第14話 試合開始
皆さんこんにちは。突然語り役を任され、少々困惑気味のヒメル・セイジョウ伍長です。
今回、上官であるロウ少尉が、格闘技競技会の出場選手となっているため、司令官付副官の職務を及ばずながら代行することとなり、併せて語り役も代行する運びとなりました。
「ヒメル? なに一人でぶつぶつ言ってるの?」
「いっ、いえ何でもないです!」
司令官に肩越しに声を掛けられ、ヒメルは顔を正面に戻し姿勢を正した。
観覧席の中央の、一番高い位置。来賓客や基地の要職に着く指揮官たちの席が並ぶ特等席の中にヒメルはいた。普段なら、下から数えた方が早い階級しかないヒメルがこんな所に座ることなど、まず考えられないのだが、副官の代行という立場のため今回は特別だった。
自分の目前の席には、基地司令官ハインロット大佐。その両隣には、来賓のガンデルク市長と評議会ガンデルク分会議員。同じ並びに副司令官ハンター中佐と、参謀長ノベルト少佐が座る。
そんなVIPだらけの席に自分がいること自体落ち着かないのに、自分のせいで嫌がる副官を無理矢理競技会に出場させた形となったため、後の事を考えると怖くて更に落ち着かない。
(でもでも、私のせいじゃないもんね。あの後、ロウ少尉がエントリーを取り消しに行く時間は十分あったし。取り消さなかったってことは、自分から出場する気になったってことだもんね!)
そう自分に強く言い聞かせ、気を取り直して前方のリングを見やった。
並列したリングのそれぞれで試合が始まろうとしている。
観覧席は今や満席で、席は一つも空いていない。そこに収まりきらない人たちは、立ち見を余儀なくされていた。
リングのまわりに少し距離をおいて、ロープで区切られた場所が立ち見席のようだ。そのロープに沿って観客が集まり、皆リングに注目している。どちらの席の観戦者も、試合開始の鐘の音を、今か今かと待っていることは共通していた。中には手に焼きとうもろこしを持って観戦しようとしている者がいるが、一体どこで手に入れたのだろうか。
「あのぉ、司令官?」
「ん~?」
こそこそと耳元に話しかけると、司令官は前方に視線を向けたまま返事をした。
「私、ルールがイマイチわからないんですけど……」
「うーんとねえ、あたしもあんまり詳しくないんだけど……。確か、制限時間内にダウンを取るか、多くポイントを取った方が勝ちじゃなかったかな?」
「へえ、そうなんですね……」
新兵時代に基礎的な教育を受けて以来、軍隊格闘に今まであまり興味もないまま過ごしてきたせいか、試合用のルールがちゃんとあるということ自体がヒメルには驚きだった。だいたい新兵教育では軍隊格闘の“型”しか教えられなかったものだから、それしか無いものだと思っていたのだ。
そもそも戦場で武器が無くても敵と戦うことが出来るようにするためのものなのだから、ルールなんてものは存在しないような気がするのだ。
「私、てっきりどちらかが倒れるまで殴り合うものなのかと思っていました」
何気なくポツリと呟いた言葉に、司令官は面白そうに笑った。
「結構怖いこと言うねヒメル! まあ、あながち間違ってもないけど。でも防具の上から相手をダウンさせるのはなかなか難しいと思うよ。グローブも着けてるし。確か頭部への攻撃は反則だけど、アゴから下の部分はオッケーだから、ダウンさせようとするなら狙うのはそこかな。それなりに打撃力がないと無理だと思うけどね」
そう言って、司令官は楽しそうに語った。
「あんまり詳しくないとか言って、十分詳しいじゃないですか司令官」
「そう? 試合形式ではやったことがないから、大体の部分は想像で言ってるんだけど」
試合形式ではやった事がないって、じゃあどういうのならやったことあるのだろうかとふと気になったが、聞いてしまうと自分の中の司令官のイメージが壊れてしまいそうな気がしたので、疑問のままにしておく。
辺りに一際大きな歓声が響き渡り、リングに選手が上がった。
ここからでは遠くて選手の顔までは見えないが、立ち姿からしてどうやらロウ少尉の様だ。
「あ、あれ副官ですよ!」
「えっ! どこどこ?」
ヒメルが指を差して声を張ると、司令官は興奮気味にその指の方向に注目した。やはり司令官も身近な人物が出場するとあって気になっていたようだ。
「興味なさげなこと言っといて、あたしたちの思い出の事、やっぱり気になるんじゃない。ホント、素直じゃないんだから……」
司令官がぼそぼそと何かを呟いたが、歓声にかき消されてよく聞こえない。
「はい? 何か言いました?」
「ううん、何でもない。やっぱりいいよね、男たちの熱い闘いって!」
そう言って司令官は背筋をぴんと張り、まわりに合わせて軽く拍手をしながら試合開始の鐘を待っている。
ヒメルもリングに意識を集中させようと前方に視線を戻したが、ふと後ろの方から人の話す声が聞こえることに気付いた。
「──本当にやるんですか、先輩」
「いいから黙ってやるんだよ! ヤナギ少尉の命令なんだから!」
(──? ……ヤナギ?)
その声に気付いているのは自分だけの様で、まわりの人間は誰も反応していない。どこから聞こえるのかと耳を澄ますと、どうやら観覧席の後ろから聞こえてくる。しかしここは、その観覧席の最後列。これより後ろに席は無く、断崖絶壁になっているのだ。ということはこの下か。
ヒメルが身体の腰から上を捻り、手すりに乗り出して下を見下ろすと、観覧席の影に隠れるように二人の青年が立っていた。
「本当にこんな事をしていいんですか?」
そう言って、まだ入隊したてで学生っぽさが抜けきらない感じの若者が、相手の男にもう一度問うた。
「俺達の崇高なる目的を忘れたのか? これがその重要な一歩になるんだ!」
その若者よりはいくらか先輩のような相手の男は、手に持ったリュックサックの中をごそごそと探りながら答える。
「あの〜その話なんですけど、俺やっぱファンクラブに入るのやめてもいいですか? なんか彼女に怒られそうなんで……」
「はっ? お前、彼女なんていつできたんだよ!」
「実はこの前の合コンで……」
「なーにーーッ! まさか、あの時お前の隣に座ってたあの子か?」
「へへ……はい、まあ……」
照れた様子で後輩の若者が頭を掻いた。
「く、くそお! 何でお前には彼女ができて俺にはできないんだ?」
「さあ何ででしょう……。という訳なので……」
「何がという訳だ! 今さら何言ってんだよ! 命令だって言ってんだろ! 彼女ができたからってでかい面すんじゃねえよ!」
先輩の男はツバを飛ばす勢いでそう言うと、リュックサックの中から手のひらほどの大きさの何かを取り出し、後輩の胸に強引に押し付けた。
「いいか、言われたとおりにやれよ!」
「……わかりました」
しぶしぶと言った様子で後輩は先輩の男から渡されたそれを手に持つ。キラリと陽を反射して光るそれは──
(──手鏡?)
「ハアッ!」
気合いと共に繰り出された回し蹴りを紙一重でかわし、スノウは相手の背に回った。相手はとっさに腰を捻ってこちらに向こうとするが、スノウの動きはそれより早い。片手を床に付いて支えながら、それを軸に相手の脇腹に蹴りを見舞った。
「うごぉっ!」
相手はもんどりうってリングの上を転がり、そのまま倒れ込んだ。レフェリーがカウントをとるが、相手の選手は起き上がることが出来ない。
試合終了の鐘が鳴った。と同時に歓声が上がる。
(──しまった。少しやり過ぎたか)
相手の選手が思った以上に吹っ飛んだので、スノウは少し焦った。
一応は何度か打ち合った後に辛くも勝利したというシナリオにしたつもりなのだが、つい加減を間違えてしまった。さすがにここまで勝ち上がってくるとそれなりに強い選手がいる。目立ち過ぎないように上手く立ち回る余裕をなかなか与えてくれない。
レフェリーが勝利した選手の手をつかみ名前を宣言し終わると、スノウはさっさとリングを下りた。あまり注目されるのは本意ではない。
スノウが観客席に近付くと、そこにいた女性軍人たちが黄色い声を上げたが、スノウはそちらを見ることもなく足早にその場から立ち去った。
ひとつ前の試合でヤナギが勝利し駒を進めているから、次の試合であたるはずだ。
競技会事務局のテントの前に張り出されたトーナメント表を見に行くと、思った通り次の試合の相手はヤナギだ。やっとあいつを殴ることができる。
やれやれとトーナメント表を見ながら息をつくと、表の中に見慣れた名前を見つけた。
基地司令部総務課、トーマ・スエサキ。
──トーマだった。
(アイツいつの間にエントリーしてたんだ──?)
今朝、送迎車の中で話していたことは本気だったのか。ということは本当に優勝を目指しているのだろうか。
はたしてあの男に試合に出るほどの力量があるのかどうか疑問に思ったが、既に3回戦まで進んでいるところを見ると、案外できるらしい。
幸いトーマはBブロック、自分はAブロックなので、決勝戦まで勝ち上がらない限り対戦することはない。自分は次の試合でヤナギをぶちのめしたら棄権する予定だから、まかり間違ってトーマが決勝に駒を進めたとしても闘うことはないだろう。
「あ~、副官とあたるのは決勝戦っすね~」
スノウと同じ様にエントリー表を眺める出場選手たちの中から誰かが近付いてくると思ったら、トーマだった。まるで他人事の様に呟きながらスノウの隣に立つ。
「スエサキお前、いつの間にエントリーしてたんだ?」
「副官が部屋を出ていった後すぐ、俺も事務局行ってエントリーしましたよ」
そう言って、トーマはあっけらかんとしている。
「優勝して司令官をどこかに連れて行くと言う話は本気だったのか?」
スノウが疑わしげに問うと、トーマは心外そうな表情をしてから答えた。
「もちろん。俺はいつでも本気っすよ。俺の願いは司令官と二人っきりでランデブーすることなんです」
そう言ってへらへらとした笑みを浮かべる。語尾にハートマークでも着きそうだ。その態度のどこが本気なのかと突っ込んでやりたい。
「何でもいいが、就業時間外にしてくれ。仕事中に突然いなくなるのは金輪際無しだ」
ため息混じりにスノウが言うと、トーマはへらへらよりは少し困った笑顔を浮かべた。
「この前のあれは俺のせいじゃないっすよ。司令官が急に、外に行くからクルマ出せって言ったもんで仕方なく──」
「だったらせめて俺に何か言ってからにしろ!」
「へーい、反省してます」
ひょいと肩をすくめながら両手を挙げて、降参とばかりにトーマは言った。こいつ本当に反省する気があるのか。
「──ホント、副官は真面目っすね~」
「お前が不真面目過ぎるんだ! だいたい報告連絡は軍隊の基本だろう!」
「そのとおりっす! 以後気を付けます!」
その場で姿勢を正すと、トーマはびしっと敬礼をしながら返事をした。まったく、調子の良い奴だ。
「あ、俺そろそろ次の試合なんで。失礼しまーす」
そう言って、トーマは逃げるようにそそくさと去っていく。
(……反省する気無いな、あいつ)
その少し猫背の背中を見送りながらスノウはため息を吐いた。
何ともつかみ所の無い男だ。ただ不真面目なだけかと思いきや、妙に落ち着き払っているところもある。ドライバーだけあり車の運転技術は大したものだ。これであの軟派なところが無ければ、ヒメルの態度も多少は柔らかいものになるだろうに。
まあ別に、どうでもいいことだが。
副官と別れたトーマは、今しがた上官に勤務態度をとがめられたばかりだというのに、顔には笑みを浮かべていた。
背中に副官の視線を感じながら、笑顔と言うよりは嘲笑うかのような冷たい笑みを浮かべる。
「……どこからどう見ても本物の軍人だな。俺なんかよりはよっぽど──」
それは完全にトーマの独り言で、まわりを行き交う軍人たちによって誰にも拾われる事なく掻き消された。




