何を言っているんだこの少女は。
「何でそうなるんですか?」
「だってぇ、俺は見えてるから安心しろって意味でしょ?」
「まあそうですが……。抱きつく必要はないでしょう。何か危険があれば事前に私が声を掛けます」
こちらの話に納得したのかしないのか、司令官は気を良くし、奥の階段に向かい歩き始めた。
「それにしても、見事に何もないね」
ぐるりと回りを見渡してそう言うと、迷いのない足取りで上の階を目指して階段を昇る。目的の場所は既に決まっているらしい。スノウは一つ小さいため息をつくと、何も言わずに後に続いた。
三階にたどり着くと、司令官は廊下に出た。そこから先は廊下に面して並んだ扉を一つずつ開けて部屋の中を確かめていく。スノウはそれを黙って見ていた。
おそらく彼女は探しているのだろう。自分が居た、世界のすべてだったその部屋を。
「あ……、ここだ」
何部屋目かの扉を開けた時、少女はぽつりと呟いた。
そこは何もないただの四角い部屋で、奥の小さな窓には鉄格子が付いている。話にあったベッドやテーブルはすでに無く、本当に空っぽの箱の様な部屋だった。
「……やっぱ、何もないよね」
部屋の真ん中まで進み、力の無い笑みを浮かべながら、司令官はか細い声で言った。
彼女は結局、何の為にここまで来たのだろう。
こんな廃墟に、一体何があると言うのだろう。
そんな疑問が頭をよぎる。
「あなたは何をしにここへ?」
そう尋ねると、司令官は窓の外を見るようにこちらに背を向けた。
「何だろう。あたしもホントは良く分からない……」
それから半身だけ振り返る。
「“何もない”のを確認しに来たのかな……」
その顔は、虚しさなのか、諦めなのか、ほんの少しの笑みをたたえていた。
「あたしのこと調べたんだったら、気付いてるんでしょう?」
窓から差し込む淡い月明かりを背にしながら司令官は静かに問うた。
「……何をですか?」
スノウは眉を寄せる。
「あたしがクローンかもしれないってこと」
聞き流してしまいそうなほどさらりと彼女は言った。だが決して聞き流せるような内容ではない。
本当にそんなことがあるのだろうか。ヒトクローンの作製は理論上は可能であるが、倫理や人権の観点から、共和国でも法律で禁止されているはずだ。
「……何故そう思うのですか?」
「あたしの実の両親は日本人。でもその両親とあたし、全然似てなかったでしょう? 親子にしては血液型もおかしい」
「生まれてすぐその両親にもらわれたのでは?」
「あたしもそう思った。でも調べてみると確かに母親は病院であたしを出産しているの」
司令官の表情は冷めている。無表情とも言える顔だ。なぜそんなに平然としていられるのだろう。
「それだけでクローンと決めつけることはできないでしょう。もしそうだとしたら誰のクローンなんです?」
その問いにも司令官の表情は変わらない。
「ユリスにはユリヤって言う双子の妹がいたんだよ。あたしが生まれる前に死んじゃったみたいだけど……。あたしはそのユリヤのクローンなんだと思う」
自分が人工的に造られた存在かもしれない。そんなこと、簡単には認めたくないはずだ。なのになぜこの少女はこれほどまでに、まるで他人の事のように話すことができるのだろう。
「ユリスは妹を溺愛してた。今でも写真を肌身離さず持ち歩くほどにね。だから死んだことを受け入れられなくて、身代わりとしてあたしを造った……」
「それは憶測ですか? それとも本人がそう言ったのですか?」
「憶測だよ。ユリスには聞けない。少し触れただけでとても悲しそうな顔をするから……。それにきっと、聞いても答えてくれないよ」
少女はそう言って初めて、寂しげに少し俯いた。
「……だから、あたしは軍人になった。軍の内部に入れば、何かわかるかも知れないと思ったから──」
確か、司令官としてガンデルクに赴任する前の彼女の所属は中央情報部だった。
情報部は陸軍部、海軍部、空軍部に並ぶ共和国軍の大きなセクションの一つ。その中でも中央情報部は、国中の機密事項を扱う中核組織だ。確かに真実を探るには十分すぎる職場だ。
「でも結局、重要なところはわからなかった。あたしがいた頃の遺伝子研究所の記録は、何も残ってなかったんだよ……」
不意に室内が暗くなった。月が雲に隠れたのだろう。
今夜の月は三日月に少し足らないくらいか。それでもスノウには十分な明るさだったが、さすがに雲に隠れてしまうと、司令官の顔はほとんど見えない。
「ガンデルクに赴任が決まった時、ユリスは猛反対したけど、あたしは二つ返事で承諾したんだ。基地からこの場所が近いって知ってたから……」
だが結局、ここにも何もない。
ある程度予想はしていたのだろう。情報部にも記録が無いくらいだ。こんな所に何か証拠を残しているとは考えにくい。
それでも来た。
何も無いとわかっていても、この場所を訪れずにはいられなかった。
月を隠していた雲が切れたのか辺りが少し明るくなった。
見ると司令官は先程の冷めた表情とは打って変わって、清々しい笑みを浮かべていた。
「やっぱりここにも何もない。でも、もうそれでいい。あたしは自分にそう納得させるために、ここに来たのかもしれない……」
そう言って、少女はもう一度部屋の中を見回した。
そうか。
彼女にとってこれはただの確認作業なのだ。時折寂しそうな顔をしていたのは、父親であるユリス・ハインロットにとって辛い過去かもしれないから。
それを掘り返す事で、彼を悲しませてしまうかもしれないから。
だが彼女にとっては、自分のつじつまの合わないルーツを整理する為の、事実の確認作業に過ぎない。
その事実を知ったからと言って、今が変わるわけではないことを、良く分かっているのだ。
「……気は、済みましたか?」
そう声を掛けると、少女はこちらを向いて柔らかく笑った。
「うん。──……帰ろうか」
その顔に、白い月明かりが薄い影を落とした。




