第15話 追跡者
「あれ? この辺にいたんだけどなあ……」
あたりを見回しながらヒメルは呟いた。さっきまで自分が座っていた観覧席のちょうど真後ろに来ている。
ヤナギの手下と思われる若い下士官の男が二人、人目を気にしながら何やらこそこそとやり取りをしていたのが気になって来てみたのだが、すでに姿は無かった。
(ヤナギ少尉の命令だって言ってたけど、何するつもりなんだろ……)
そもそもあのヤナギという男自身、正々堂々と勝負を挑んでくるようなナイスガイには見えない。手下二人を使って何か卑怯な手段で試合に勝つつもりなのだ。絶対そうに決まっている。
はたから見れば、そう断言する根拠は何もない。だがヒメルの脳内ではすでにヤナギが悪の組織の首領に見えていて、となればあの若い下士官二人は、イーッという掛け声を上げながらちょろちょろと動き回る悪の戦闘員に見えてくる。
しかし、これは逆に自分にとってはチャンスかもしれない。さっきの二人が何をするつもりなのか暴くことが出来れば、副官に対して自分がしてきた今までの無作法を帳消しに──ゲフンゲフン、部下としての信用を取り戻すチャンスになりはしないか。
(まだその辺にいるかもしれない)
ヒメルはきょろきょろとまわりに視線を配りながら、あの若い下士官たちを探して歩きだした。
人の多いところを探して歩いていると、通りの方から美味しそうな匂いが漂ってきてヒメルの鼻孔をくすぐる。見ると、屋根型テントの下でとうもろこしを焼いている露店が視界の先にあった。
観覧席で見た焼きとうもろこしはあれか。ヒメルは香ばしい匂いに誘われるように露店に足を向けた。
見慣れたオリーブドラブ色のテントの下では、明るい金髪のヤンキーみたいな兄ちゃんがとうもろこしを焼いている。
「美味しい焼きとうもろこしー。いかーっすかー」
見たところ軍人では無いようだ。一体どういう関係の人なのだろう。髪は染めているという訳ではなく天然の色のようで、ちょい長めの、まあイマドキの若者といった髪型なのだが、基地の男性兵士を見慣れているヒメルにはうざったく見える。
身体も小柄で、身長なんてヒメルと大して変わらない。何となく頼り無さげな兄ちゃんだ。
少々不審に思ったがしかし、こんがり焼き目の付いたとうもろこしを前に、そんなことはすぐに頭の中から葬り去った。大きな金網の上でころころと転がされているとうもろこしは、とても美味しそうだ。
ヒメルがごくりと唾を飲み込んで見ていると、突然後ろの方から怒声がした。
「ごる゛ら゛ぁぁぁ!! こんな所で何をやっとるんだーー!!」
飛び上がるほどびっくりして振り返ると、軍服の腰ベルトに警棒を差した憲兵のおじさんが、鬼のような形相で立っている。腹回り確実メタボな体型に口髭を生やしたそのおじさんの顔は、ヒメルも良く見知っていた。
憲兵とは言わば軍隊の中の警察だ。特にこのおじさんは基地内の交通ルール(主にスピード違反)に厳しく、一般兵士たちから煙たがられている。どの先輩からも、姿を見たらとにかく逃げろと教えられるガンデルクの名物おじさんだった。
「基地の中で許可も取らずに勝手に商売始めおって! きさま軍隊舐めとんのかーーっ!!」
憲兵のおじさんは腰から素早く警棒を抜くと、金髪のヤンキー兄ちゃんを睨み付けながら怒鳴った。
「え? いや、ちがっ、俺、ただのバイトで、何も知らないんです!」
ヤンキー兄ちゃんはおじさんのあまりの剣幕に完全に腰が引けている。良い焼き加減のとうもろこしを放り出し、トングを持ったまま逃げ出した。しかし、憲兵のおじさんは巧みな逮捕術であっという間にヤンキー兄ちゃんの腕を取って背中に回し、ぎりぎりと掴み上げた。
「痛だだだだ! 本当に何も知らないんですーっ!」
あーあ、かわいそうに。このおじさんに目を付けられると長いんだ。
辺りを見ると、通りすがりの兵士たちが一体何が始まったのかと足を止めて見ている。
しかし相手が件の憲兵おじさんだと分かると、一様に傍観を決め込み割って入る強者はいない。もちろん自分もその内の一人だが。
ふと、テントの後ろの芝生の所で、妙に挙動不審な男性たちが視界の隅に入った。憲兵のおじさんから隠れるようにびくびくしながら、この場を離れようとする男性は二人組で、一人は見覚えのあるリュックサックを肩に担いで──
(──あっ!)
あの二人だ。
「よっ!」
出し抜けに肩を叩かれ、びくっとしてヒメルは反射的に振り返った。
「料理長!」
そこにいたのは食堂の料理長で、いつものコック帽姿ではなく、Tシャツにタオルを首から下げた姿で、何故かヒメルの背中に隠れるようにして腰を屈めている。
「しーっ! 静かに!」
「……?」
今まさに繰り広げられている犯人逮捕の瞬間をヒメルの肩越しに盗み見ながら、料理長はひとりごちた。
「あっぶねー。もう少しで捕まるとこだったぜ」
兵舎で生活しているヒメルは、他の兵士と同じく基地の食堂で毎日食事をしている。しかし基地司令官の給仕も担当している彼女は、仕事としても食堂に出入りしているため、そこで勤務する料理人やおばちゃんたちと親しくなることが多い。特にこの料理長には、毎回会う度に声を掛けられていた。
彼はまだ料理長になって日が浅い。自分の店を持ちたいと言って辞めてしまった前の料理長に代わり、最近採用されたばかりだ。にも関わらず、初めて会った時から態度は随分なれなれしい。名前も呼び捨てだし。それにももう慣れてしまったが。
危機は脱したとばかりに一息ついてから、にやついた顔で料理長が言った。
「今日は昼飯が弁当だから仕事が無くて暇してんだろお前」
「暇じゃないですよ! 今日は副官の代行なんですから!」
ヒメルは思わずむっとして言い返したが、今はそれどころではなかった。
(しまった、あの二人は──?)
慌てて先ほど目に留まった場所に視線を戻すが、そこにはもう例の若い下士官の二人はいない。
(あ〜あ、悪の組織の企みを暴くチャンスだったのに……)
がっくりと肩を落とすヒメルの気も知らず、料理長はきょとんとした表情で尋ねる。
「副官の代行? あいつ、今日は何かあるのか?」
少々面倒に思ったが、ヒメルは仕方なく料理長との会話に付き合ってやることにした。
「競技会に出場しているんです。だからその間は私が代わりをしています」
すらりと長身の料理長と小柄の部類に入るヒメルとの身長差はかなりのもので、ずっと見上げていると首が痛くなりそうだ。さっきみたいに屈んでくれた方が楽なんだけどなとヒメルは問いに答えながら思った。
「ふーん。あいつも出てるのか……」
料理長はグラウンドの方向を眺めながら独り言の様に言う。どうしたのだろう。何かあるのかな。
「なあ、ヒメル。副官の〜えっと〜名前何だっけあいつ」
「エルド・ロウ少尉ですか?」
「ああそうそうエルド。……って、どんな奴だ?」
「どんなって言われても……別に。優秀な方ですよ?」
「そうじゃなくて──」
料理長が何を聞きたいのかよく分からないヒメルは、眉を寄せながら首をかしげた。そんな彼女に、料理長はもどかしそうに頭を掻き掻き言葉を続ける。
「オレが知りてえのは性格って言うか、人柄だよ人柄」
ああそう言うことか。ヒメルはやっと理解して直属の上司の人柄について考えてみた。
とは言っても、やはり優秀という言葉しか浮かんでこない。さすが副官に選ばれるだけはある。ここ何代かの副官の中ではかなり優秀な方ではないか。しかも副司令官からの覚えもめでたい。若いのに落ち着きもあり、そして真面目だ。
ただ──。
時々、冷たい感じがするのだ。表面上はそうでもないのに、何となく目の奥が笑っていないと感じる時がある。
それをどういう言葉で表したらいいのか分からないが、例えるなら、そう──
「雪、みたいな方です」
ヒメルがそう言うと、料理長はあからさまに怪訝な顔をした。
「は? 雪?」
「雪って、それ自体は冷たいのに、何か温かいような感じがするじゃないですか。かまくらとか、雪だるまとか……。でも触るとやっぱり冷たい。──そんな感じの方です」
我ながら上手い表現だと、ヒメルは自画自賛して料理長の反応を待った。しかし料理長は、怪訝な表情のまま腕組みをして唸る。
「う〜ん。……わかんねぇ」
「えー、そうですか?」
わからないかなあ。
ヒメルは残念そうに口を尖らせた。
「ところで、何でそんなこと聞くんですか?」
そう尋ねると、料理長は何やら言いにくそうにごにょごにょと口元を動かした。
「別に意味はねえよ。あいつが家でエルドの話ばっかりするから、ちょっと気になっただけさ」
「あいつ?」
あいつって一体誰のことだろう。
問うてみたい気持ちはあったが、料理長の方がぷいっとこちらから視線を外してしまったので、何となく聞き辛い。
屋根型テントの向こうの方では、憲兵のおじさんが金髪のヤンキー兄ちゃんを取り押さえて連行しようとしている。
「ちょ、ちょっと待って! 料理長に聞けばわかるって!」
「やかましい! 憲兵一筋三十年の私にそんな嘘が通用するか!」
必死に抵抗を試みるヤンキー兄ちゃんと、問答無用で連行する勢いの憲兵のおじさん。その声を背中で聞きながら、ヒメルは料理長の綺麗なアイスブルーの瞳に見入っていた。なんか料理長の名前が出てるけどいいのかなあ。
「それよりお前、いつまでもこんな所に長居してていいのか? 副官代行だろ?」
急にヒメルの方に顔を戻して料理長は言った。少々呆けていたヒメルは、はっと我に返った。
確かに今は副官代行の身の上。いつまでもふらふらしてはいられない。午前中の試合がすべて終われば、司令官は来賓客との会食に出席しなければならない。司令官の行くところ全てに付き従うのが副官の務めだ。
「わっ! うそ! もうこんな時間?」
腕時計を見たヒメルは小さな悲鳴を上げた。
どうしよう。もう少ししたら会食の準備に取り掛からなければならない。でも出来ればその前に、副官に会って伝えなければ。ヤナギが手下を使って何か悪巧みをしているって。
「すいませんっ! 私はこれで失礼します!」
行かなければ。試合会場の片隅で、きっと副官は次の試合が始まるのを待っているに違いない。
挨拶もそこそこに、ヒメルはグラウンドに向かって走り出した。
吹雪の後の朝のように、ただ静かにそこで待っている。
雪によく似た上官を探して……。




