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五十話「七環神域」

 赤黒い星素と、ターコイズブルーの星素が激突した。


 衝撃が地下区画を駆け抜ける。


 床が沈み、壁面へ亀裂が走った。


 迅は碧の目前まで踏み込んでいた。


 風を受け流し。


 熱を散らし。


 雷による硬直を抑え。


 薄れかけた適応を、必要なものから作り直す。


 碧へ届くためだけに、星脈を変化させ続けている。


「今度こそ――」


 迅の拳が、碧へ迫る。


 だが、その指先が触れるより先に。


 大地が震えた。


 風が止まる。


 床を流れていた水も。


 壁面を這っていた植物も。


 空気中に残る熱も、雷も、冷気も。


 すべてが一度、動きを止めた。


「……なんだ?」


 迅が足を止める。


 碧の一本の星脈に重なる、七柱との接続。


 そのすべてが、同時に最大まで開かれていく。


 七環神威――全力開放。


『七環神域』


 声とともに、地下区画の景色が変わった。


 碧を中心として、七つの自然現象が広がっていく。


 床が隆起する。


 大気が渦を巻く。


 水が地面を覆い、炎熱がそれを蒸発させる。


 生まれた水蒸気が風へ乗り、冷気に触れて白い霜へ変わる。


 霜の内側を雷光が走る。


 砕けた床の亀裂から、植物が一斉に芽吹いた。


 七つの力が、別々に存在しているのではない。


 大地が水の流れを変える。


 水が熱を受けて大気へ混ざる。


 冷気が水分を凍らせる。


 雷が湿った空気を伝う。


 植物が大地へ根を張り、風の流れに沿って伸びる。


 一つの現象が、次の現象を生む。


 終わりのない循環。


 地下区画そのものが、碧の星脈へ組み込まれていた。


「これが……」


 迅の身体へ、前方から風が吹きつける。


 同時に、足元を水が流れた。


 水へ触れた脚を冷気が凍らせ、その内側へ雷が走る。


「ぐっ……!」


 迅の星脈が、風へ適応する。


 身体を押し流す力を受け流す。


 だが、風に合わせた直後には、足元の氷へ対応しなければならない。


 冷気へ適応すれば、雷が筋肉を硬直させる。


 雷へ星脈を合わせれば、薄れた熱への適応を炎が破る。


 一つずつではない。


 すべてが、常に別の現象へ変わり続けている。


 どれを受けたのか。


 次に何が来るのか。


 その境目すら存在しなかった。


 迅が腕を振るい、足元の氷を砕く。


 植物の蔓が、その右腕へ巻きついた。


 引き千切ろうとした瞬間、蔓の表面を水が走る。


 その水を通じて、雷が迅の身体へ流れ込んだ。


「があっ!」


 迅の身体が仰け反る。


 雷へ適応する。


 その間に、大地が足元から隆起した。


 身体が押し上げられ、天井へ向かって放り出される。


 空中で風が向きを変えた。


 迅の身体を、今度は真下へ叩き落とす。


 床へ激突する直前。


 迅は両腕を前へ出した。


 大地へ触れる。


 衝撃へ星脈を適応させる。


 骨へ到達する力を外側へ逃がし、床を転がりながら立ち上がった。


 口元から血が流れる。


「まだだ……」


 迅は碧を睨む。


 碧は、最初に立っていた場所から動いていない。


 周囲の七つの力が、呼吸するように明滅している。


 迅のアダプトが弱いわけではない。


 一度適応した性質は、時間の経過だけでは失われない。


 触れた力も。


 受けた攻撃も。


 星脈へ刻まれ、生き残るための形となる。


 だが、新しいものへ適応するほど、古い形は薄れていく。


 碧は、その限界を知っている。


 三年前から、迅の力を知っていた。


 だから、初めから一つの力だけで押し切ろうとはしていない。


 七つの現象を循環させ、迅の星脈へ休む間もなく変化を求め続けている。


「俺の力を……知ってるからって……」


 迅が床へ手をつく。


「勝ったつもりになるな!」


 赤黒い星素が噴き上がった。


 すべてへ適応する必要はない。


 今、動きを止めているものだけ。


 碧へ到達するまでに必要な力だけ。


 それ以外は捨てる。


 迅が風へ身体を合わせる。


 正面から押し戻そうとする力を受け流し、前へ進む。


 足元から植物が伸びる。


 避けない。


 左脚を裂かれながら、そのまま踏み込む。


 傷口へ冷気が突き刺さった。


 星脈を合わせない。


 脚が動く限り、痛みは無視する。


 雷が肩へ落ちる。


 右腕が痺れる。


 それでも、左腕は動く。


「碧!」


 迅が拳を振り上げる。


 大地が正面へ隆起した。


 右へ避ける。


 そこへ水流が押し寄せる。


 身体を流される前に床を蹴り、さらに前へ。


 炎熱が視界を覆う。


 皮膚が焼ける。


 呼吸が止まる。


 それでも、炎の向こうにいる碧から目を逸らさない。


 一歩。


 さらに一歩。


 碧との距離が縮まっていく。


     ◇


 資材保管区画。


 空の拳が、シュダルの顔面へ迫る。


 触れる寸前。


 空の右腕が、外側へ逸らされた。


 拳に込めた衝撃まで軌道を変え、背後の壁へ突き刺さる。


 壁面が大きく陥没した。


「何度繰り返しても同じです」


 シュダルは動かない。


「貴女の拳が私へ触れることはありません」


 空は壁から腕を抜いた。


 そのとき。


 地下から伝わってきた星素に、大気が震えた。


 ターコイズブルーの光が、床の亀裂から僅かに漏れ出す。


 施設全体を覆うほど巨大でありながら、力の範囲は地下区画へ正確に限定されている。


 空が足元を見る。


『碧のやつ……迅相手に、あれを出すのか』


「何か気になりますか?」


『別に』


 空はシュダルへ視線を戻した。


『あっちは碧に任せた』


「では、こちらへ集中することです」


 シュダルが右手を上げる。


 崩れた壁面から、複数の金属片が浮かび上がった。


 空へ向かって放たれる。


 空は一歩も退かない。


 拳を振るう。


 金属片が粉砕された。


 細かな破片が周囲へ飛び散り、その一部がシュダルへ向かう。


 だが、すべてが接触する直前に軌道を変えた。


 右。


 左。


 上方。


 それぞれ異なる方向へ弾かれる。


 空は、その流れを見ていた。


『一度に逸らせんのは、そこまでか』


 シュダルの目が僅かに細くなる。


「何を――」


 空が床を蹴った。


 正面。


 シュダルの顔面へ拳を放つ。


 リジェクションが、その軌道を右へ逸らした。


 空は逆らわない。


 拳を引かず、逸らされた勢いのまま身体を回転させる。


 左脚による蹴撃。


 シュダルの脇腹へ迫る。


 今度は左へ逸らされる。


 空は床へ片手をついた。


 流された脚を軸に身体を反転させ、右脚を振り下ろす。


 三方向目。


 シュダルの頭部を狙った踵が、上方へ弾かれた。


「無駄です!」


 シュダルが後方へ下がる。


 だが、空は既に床へ着地していた。


 四度目。


 真正面から踏み込む。


 拳ではない。


 空の肩が、シュダルの胸部へ迫る。


 周囲の空間が歪んだ。


 リジェクションが、新たな進行方向を作ろうとする。


 間に合わない。


 空の肩が、シュダルの胸部へ触れた。


「なっ――」


 接触した。


 その事実をシュダルが理解するより早く、空が身体を押し込む。


 シュダルの身体が後方へ吹き飛んだ。


 床を転がり、崩れた資材へ背中から激突する。


「がっ……!」


 肺から空気が押し出される。


 シュダルは胸部を押さえながら顔を上げた。


 空が、目の前まで歩いてくる。


『触れねえ能力かと思ったけど、大したことねえな』


「……何をした」


『逸らせる方向と数に限界があんだろ』


 空が拳を握る。


『一回ごとに力を作り直す時間もいる。だったら、その前に次をぶつけりゃいい』


「それだけで、私のリジェクションを……」


『それだけだ』


 シュダルの表情が歪む。


 誰にも触れられない。


 そう名乗った自分へ、空は正面から触れた。


 能力を破るための特殊な技を使ったわけではない。


 圧倒的な速度で、処理できる限界を超えただけ。


 シュダルにとって、それは能力を否定されるよりも耐え難い事実だった。


     ◇


 地下記録保管区画。


 玲の身体から、赤い星素が広がった。


 そのすべてが、瀬川一人へ収束する。


「絶対静界・朱」


 瀬川の身体が止まった。


 床へ踏み出しかけていた右脚。


 保存媒体へ伸ばしていた左手。


 体内を流れていた星素さえ、完全に静止する。


「……これが、神楽坂玲の」


 声を出すことはできる。


 意識も残っている。


 だが、身体は指先一つ動かない。


「対象を一人に絞った絶対静界か」


「ご存じでしたか」


「資料で見ただけだ。実際に受けるのは初めてだけどな」


「でしたら、抵抗が無意味なこともお分かりでしょう」


 瀬川の周囲には、複数の《護殻》が残っている。


 先に生成され、瀬川の星素から切り離された構造物。


 術者本人が止められても、それらまで消えることはない。


 だが、新たに動かすことも、形を変えることもできない。


 玲は瀬川の隊服へ収められた保存媒体を見る。


「記録を返していただきます」


 その瞬間。


 地下区画の空気が大きく震えた。


 玲が顔を上げる。


 壁を隔てた先から、七つの自然現象が同時に広がっている。


 大地。


 大気。


 水。


 炎熱。


 雷。


 氷雪。


 植物。


 それぞれ異なる力が、一つの循環を形成していた。


「これが……碧様の本気……」


 玲は息を呑む。


 七環神威を使う碧の姿は、何度も見てきた。


 その力を誰より近くで支えてきた。


 それでも。


 七柱との接続を最大まで開き、周囲の環境すべてを支配する碧の姿を目にする機会は多くない。


 瀬川も、壁の向こうへ意識を向ける。


「迅……」


「心配ですか」


「別に」


 返答は早かった。


 だが、その視線は迅のいる方向から動かない。


     ◇


 迅の左拳が、碧へ迫る。


 碧が大気を圧縮する。


 放たれた衝撃を、迅は正面から受けた。


 胸部の骨が軋む。


 身体が後方へ押し戻される。


 それでも、両足は止まらない。


「俺は……」


 迅が風圧の中を進む。


「ずっと、お前たちの隣に立てなかった!」


 碧の周囲で、大地が動く。


 迅の足元を塞ぐように岩壁が隆起する。


 迅は拳を叩き込んだ。


 岩壁を粉砕する。


 砕けた破片の向こうに、碧の姿が見えた。


「空も、桜も、お前も!」


 炎熱が噴き上がる。


 迅は腕で顔を覆い、その中へ踏み込む。


「最初から俺とは違った!」


 碧は、炎の向こうから迅を見つめている。


「どれだけ追っても、どれだけ強くなっても……!」


 迅の星脈が、熱へ適応する。


 その代わりに、風への適応が薄れる。


 横から吹きつけた突風が、迅の身体を大きく揺らす。


 倒れない。


 右足を踏み込み、強引に姿勢を戻す。


「俺だけが、お前たちの隣へ行けなかった!」


『違う』


 碧の声が、七つの現象を越えて届く。


「何が違う!」


『君が立たなかった』


 迅の表情が止まる。


『私たちは、君を隣から遠ざけていない』


「黙れ……」


『空も、桜も、蘭も』


「黙れ!」


『私もだ』


「黙れと言ってるだろ!」


 迅が床を蹴る。


 残る星素のすべてを、脚と右腕へ集める。


 何へ適応しているのかも、もう分からない。


 星脈は変化を繰り返し、原形を失いかけている。


 身体の各所から血が流れる。


 それでも迅は、碧へ向かう。


『迅』


「呼ぶな!」


『君は、私の敵なのか』


 三年前。


 校門の前で、答えられなかった問い。


 立場ではない。


 所属でもない。


 迅自身が何を選ぶのか。


 碧は、同じ答えを三年間待ち続けていた。


 迅の足元を、冷気が凍らせる。


 蹴り砕く。


 雷が右肩を撃ち抜く。


 構わず腕を振り上げる。


 植物が左脚へ巻きつく。


 引き千切る。


 水流が身体を押し戻す。


 床へ爪を立て、前へ進む。


 迅が顔を上げた。


「……今の俺は」


 赤黒い星素が拳へ集まる。


「お前の敵だ!」


『分かった』


 碧の足が、初めて前へ出た。


『なら、私は君を止める』


 迅が拳を振り抜く。


 同時に。


 碧の姿が、迅の視界から消えた。


「な――」


 大地が碧の足場を押し出す。


 風がその身体を運ぶ。


 水が床との摩擦を消し、雷が反応を加速させる。


 炎熱が進路上の空気を広げ、冷気が背後の大気を収縮させる。


 植物が迅の右腕へ絡みつき、その軌道を僅かにずらした。


 七つの力が、一人の動きへ収束する。


 碧が、迅の懐へ立っていた。


『君が来られないのなら』


 碧の掌が、迅の胸部へ触れる。


『今度は私が行く』


 七環神域を満たしていた力が、一点へ集まった。


 爆発ではない。


 七つの現象が、迅の星脈へ同時に流れ込む。


 適応する順番は存在しない。


 選ぶ時間も与えられない。


 迅の星脈が、すべてへ適応しようと変化を始める。


 風。


 大地。


 水。


 熱。


 雷。


 冷気。


 植物。


 作り変わる。


 崩れる。


 作り直す。


 その速度へ、星脈そのものが耐えられない。


「がっ……!」


 迅の身体から、赤黒い星素が弾け飛んだ。


 右腕から力が抜ける。


 膝が落ちる。


 碧は迅の胸部へ触れたまま、出力を止めた。


 殺すための力ではない。


 迅の星脈が壊れる直前で、七柱との接続を閉じる。


 七環神域が消えた。


 地下区画を満たしていた自然現象が、一斉に静まる。


 迅の身体が前へ倒れた。


 碧が両腕で受け止める。


「……また、届かなかった」


 迅の声は弱い。


『届かなかったのではない』


 碧が迅を支える。


『君が、途中で立つことをやめただけだ』


「……同じだ」


『違う』


 迅は言い返さなかった。


 既に意識を保つことすらできない。


 碧の腕の中で、目を閉じる。


 赤黒い星素が消えた。


     ◇


 七環神域が解除された直後。


 地下区画全体へ、大きな亀裂が走った。


 碧が迅との戦闘で破壊したものではない。


 長年放置されていた施設が、星素の急激な変化へ耐えられなかった。


 天井が崩れる。


 隣接する作業区画から、複数の声が上がった。


「まだ人が残っています!」


 玲が振り返る。


 崩落しかけた通路の先。


 避難の遅れた施設職員が、降り注ぐ瓦礫の下に取り残されている。


 絶対静界・朱は、瀬川一人を完全に止めている。


 だが、一人へ力を収束させている間、広範囲の固定はできない。


 瀬川を拘束し続けるか。


 崩落を止めるか。


 玲が選ぶまでに、時間はかからなかった。


「絶対静界・朱――解除」


 瀬川の身体に、自由が戻る。


 同時に玲が両手を広げた。


「絶対静界」


 赤い星素が地下区画へ広がる。


 落下していた天井。


 崩れかけた壁面。


 職員へ向かっていた瓦礫。


 すべてが空中で停止した。


 瀬川は逃げなかった。


 先に生成していた《護殻》が、取り残された職員の周囲へ移動する。


 白い外殻が折り重なり、落下物から人々を守る。


 玲が瀬川を見る。


「それが、あなたの答えではありませんか」


「何の話だ」


「あなたが、誰を守りたいのかです」


 瀬川は答えない。


 その視線が、碧に支えられた迅へ向く。


 次の瞬間。


 迅の足元へ《護殻》が滑り込んだ。


 白い構造物が身体を包み、碧の腕から迅を引き離す。


 碧が右手を動かす。


 だが、その先で施設職員を守る《護殻》が大きく軋んだ。


 崩落は続いている。


 玲も絶対静界を解除できない。


 瀬川が迅を抱え上げた。


「悪いな。こいつは連れて帰る」


『瀬川』


「今は追わない方がいい」


 瀬川が崩れかけた天井を見る。


「ここであんたが動けば、残った連中が死ぬ」


 碧は追わなかった。


 瀬川の言葉に従ったのではない。


 迅を捕らえることより、目の前の人間を守る方を選んだ。


 瀬川は迅を背負い、管理用通路へ向かう。


「神楽坂玲」


「何ですか」


「その問いには、まだ答えられない」


「そうですか」


 玲は崩落を止めたまま、瀬川を見る。


「でしたら、次にお会いしたときに伺います」


「次も止める気か」


「当然です」


 瀬川の口元が僅かに動く。


 笑ったのか。


 それとも、呆れただけなのか。


 玲には分からなかった。


 瀬川はそれ以上何も言わず、迅と記録媒体を持って管理用通路の奥へ消えた。


     ◇


 資材保管区画。


 シュダルの通信装置から、朔夜の声が流れた。


《シュダル。撤退してください》


 シュダルは胸部を押さえながら立ち上がる。


「まだ終わっていません」


《記録の一部は確保しました。必要な観測結果も得られています》


「私の任務は、獅堂空を退けることです」


《違います》


 朔夜は即座に否定した。


《あなたの任務は、記録回収のための時間を作ることでした。既に達成されています》


「私が、この女に触れられたまま退けと?」


《勝敗は作戦に含まれていません》


 シュダルの周囲へ、星素が溢れ出す。


「私にとっては含まれている」


《感情で任務を変更しないでください》


「黙りなさい」


 シュダルが通信装置を外す。


「私は、誰にも触れられない」


 空へ顔を向ける。


「そうでなければならない」


 シュダルの星素が膨れ上がる。


 周囲の瓦礫が一斉に弾かれた。


 壁。


 床。


 天井。


 あらゆる方向へ、リジェクションの力が広がっていく。


 施設そのものを、自分から遠ざけようとしている。


 空は動かない。


『だからなんだよ』


 シュダルの目が見開かれる。


『一回触られたくらいで、何をそんなに騒いでんだ』


「貴女に何が分かる!」


『分かるわけねえだろ』


 空は興味がないように答えた。


『お前が誰で、何でそんな能力にしがみついてんのかなんて、あたしには関係ねえ』


「……貴女は」


 シュダルの顔から、薄い笑みが消える。


「生まれながらに、すべてを与えられた貴女には……!」


《空》


 蘭の声が、通信から届いた。


《シュダルの照合が取れた》


 空はシュダルから目を離さない。


《本名、中峰康太。三十七歳。国立星律士官学校二十三期》


 シュダルの星素が大きく揺らぐ。


《卒業後は星務庁へ入庁。特別回収官として、危険指定された星能者の拘束任務に従事》


「その名を口にするな」


《星務庁の記録では、六年前の任務で殉職。だけど、遺体は確認されてない》


「黙れ!」


 リジェクションが暴発した。


 床が捲れ上がる。


 壁面が外側へ押し潰される。


 シュダル自身を中心として、周囲のすべてが拒絶されていく。


 だが、星素の流れが不規則だった。


 外へ向かうはずの力が、途中で反転する。


 逸らした瓦礫が別の瓦礫へ衝突し、再びシュダルへ向かう。


 本人の意思と、星脈の動きが一致していない。


《何、これ……。星脈の流れが、本人の意思と一致してない》


 蘭の声に、初めて戸惑いが混ざる。


 シュダルが頭を押さえた。


「私は……誰にも……」


 星素が、さらに膨れ上がる。


 怒り。


 屈辱。


 否定されることへの恐怖。


 抑え込まれていた感情が、星脈へ流れ込んでいく。


 だが、力へ変換されているのではない。


 逆だった。


 星脈が感情を取り込み、シュダルの意識を塗り潰している。


《暴走した星脈に……自我を失ってるの?》


『ああ』


 空が構える。


『星脈に感情を食われやがった』


《そんなことが……》


『ギフト持ちに稀に起きる星脈暴走だ』


 シュダルが顔を上げた。


 先ほどまで空へ向けられていた理性は、もう残っていない。


 視界に入るものすべてを、自分から遠ざけようとしている。


 リジェクションが無差別に広がった。


 避難通路の壁が崩れる。


 移送中の施設職員たちが悲鳴を上げた。


「空!」


 遼河が叫ぶ。


「このままでは避難経路が持たない!」


『遼河の兄貴! 残ってる連中を先に飛ばせ!』


「座標が安定しない!」


「私が固定します!」


 千景が床へ両手をついた。


 空間系クラフト――「界錨」。


 歪み続ける空間の中へ、移送先へ繋がる一点を固定する。


 銀色の光が、床へ杭のように打ち込まれた。


「遼河隊長!」


「十分だ!」


 遼河が両手を広げる。


 固定された座標を中心に、空間が開いた。


 資材保管区画と、地上の避難地点を繋ぐ短距離の門。


「全員、走れ! 振り返るな!」


 施設職員たちが門へ向かう。


 その背後で、リジェクションが壁面を引き剥がした。


 巨大な破片が、避難する人々へ向かう。


 空がその間へ入った。


 拳を振るう。


 破片が粉砕される。


 砕けた瓦礫はリジェクションによって外側へ弾かれ、誰もいない通路へ突き刺さった。


《空、シュダルの出力が上がり続けてる!》


『分かってる』


《このままだと、星脈が先に壊れるよ》


 空がシュダルを見る。


 暴走する星素の中。


 力の流れが、一点へ集まっている。


 胸部の奥。


 そこから全身へ星素が送り出され、周囲へ拒絶の力として広がっている。


 あれが、暴走した星脈の収束点。


 壊しすぎれば死ぬ。


 弱すぎれば止まらない。


 空が一歩踏み出した。


『一撃で、楽にしてやる』


 シュダルが空へ手を向ける。


 リジェクションが正面から押し寄せた。


 空の身体が外側へ逸らされる。


 右。


 空は逆らわない。


 逸らされた先の壁を蹴る。


 左。


 再び力を受け流し、天井へ着地する。


 上方。


 天井を踏み抜き、真正面へ落下する。


 リジェクションが新たな方向を作ろうとする。


 その前に。


 空の拳が、シュダルの胸部へ触れた。


『寝てろ』


 星脈の収束点だけを狙う。


 スカイブルーの星素が、針のように一点へ突き抜けた。


 シュダルの身体は吹き飛ばない。


 床も砕けない。


 拳から放たれた力のすべてが、暴走する星脈の流れだけを断ち切った。


 周囲へ広がっていたリジェクションが消える。


 シュダルの目から力が抜けた。


「私は……」


 その先を言葉にする前に、身体が崩れ落ちる。


 空が片腕で受け止めた。


《生命反応を確認。星脈出力、急速に低下しています》


『拘束班を寄越せ』


《もう向かってる》


『死なせんなよ。こいつには聞きてえことが山ほどある』


     ◇


 施設職員の避難が完了した。


 崩落した区画は玲の絶対静界によって固定され、残された者も全員救助された。


 施設の中核設備は損傷したが、完全な崩壊は免れている。


 カシオペアのシュダル。


 本名、中峰康太。


 星脈暴走によって意識を失った状態で、アストラが身柄を拘束した。


 一方。


 封印区画からは、研究記録の一部が持ち出された。


 黒瀬迅と瀬川直人の姿もない。


 迅は碧に敗れた。


 だが、瀬川によって回収され、逃走している。


 完全な勝利ではなかった。


     ◇


 封印区画へ続く通路。


 拘束班へシュダルを引き渡した空が、地下から戻ってきた碧と玲を見つける。


 二人だけだった。


 空の足が止まる。


『迅は』


 碧が答える。


『瀬川が連れていった』


 空の表情が変わった。


『何で迅を逃した!』


「空隊長、碧様は――」


『玲には聞いてねえ!』


 空が碧へ詰め寄る。


『あたしは、お前なら迅を止められると思ったから任せたんだぞ!』


『止めた』


『なら、何でここにいねえ!』


『瀬川が迅を回収したとき、区画内に避難の遅れた者が残っていた』


『……』


『追えば、彼らを見捨てることになった』


 碧は空から目を逸らさない。


『私は迅を追うより、残された者を守る方を選んだ』


 空の拳に力が入る。


 それが正しい判断だったことは、空にも分かっている。


 自分でも、同じ状況なら同じ選択をする。


 それでも、納得できるわけではなかった。


『碧なら、連れ戻せると思ってた』


『……』


『だから、あたしはあいつをお前に任せたんだ』


『戦いには勝った』


 碧が静かに答える。


『だが、連れ戻せなかった』


 空は何も言わない。


 迅へ聞きたいことがあった。


 三年前、なぜ何も言わずに消えたのか。


 なぜ緋環にいるのか。


 空や桜や碧を、今はどう思っているのか。


 全員が生きて戻ったあとで、迅の胸倉を掴んで問い詰めるつもりだった。


 だが、迅はまたいなくなった。


 三年前と同じように。


 何も残さず、目の前から消えた。


『くそっ……!』


 空は壁を殴らなかった。


 握りしめた拳を、震えるほど強く押さえ込む。


 玲が口を開く。


「瀬川を止めきれなかったのは、私の判断です」


『玲』


「私が絶対静界・朱を解除しました。解除しなければ、取り残された者たちを守れませんでした」


『分かってる』


 空が低く答える。


『お前らの判断が間違ってたなんて言ってねえ』


「では、なぜ――」


『分かってても、腹が立つんだよ!』


 空の声が通路へ響いた。


『迅にも。瀬川にも。あいつらを使ってる朔夜にも』


 そして。


『何も聞けねえまま、また逃がした自分にもだ』


 玲は言葉を失った。


 碧だけが、空を見つめ続けている。


『次は、あたしも行く』


 空が碧へ告げる。


『今度こそ迅を逃がさねえ。あいつが何も答えねえなら、答えるまでぶん殴る』


『君らしいな』


『お前が大人しすぎんだよ』


『私は、聞きたい答えを一つ得た』


 空の目が細くなる。


『なんて答えた』


『今の自分は、私の敵だと』


 空の表情から、僅かに怒りが消える。


 代わりに、別の感情が浮かんだ。


『……そうかよ』


『ああ』


『だったら次は、遠慮しなくていいな』


 空が踵を返す。


『敵なら、一回ぶん殴ってから話を聞く』


「通常は、拘束してから聴取するべきです」


 玲が指摘する。


『うるせえ。順番なんかどうでもいい』


「よくありません」


『玲、お前どっちの副隊長だよ』


「碧様の副隊長です」


『知ってるよ!』


 碧が二人の横を通り過ぎる。


『戻るぞ』


『待て、碧。話は終わってねえ』


『シュダルの身柄と、持ち出された記録を確認する方が先だ』


『迅の話も先だろ!』


『逃げた迅は、今ここにはいない』


『そういうとこが腹立つんだよ!』


 空の声が、崩れた通路へ響く。


 碧は振り返らない。


 だが、その歩みは僅かに遅くなっていた。


 三年前。


 何も答えずに消えた迅が、初めて自分の意思を言葉にした。


 今の自分は、碧の敵だと。


 それは、望んでいた答えではない。


 それでも。


 答えのないまま途切れていた四人の時間が、僅かに動き始めていた。

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