二十七話「だが、嫌いじゃねぇ」
事件発生から、四十一分。
士官学校内で確認されていた星殻兵の反応が、すべて消失した。
地下旧観測施設。
中央校舎。
医療区画。
東側避難区画。
校内各所へ展開していたアストラ隊員から、制圧完了の報告が相次いでいる。
避難対象となった学生と教職員は、全員の生存を確認。
重傷者はいる。
校舎の一部も崩落した。
それでも、死者は一人も出なかった。
◇
東側避難区画。
碧が地下装置を破壊し、士官学校全域を覆っていた環境異常が収まった直後。
外へ続く連絡橋を、最後の学生が渡り終えた。
「避難対象者、全員の移動を確認しました」
森羅隊員の報告を受け、玲が戦術端末へ目を落とす。
校内に残されていた敵性反応はない。
右側連絡路を塞いでいた土壁は崩れ、床には星殻兵の外殻が残した黒い破片が散らばっている。
その一部も、赤黒い粒子となって消え始めていた。
「警戒を継続してください。核の反応が完全に消えるまで、負傷者以外は配置を維持します」
「了解」
岳が床から手を離した。
長時間クラフトを使い続けたことで、その額には汗が浮かんでいる。
澄香の周囲に浮かんでいた露標も、一つずつ透明な粒子へ変わっていった。
「残存反応はありません」
澄香が目を開く。
「正面通路、右側連絡路、上層階。すべて消失しています」
「分かりました。篠宮さんも休んでください」
「はい」
玲が振り返る。
涼介は崩れた壁へ背中を預けていた。
呼吸は整っている。
だが、両腕の痺れは強くなっていた。
上位個体から受けた攻撃。
続けて行われた、七体の星殻兵との迎撃戦。
星素残量も二割を下回っている。
戦闘中は無視できていた痛みが、任務の終了とともに全身へ広がっていた。
「鏡さん」
玲が呼ぶ。
「はい」
「医療班の診察を受けてください」
「まだ動けます」
「戦闘は終了しました」
玲の声は変わらない。
「これ以上、あなたが動く理由はありません」
涼介は周囲を見た。
負傷した森羅隊員が、互いに肩を貸し合っている。
岳も澄香も、自分より先に医療班へ向かおうとはしていない。
「他の人を先に」
「軽傷者の順番はこちらで決めます」
「ですが――」
「私の指示に従うのでしょう?」
涼介の言葉が止まった。
先ほどまでの戦い。
自分は玲の合図より先に動かなかった。
岳が星殻兵の脚を固定する。
澄香が核の位置を特定する。
玲が攻撃の順番を決める。
自分は指定された一点だけを破壊した。
一人で上位個体と戦ったときとは違う。
誰かが自分のために敵を止め、自分にはできないことを引き受けていた。
「……了解しました」
涼介が壁から背中を離す。
そのとき。
東側通路の奥から、足音が近づいてきた。
急いでいるわけではない。
一定の歩調。
それでも、通路にいた森羅隊員たちが一斉に道を空ける。
束ねられた長い金髪。
白い制服。
左腕の金色の隊長腕章。
獅堂空が、涼介たちの前へ現れた。
その後ろには、蓮司と鳴海がいる。
「空隊長」
玲が空へ向き直る。
『避難は?』
「全員完了しました。敵性反応も消失しています」
『こっちの被害は』
「森羅隊員三名が負傷。うち一名は星脈損傷の疑いがあります。学生の重傷者は既に医療班へ引き渡しました」
『死者は』
「いません」
『そうか』
空が短く答える。
視線が玲から涼介へ移った。
涼介は姿勢を正す。
空は何も言わない。
旧訓練棟で上位個体を一撃で消滅させたときとも、戦闘を続ける涼介を東側へ送ったときとも違う。
表情から、感情が消えている。
鳴海が涼介へ目を向けた。
何かを言おうとしたが、隣にいる蓮司が片手で制した。
空が涼介の前で足を止める。
『避難命令が聞こえなかったのか』
低い声だった。
涼介は答える。
「聞こえていました」
『なら、なんで残った』
「医療区画に、取り残された人がいました」
『質問に答えろ』
「助けを求める声が聞こえたからです」
『自分が敵に狙われてる可能性は聞いてたな』
「はい」
『戻れば、そいつらのところへ敵を連れていくかもしれねえ。それも分かってたな』
「分かっていました」
『それでも戻ったのか』
「はい」
空の目が僅かに細くなる。
『助けられたのか』
「取り残されていた学生と、医療教官を救出しました」
『だから、自分の判断は正しかったって言いてえのか』
「俺が戻らなければ、間に合わなかった可能性があります」
『結果の話をしてるんじゃねえ!』
空の怒声が、通路全体を震わせた。
周囲にいた隊員たちが動きを止める。
涼介も、息を呑んだ。
『助かったから正解か? 全員生きてたから、命令を破っても問題ねえって言うのか!』
「そういう意味では――」
『お前が戻ったせいで上位個体が医療区画へ来た! あたしが間に合わなけりゃ、お前も、助けた奴らも死んでたかもしれねえ!』
涼介は反論できない。
空が来なければ、自分は上位個体の攻撃を防げなかった。
防御を破られ、その場で倒されていた。
そのあと、上位個体が医療教官たちを見逃した保証もない。
『助けに行ったことまで悪いとは言わねえ』
空は、涼介から目を逸らさなかった。
『目の前で誰かが助けを求めてる。それを無視できなかった。そこまで否定するつもりはねえ』
声に込められた怒りは消えていない。
『けどな、お前がそこで死んだらどうする』
「……」
『一人助けて、お前も一緒に死ぬ。それで終わりじゃねえんだぞ』
涼介の拳が強く握られる。
『自分まで死んだら、次に守れるはずだった奴まで見捨てることになるんだぞ!』
涼介の脳裏に、東側避難区画で見た学生たちの姿が浮かんだ。
もし、旧訓練棟で死んでいたら。
玲の指揮下へ加わることはできなかった。
岳が固定し、澄香が核を見つけても、それを破壊する人間が足りなかった。
星殻兵に避難路を突破されていた可能性もある。
自分が命を捨てようとしたことで、別の誰かが危険に晒される。
そこまで考えていなかった。
「……申し訳ありません」
涼介が頭を下げる。
『謝れば済むと思ってんのか』
「思っていません」
『なら、顔を上げろ』
涼介が顔を上げた。
「処分は受けます」
『当たり前だ』
「助けられた人がいたことを理由に、命令違反を正当化するつもりもありません」
『当然だ』
「それでも」
涼介は空を真っ直ぐに見た。
「同じ状況になったとき、助けを求める声を無視できるとは言えません」
蓮司が僅かに眉を動かした。
鳴海が涼介を見る。
空の表情は変わらない。
「だから、次は命令を破らずに助けられる方法を考えます」
『今のお前に、できんのか』
「できません」
涼介は即答した。
「でも、できないままでいるつもりはありません」
短い沈黙。
空が玲へ顔を向ける。
『玲』
「はい」
『こいつは、こっちでどうだった』
玲は涼介を見た。
「私の命令には従いました」
『一度も勝手に動かなかったか』
「はい。攻撃、後退、待機。すべて指示どおりです」
『戦力にはなったのか』
「なりました」
玲は迷わなかった。
「鏡さんがいなければ、避難完了まで正面通路を維持できなかった可能性があります」
『何体倒した』
「正面通路の四体と、右側から侵入した二体。最後に上層階から降下した一体を含め、七体です」
空の視線が涼介へ戻る。
『お前が七体倒したのか』
「違います」
涼介は首を振った。
「土門さんが敵の脚を止めました。篠宮さんが核の位置を特定しました。神楽坂副隊長が攻撃する順番を決めてくれました」
『お前は何をした』
「指示された場所を殴っただけです」
『それで核を壊したんだろ』
「俺一人では、一体も倒せませんでした」
上位個体との戦いが、その事実を証明している。
自分だけでは、何度殴っても届かなかった。
誰かの力を借りて初めて、七体の星殻兵を止めることができた。
「七体を倒したのは、ここにいた全員です」
空は何も答えなかった。
玲が涼介を見る。
その表情は普段と変わらない。
ただ、僅かに目を細めていた。
空が涼介の前へ一歩近づく。
『弱えな』
「……はい」
『判断も甘い』
「はい」
『命令まで破る』
「はい」
『そのくせ、勝てねえ相手の前に一人で残った』
旧訓練棟。
自分を狙う上位個体を、医療区画から引き離した。
勝てるとは思っていなかった。
それでも、逃げれば誰かが襲われると分かっていた。
『助けた人間を置いて、自分だけ逃げることもしなかった』
空の口元が、僅かに持ち上がった。
『だが、嫌いじゃねぇ』
「……え?」
突然の言葉に、涼介が目を見開く。
空は腕を組んだ。
『鏡涼介』
初めて、名前を呼ばれた。
『お前、天衝隊に来い』
涼介は言葉の意味を理解できなかった。
「天衝隊に……?」
『聞こえなかったのか』
「いえ」
天衝隊。
物理系星能者を中心として編成された、アストラ本部直属部隊。
その頂点に立つのが、目の前にいる獅堂空だ。
士官学校の学生なら、誰もが知っている。
だが、正式な配属希望を出せるのは卒業試験に合格したあと。
涼介は最終学年の終盤にいたが、卒業認定に必要な実地査定をまだ終えていなかった。
「卒業後に、という意味でしょうか」
『違う』
空が即答する。
『今すぐだ』
「俺は、まだ士官学生です」
『知ってる』
「それに、避難命令を破りました」
『それも知ってる』
「処分を受ける人間を、天衝隊へ入れるんですか」
『処分は受けろ』
空の声から、笑みが消える。
『やったことから逃げんな。助けた人間がいるからって、命令違反が消えると思うな』
「思っていません」
『その上で、あたしがお前を推薦する』
「推薦……」
『今日の戦闘記録も本部へ出す。特別適性審査を要求する』
涼介が息を呑む。
推薦。
その言葉が意味するものは、即時の入隊ではない。
空が涼介を天衝隊へ欲しいと、正式に意思表示すること。
その先にある処分も、卒業認定も、入隊審査も残ったまま。
それでも。
士官学生である涼介へ、極星の一人が自ら推薦を申し出ている。
「待て、空」
蓮司が前へ出た。
「話を勝手に進めんな」
『進めてねえよ』
「進めてんだよ。こいつは命令違反を犯した士官学生だぞ」
『だから処分は受けろって言っただろ』
「処分だけじゃねえ。特別適性審査を通すにしても、学校側の卒業認定が先だ。アストラ本部と星務庁の承認もいる」
『分かってる』
「本当に分かってんのか?」
『あたしが決めるのは、こいつを推薦するってことだけだ』
空は蓮司を真っ直ぐに見る。
『処分を決めるのは学校だ。卒業を認めるのも、入隊させるのも、配属を決めるのもあたしじゃねえ』
「だったら、今すぐ来いなんて言い方すんな」
『卒業するまで待つつもりがねえって意味だ』
「十分ややこしいんだよ」
蓮司が額へ手を当てる。
『それに』
空が涼介へ視線を戻した。
『こいつは敵に狙われてる』
その言葉に、玲の表情が僅かに変わる。
「鏡さんが?」
『上位個体は、他の学生を無視してこいつだけを追った。偶然じゃねえ』
空が戦術端末を操作する。
蘭から送られていた情報が、周囲の端末へ共有された。
校内に侵入した星殻兵の移動経路。
複数の反応が、十二人の学生へ向かっている。
その中でも、涼介へ向けられた反応が最も多い。
《空の言うとおりだよ》
端末から蘭の声が届いた。
《星殻兵は、GIFTED適合候補として抽出された学生を識別してた。その中でも鏡涼介の推定適合率は九十一・四パーセント》
「九十一・四……」
涼介が表示された数値を見る。
《今回、確認された候補者の中では最も高い数値だよ》
「俺が、適合候補……」
《敵が何を基準に算出したのかは、まだ分からない。でも、上位個体が鏡君を優先して追跡した事実は残ってる》
空が端末を閉じる。
『学校に残ってりゃ安全って保証もねえ』
「だから天衝隊へ入れるのか」
蓮司が尋ねる。
『それだけじゃねえよ』
空は涼介から目を逸らさなかった。
『守られるだけの奴なら、あたしの隊にはいらねえ』
「では、なぜ俺を」
『お前が使えると思ったからだ』
「俺は、上位個体に何一つ通用しませんでした」
『最初からあれを倒せる学生なんかいねえよ』
「空隊長は一撃で倒しました」
『あたしと比べんな』
空が即座に言い返す。
『今のお前があたしに届かねえのは当たり前だ』
涼介の脳裏に、上位個体が一撃で粉砕された光景が蘇る。
同じ物理系。
同じ身体強化。
だが、あまりにも遠い。
『天衝隊は、士官学校みたいに優しくねえぞ』
空が告げる。
『お前より強い奴も、速い奴もいる。判断を一つ間違えりゃ、自分だけじゃなく仲間が死ぬ』
「……はい」
『弱えくせに無茶して、命令まで破りやがる。直すところだらけだ』
反論できる言葉はなかった。
すべて事実だった。
空が笑う。
『だから、あたしが直す』
涼介は、目の前にいる女を見つめた。
極星。
物理系の頂点。
自分が何度殴っても倒せなかった敵を、ただの一撃で消滅させた存在。
その空が、自分を天衝隊へ欲しいと言っている。
信じられない。
同時に、胸の奥で何かが大きく脈打っていた。
「もし、処分を受けても」
涼介が口を開く。
「審査を受けることはできますか」
『それを決めるのはあたしじゃねえ』
空は、はっきりと答えた。
『あたしにできるのは、お前を推薦して、審査を要求するところまでだ』
「……はい」
『だから、処分から逃げるな』
「逃げません」
『審査で落とされても、学校を恨むな』
「はい」
『その上で天衝隊に来る気があるなら――』
空が涼介へ背を向ける。
『先に治療を受けてこい、鏡涼介』
「獅堂隊長は?」
『お前を推薦してくる』
空は振り返らない。
『あとは、お前が決めろ』
蓮司が空を追いかける。
「待て。推薦書を出す前に、まず本部長へ報告だ」
『同じだろ』
「全然違う」
『細けえなあ』
「お前が雑すぎんだよ!」
二人の声が、通路の奥へ遠ざかっていく。
鳴海はその背中を見送り、涼介へ振り返った。
「驚くよね」
「……はい」
「僕も天衝隊へ入ったとき、同じような感じだったよ」
「鳴海さんも、空隊長に?」
「僕の場合は、もう少し普通の手続きだったけど」
鳴海が苦笑する。
「でも、隊長が自分から欲しいって言うのは珍しい」
「俺は、命令違反をしたんですよ」
「だから、許されたわけじゃない」
鳴海の声が真剣なものへ変わる。
「処分は処分。推薦は推薦。隊長は、そこを混ぜない人だから」
涼介は、自分の両手を見る。
星殻兵の外殻を破壊した拳。
上位個体には届かなかった拳。
空のような一撃には、あまりにも遠い。
それでも。
届かないことを知ったからこそ、そこへ近づきたいと思った。
「鏡さん」
玲が声をかける。
「医療班へ行ってください」
「はい」
涼介は歩き出そうとして、足を止めた。
「神楽坂副隊長」
「何でしょう」
「ありがとうございました」
「何に対するお礼ですか」
「俺を、一人の戦力として扱ってくれたことです」
玲は涼介を見つめた。
「空隊長があなたを戦力になると判断しました」
「それだけですか」
「それだけで十分です」
玲は静かに答える。
「それに、あなたは私の命令に従いました。なら、私もあなたが役目を果たせるように指揮する。それが副隊長の仕事です」
「……はい」
「ただし」
玲の声が僅かに低くなる。
「次に命令を破れば、私も空隊長と同じように叱ります」
「気をつけます」
「気をつけるだけでは困ります」
「必ず従います」
「お願いします」
涼介は玲へ一礼し、医療班の待機する校舎外へ歩き始めた。
正式な処分は、まだ決まっていない。
特別適性審査が認められる保証もない。
卒業できるかどうかも。
アストラへ入隊できるかどうかも。
天衝隊へ配属されるかどうかも。
何一つ決まってはいなかった。
決まったのは、たった一つ。
物理系の頂点に立つ極星が。
鏡涼介という一人の士官学生を、天衝隊へ推薦すると決めたことだけだった。




