第16話 勝利者
腹が立つほどの晴天の下、試合開始を告げる鐘が鳴った。その乾いた音を合図に、ヤナギは露骨にニヤリと笑うと、両腕を構えて突進してくる。
この瞬間を待ち望んではいたものの、さて、どうやって叩きのめそうか。
スノウはヤナギの左右の腕から繰り出されるパンチをテンポ良くかわしながら、冷静な頭で思案を巡らせた。
一撃で仕留めてしまっても面白くない。それに、今までの試合との兼ね合いもある。ここにきていきなり超人的なパワーを発揮してしまう形になっては不自然だ。
しばらくはこの状態のまま、実力が伯仲しているような感じで大人しく打ち合いをした方が良いだろう。
スノウが相手の攻撃の間隙をついて数発打ち返すが、ヤナギに難なく防がれた。
不意にヤナギがスノウの懐にぐんと入って、腹部に右ストレートを繰り出してきた。しかしスノウはそれを危なげなくガードする。
動きを見きられていたヤナギは、苛立たしげに舌打ちをした。
そんなことを繰り返していると、リングの外側の観客席の方で、ギラッと強い光がスノウの視界を遮った。
その光は何かが太陽光を反射している様な光で、スノウは始め、腕時計の文字盤でも光っているのかと思った。
直視することができないほどの強い光は、スノウの視界を邪魔するように何度もチカチカと輝く。しかも一つではなく二つ。その二つともが、ヤナギの背後、つまりスノウの正面にあった。
(眩しいな──何だ?)
ブンッ!
ヤナギのグローブがスノウのあごすれすれのところをかすめていく。
「試合中によそ見なんかしてていいのか?」
自らの優勢を感じ、嬉々とした表情でヤナギは言った。
あれを見ろ、と言う意味で、スノウが一度リングの外側に視線を向ける。だが、ヤナギは見向きもしないどころか不審な顔ひとつする様子がない。
そういうことか。あの光はこちらの動きを妨害するためにわざと何かで太陽光を反射させているものなのだ。おそらくそれをやらせているのは、いま目の前にいるこの男。
「さっきまでの余裕はどうした!? 逃げてばかりでは勝てないぞ!!」
そう言うヤナギは、一度後ろに一歩下がってから身体を回転させ、外側から回すように足先を蹴り出した。スノウはそれを左の肩とひじを堅め、少し腰を落とした格好で受け止め、衝撃に耐える。
「──くっ!」
この男、“正々堂々と”などと自ら言っておきながら、なかなかこすい手を使う。しかも反射材を使った目眩ましとは、やり方が原始的だ。それだけで十分勝てると思っているのだろうか。
士官学校時代から“エルド・ロウ”を演じきり、もちろん今も猫をかぶっているとは言え、随分と見くびってくれる。
それとも自分を過大評価しているのか。
どちらにしても、こんな小賢しいことをしてまでもこの競技会で優勝し、自分たちの望みを叶えようとしていること自体が滑稽に思えた。
目眩ましの光はその位置を変えながら、なおも執拗にスノウを追いかける。だが決してヤナギの前に出ることはない。
確かに目障りではある。だがこれだけ光れば、いくらなんでもレフェリーも気付くはずだ。妨害工作が明るみになれば失格になってしまうだろうに、その辺は考えているのだろうか。
しかしスノウの予想に反して、レフェリーは不自然な光に一切反応を示さず、試合はそのまま何事もなく続行されていく。
(何故気付かないんだ──?)
レフェリーの男はスノウと目も合わそうとせず、しらじらしい表情で試合を見つめている。
もしかして、レフェリーもグルか。もしくは買収されているのかもしれない。
(──とんだ茶番劇だな)
スノウは顔の近くで構えたグローブで隠しながら、小さく嘆息した。
「反撃しないんだったらこっちから行くぞ!」
ヤナギは軽快な足運びで右こぶしを打ち出した。スノウはそれをぎりぎりでかわそうと十分に引き付けるが、良いところでまたあの強い光が視界を遮る。
(──クソッ!)
眩しさに目を開けていられない。ヤナギも、ヤナギのグローブも、真っ白な世界の中に見えなくなった。スノウはヤナギの攻撃をかわすのは断念して、ただじっと防御の態勢をとった。
(原始的な割には意外と効果があるな)
スノウは小さく舌打ちをした。
あの光、こちらが動こうとしているところを狙って邪魔をしてくる。
どうする。これでは反撃に出ることができない。
そう思った瞬間、光が突然一つ消えた。
観覧席の方で何かがあったらしく、周囲がざわつく。
「いい加減にしなさいよあんたっ!!」
微かに聞こえたその声は、
「そこのあんたもっ!! あんたたちの悪巧みはお見通しなんだから!!」
──ヒメルだ。
程なくしてもう一つの光も消えた。
司令官と一緒に来賓席に座っているはずのヒメルの声が何故聞こえてくるのか、スノウには見当もつかなかったが、彼女の声を境に邪魔な光は完全に消え失せていた。
あの何かと人騒がせな部下も、たまには役に立つじゃないか。
歓声やら野次やらが入り交じる中、スノウの耳には確かにヒメルの声が届いた。
「ロウ少尉ーーっ!! そんな奴、さっさと倒しちゃってくださーーいっ!!」
観客席の中に、両手をぶんぶんと振りながら叫ぶヒメルの姿が見え、ふっと、スノウは片側の口角を上げた。
──もちろん、言われなくてもそうするつもりだ。
だんっと地面を蹴ってヤナギとの距離を一気に詰めた。
急に相手の動きが変わり焦ったヤナギが、少々雑に右腕を突き出してくる。その軌道を片手で反らすと、もう片方をヤナギのみぞおちに深く押し込んだ。
「うぐっ!」
ヤナギが堪らず後ずさる。そのチャンスを逃すまいと、スノウは更に間合いを詰める。グローブを強く握ると、ヤナギのあごを下から鋭く打ち上げた。
今度は手加減しなかった。
続けざまに二発の攻撃をまともに受けたヤナギは、ふらふらと数歩後退し、そのままバタンと真後ろに倒れた。レフェリーは数秒あっけにとられていたが、スノウがじろりと睨むと、やっとカウントを取り出した。だが、ヤナギが起き上がる様子はない。
気が付くと、会場の盛り上がりは最高潮に達していた。
カーン、カーン、カーンッ!
試合終了の鐘が鳴る。救護員が慌てた様子でリングに上がって来て、ヤナギの側にかけ寄った。幸い意識はすぐに戻ったようで、支えられながら、ヤナギは上半身を起こした。
「……いい気に、なるなよ。俺の同志は他にもいる。誰か一人が勝ち残れば、俺達の目的は……達成されるんだ!」
苦痛に顔を歪めながら、ヤナギはそう言葉を絞り出した。
それは完全に負け惜しみにしか聞こえなかったが、言っていることは間違ってはいない。
ここで負けても、仲間の内の誰かが優勝すれば、この男の望みは叶うのだ。
ヤナギは救護員に肩を担がれて立ち上がると、引きずられるようにゆっくりと歩き出した。その去り際、まだ何か言い足りないのか、支える腕を振り払って立ち止まった。
「……お前は、俺を倒すためだけに試合に出てたんだろ。だったら、ここから先は棄権しろ。これ以上、俺達の邪魔はするな。司令官に興味のないお前に、その権利はない!」
確かに、ヤナギたちの『ファンクラブを作りたい』といういたって平和的な目的を阻む理由は、スノウには無かった。軍隊という組織の中ではあまり歓迎すべきことではないが、それでもわざわざ阻止するほどのことでもない。本来の目的であるスパイ活動に、何らかの影響が出るとも考えにくい。邪魔をするなと言うこの男の言い分は、もっともだ。
──だが。
どうしても、このままこの男の望んだ通りの結果になるのは……。そしてそれを、ただ黙って見ていろと言うのは──、
我慢がならない。
「……それは、できない相談だな。忘れたのか? 俺は、お前が嫌いなんだ」
スノウはヤナギの顔を睨み返して言った。
こんな男の望み通りになんて、させてやるものか。
「お前に司令官のまわりをうろちょろされると、目障りなんだよ!」
そうスノウが冷たく言い放つ。
ヤナギは唇を捲りあげ憎しみを込めた表情で「クソッ!」と吐き捨てると、救護員に連れられて去って行った。
スノウは一人リングの真ん中に立ち、歓声を浴びながらふと来賓席の方を見やる。
ここからでは遠くて、どこに誰がいるのかまでは分からない。だが間違いなくいるはずだ。自分とヤナギがいがみ合うはめになったそもそもの元凶。
結局、望み通りの結果を手に入れるのは、あの少女だけになるのだろうか。
スノウは肩に溜まった力を抜き出すように、少し長めのため息を漏らした。
何だか、どんどん深みにはまっている様な気がした……。




