四十九話「中途半端なまま」
迅の足元から、大地が隆起した。
床を突き破って現れた岩壁が、逃げ道を塞ぐ。
同時に、背後から風が迫る。
迅は振り返らなかった。
赤黒い星素が星脈を巡り、身体の内側で流れ方を変える。
風が背中へ直撃した。
だが、迅の身体は吹き飛ばない。
両足が僅かに床を滑っただけで、その場に留まった。
碧が先ほど放った風を受けたことで、迅の星脈は既にその性質へ適応している。
風圧。
星素の密度。
身体を押し流す力の方向。
それらを受け流せる形へ、迅の星脈そのものが変化していた。
「もう効かない」
迅が床を蹴る。
岩壁の正面へ向かう。
右腕へ赤黒い星素を集め、拳を叩き込んだ。
岩壁が砕ける。
破片の向こうに、碧の姿が見えた。
『そうか』
碧は動かない。
右手を僅かに動かす。
砕けた岩の隙間から、炎熱が噴き上がった。
迅の身体が炎に包まれる。
「ぐっ……!」
制服の表面が焼ける。
皮膚へ熱が突き刺さり、呼吸が一瞬止まった。
それでも迅は足を止めない。
炎の中を進む。
星脈が熱を受け取り、解析し、その形を変えていく。
焼けつく痛みが、少しずつ遠のく。
皮膚を覆う星素が熱を散らし、体内へ到達する前に外へ流し始める。
迅は炎を抜けた。
碧まで、あと数歩。
『熱にも適応したか』
「分かってただろ」
『確認しただけだ』
碧の周囲で、空気が震える。
迅が身体を低くした。
直後。
雷光が落ちた。
青白い光が地下区画を染め、遅れて轟音が響き渡る。
迅の身体が床へ叩きつけられた。
星素を介して筋肉へ流れ込んだ電流が、腕と脚の自由を奪う。
迅は歯を食いしばり、右手を床へついた。
指先が動かない。
星脈が痙攣するように明滅している。
それでも、迅は立ち上がった。
「まだだ」
身体の内側を走る電流へ、星脈が適応を始める。
電流を遮断するのではない。
致命的な箇所を避け、外へ逃がす経路を作る。
動かなかった指が曲がる。
脚へ力が戻る。
迅は碧へ向けて、再び走り出した。
その瞬間。
横から吹きつけた風が、迅の身体を壁へ叩きつけた。
「がっ……!」
背中へ強い衝撃が走る。
先ほどは耐えられた風。
だが、雷への適応を進めたことで、風へ合わせていた星脈の流れは既に薄れ始めていた。
迅は壁へ手をつき、倒れかけた身体を支える。
『雷を優先した分、風への適応が薄れたな』
碧の声に驚きはなかった。
迅のアダプトが、新しい現象へ適応するほど古い適応を薄れさせることを、碧は以前から知っている。
適応の効果に期限はない。
一度得たものが、時間だけで消えることもない。
だが、星脈が維持できる形には限界がある。
すべてへ同時に適応し続けられるわけではない。
『風』
碧が右手を向ける。
迅の正面から、突風が吹きつけた。
迅は両腕を交差させる。
身体が後方へ押される。
『熱』
風の中へ、炎熱が混ざった。
迅の腕が焼ける。
先ほど得た熱への適応も、既に薄れ始めている。
『雷』
足元を電流が走った。
迅の脚が一瞬止まる。
その間に、床の亀裂から植物の蔓が伸びた。
両足へ巻きつき、動きを封じる。
風。
熱。
雷。
植物。
それぞれ異なる自然現象が、間を置かず迅へ襲いかかる。
一つへ適応すれば、別の適応が薄れる。
碧はその性質を知ったうえで、迅の適応が薄れた現象を正確に重ねていた。
迅の星脈は絶えず形を変え続ける。
変わる。
崩れる。
もう一度、作り直す。
そのたびに、全身へ激痛が走る。
それでも迅は、碧から目を逸らさなかった。
「昔の俺を知ってるだけで、今の俺まで分かったつもりになるな!」
足へ巻きついた蔓を引き千切る。
迅が風の中へ踏み込んだ。
今度は、すべてへ完全に適応しようとはしない。
正面から受ける風。
右腕を焼く熱。
足元を流れる電流。
今、自分を止めているものだけに星脈を合わせる。
痛みが残っても構わない。
身体が壊れなければいい。
次の一歩を踏み出せれば、それでいい。
迅の速度が上がった。
風を抜ける。
炎を突き抜ける。
雷を受けながら、碧へ手を伸ばす。
その指先が、碧の頬へ届く直前。
碧が半歩だけ後ろへ退いた。
迅の手が空を切る。
碧の長い髪が、指先を掠めた。
迅は目を見開いた。
碧が動いた。
三年前。
士官学校で何度模擬戦を挑んでも、動かすことすらできなかった碧が。
今、自分の攻撃を避けた。
「届いた……」
『違う』
碧の声は冷静だった。
『届きかけただけだ』
迅の胸部へ、碧の掌が触れる。
大気が弾けた。
凄まじい衝撃が、迅の身体を吹き飛ばす。
迅は床を何度も跳ね、崩れた端末へ背中から激突した。
金属製の外装が大きく凹む。
口の中へ、血の味が広がった。
それでも、迅の口元には笑みが浮かんでいた。
「同じだ」
血を拭い、立ち上がる。
「今までとは違う」
碧は答えなかった。
迅の星素が、先ほどまでよりも激しく膨れ上がる。
本来の任務は、碧との接触。
アストラの戦力を分断し、碧をこの場へ留める。
七柱とアダプトが接触した際の反応を観測する。
碧を倒す必要などなかった。
勝敗を決める必要もない。
必要な時間だけ足止めし、記録を回収できれば作戦は成功する。
迅も、それを理解していた。
だが。
今の迅にとって、そんなものはどうでもよかった。
目の前に、碧がいる。
三年間、忘れたふりをしてきた人間。
並び立ちたかった人間。
その背中へ届かない自分を、最も強く自覚させた人間。
その碧が、自分の攻撃を避けた。
たった半歩。
それだけで、三年間押し殺してきた感情が、一気に溢れ出していた。
◇
封印区画の奥。
瀬川直人は、記録端末から黒い保存媒体を引き抜いた。
警告表示が画面へ並ぶ。
すべての記録を回収する時間はなかった。
それでも、環境系星能の定着研究と、ギフテッド前身研究に関する記録の一部は保存媒体へ移されている。
「そこまでです」
直人の背後に、玲が立っていた。
赤い星素が、静かに周囲へ広がっている。
直人は保存媒体を隊服の内側へ収めた。
「もう目的は果たした」
「でしたら、保存媒体を置いて投降してください」
「それはできない」
「では、力ずくで回収します」
玲が一歩前へ出る。
直人の周囲へ、複数の《護殻》が展開された。
だが、その視線は玲ではなく、区画の奥へ向いている。
壁を隔てた先。
迅と碧の星素が激しく衝突している。
足止めと呼ぶには、迅の出力が大きすぎた。
「迅……」
直人の呟きを、玲は聞き逃さなかった。
「黒瀬迅は、撤退するつもりがないのですか」
「……分からない」
「あなたにも?」
「今の迅が何を考えてるのかは、俺にも分からない」
直人の声が僅かに低くなる。
命令されたから戦っているのではない。
記録を回収するためでもない。
迅は、自分のために碧と戦っている。
そのことだけは、直人にも分かっていた。
◇
迅の拳が、岩壁を粉砕した。
砕けた岩の破片が周囲へ飛び散る。
碧は風を起こし、すべての破片を床へ落とす。
迅はその間に距離を詰めた。
右拳。
碧が身体を傾けてかわす。
左手で碧の腕を掴もうとする。
地面から噴き上がった水が、迅の身体を持ち上げた。
空中へ投げ出される。
迅は水流へ触れたまま、星脈を適応させる。
身体を押し上げる流れへ星素を重ね、無理やり向きを変えた。
天井を蹴る。
赤黒い影となって、碧の真上から落下する。
碧が右手を上げた。
雷が走る。
迅の全身を電流が貫く。
だが、迅は止まらない。
雷への適応は、まだ完全には失われていない。
痺れる右腕を強引に振り抜く。
碧が左腕で受け止めた。
衝撃が床へ伝わり、二人の足元から亀裂が走る。
迅の拳が、碧の腕へ触れている。
「捕まえた」
『触れただけだ』
碧の背後で、七つの星素が同時に揺れた。
迅の星脈が反応する。
一つの大きな星素へ適応しようとする。
だが、その内側には、それぞれ異なる七つの気配が存在していた。
大地。
大気。
水。
炎熱。
雷。
氷雪。
植物。
七つの力が、碧を中心に結びついている。
ただ星素が多いのではない。
一人の人間が七つの力を支配しているのでもない。
碧と七柱が、互いの存在を認め合い、一つの星脈の中で共存している。
迅のアダプトが、その結びつきへ触れる。
星脈が軋んだ。
「なんだ、これ……」
適応できない。
星素の強さではない。
自然現象の性質でもない。
迅が触れているのは、碧と七柱の間に築かれた関係そのものだった。
外から受け取れるものではない。
形だけを真似ても意味がない。
三年間。
いや、碧が生まれてから積み重ねてきた結びつき。
それだけは、迅の星脈でも再現できなかった。
『君は、私の星素には適応できる』
碧が迅を見つめる。
『風にも、熱にも、雷にも耐えられる』
七つの星素が膨れ上がる。
『だが、この者たちは君を受け入れていない』
迅の身体が弾き飛ばされた。
背中から床へ叩きつけられる。
適応したはずの星素が、内側から崩される。
迅は咳き込み、血を吐いた。
「受け入れられる必要なんかない……」
床へ拳をつく。
「俺は、力を奪いに来たんじゃない」
震える脚で立ち上がる。
「お前を越えに来たんだ」
『それが、今回の任務か』
迅の動きが止まった。
碧は最初から気づいていた。
迅が、足止めを目的として動いていないことに。
『君は何をしに来た』
「お前を止めるためだ」
『違う』
即座に否定される。
『今の君は、私を止めようとしていない』
碧は迅から目を逸らさない。
『私に勝とうとしている』
「だったら、なんだ」
『記録は既に持ち出された』
碧は封印区画の奥へ視線を向ける。
『君たちの目的は達成されている。ここへ残る理由はない』
「俺にはある」
『私を倒すことか』
「お前を越えることだ」
『何が違う』
迅は答えられなかった。
倒した先に、何があるのか。
碧へ勝てば、本当に隣へ立てるのか。
三年間逃げ続けた過去が消えるのか。
空や桜と比べ、自分だけが届かなかった記憶を塗り替えられるのか。
何一つ分からない。
それでも、ここで背を向けることだけはできなかった。
耳元の通信装置から、朔夜の声が流れた。
《迅さん。もう十分です》
迅の表情が歪む。
《必要な観測結果は得られました。瀬川さんも記録の一部を確保しています》
「……」
《これ以上の交戦に意味はありません。撤退を》
迅の拳が震える。
意味がない。
朔夜にとっては、そうなのだろう。
碧とアダプトの接触。
七柱への適応結果。
イワノワ家の研究記録。
必要なものは得た。
ここから先は、作戦に不要な戦い。
だが、迅にとっては違う。
三年間。
何度も夢に見た。
自分が空や桜や碧と並んでいる姿を。
目を覚ますたびに、そこへ戻れない現実を突きつけられた。
アダプトを得た。
以前より遥かに強くなった。
どんな力にも適応し、生き残れるようになった。
それでも碧を前にすれば、まだ自分は届かない側にいる。
それを認めたまま、また逃げろというのか。
《迅さん》
「黙れ!」
迅の怒声が、地下区画へ響いた。
直人が顔を上げる。
玲も、迅のいる方向へ目を向けた。
《……迅さん?》
「こんな中途半端なまま、終われるか……!」
迅が耳元から通信装置を外す。
握り潰した。
砕けた部品が、床へ落ちる。
「お前には関係ない」
赤黒い星素が、これまで以上の勢いで噴き上がった。
「これは、俺と碧の問題だ」
碧の長い髪が、星素の奔流に揺れる。
『違う』
「何が違う!」
『君一人の問題ではない』
迅が碧を睨む。
『三年前、君は何も告げずにいなくなった』
「……」
『一人で決めて、一人で逃げた』
「黙れ」
『今回も同じだ』
「黙れ!」
『自分の中だけで私を追い続け、自分の中だけで私に負け続けている』
「黙れと言ってるだろ!」
迅が床を蹴った。
赤黒い星素が一直線に碧へ迫る。
碧は避けない。
七柱の星素が、その周囲へ集まっていく。
大地が震える。
風が渦を巻く。
水が床を走り、炎熱が空気を歪める。
雷光が天井を這い、白い霜が床を覆い、植物が亀裂から芽吹く。
七つの気配が、碧の感情に応える。
迅の拳が迫る。
碧は静かに右手を上げた。
『なら来い、迅』
ターコイズブルーの星素が、地下区画を満たした。
『今度こそ、逃げずに答えろ』
赤黒い星素と、七柱の力が正面から激突した。




