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二十六話「七つを一つに」

 最初に異変を起こしたのは、大地だった。


 士官学校の中央棟を支える地盤が沈み、校舎全体が大きく傾く。


 廊下を走っていた学生たちが壁へ投げ出された。


 窓ガラスが砕け、天井から照明器具が落下する。


 続いて、地下を通る配水管が一斉に破裂した。


 亀裂から噴き上がった水が階段を駆け下り、低層区画へ流れ込んでいく。


 水に濡れた電力設備が火花を散らす。


 青白い電流が床を這い、浸水した通路へ広がった。


 西側校舎では、何もない場所から炎が噴き上がる。


 消火設備が作動するより早く、異常な熱が壁面を焦がし、教室の扉を歪ませた。


 外気温が急激に低下する。


 降っていた雨が空中で凍り、鋭い氷片となって校庭へ降り注ぐ。


 反対に、地下から流れ込む空気は焼けるように熱い。


 校舎内外の温度差によって気圧が乱れ、吹き荒れた突風が避難用の連絡橋を激しく揺らした。


 そして最後に。


 校庭の樹木が、不自然な速度で成長を始めた。


 根が舗装を突き破る。


 枝が校舎へ伸び、窓や外壁を押し潰していく。


 大地。


 水。


 火。


 雷。


 風。


 氷。


 植物。


 士官学校の全域で、七つの環境異常が同時に発生していた。


     ◇


 統合管制室。


 大型画面へ、士官学校全域の警告表示が次々と浮かび上がっていく。


「中央棟、地盤沈下を確認!」


「西側校舎で火災! 熱源が急速に拡大しています!」


「東側避難区画で漏電! 連絡橋の制御装置が停止しました!」


 複数の報告が重なった。


 日和は端末を操作しながら、校内の反応を区画ごとに分離する。


 だが、一つを表示するたびに新たな異常が発生した。


「蘭さん、環境異常が七種類……」


「分かってる」


 蘭が士官学校の立体図を回転させる。


 七つの異常は、無秩序に発生しているように見える。


 しかし、それぞれの星素波形を線で結ぶと、すべてが校舎地下の一点へ集まっていた。


「旧星脈観測施設……?」


 士官学校が現在の形へ改修される以前。


 学生の星脈と周辺環境の関係を調べるために使われていた地下施設。


 十年以上前に閉鎖され、現在は電力も供給されていない。


 そのはずだった。


「地下から星素が流れています」


 日和が波形を拡大する。


「一つの反応が、七つに分岐しています」


「自然に起きたものじゃないね」


 蘭は各隊の位置を確認する。


 天衝隊は校内へ残る星殻兵の排除。


 森羅隊は東側避難区画の防衛と、崩れ始めた校舎の維持。


 創雅隊は負傷者の救助。


 どの隊も、既に別の任務へ人員を割かれている。


 七つの環境異常へ個別に対処する余裕はない。


《碧。聞こえる?》


『聞こえてる』


《七つの異常は全部、旧星脈観測施設から発生してる。地下の一つの装置が、異なる星素波形を送り出してるみたい》


『場所は?』


《中央棟地下。最短経路を送るよ》


『避難完了まで、あと何分?』


「最短で三分です」


 日和が答える。


《三分》


 蘭がそのまま伝える。


 短い沈黙が流れた。


『なら、三分だけ持たせて』


《そのあとは?》


『私が全部止める』


 通信が切れる。


 日和は士官学校の映像へ目を戻した。


 校舎の周囲を、ターコイズの光が高速で移動していく。


「全部って……」


「七つ全部だよ」


 蘭は驚かなかった。


 ただ、碧が向かう先から目を離さない。


「それができるから、碧は森羅隊の隊長なの」


     ◇


 東側避難区画。


 星殻兵が排除されたことで、別区画に残っていた学生たちが、東側の連絡橋へ新たに合流していた。


 先ほど渡り終えた者たちとは、別の一団である。


 地面が大きく揺れた。


 涼介は倒れかけた学生の腕を掴み、身体を引き寄せる。


 頭上から落ちてきた天井材が、二人のすぐ横へ突き刺さった。


「走れ!」


「は、はい!」


 学生が連絡橋へ向かう。


 その背後で、床を突き破った太い根が壁面へ食い込んだ。


 校舎全体が軋む。


「こんなものまで、星能なのか……」


 涼介が根を見上げる。


 先ほどまで戦っていた星殻兵とは違う。


 殴るべき相手がいない。


 どこから攻撃が来るのかも分からない。


「鏡さん、止まらないでください」


 玲の声が飛ぶ。


 涼介が振り返る。


 玲は連絡橋の前へ立ち、落下してくる瓦礫へ右手を向けていた。


 不可視の領域へ触れた破片が、空中で静止する。


 絶対静界。


 玲の周囲に展開された静止領域が、崩落する校舎から避難経路を守っている。


 しかし止められるのは、領域へ入ったものだけ。


 地盤そのものが崩れれば、避難区画全体を支えることはできない。


「学生の誘導を続けてください」


「でも、この揺れじゃ橋が――」


「橋は私が守ります」


「一人でですか」


「一人ではありません」


 玲が地面へ目を向ける。


 少し離れた場所で、岳が両手を床へついていた。


 環境系クラフト――「地縫」。


 隆起した石材が連絡橋の基部を包み込み、崩れかけた地盤へ縫いつけている。


 その額からは、大粒の汗が流れていた。


「地面の下から、別の力で引かれてる」


 岳が歯を食いしばる。


「俺の地縫だけじゃ、あと二分も保たない」


「一分で十分です」


 玲が答える。


「残る学生は?」


「十二人!」


 澄香が露標から送られる情報を確認する。


「連絡橋の手前に八人。中央棟から四人が向かっています!」


「鏡さん」


「はい」


「中央棟の四人を連れてきてください」


 玲は涼介を見た。


「戦闘ではありません。速さだけを使ってください」


「了解!」


 涼介が脚部へ星素を集中させる。


 命令された役割だけを果たす。


 先ほどの戦いで学んだことを、涼介は今度こそ忘れなかった。


 床を蹴り、中央棟へ駆け出す。


     ◇


 碧は、旧星脈観測施設へ続く階段を下りていた。


 足元では水が流れている。


 階段の下からは熱風が吹き上がり、天井を這う配線から青白い火花が散っていた。


 通路の壁面には霜が広がっている。


 凍結と高熱が、同じ区画で発生していた。


 普通の自然現象ではありえない。


 地下施設の扉は、内側から押し広げられていた。


 床を突き破った植物の根が、鋼鉄製の扉を歪ませている。


 碧が根へ手を触れる。


 ターコイズの星素が流れ込む。


『芽環』


 暴れていた根が止まった。


 扉へ食い込んでいた部分がゆっくりと引き抜かれ、壁際へ道を空ける。


 碧が施設内へ入る。


 かつて観測機器が並んでいた広い空間。


 その中央に、黒い装置が設置されていた。


 人の背丈を超える円筒形。


 表面から七本の管が延び、それぞれ床、配水設備、電力線、換気口へ接続されている。


 赤黒い星素が管を通り、士官学校全域へ送り出されていた。


《碧。装置を確認できる?》


『見えてる』


《停止させられそう?》


 碧は装置へ近づく。


 足元の水が突然盛り上がった。


 壁の亀裂から大量の水が噴き出し、碧へ襲いかかる。


 碧は片手を上げた。


『水鏡』


 迫っていた水が空中で止まる。


 そのまま二つに分かれ、碧の左右を通過した。


 水流は床を走り、排水口へ吸い込まれていく。


 直後、天井の配線から電流が放たれた。


『鳴渡』


 青白い電流へ、ターコイズの光が混ざる。


 軌道を変えた電流が壁面を伝い、地下深くへ流れていった。


 装置の下で地面が隆起する。


 石の杭が碧の足元へ突き出した。


『磐根』


 床から伸びた杭が止まり、細かな砂となって崩れる。


 赤黒い装置が明滅した。


 それに呼応するように、施設内の温度が急上昇する。


 床に残っていた水が一瞬で沸騰した。


 白い蒸気が室内を覆う。


『火産』


 碧が指を動かす。


 空間に満ちていた熱が、一点へ集まった。


 赤い光となった熱が碧の掌へ収束し、そのまま小さな火の玉へ変わる。


 碧が手を握ると、火は音もなく消えた。


 温度が下がる。


 だが、今度は下がりすぎた。


 壁面を覆っていた霜が一気に厚みを増し、床から鋭い氷柱が伸びる。


『白凝』


 碧の声に応じ、氷の成長が止まった。


 無数の氷柱が崩れ、細かな粒となって床へ落ちる。


 換気設備が逆回転を始めた。


 外気が地下へ吸い込まれ、室内で渦を巻く。


 風圧によって観測機器が引き剥がされ、碧へ飛来した。


『天颯』


 碧の周囲で風向きが変わる。


 飛んできた機器が軌道を逸らし、壁面へ叩きつけられた。


 最後に、床下から根が伸びる。


 何本もの蔓が絡み合い、碧の両腕と足を拘束しようと迫った。


『芽環』


 根が碧の身体へ触れる直前で止まった。


 そのまま方向を変え、赤黒い装置へ巻きつく。


 七つ。


 大地。


 水。


 火。


 雷。


 氷。


 風。


 植物。


 すべての現象が止まっていた。


《環境異常の出力、低下しています》


 日和の声が届く。


《このまま装置を破壊できれば――》


「待って」


 蘭が日和の言葉を遮った。


《碧、気をつけて。七つの波形が消えてない》


 装置に巻きついていた根が燃え上がった。


 碧が火を消そうとした瞬間、その熱が配水管へ移る。


 管の中の水が沸騰し、急激に膨張した。


 水圧が地下施設の壁を押し広げる。


 碧が水を別方向へ逃がす。


 流れ込んだ水が電力設備へ触れ、再び強い電流が発生した。


 電流を地面へ流す。


 すると地下の根が電気を拾い、校庭全体へ拡散させていく。


『なるほど』


 碧は装置を見上げた。


 七つの現象は、独立していない。


 一つを抑えれば、その力が別の現象へ流れる。


 七つすべてが円環状に接続されている。


 どれか一つを止めるだけでは、残る六つが出力を引き継ぐ。


《碧、装置の出力がまた上がってる》


『うん』


《外から別の隊を入れる?》


『入れないで』


 碧は即答した。


《でも、このままだと――》


『これは、士官学校を壊すための装置じゃない』


 蘭が黙る。


 碧は七本の管を見る。


 異なる現象。


 異なる波形。


 そのすべてが、互いの力を引き継ぎながら循環している。


『私が一つずつ止めることまで、最初から計算されてる』


《じゃあ、敵の狙いは……》


『七つを同時に使わせること』


 碧が装置へ手を伸ばす。


『私が、どこまで耐えられるか見たいんだよ』


     ◇


 士官学校の揺れが強まった。


 中央棟から学生四人を連れ出した涼介は、崩れ始めた廊下を走っていた。


 前方の床に亀裂が走る。


 その隙間から炎が噴き上がった。


「止まれ!」


 涼介が叫ぶ。


 学生たちが足を止める。


 別の通路を探す。


 だが、背後からも火が迫っていた。


 窓の外では氷片が降り注いでいる。


 進めない。


 戻れない。


 涼介が周囲を見渡す。


 右側の壁。


 その向こうには吹き抜けがある。


 壁を壊し、反対側へ跳べば避難区画へ近づける。


 だが、学生四人を抱えて跳ぶことはできない。


「俺が壁を壊します。合図したら――」


 言葉の途中で、炎が揺れた。


 涼介たちへ迫っていた火が、見えない手に引かれるように後退していく。


 窓の外を流れていた風が止まる。


 空中を舞っていた氷片が、地面へ落ちる前に細かな雪へ変わった。


「何が……」


 足元の揺れが弱まる。


 亀裂の中から植物の根が伸び、割れた床を下から支えた。


 焼けていた壁面を水が走り、残る火を消していく。


 涼介は窓の外を見た。


 校庭。


 校舎。


 連絡橋。


 士官学校のあらゆる場所へ、ターコイズの星素が広がっている。


 空の一撃を見たときとは違う。


 圧倒的な力が、一点へ集まっているのではない。


 学校全体を包んでいる。


「あれも……極星なのか」


 涼介の呟きへ、通信端末から玲の声が返る。


《鏡さん。聞こえていますか》


「はい」


《通路の安全が回復しました。学生を連れて戻ってください》


「今のは、誰が?」


《森羅隊の天城隊長です》


 玲は短く答えた。


《空隊長が敵を倒す人なら、碧隊長は戦場そのものを従える人です》


 涼介が前を見る。


 炎は消えている。


 崩れていた床も、根と岩によって固定されていた。


「全員、走れるな?」


 学生たちが頷く。


「避難区画まで一気に行くぞ!」


 涼介は四人を連れ、再び走り出した。


     ◇


 旧星脈観測施設。


 七つの異常が、再び膨れ上がる。


 床が割れる。


 水が噴き出す。


 炎が走る。


 雷が弾ける。


 風が渦を巻く。


 氷が空間を侵食する。


 根が壁を突き破る。


 碧はその中心に立っていた。


 一つずつでは間に合わない。


 順番に止めても、力が次へ移るだけ。


 必要なのは、七つすべてを同時に捉えること。


 碧が目を閉じる。


 身体の中心を巡る、ただ一つの星脈。


 そこから伸びる、七柱への接続。


 風と大気を司る天颯。


 水と雨を司る水鏡。


 大地と岩石を司る磐根。


 火と熱を司る火産。


 雷と電気を司る鳴渡。


 氷と雪を司る白凝。


 植物と生態を司る芽環。


 碧の中に、七つの星脈があるわけではない。


 星脈は一つ。


 その一つへ、性質の異なる七つの接続が重なっている。


 天城家から受け継いだのは、七柱へ繋がる資格。


 イワノワ家から受け継いだのは、七属性の負荷に耐えられる強靱な器。


 どちらか一方だけでは成立しない。


 二つの血が一人の中で交わったことで生まれた、唯一のギフト。


 七環神威。


 赤黒い装置が最大出力へ達する。


 七つの現象が、同時に碧へ襲いかかった。


 碧が目を開く。


 ターコイズの瞳が、静かに輝いていた。


『七環神威――最大展開』


 碧の星脈から、膨大な星素が解き放たれる。


『七環神域』


 ターコイズの光が、地下施設から士官学校全域へ広がった。


     ◇


 統合管制室のすべての観測機器が、一瞬だけ停止した。


「観測上限を超えました!」


 日和が叫ぶ。


 画面を埋め尽くしていた七つの波形が消える。


 違う。


 消えたのではない。


 一つに重なっていた。


 風。


 水。


 大地。


 火。


 雷。


 氷。


 植物。


 異なるはずの七つの波形が、碧の星素を中心として完全に同期している。


「七つを同時に……」


「同時じゃないよ」


 蘭が画面を見つめる。


「碧は、七つを別々に動かしてない」


 士官学校の上空。


 乱れていた気圧が均される。


 天颯が生んだ風が、校舎内に溜まった煙を外へ運び出す。


 水鏡が破裂した配水管の流れを変え、火災区画へ水を送る。


 火産が建物へ蓄積した熱を引き抜き、水蒸気爆発を防ぐ。


 白凝が破損した配管だけを凍結させ、余分な水の流出を止める。


 鳴渡が校内を暴れていた電流を一つの経路へ集め、地下の避雷設備へ流す。


 磐根が沈下した地盤を押し上げ、傾いた校舎を元の位置へ戻す。


 芽環が伸ばした根が、その大地へ深く食い込み、建物を支える。


 風が水を運ぶ。


 水が火を鎮める。


 火が氷の広がりを制限する。


 氷が水流を整える。


 大地が電流を受け止める。


 植物が大地を繋ぎ止める。


 七つの現象が互いを邪魔することなく、一つの環境として循環していた。


「士官学校全体が……」


 日和は息を呑む。


「碧隊長の支配下にある……」


「それが七環神域」


 蘭が答える。


「範囲内の自然現象を、全部一つの系として組み直す。碧だけの領域だよ」


     ◇


 地下施設の中央。


 碧は七つの現象を士官学校全域へ巡らせながら、赤黒い装置を見据えていた。


 装置は出力を上げ続けている。


 だが、送り出した力はもう暴走しない。


 碧の支配下へ入り、学校を守るための力へ変換されていく。


『見たかったんでしょ』


 碧が装置へ歩み寄る。


『一つの星脈で、七つをどこまで扱えるか』


 七本の管が激しく震えた。


 装置が残る星素を一気に放出しようとする。


『だったら、ちゃんと見ておけばいい』


 碧が装置の表面へ手を置いた。


 七つの接続が、一点へ集まる。


 水が装置内部へ入り込む。


 氷が回路を固定する。


 電流が隠された経路を暴き出す。


 植物の根が装置の隙間へ侵入する。


 風が内部の熱を奪う。


 大地が装置を床から押し上げる。


 最後に、火が中心部だけを焼いた。


 円筒形の装置が大きく軋む。


 表面へ七方向から亀裂が入り、内部の核が露出する。


 赤黒い光が明滅した。


『終わり』


 碧が指を閉じる。


 七つの力が、同時に核へ収束した。


 乾いた音。


 赤黒い核が砕ける。


 装置から流れ出していた星素が途絶えた。


 士官学校を覆っていた環境異常が、完全に消失する。


 碧は七柱との接続を一つずつ閉じていった。


 天颯。


 水鏡。


 磐根。


 火産。


 鳴渡。


 白凝。


 芽環。


 最後の接続が閉じる。


 施設内を満たしていたターコイズの光が、静かに薄れていく。


《環境異常、すべて消失しました》


 日和の声が届く。


《校内の地盤、気温、気圧、水流、電力、植生、すべて正常範囲へ戻っています》


『避難は?』


《全員完了。取り残された学生はいないよ》


 蘭が答える。


『そっか』


 碧は短く息を吐いた。


 七つの自然現象の同時運用。


 星脈に残る重さは小さくない。


 それでも、膝をつくことはなかった。


 碧は砕けた装置へ背を向ける。


 その瞬間。


 装置の奥で、小さな光が点滅した。


 一度だけ。


 碧が振り返る。


《蘭》


『今の、見えた?』


《見えた。装置から外部通信が出たよ》


『止められた?』


《ううん。短すぎる。送信先も偽装されてる》


 碧は砕けた核を見下ろす。


 装置は、破壊される直前まで観測を続けていた。


 七環神域の出力。


 七つの自然現象の切り替え。


 同時接続時の星脈負荷。


 すべてを記録したうえで、外部へ送信した。


『最初から、それが目的だったんだね』


《たぶん》


『追える?』


《やってみる。でも、期待はしないで》


『分かった』


 碧は装置の破片を一つ拾い上げた。


 表面には、星務庁の旧式管理番号が刻まれている。


 正式に廃棄されたはずの観測機器。


 それが誰にも知られず改造され、士官学校の地下へ残されていた。


 碧は破片を握る。


 その表情から、戦闘中にも変わらなかった静けさが僅かに消えた。


     ◇


 事件発生から、四十一分。


 士官学校へ侵入した星殻兵は、すべて排除された。


 学生と教官の避難も完了。


 複数の負傷者が確認されたものの、死者はいない。


 校舎には大きな損傷が残った。


 それでも、崩壊した建物は一つもなかった。


 東側避難区画。


 涼介は連絡橋の前で床へ座り込んでいた。


 戦闘が終わったことで、全身の痛みが一気に戻ってきている。


 両腕は痺れ、胸部には上位個体から受けた一撃の痛みが残っていた。


 それでも、視線は校庭へ向いている。


 沈下していた地面は元へ戻っていた。


 暴れていた樹木も、今は静かに風へ揺れている。


 近くでは岳が壁へ背を預け、荒い呼吸を整えていた。


「天城隊長って、いつもあんなことをするんですか」


 涼介が尋ねる。


「いつもだったら、こっちの身体が保たない」


 岳が答える。


「七環神域を使うほどの現場なんて、滅多にない」


「七つの星能を持ってるんですか」


「違う」


 岳は即座に否定した。


「あの人の星脈は一つだ」


「一つ……?」


「七つあるのは星脈じゃない。七柱との接続と、そこから扱える自然現象だ」


 岳が校庭を見る。


「普通の環境系は、一つの現象を極める。俺なら大地だ。才能があれば二つ扱える人間もいる」


「天城隊長は、七つ」


「ああ。一つの星脈でな」


 涼介は返す言葉を失った。


 一つの力を切り替えるだけでも、自分は何度も失敗した。


 筋力。


 速度。


 反応。


 耐久。


 すべて同じ物理強化の範囲にある力でさえ、適切に配分することは難しい。


 碧が扱ったのは、それぞれ性質の異なる七つの自然現象。


 しかも士官学校全域を覆い、互いに衝突させることなく同時に動かした。


「空隊長も、天城隊長も……」


 涼介は自分の手を見る。


「同じ人間とは思えない」


「同じ人間です」


 玲が歩いてくる。


 涼介が顔を上げた。


「ですが、碧様を私たちと同じ尺度で測ろうとすること自体が間違っています」


「それだけ、強い人なんですか」


「強い、という言葉だけでは足りません」


 玲は連絡橋の向こうへ目を向ける。


 地下施設から戻ってきた碧が、森羅隊員へ状況を確認していた。


 表情は普段と変わらない。


 士官学校全域を支配した直後とは思えないほど静かだった。


「碧様は、七つの自然現象を扱えるから特別なのではありません」


 玲の声は、いつもと同じように落ち着いていた。


 だが、碧へ向ける眼差しには、涼介がこれまで見たことのないほど強い敬意が宿っている。


「七柱から与えられた力を、誰かを守るためにしか使わない。どれほど大きな力を持っていても、自分のために振るおうとはしない」


 玲は迷いなく言い切った。


「だから私は、碧様の下にいます」


「神楽坂副隊長が、森羅隊に入った理由ですか」


「はい」


 玲の視線は碧から離れない。


「私にとって、碧様は目標ではありません。いつか追いつけるなどと考えたこともない」


「じゃあ……」


「絶対です」


 その一言に、躊躇はなかった。


「碧様が守ると決めた場所で、私たち森羅隊が先に諦めることは許されません。碧様が立っている限り、私も立ち続けます」


 誇張しているのではない。


 憧れを語っているのでもない。


 玲はそれを、疑う余地のない事実として口にしていた。


 忠誠。


 敬意。


 そして、信仰に近いほどの確信。


 涼介は、玲が森羅隊副隊長である理由を初めて理解した。


「極星のデルタグラム……」


「空隊長、桜隊長、そして碧様」


 玲が涼介へ視線を戻す。


「物理、精神、環境。それぞれの系統で到達できる頂点です」


「俺も、いつかあそこまで――」


「今のあなたが見るべきなのは、あの方たちの強さではありません」


 玲が涼介の言葉を遮った。


「自分が今日、何をしたかです」


 涼介の表情が強張る。


 避難命令を破った。


 自分が標的である可能性を知りながら、医療区画へ戻った。


 上位個体を引き寄せ、救助対象を危険へ晒した。


 結果として助けられた人間はいる。


 森羅隊の指揮下では、星殻兵も倒した。


 だが、それで最初の命令違反が消えるわけではない。


「説教なら、獅堂隊長から受けます」


「そのようですね」


 玲が涼介の背後を見る。


 涼介も振り返った。


 崩れた通路の向こう。


 空がこちらへ歩いてきている。


 長い金髪。


 白い制服。


 左腕の金色の腕章。


 その顔には、上位個体を一撃で消滅させたときとは違う表情が浮かんでいた。


 明らかに、怒っている。


 涼介が立ち上がろうとする。


 身体の痛みで、僅かに顔が歪んだ。


 玲がその様子を見ても、手を貸すことはなかった。


「鏡さん」


「はい」


「健闘を祈ります」


「それ、戦う前に言う言葉ですよね」


「あなたにとっては、ここからが本番でしょう」


 空が涼介の前で足を止める。


 涼介は痛む身体を伸ばし、正面から向き合った。


 短い沈黙。


 空が口を開く。


『さて』


 涼介の背筋へ、戦闘中には感じなかった冷たいものが走った。


『全員、生きて帰ったな』


「……はい」


『じゃあ、約束どおり説教の時間だ』


     ◇


 同時刻。


 星務庁の記録上には存在しない、地下研究区画。


 御門朔夜は、新たに届いた観測記録を見つめていた。


 画面の中央には、天城・イワノワ・碧の名が表示されている。


 その周囲に並ぶ、三つの記録。


 出生直後に採取された星脈検査。


 士官学校在学中に行われた精密測定。


 そして今回、七環神域が発動した瞬間の実戦データ。


 研究員が、七つの波形を一つずつ重ねていく。


 風。


 水。


 大地。


 火。


 雷。


 氷。


 植物。


 すべての波形が、一つの星脈反応へ収束する。


「単一の星脈から、七属性を同時出力」


 研究員が報告する。


「七柱との接続を並列維持しながら、七属性間の衝突を完全に制御しています」


「星脈への損傷は?」


「確認できません。出力低下も想定を下回っています」


 画面の端へ、二つの家名が表示された。


 AMAGI。


 IVANOVA。


 七柱へ繋がる資格を継いだ天城家。


 異なる七属性の負荷へ耐える器を継いだイワノワ家。


 二つの血統が、碧という一人の人間の中で完成している。


「これが、天然の成功例……」


 研究員の声には、畏怖が混じっていた。


 朔夜は画面へ指を触れる。


「必要なのは、七本の星脈ではありません」


 七つの波形が消える。


 残ったのは、それらすべてを受け入れている一本の星脈。


「一つの星脈へ、異なる力を共存させられる器です」


 朔夜が画面を切り替える。


 新たな人物の情報が表示された。


 黒瀬迅。


 星務庁への登録上は、造形系ギフト。


 だが、画面に表示された星脈波形は、既存のどの系統にも当てはまらない。


 外部から与えられた力へ、自らの星脈を適応させる系統外能力。


 その横で、GIFTEDの適合計算が更新されていく。


 碧から得た七属性の安定化データが組み込まれる。


 数値が上昇する。


 赤い表示が、静かに点灯した。


「完成へ近づきましたね」


 研究員が言う。


「ええ」


 朔夜は、碧と迅のデータを並べた。


「天城・イワノワ・碧が、七つを一つにする方法を示してくれました」


 朔夜の口元へ、薄い笑みが浮かぶ。


「次は、それを人の手で再現します」

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