第12話 格闘技競技会
「ねえ、思い出した?」
小さな小鳥のように首を傾げながら、司令官は言った。その問い掛けに、スノウは肩をすくめて首を左右に振る。
競技会当日の朝、昨夜から続いている陰鬱な気分のまま司令官を宿舎まで迎えに行くと、スノウが朝の挨拶を口にするよりも先に、無垢な子供のように瞳をくりくりさせた彼女が開口一番に尋ねてきた。
だが副官から期待していた答えが返ってこないとわかると、さっと不満げな表情で口をへの字にした。
「ぶぅー、時間切れ。競技会までに思い出せなかったあなたに、あたしのやろうとしていることを止めることはできないんだからね!」
そう言って司令官は腕を組み、上目遣いでじろりとこちらを睨んだ。
「よく言いますね。私が思い出すかもわからないのに、セイジョウを使って基地中に噂を流したでしょう」
「噂は噂でしょ? あなたが思い出してくれたら、しらばっくれてすべて無かったことにするつもりだったんだよ」
そう言って悪びれもせず、司令官は肩をすくめた。
軍の宿舎は、通常鉄筋コンクリート製の三階建てだ。デザイン性のまるでない四角い灰色のアパートがここの敷地には4棟並んで建っている。
しかしガンデルク基地司令官用の宿舎は、他の指揮官とは違い一戸建て。
敷地の一番奧にあり、手入れの行き届いた芝生の庭が玄関先に広がった立派な家だ。
ドライバーのトーマを車の中で待機させ、スノウが毎朝ほぼ同じ時間に呼び鈴を押しているのだが、いつもはなかなか出てこないのに、今日に限って呼び鈴を押す前に司令官が顔を出したので、どういう風の吹き回しかと目を丸くすれば、思い出さないのが悪いみたいな事を言われ、さすがにスノウもムッとして答えた。
「あなたは本当に、私に思い出して欲しいんですか?」
「思い出してほしいよ。あたしたちの大切な思い出だもん。でも悔しいからあたしからは教えてあげない。知りたかったら競技会で優勝することね。じゃないと教えてあげないから!」
ぷうと頬を膨らませて司令官は言った。別に教えてもらわなくてもこちらは一向に構わないのだが。
(そんなことを言ったら本気で機嫌を損ねそうだな……)
普通にしていても何を言い出すかわからないのに、機嫌を損ねたらどうなることか。
スノウは少女に気付かれない様に小さく嘆息した。
いつもの様に司令官を送迎車の後部座席に座らせ、自分も助手席に乗り込むと、トーマが運転する車は滑るように走り出した。
街というには賑やかさに欠ける通りを走り抜け、車はガンデルク基地へと向かう。
海沿いの道路を走る車の窓からは、朝日に輝く海と小高い丘の上にある基地の庁舎が見える。
窓の外を流れる景色を何となく眺めながら、スノウは昨夜のヤナギ少尉との一件を思い出し、また面倒な男に目を付けられたとうんざりしていた。
何で自分のまわりにはこうも面倒な奴らしかいないのだ。いや、司令官のまわりには、と言うべきか。
ヤナギにいたっては目の敵にされる理由がよくわからない。
そんなに司令官付副官になりたかったのなら、士官学校を卒業する際に希望を出せばいいのに。なにを沿岸警備隊なんて末端部隊に配属されているのだ。それとも希望すれども叶えられなかったのか。それにしたって自分の努力が足りなかったせいではないのか。
司令官を独占しようとしてる?
そんなことあるわけないだろ。
八つ当たりもいいところだ。
と、スノウが心の中で人知れず不満を噴出させていると、司令官が後部座席から身を乗り出して言った。
「今日の競技会にトーマスは出るの?」
すっかり横文字な名前に慣れてしまったトーマが、少し考えているのか間を置いてから口を開いた。
「そうっすね~。何か面白そうだし、出てみようかなあ。優勝したら、司令官が何でも言うこと聞いてくれるんすよね?」
「いいよ~」
(──おいおい)
またそんな簡単に返事をして……。
「俺、実は司令官に一緒に来てもらいたい所があるんすよ。それ、お願いしようかなあ……」
トーマは白手袋を付けた手でハンドルを操りながら、軽い調子で言った。
「そんなことでいいの? そんなの優勝しなくても、普通に言ってくれたらいつでも行くのに」
少女は不思議そうにトーマの後頭部に向かって答える。
「いやぁ、ちょっと遠い所なもんで……」
(……何を言ってるんだ?)
スノウは訝しげにドライバーの横顔を見た。その顔は相変わらず締まりもなくヘラヘラと笑っている。真意の読めない顔だった。
そうこうしているうちに車はガンデルク基地の正門に到着し、会話は打ち切られた。基地の通用門を警備する守衛が司令官に対し敬礼を捧げる。
厳めしい顔をしたその守衛に答礼をしながら、司令官を乗せた車はゆっくりと門を抜け、基地内に滑り込んで行った。
基地の中は格闘技競技会の準備が着々と進んでいて、作業をする多くの隊員達が右へ左へ忙しそうに動き回っている。
司令部庁舎の裏手にあるグラウンドには3メートルはあろうかという階段状の観覧席が組み上がっていて、今はその一番高いところにスピーカーを取り付ける作業の最中のようだ。観覧席が見つめる先には試合を行うリングがニつ並んであり、その二つの正方形の枠の間には試合で使う大きなタイマーや得点版が背中合わせで二組置かれているのが見えた。
司令官は興味津々で車の窓枠に貼り付くように外の様子を見ていたが、車はいつもどおりグラウンドまで続く道の途中で向きを変え、司令部庁舎の正面玄関前に停車した。
スノウが素早く車から降りて後部座席のドアを開けると、つまらなそうな顔をした少女が中から出てきた。真っ直ぐ前を見て歩き出す彼女の斜め後方に付いて、スノウも建物の中に入っていく。
「おはようございます!」
司令官が自分の執務机の椅子に腰掛けたのと同時に、ヒメルが朝の挨拶と共に煎れたての紅茶をトレーにのせて現れた。
「おはようヒメル」
彼女の底抜けに明るい笑顔に機嫌を持ち直した司令官が挨拶を返す。
一礼して下がるヒメルと入れ替わるように司令官の正面に立つと、スノウは懐から手帳を取り出し、司令官の今日一日の行動について読み上げた。少女は聞いているのかいないのか、ふんわりと湯気と香りの立つ紅茶を口へと運んでいる。
毎朝繰り返される朝の風景だった。
しかし副官室へ戻るとヒメルは何故か焦っているような表情で、スノウを見るなり口を開いた。
「ロウ少尉、もちろん今日の競技会には出場されるんですよね?」
スノウは少し言葉に詰まった。ヤナギは確かに気に入らない。だが、奴の挑発にのせられて言われるがままに競技会に出場するのはもっと気に入らなかった。
「……出るわけないだろ。副官としての仕事もあるのに、そんな時間は無い」
ピシャリと遮るように答えると、ヒメルは驚きの声を上げた。
「そんな! あの男たちに言われっぱなしでいいんですか!?」
昨日の一件から劇団スイッチが入ったままなのか、ヒメルの声は必要以上に大きい。
「あんな奴ら、好きに言わせておけばいいさ。俺は全く気にしない」
「でも、もしあの男たちの誰かが優勝してしまったら、司令官は嫌でもファンクラブに付き合わないといけないんですよ!?」
「いいんじゃないか? 兵士との親睦がはかれて」
「副官! あのリーダーの顔見ましたか? あれは絶対いかがわしいことを考えています! あれはそういう顔です!!」
(どういう顔だよ……)
何だか辟易して横目でもう一人の部下の姿を探すと、トーマは副官室の窓を開けてグラウンドの方向を眺めながら、我関せずという体を見せている。まあ、あいつに何かを期待しているわけではないが。
窓の方に視線を反らす副官の関心を取り戻そうと、ヒメルはスノウの胸元を掴んで更に訴えかけた。
「とにかく! 競技会に出場してください! 私、もうロウ少尉の名前でエントリーしちゃったんですから!」
「──何だって!?」
一瞬、自分の聞き間違いかと思った。ちょっと待て。いま何と言った?
「当然出ると思ってエントリーしちゃったんです。いまさら競技会事務局まで取り消しに行くの嫌です。だから出てください!」
「はあッ!? ──お前、余計なことを!」
このバカ女、気を利かせたつもりなのか。司令官がどうのこうの言って、結局は自分で取り消しに行くのが面倒なだけじゃないか。
「おい、競技会事務局はどこだ!」
スノウが苛立たしげに問うと、ヒメルはえっ、と返答に困っている。
「事務局に行ってどうするんですか? 取り消しに行くんですか?」
「いいから教えろ!」
「──副官、あれじゃないっすか?」
唐突にトーマが振り向き、窓の外を指差しながら言った。反射的に窓まで駆け寄ってトーマの指の先を見ると、グラウンドの隅、リングを挟んだ観覧席の反対側に白いテントが一張り立っていて、何やら人が集まっている。
「エントリー最終受付とか言ってる声がするからあのテントじゃないっすかねぇ……」
スノウは場所を確認すると副官室を飛び出した。最終受付ということは、これを最後にエントリーが確定するということか。あまり時間がない。
階段を飛び降りるように下り庁舎の裏口から外に出ると、観覧席の足元を走り抜け、グラウンドに向かう。
白テントのまわりには、最終受付ということでたくさんの兵士たちが集まっていた。しかし全員がエントリー待ちというわけでもなく、仲間がエントリーするのを囃し立てる者や、既にエントリーしているものの他にどんな奴が出場するのか気になって見に来ている者など様々だ。スノウがそれらの人間をかき分けてテントに近付こうとしていると、ふと視線を感じた。
見ると、そこにはヤナギ少尉とその取り巻きの男たちがいた。彼らは何かを小声で話しながらニヤニヤと値踏みするようにこちらを見ている。
「やあロウ、エントリーは終ったのか?」
顔に嘲笑を浮かべながらヤナギが声を掛けてきた。しかも完全に呼び捨てだ。
「まさかエントリーをし忘れたとは言わないよな。そんなの言い訳にもならないからな。まあ尻尾を巻いて逃げるんだったら、エントリーしないでどこかに隠れているのがいいだろうがな」
そう言うと、ヤナギは後ろの仲間たちと顔を見合わせて高笑いした。
一体何の目的でヤナギがそんなことを言ったのかわからない。単なる挑発か自尊心の現れか。だが少なくとも、スノウのプライドに火をつける事には大いに役立った。
(こいつを叩きのめすまでは出てもいいか……)
実戦のじの字も知らない温室育ちに、少しだけ本当の格闘とはどんなものかを教えてやろう。もともとここの軍隊の格闘技なんて、自分にとっては遊びと一緒だ。
スノウはヤナギ一味と睨み合いながら、ほんの少しだけ口角を上げた。




