五十二話「途絶えた証言」
午前七時五十二分。
アストラ本部、統合管制室。
蘭の前にある画面には、中峰康太への質問項目が並んでいた。
緋環の指揮系統。
カシオペアの構成。
御門朔夜の立場。
黒瀬迅と瀬川の現在の役割。
ギフテッド計画。
そして、中峰自身が六年前に死亡したことにされた経緯。
「質問項目、追加しました」
日和が別の画面を共有する。
「中峰康太が特別回収官として担当した任務と、緋環へ加わるまでの空白期間です」
「うん。中峰には順番どおりに聞かなくていいよ」
「順番どおりに聞かない?」
「答えたくない質問が来るって分かれば、最初から警戒されるからね。話せることから話してもらう」
「なるほど……」
日和が質問項目の分類を変更する。
強制的に情報を引き出すこともできる。
心導隊へ依頼すれば、中峰の精神へ干渉する手段はある。
だが、それでは本人の記憶や認識を傷つける可能性がある。
何より。
ようやく生きたまま確保できた証人だった。
最初から壊すことを前提に扱うつもりはない。
統合管制室の扉が開く。
空と桜が入ってきた。
『準備できてんのか』
「あと八分」
『なら、あたしも行く』
『空は質問をするのですか?』
『する』
『何を聞くつもりですか』
『迅がどこにいるか。朔夜がどこにいるか。あと、ギフテッドってやつを誰が始めたのか』
『順番に聞いてくださいね』
『分かってる』
桜が空を見つめる。
『質問する前に殴ってはいけませんよ』
『殴らねえよ』
『本当ですか?』
『話さなかったら考える』
『考えないでください』
『脅すくらいはいいだろ』
『よくありません』
蘭は二人のやり取りを聞きながら、質問項目を閉じた。
「中峰の意識は安定してる。身体を起こす許可も出たよ」
『歩けんのか』
「星脈の大部分が断裂してるから、しばらくは難しいみたい。聴取室までは移送用の椅子を使う」
『そうか』
「空」
『何だよ』
「中峰を生かして連れ帰ってくれて、ありがとう」
空の表情が僅かに止まる。
『まだ何も聞き出せてねえだろ』
「それでもだよ」
敵を倒すだけなら、空には難しくなかった。
暴走する星脈ごと中峰の身体を破壊すれば、あの場で終わっていた。
だが空は、星脈の収束点だけを正確に破壊した。
殺さずに止めた。
その判断があったからこそ、これから敵の内側へ踏み込むことができる。
『礼は、全部話させてからでいい』
「うん」
蘭が席を立つ。
「行こうか」
◇
特殊収容区画。
中峰は収容室の寝台へ上体を起こしていた。
胸部には星脈の状態を監視する装置が取りつけられている。
両手首の拘束は外されていない。
昨夜より顔色は戻っているが、指先にはまだ力が入らなかった。
身体の中に星素が残っていることは分かる。
それでも、動かせない。
流れを作ろうとすれば、胸部の奥で途切れる。
これまで当然のように存在していた《リジェクション》は、どこにもなかった。
扉の外で認証音が鳴る。
警備員二人と、医療担当者が入ってきた。
「中峰康太。これから正式な聴取を行う」
「分かっている」
「体調に異常は?」
「力が入らない。それ以外はない」
医療担当者が監視装置を確認する。
心拍。
呼吸。
脳波。
残存星素。
どの数値にも大きな異常はない。
「移送用の椅子へ移します。立つ必要はありません」
「自分で動ける」
中峰は寝台へ手をついた。
腕へ力を入れる。
だが、身体を持ち上げる前に肘が折れた。
警備員が倒れかけた身体を支える。
「無理をするな」
「……放せ」
「なら、移すまで動くな」
中峰は抵抗しなかった。
警備員が両側から身体を支え、寝台の横へ置かれた椅子へ移す。
固定具が腰部へ回される。
医療担当者が胸部の監視装置を移送用端末へ切り替えた。
「接続を確認。数値は安定しています」
「手首の拘束を移送用へ変更する」
一人の警備員が、中峰の右手首へ触れた。
その瞬間。
移送用端末に、見慣れない波形が一度だけ走った。
「何だ?」
医療担当者が画面を見る。
警告音が鳴る。
中峰の頭部が、内側から破裂した。
短い破裂音。
移送用の椅子が大きく揺れた。
身体が拘束具へ沈み込む。
警備員が動きを止める。
医療担当者の手から端末が落ちた。
「……え」
つい数秒前まで、自分で動けると答えていた。
意識もあった。
数値にも異常はなかった。
それが、一瞬で失われた。
「緊急事態!」
医療担当者が我に返る。
「収容対象の生命反応が消失! 医療班を――!」
◇
統合管制室。
蘭たちが聴取室へ向かおうとした直後。
日和の端末に、赤い警告表示が現れた。
「特殊収容区画から緊急信号!」
蘭が管制席へ戻る。
「何があったの?」
「収容対象の生命反応が――」
日和の声が止まる。
画面に表示された数値。
中峰康太。
心拍、ゼロ。
脳波、消失。
生命反応、なし。
「そんな……」
「収容区画を完全封鎖!」
蘭が即座に指示を出す。
「全出入口を閉鎖。内部にいる人間を一人も外へ出さないで! 監視記録の自動更新も停止!」
『中峰に何があった!』
「分からない。生命反応が突然消えた」
空の姿が消える。
統合管制室の扉が開くより早く、スカイブルーの光が廊下へ抜けていった。
『私たちも向かいます』
桜が空を追う。
「日和。収容区画の全記録を確保して。現場の指揮は私が取る」
「はい!」
蘭も統合管制室を出た。
◇
空が特殊収容区画へ到着したとき、中峰の収容室にはまだ警備員と医療担当者が残っていた。
扉は閉鎖されている。
透明な観察壁の向こう。
移送用の椅子へ固定された中峰の身体が見えた。
その頭部を、医療担当者が白い布で覆っている。
空の足が止まった。
『……何があった』
観察室にいた警備責任者が振り返る。
「分かりません」
『分からねえって何だよ』
「移送用の拘束へ切り替えた直後、突然、頭部が破裂しました」
『誰か入ったのか』
「入室したのは、警備員二名と医療担当者一名だけです」
『そいつらが何かしたのか』
「いいえ。全員、規定された処置しか行っていません。映像にも残っています」
空は透明な壁へ歩み寄る。
中峰は動かない。
星素反応も完全に消えている。
自分が殺さずに止めた男。
迅や朔夜へ続く情報を持っていた男。
つい昨日まで、誰にも触れられないと語っていた男。
『……死んだのか』
「はい」
空の拳に力が入る。
『あたしが、生かして連れ戻したんだぞ』
誰へ向けた言葉でもない。
怒鳴ってもいない。
それでも、周囲の警備員が息を止めるほど低い声だった。
『こいつには、聞かなきゃならねえことがあった』
『空』
桜が観察室へ入ってくる。
その後ろには蘭もいる。
『誰がやった』
空は中峰から目を離さない。
「今、調べてる」
『本部の中だぞ』
「分かってる」
『昨日から、ずっと閉じ込めてたんだろ』
「そうだよ」
『だったら、何で死んでんだ!』
空の声が収容区画へ響いた。
透明な観察壁が僅かに震える。
桜が空の前へ立つ。
『空。今は現場を残すことが先です』
『分かってる!』
『でしたら、少し下がってください』
空は動かない。
桜も目を逸らさなかった。
数秒後。
空は握っていた拳を開き、一歩だけ後ろへ下がった。
桜が収容室の中を見る。
壁。
床。
天井。
扉。
外部から攻撃を受けた痕跡はない。
破壊されたのは、中峰の頭部だけ。
『中にいる皆さんを、別室へ移してください』
「しかし、区画は封鎖されています」
『区画の外へ出す必要はありません。お三方を分けて、同じことを確認します』
桜は観察壁越しに、呆然と立つ医療担当者を見る。
『責めるためではありません。何が起きたのかを知るためです』
医療担当者が小さく頷いた。
◇
午前八時三十七分。
特殊収容区画は完全に封鎖された。
収容室へ入った三人への確認も終わっている。
証言に食い違いはない。
監視映像とも一致していた。
中峰を寝台から移す。
椅子へ固定する。
監視装置を切り替える。
右手首の拘束具へ触れる。
その直後に、中峰の頭部が破裂した。
不審な動作はない。
外部から何かが持ち込まれた様子もない。
統合管制室へ戻った蘭は、収容区画の記録を一つずつ確認していた。
「夜間の入退室者、ゼロ」
日和が報告する。
「警備権限の不正使用もありません。収容室の扉が開いたのは、昨夜の収容時と今朝の移送時だけです」
「監視映像は?」
「欠損なし。時刻情報のずれもありません」
「外部からの通信」
「受信記録はありません。収容区画の遮断設備も正常です」
蘭が別の画面を開く。
「収容区画へ入った三人の星素波形は?」
「登録情報と一致。発動反応もありません」
「じゃあ、あの一瞬だけ出た波形は誰の?」
日和は答えられない。
中峰の生命反応が消失する直前。
移送用端末が捉えた、僅かな星素反応。
出力は小さい。
通常なら、機器の誤差として処理される程度。
だが、その直後に中峰は死亡した。
「アストラ所属者の登録波形と照合します」
日和が検索を開始する。
画面の数字が高速で変化する。
一致率が表示される。
「該当なし」
「過去の任務記録も含めて」
「検索範囲を拡張します」
星務庁へ登録された星能者。
過去にアストラが交戦した対象。
回収された星殻兵。
強制クラフトの被験者。
照合対象が次々と切り替わる。
それでも、一致する波形は出ない。
「該当なしです」
日和が蘭を見る。
「誰の星素か、分かりません」
蘭は波形を拡大する。
中峰本人の星素とも違う。
収容室へ入った三人のものでもない。
外から侵入した記録もない。
ならば。
この星素は、中峰の身体へ残された状態で本部へ運び込まれた可能性がある。
だが、いつ。
どこで。
誰が残したものなのか。
今の記録だけでは判断できない。
統合管制室の扉が開く。
榊原本部長が入ってきた。
その隣には、久世がいる。
「状況を説明してくれ」
榊原の声に、普段の穏やかさはなかった。
「中峰康太の死亡を確認しました」
蘭が答える。
「死因は、頭部内で発生した星素反応による破裂。外部から攻撃された形跡はありません」
「侵入者は」
「確認できません」
「警備記録は?」
「改竄も欠損もなし。収容区画の設備も正常でした」
榊原が画面へ表示された波形を見る。
「これは?」
「死亡直前に観測された星素波形です。現在、照合できる登録情報はありません」
「中峰自身のものではないのか」
「違います」
蘭は迷わず答えた。
「誰かが残した星素です」
久世が画面へ目を向ける。
「星素だけを身体へ残し、任意の時点で発動させたと?」
「まだ、そこまでは断定できません」
「しかし、外部からの干渉がないのなら、それ以外に説明できないでしょう」
「説明できないことと、それが正しいことは別です」
蘭の声は変わらない。
久世もそれ以上は言わなかった。
少し遅れて、空と桜が統合管制室へ入ってくる。
『本部長』
桜が榊原の前へ立つ。
『中峰さんの死亡に関する記録は、すべてアストラ内で保全してください』
「星務庁へ共有しないということか」
『身元と死亡の事実は共有します。ただし、現場記録と残留した星素波形の原本は渡せません』
「理由を聞いても?」
『中峰さんは、星務庁へ移送されることを恐れていました』
久世の視線が僅かに動く。
桜は久世を見なかった。
『そして、その翌朝に亡くなりました。関係があるとは断定できませんが、無関係だとも断定できません』
「九条隊長」
久世が口を開く。
「星務庁の関与を疑っているのですか」
『特定の組織を疑っているわけではありません』
桜が久世へ顔を向ける。
『ですから、どの組織にも原本を渡さないと申し上げています』
「解析には星務庁の設備も必要です」
『必要になった場合は、複製した情報を共有します』
「複製では、欠落が生じる可能性があります」
『でしたら、アストラへお越しいただきます』
桜の声は穏やかだった。
『原本はこちらで保管します。榊原本部長、それでよろしいでしょうか』
榊原は画面の波形を見つめる。
久世とは、士官学校へ入る以前からの付き合いがある。
星務庁との連携を担ってきた久世を、榊原は信頼していた。
それでも。
アストラ本部の中で、重要な拘束対象が殺された。
今は、誰か一人への信頼を理由に記録を外へ出せる状況ではない。
「分かった」
榊原が頷く。
「原本はアストラで保全する。星務庁へは必要な情報のみ共有しろ」
『ありがとうございます』
久世は反論しなかった。
「では、私は星務庁側への報告を整理します」
『お願いします、久世さん』
久世が統合管制室を出ていく。
桜は、その背中を追わなかった。
◇
中峰康太の遺体が、特殊収容区画から運び出された。
白い布に覆われた寝台が、廊下を進んでいく。
空は壁際に立ち、その姿を見送っていた。
『昨日まで、生きてたんだぞ』
隣にいた桜は答えない。
『あたしが殺さなかった』
『はい』
『聞きてえことがあった』
『私もです』
『なのに、何も聞けなかった』
寝台が廊下の角を曲がる。
白い布が見えなくなる。
空は拳を握った。
『次に捕まえたやつも、同じことになるのか』
『同じにはさせません』
『どうやって』
『まだ分かりません』
桜は正直に答えた。
『ですが、今回の記録は残っています』
空が桜を見る。
『中峰さんの言葉も。亡くなる直前に残された星素も。私たちが失ったものは、それだけではありません』
『……』
『次は、残ったものから相手へ辿り着きます』
空は何も言わなかった。
やがて壁から背を離し、統合管制室へ向かって歩き始める。
『蘭のところに戻るぞ』
『はい』
『中峰の昔の記録、全部調べる』
『空も手伝うのですか?』
『悪いかよ』
『いいえ』
桜が僅かに微笑む。
『ただ、書類を途中で投げ出さないでくださいね』
『投げねえよ』
『本当ですか?』
『今はそういう話してんじゃねえだろ!』
二人の声が、静かな廊下へ遠ざかっていった。
◇
統合管制室。
蘭は、中峰の死亡直前に観測された星素波形を独立した記録領域へ保存した。
登録名はない。
照合対象もない。
発動方法も不明。
今分かっているのは。
その星素が、中峰康太の証言を永遠に奪ったということだけ。
「保存完了しました」
日和が告げる。
「識別番号はどうしますか」
「未登録波形、一番」
「一番……」
「これが最初で最後とは限らないから」
蘭は保存された波形を見つめる。
昨夜、中峰は生きていた。
自分の口で話すと答えた。
緋環へ続く道が、ようやく開くと思っていた。
だが、その声は届く前に途絶えた。
「中峰の特別回収官時代の記録を、もう一度洗い直すよ」
「死亡記録だけではなく?」
「担当した任務。使った施設。回収した星能者。接触した職員。全部」
日和が新しい検索画面を開く。
「六年分となると、かなりの量になります」
「分かってる」
蘭は、中峰康太の最後の任務記録を表示する。
死亡したとされる任務。
その前に使用していた施設。
星務庁が閉鎖した、複数の旧研究・試験施設。
その中の一つ。
星務庁旧災害復旧技術試験場。
中峰が特別回収官だった時期に使用した記録が残っているにもかかわらず、その詳細だけが途中から欠落していた。
蘭の指が止まる。
「日和」
「はい」
「この試験場、調べるよ」
失われた証言の代わりに。
中峰康太が歩いた過去が、新たな手掛かりとして残されていた。




