五十一話「生きた証人」
アストラ本部、医療搬入口。
後部扉の開いた搬送車から、拘束用寝台が運び出された。
寝台の上には、シュダルが横たわっている。
本名、中峰康太。
国立星律士官学校二十三期卒業。
元星務庁特別回収官。
六年前に死亡したと記録されていた男。
胸部には星脈の動きを抑える固定具が装着され、両手首と両足首も拘束されている。
それでも、星素反応はほとんど残っていなかった。
「隔離処置室へ移します」
医療班員が寝台を押しながら告げる。
「生命反応は安定しています。ただし、胸部を中心に星脈の大部分が断裂しています」
『目ぇ覚ますのか』
寝台の横を歩く空が尋ねた。
「鎮静処置を解除すれば。ただ、今夜中の聴取は避けてください」
『能力は』
「現時点では、星素をギフトへ変換できる状態ではありません」
医療班員が端末へ視線を落とす。
「断裂した星脈同士が再接続する兆候もなし。《リジェクション》を再び発動できる可能性は、極めて低いと思われます」
『星脈暴走は』
「収束しています。星脈が感情を取り込む異常反応も消失しました。少なくとも、再び星魔化へ進行する危険はありません」
『そうか』
空は短く答えた。
自分が壊した。
胸部へ打ち込んだ一撃で、暴走の収束点だけを破壊した。
殺さず。
再び力を使わせず。
中峰康太という人間を、この場所まで連れ帰るために。
寝台が隔離処置室へ入っていく。
『絶対に死なせんな』
「承知しています」
『こいつには聞かなきゃならねえことがある』
緋環。
カシオペア。
御門朔夜。
ギフテッド計画。
そして、黒瀬迅。
初めて生きたまま確保した、敵側の人間だった。
扉が閉じる。
空は赤く点灯した施錠表示を確認してから、廊下を離れた。
◇
統合管制室。
作戦終了後も、室内の照明は落とされていなかった。
回収された記録。
持ち出された記録。
現地で観測された星素波形。
拘束した中峰康太の経歴。
複数の画面へ情報が並び、日和が一つずつ整理している。
「現地の映像記録、転送完了しました」
「欠損は?」
「地下区画の一部だけです。七環神域が展開された直後から、観測機器の数値が振り切れています」
「そこは仕方ないね」
蘭は中峰の経歴を表示した画面から目を離さなかった。
六年前。
危険指定された星能者の回収任務中に死亡。
同行者の報告では、対象者の星能へ巻き込まれ、遺体は回収不能。
死亡判定を下したのは、星務庁。
だが、その中峰は生きていた。
カシオペアのシュダルとして。
『蘭』
背後から桜の声がした。
蘭が振り返る。
桜は管制席の後ろに立ち、画面へ表示された記録を見つめていた。
「まだ戻らなくていいの?」
『はい。心導隊の帰還処理は奏に任せています』
「中峰が気になる?」
『それもあります』
桜は否定しなかった。
『今回、私は本部へ残ると決めましたから』
前回の任務では、空と桜が別々の現場へ向かわされ、碧もすぐには動けない状況を作られた。
極星が一人もいない場所で、真琴と茜が重傷を負った。
偶然ではない。
敵はアストラの配置を把握したうえで、戦力を分断している。
同じことを繰り返さないため、本部には最低一人の極星を残す。
今回は桜が、その役目を選んだ。
『皆さんが帰還したからといって、私の役目が終わったとは思っていません』
「うん」
蘭はそれ以上尋ねなかった。
統合管制室の扉が開く。
入ってきた人物を見て、日和が手を止めた。
「久世さん」
久世雅臣は日和へ小さく頷き、蘭の管制席まで歩いてくる。
「扇原さん。拘束した男の身元が判明したそうですね」
「中峰康太。元星務庁特別回収官です」
「やはり、彼でしたか」
久世は画面へ表示された中峰の顔を見る。
驚いてはいない。
名前を聞く前から、その答えを知っていたかのような反応だった。
「中峰の容体は?」
「生命反応は安定しています。星脈は大部分が断裂。《リジェクション》を再使用できる可能性は、ほとんどありません」
「意識は」
「今は鎮静中です。解除は可能ですが、正式な聴取は明朝の予定です」
「分かりました」
久世が僅かに間を置く。
「では、中峰康太の身柄を星務庁へ移送してください」
日和が久世を見る。
蘭の表情は変わらない。
「星務庁へ?」
「彼は元星務庁職員です。しかも、危険指定対象の回収へ従事していた特別回収官。死亡記録との食い違いも含め、星務庁側で確認する必要があります」
『その必要はありません』
桜が穏やかに告げた。
久世が初めて、蘭の後ろに立つ桜へ顔を向ける。
「九条隊長。いらしていたのですか」
『はい。久世さんは、蘭へご用事があるものと思っていましたので』
「驚きました。現地へ向かわれたものとばかり」
『今回は本部で待機していました』
「そうでしたか」
久世の返答までに、ほんの僅かな間があった。
声は変わらない。
表情も穏やかなまま。
それでも桜は、その一瞬を見逃さなかった。
中峰が生きていると知ったとき、久世の感情は動かなかった。
星務庁への移送を口にしたときも、元同僚の安否を案じる感情はない。
そして。
桜が本部に残っていたと知った瞬間だけ、僅かな乱れが生じた。
桜は能力を使っていない。
心を読んだわけでもない。
声。
呼吸。
言葉を選ぶまでの間。
感情を隠そうとする人間が、何もないように見せるときの不自然さ。
それだけで十分だった。
「先ほどの話ですが」
久世が桜へ向き直る。
「中峰は星務庁が死亡認定を出した元職員です。アストラだけで扱うべき人物ではありません」
『現在の中峰さんは、アストラの作戦区域内で拘束した緋環の構成員です』
「星務庁にも管轄権があります」
『正式な移送要請は届いていますか?』
久世が僅かに黙る。
「緊急性の高い案件です。書面を待つ必要はないでしょう」
『必要です』
桜の声音は穏やかなままだった。
『中峰さんは、今回の作戦で確保した唯一の生存者です。緋環とギフテッド計画へ繋がる情報を持っている可能性があります』
「だからこそ、星務庁で――」
『正式な理由を明記した移送要請と、榊原本部長の承認をご用意ください』
桜は久世の言葉を遮らない。
声を強めてもいない。
ただ、譲らなかった。
『その二つが確認できるまで、中峰さんの身柄はアストラで保護します』
「保護、ですか」
『はい』
「敵対組織の構成員を?」
『意識を失い、星能も使えない方です。拘束は必要ですが、不要な危害から守ることも私たちの役目です』
久世と桜の視線が重なる。
久世は、桜が何を知っているのかを測ろうとしている。
桜は、何も問い詰めない。
疑っているとも口にしない。
だからこそ、久世は踏み込めなかった。
「承知しました」
久世が先に視線を外す。
「正式な手続きを進めます」
『お願いします、久世さん』
久世は蘭へ一度だけ目を向け、統合管制室を出ていった。
扉が閉じる。
日和が息を吐いた。
「急でしたね」
「うん」
蘭は久世が立っていた場所を見つめている。
その表情から、考えていることは読み取れない。
『蘭』
「何?」
『中峰さんの経歴を調べた資料は、原本ですか?』
「星務庁の記録領域から直接取得したものだよ。複製や転送はしてない」
『そうですか』
桜はそれ以上尋ねなかった。
久世を疑っているのか。
なぜ星務庁への移送を急いだのか。
そのどちらも口にしない。
蘭も説明しなかった。
まだ、証拠がない。
疑念だけで名前を挙げれば、相手に警戒を与える。
蘭は中峰の死亡記録を、別の画面へ移した。
死亡確認者。
報告書の作成者。
記録を承認した部署。
一つずつ、追跡を始める。
◇
午後十一時十八分。
アストラ本部、特殊収容区画。
中峰康太が目を開けた。
白い天井。
両腕と両脚を固定する拘束具。
胸部には星脈の活動を監視する装置が取りつけられている。
身体へ力を入れる。
何も起きない。
星素は僅かに残っている。
だが、それを《リジェクション》へ変えるための経路が断たれていた。
「……獅堂空」
掠れた声が漏れる。
殺されなかった。
その事実が、中峰にとって救いなのかは分からなかった。
正面の壁が透明へ切り替わる。
隔離された観察室に、蘭が立っていた。
直接中へ入ってはいない。
音声回線だけが開かれる。
《意識が戻ったみたいだね》
「お前は……」
《扇原蘭。アストラのオペレーター》
「俺の名前を調べた女か」
《そうだよ》
中峰は天井へ目を戻した。
「正式な聴取は」
《明日の朝。それまでは治療と経過観察》
「星務庁には連絡したか」
《拘束した事実は共有されてる》
「身柄は」
《今のところ、アストラで預かる》
中峰の喉が動く。
張りつめていた息を、僅かに吐いた。
《星務庁へ移されるのが怖い?》
「怖い?」
中峰の口元が歪む。
「俺が?」
《違うなら、それでもいい》
蘭は感情を乗せずに答えた。
《明日の聴取で聞くから》
「待て」
蘭が回線を閉じようとした手を止める。
中峰は透明な壁の向こうにいる蘭を見る。
「俺を星務庁へ渡すな」
《理由は?》
「渡せば、俺は二度と口を開けない」
《脅されてるの?》
「違う」
中峰の声が低くなる。
「俺は六年前に、一度死んだ」
星務庁の記録上。
遺体もないまま。
死亡した人間として処理された。
「次に星務庁へ戻れば――」
中峰の表情から、シュダルとして見せていた余裕が消える。
「今度こそ、本当に死んだことにされる」
蘭は答えなかった。
中峰の心拍が、監視画面の中で速くなっている。
演技ではない。
少なくとも、星務庁へ戻ることを本気で恐れている。
《誰に殺されるの》
中峰は口を閉ざした。
《緋環?》
「……」
《御門朔夜?》
「違う」
否定は早かった。
《なら、誰?》
中峰は答えなかった。
《今は話せない?》
「正式な聴取で話す」
《分かった》
蘭は、それ以上問い詰めなかった。
《少なくとも、正式な手続きと榊原本部長の承認がない限り、あなたを星務庁へ渡すことはないよ》
「……そうか」
中峰の身体から、僅かに力が抜けた。
完全に信用したわけではない。
それでも、少なくとも今夜のうちに星務庁へ移送されることはないと理解したのだろう。
《明日の朝、改めて話を聞く》
「どこまで話せるかは分からない」
《それでもいいよ》
蘭は中峰の経歴が表示された端末へ目を落とす。
《まずは、あなたが知っていることから聞かせて》
中峰は答えなかった。
だが、拒絶もしなかった。
蘭が音声回線を閉じる。
透明だった壁が元の白い壁面へ戻り、中峰の姿が見えなくなった。
六年前に死亡したことにされた元星務庁特別回収官。
現在は、カシオペアのシュダル。
緋環の内部にいた人間を、アストラは初めて生きたまま確保した。
星殻兵の残骸でも。
奪い返せなかった記録でも。
逃げた構成員の残した言葉でもない。
自らの口で、緋環について証言できる人間がいる。
明日になれば。
ギフテッド計画へ続く道が、ようやく開くかもしれない。
蘭は翌朝の聴取予定を端末へ登録した。
これまで何度も、掴みかけた手掛かりを敵に奪われてきた。
だが、今回は違う。
生きた証人は、アストラの中にいる。
蘭は収容区画を離れ、統合管制室へ戻った。




